古典を読む

恋の歌(相聞歌):万葉集を読む

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万葉集には恋の歌が多い。それは、万葉の時代の人々が恋多き人だったことの反映のようなものである。つまり日本人は、大昔から恋心が豊かな人種だったわけである。なぜ万葉人はそんなに恋にこだわったのか。一つには、万葉人が本質的に色好みだったという事情もあろう。しかしそれ以上に重要なのは、万葉時代の男女のあり方である。万葉時代の婚姻形態は、妻訪婚といって、男が女の家に赴いて、一夜を一緒に過ごすという形が基本であった。これは、もっと昔の古代社会における家族関係の基本が女系家族だったことの名残と思われる。いづれにしても万葉の時代の男女は、いまの時代の男女のように、一軒の家で共同生活を営んでいたわけではなかったのである。そんなわけであるから、男女関係を強固なものに維持する為に、絶え間のないコミュニケーションが必要となった。歌はこのコミュニケーションのメディアとして発達したのである。

冬梅を詠む:万葉集を読む

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万葉集には、梅の花を詠った歌が百十九首あるが、そのうち三分の一ほどが冬梅を詠ったものである。その冬梅は、白い花を咲かすので、雪が積もったさまに似ていた。そこで冬梅の歌は、雪と一緒に詠われることが多かった。次は、大伴旅人のものと思われる歌二首。
  残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも(849)
  雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも(850)
一首目は、残雪と共に咲いている梅の花は、雪が消えたあとまで咲き残っていて欲しいという趣旨で、二首目は、梅の花が雪の色を凌いで咲き誇っている、その花の盛りを一緒に見る人がいればよいのに、という趣旨である。どちらも、雪と梅とをライバル同士に見立てている。

雪を詠む:万葉集を読む

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万葉集には、雪を詠んだ歌が百五十首以上もある。それらが、冬の季節感を詠んだ歌の大部分を占める。日本人は、雪について、かなりきめ細かい感性を持って接していたといえるが、そのことは雪を表現する言葉の多様さにも現われている。淡雪、沫雪、深雪、初雪、白雪、はだれ雪、などといった言葉がそれである。

冬の歌:万葉集を読む

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万葉集の中で、冬を詠った歌といえば、圧倒的に雪を詠んだものが多い。それとあわせて、冬のうちに咲く梅を詠んだものがある。梅は、いまでは初春の風物として受け取られているが、旧暦では、今の正月にあたる時節はまだ冬なので、その頃に咲く梅が冬の風物として受け取られた。万葉の時代の梅は、白梅だったことから、それが咲くさまが、枝に積もった雪と似ていた。そこで、万葉の歌では、梅と雪とを関連付けて詠った歌が多い。

秋雨を詠む:万葉集を読む

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新古今集以来、雨といえば五月雨がまずイメージされ、したがって夏の季節感と強く結びついて今日に至っているが、万葉集には五月雨を詠った歌がひとつもない。梅雨らしきものを詠った歌はあるが、そういう場合には、「卯の花を腐す長雨」という具合に、否定的なイメージを持たされたものだ。万葉人が好んで、しかも肯定的なイメージで、詠ったものは、春の雨である春雨と、秋の雨である時雨や村雨である。秋の雨は、葉を色づかせるものとして詠われる場合が多い。

月を詠む:万葉集を読む

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中秋の名月という言葉があるとおり、秋の月見の風習が我々現代人にはあるが、万葉時代にはまだ月見の風習はなかった。月見の風習が中国から日本に伝わったのは、平安時代に入ってからのことだ。それゆえ、万葉集には、中秋の名月をことさらに詠ったものはないし、月が専ら秋と結びつくということもなかった。万葉集には月を詠んだ歌が多いが、それらは、季節を問わず、また満月に限られていない。そんなわけだから、ここでは、特に秋の季節感との結びつきにこだわらず、月を詠んだ歌を鑑賞したい。

秋風を詠む:万葉集を読む

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秋風は、秋の到来を秘かにつげるものとして、非常に季節感を感じさせるものなので、このサイトでも、秋の歌の総論で秋風を話題にしたところだ。秋風はその他に、色々な情緒と結びついている。もっとも著しいのは、秋風の寒さが、人を待つ身の切なさと結びついたものだ。次の歌は、その典型的なものだ。
  今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む(462)
これからは、秋風がいよいよ寒く吹く季節になるが、そんな秋の長い夜を、一人で過ごすのはつらいことだ、というような趣旨だ。これは、大伴家持が、妾を失ったときに、その悲しみを詠ったものとされる。妾を失った悲しみを、一人寝の寂しさで表わすとは、いかにも家持らしい。

七夕を詠む(二):万葉集を読む

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万葉集巻八秋雑歌に収められた一連の七夕の歌は、柿本人麿歌集所載のものに続いて、作者未詳のものが並ぶ、そのいくつかを紹介する。まず、次の歌。
  天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば(2044)
天の川には霧が立ち込め、その中から彦星の楫をこぐ音が聞こえる、夜が更けたからだ、というもの。七月七日の夜が更けて、いよいよ彦星が織姫星にあうために、楫をこいで天の川を渡るのだ、という予感のようなものを詠ったもの。非常に素直でよい歌だ。

七夕を詠む(一):万葉集を読む

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万葉集には、七夕を詠んだ歌が百三十首以上収められている。当時の日本人に、七夕が親しまれていたことをうかがわせるが、実は七夕は、日本固有の行事ではなく、中国から伝わってきたものだ。それが日本にいち早く定着した背景には、日本の婚姻制度の特徴が働いていた。日本の古代における婚姻制度は、妻問婚といって、男が女の家に通うという形態をとっていた。そうした婚姻制度があるところに、一年に一度男女が天の川で出会うという中国の伝説が入ってきたために、この伝説が日本固有の妻問婚を想起させて、いちはやく普及したのだと考えられる。

虫を詠む:万葉集を読む

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日本人ほど虫の鳴き声に敏感な民族はいないだろうと言われている。微妙な声を聞き分けて、その鳴き声の主である虫の種類も細かく分類し、それぞれ相応しい名を与えている。松虫、鈴虫、鍬形虫といった具合に。ところが万葉の時代には、虫は一喝して「こほろぎ」と呼ばれた。いまでも「こおろぎ」という名の虫はいるが、それに限らず、キリギリスも松虫も鈴虫もみな一様にこほろぎと呼ばれた。ということは、万葉の時代の日本人は、現代人ほど虫の声に敏感ではなかったということか。実際に万葉集には、秋の虫を詠った歌が十首にも満たない数があるばかりなので、あるいはそうかもしれない。

雁を詠む:万葉集を読む

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雁は、鴨の仲間と同じく秋にやってきて一冬を過ごす。それゆえ秋を告げる鳥として詠われることが多い。雁は飛びながらも妻を呼ぶ声をあげることから、鹿同様に妻問いのイメージと結びついている。雁の別名を「かりがね」というが、これは雁の鳴き声という意味である。その泣き声が雁全体を現すようになったわけで、換喩の代表的な事例といってよい。

鹿を詠む:万葉集を読む

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鹿は、秋が繁殖期にあたり、その時期には交尾する相手を求めて鳴く声が聞こえてくる。そんなことから、恋が好きな万葉の人々も親しみを感じたのだろう。万葉集には鹿を詠んだ歌が六十八首収められているが、その殆どは、相手を求めて鳴く鹿を詠んだものだ。鹿を詠んだ歌の代表と言えば、次の歌がまず思い浮かぶ。
   夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも(1511)
夕方になるといつも鳴く小倉山の鹿が今夜は鳴かない、寝てしまったのだろうか、という趣旨。おそらく鹿が妻を得て一緒に寝てしまったのだろうという思いだろうと解釈される。これは舒明天皇御製歌となっているが、巻九には「夕されば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも」(1511)という歌が雄略天皇御製歌として載っている。語句がほとんど同じだが、おそらく舒明天皇御製歌が本歌で、雄略天皇御製歌とされるものは、後世の模倣だろうという意味のことを、斎藤茂吉は言っている。茂吉はこの歌を万葉集中最高峰の一つだと評価している。

もみじを詠む:万葉集を読む

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我々現代人にとってもみじといえば、赤く色づく紅葉が思い浮かぶが、万葉時代の日本人は、黄色く色づく黄葉のほうを愛でた。万葉集にはもみじを詠った歌が百首以上収められているが、それらがもみじという言葉を使うときには、ほぼ例外なく黄葉と表記されている。万葉人が何故、ことさら黄葉を愛でたのか、その理由はよくわからない。万葉時代にも、かえでやはぜの木など、紅葉するものもあったはずだ。その赤い紅葉よりも黄色い黄葉をことさら愛でたについては、民俗学的な背景があるのかもしれない。

秋草を詠む(二):万葉集を読む

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なでしこは、秋の野原や川原にひっそりと咲く。その姿が可憐なことから、女性のイメージと結びつき、「やまとなでしこ」などという言葉が生まれた。万葉集にはなでしこを詠った歌が二十数首収められている。次はその一つ。
  秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも(464)
秋がきたらこれを見て私を思い出してくださいとあの子が植えてくれた撫子が、花を咲かせた、と言う趣旨。あの子にも見せたいものだ、という気持ちが伝わってくる。

秋草を詠む(一):万葉集を読む

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春の七草が七草粥とあるとおり食べるものだとすれば、秋の七草は花を愛でるものであった。その秋の七草を詠った歌がある。万葉集巻八に収められた山上憶良の短歌と旋頭歌である。まず短歌。
  秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花(1537)
解説はいらないだろう。秋の野に咲いている花を数えたら七種類あったというのだが、無論それは言葉の綾で、秋に咲く花は他にも沢山あるはずだ。

萩を詠む:万葉集を読む

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萩の花は、万葉人によって最も愛された花だ。万葉集の花の歌の中では、梅よりも多く、百四十首以上も詠まれている。古来日本人は、四季の中でも秋を最も愛したが、萩はその秋を象徴する花だ。漢字からして、秋を象徴している。万葉人にとって秋の草花と言えば萩をさしていた。だから、秋の花を集めた七草の筆頭にも置かれた。その萩を詠んだ歌は、巻八と巻十に集中している。

秋の歌:万葉集を読む

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四季の移り変わりに敏感な我々日本人にとって、もっとも気になる季節は、万葉の時代から秋だったようである。万葉集の歌というのは、何らかの形で季節を詠み込んだ歌が大部分を占めるのだが、一番多いのは秋を詠った歌なのである。その秋を、我々日本人は、まず風で感じた。今の時代でも、まだ暑い盛りの立秋の頃に、朝夕かそかに吹く風に秋の訪れを感じる人は多いと思う。その同じ感性は、すでに万葉時代の人にも共有されていた。というか、太古の日本人の感性を、現代に生きる我々も共有しているということだろう。

夏の草花:万葉集を読む

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夏の草花の代表といえば、あやめぐさ(菖蒲)とその仲間である杜若だろう。万葉集では、菖蒲は十二首(うち長歌七首)、杜若は七首収められている。初夏の花ということで、やはり初夏の花である卯の花同様、ほととぎすと一緒に歌われることが多い。次の歌はその一つ。
  霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ(1955)
ほととぎすを厭うときなど無論ないが、特にあやめ草を鬘にする五月の節句には、是非ここに来て鳴き渡っておくれ、という趣旨。ほととぎすとあやめ草が端午の節句を通じて結びついているわけであろう。

卯の花を詠む:万葉集を読む

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卯の花は初夏に咲くことから、やはり初夏に咲く藤とともに季節を強く感じさせる。万葉集には、卯の花を詠んだ歌が二十四首あるが、その多くはほととぎすと一緒に歌われていて、この二つは万葉人の心の中で分かち難く結びついていたことが察せられる。卯の花もほととぎすも初夏を告げるものであるから、その二つを結びつけて歌うことで、季節感を最大限に演出する効果が高まるわけである。そんな初夏の季節感を詠んだ一首。
  霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを(1472)
ほととぎすがやってきて鳴き騒いでいるが、その声を聞くと、卯の花と一緒にやってきたのか、と聞いてみたくなる、という趣旨。初夏には卯の花とほととぎすが一緒にやって来るという想念があるからこそ、こういう歌が生まれるのであろう。

藤を詠む:万葉集を読む

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藤は初夏に花を咲かせるので、夏の季節感を強く感じさせる。その花は、大きな房となって密生し、非常にボリュームを感じさせる。そんなことから藤波と呼ばれることもある。万葉集には、藤を藤波と表現したものが結構ある。それも含めて藤を詠った歌が、万葉集には二十六首ばかりある。

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