古典を読む

柿本人麻呂歌集の挽歌

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万葉集巻九挽歌の部は、柿本人麻呂歌集からとられた五首の歌が冒頭に置かれている。その一首目は、「宇治若郎子の宮所の歌」と題するもので、残りの四首は「紀伊の国にして作る歌四首」である。これらの歌が挽歌とされているのは、かつて紀州の浦でともに過ごしたらしい女性の面影をしのんでいるからで、その女性は既に死んだのだと考えられる。人麻呂は、紀伊への行幸に供奉したことがあるので、その折に共に遊んだ女性の面影を、あとで回想したのではないかと思われる。無論かつて遊んだ紀伊においてである。

田辺福麻呂の挽歌:万葉集を読む

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田辺福麻呂は、大伴家持とほぼ同時代人で、おそらく下級官吏だったと思われる。万葉集巻十八には、天平二十年の春、越中の国守だった家持の屋敷に、福麻呂が左大臣橘家の使者として赴き、宴席にはべりながら、家持らと歌を交わしたことが触れられている。

筑波の歌垣:万葉集を読む

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高橋虫麻呂には、筑波山の歌垣を詠んだ歌がある。「筑波嶺に登りて嬥謌會(かがひ)を為る日に作れる歌一首併せて短歌」がそれである。歌垣とは、筑波地方に古くから伝わる風習で、常陸の国風土記にも記されている。その歌垣を虫麻呂は、民間風俗を紹介するようなタッチで描いている。そこからして、歌としての面白さには欠けるという指摘もあるが、古代の風習を生き生きと描写していることには、貴重な意義があると言えよう。

筑波山に登る歌:万葉集を読む

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筑波山は、常陸の国のシンボルであるとともに、東国の山岳信仰の中心地であった。二つの頂をもち、それぞれを男峰、女峰と呼び、男女の神として広い地域で信仰された。その筑波山に、常陸の国の役人として赴任した高橋虫麻呂は何度か登ったようで、筑波山に登った様子を詠った歌が万葉集の巻九に収められている。

万葉集巻九には、水江の浦島子の歌に続いて、同じく高橋虫麻呂の「河内の大橋を独り行く娘子を見る歌」が収められている。浦島子の歌が、民間の伝承に取材した作品だとすれば、これはたまたま見聞した自分の体験を踏まえた作品だ。日常の出来事をさりげなく描いているという点で、写真でいえばスナップショットのような作品である。

水江の浦島子:万葉集を読む

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高橋虫麻呂は、官人としての立場で難波方面へ出張したことがあり、その時の現地での体験を踏まえていくつかの歌を残している。それらにも前回触れた東国への出張の場合と同じく、土地の伝承を踏まえたものがある。「水江の浦の島子を詠む」はその代表的なものである。

上総の珠名娘子:万葉集を読む

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万葉集巻九には、伝説や民俗に取材した長歌が多く収められている。なかでも高橋虫麻呂のものが、数も多く内容も優れている。この巻は、雑歌、相聞、挽歌の三部建てになっているのだが、そのいずれも虫麻呂の長歌を収めている。虫麻呂が伝説に取材した歌としては、葛飾の真間の手児奈の不幸な死を詠んだ歌が有名だが、それについては別稿で解説したところなので、ここではそれ以外のものをいくつか紹介しよう。

秋の相聞:万葉集を読む

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万葉集巻九秋の相聞の部には、一人の尼を中心にして、面白い歌のやりとりが収められている。発端は、この尼に或る者が歌を二首贈り、相聞の気持を表わした。それに対して尼のほうでは、礼儀作法に従って歌を返そうとしたが、自分で一首の歌を完成させることができず、上の句だけを作って、下の句を大伴家持につけてくれるようにねだった。そこで家持が下の句をつけてやったはいいが、これがなんとも意味をはかりかねるしろものだというので、古来万葉学者たちを悩ませてきた。だが、二人で一首を作ったというのが、連歌の始まりだとして、歴史的な意義が大きいとされるものだ。

春の相聞:万葉集を読む

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万葉集巻八は、四季の歌を集めており、季節ごとに雑歌と相聞とに分類されている。相聞の部は、いうまでもなく男女の恋をテーマにしたもので、いつくかの男女の間に交わされた歌が主に収められている。ここではその中から、男女の恋のやりとりをめぐる洒落た歌を鑑賞してみたい。

湯原王の相聞歌:万葉集を読む

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湯原王は志貴皇子の子、天智天皇の孫である。その人が一人の女性(娘子という)と交わした一連の歌が万葉集巻四に収められている。その女性が誰なのか、詳しいことはわかっていない。わかっているのは、妻を持つ身の湯原王が、若い女性に言い寄り、それを女性が心憎からず思っていたらしいことだ。この二人の交わした歌の数々を読むと、万葉時代の男女のあり方の一端が見えてくる気がする。

笠金村の相聞物語歌:万葉集を読む

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笠金村は聖武朝時代の宮廷歌人として貴人の挽歌を詠む一方、地方に出張した際に土地の伝説を題材にした歌を作ったりして、けっこう幅広く活躍した。万葉集には彼の歌が、あわせて四十五首収められている。その中で、架空の娘の立場に立って、天皇の行幸に従って旅する恋人への思いを述べた歌がある。

女たちの恋心:万葉集を読む

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石川郎女、笠女郎、紀女郎、そして大伴坂上郎女といった具合に、万葉集には自分の恋心を高らかにうたった女性たちの歌が多く収録されている。それらについては、別稿でそれぞれ鑑賞したところなので、ここではややマイナーな存在の女性たちの歌を取り上げたい。阿倍女郎と高田女王だ。

異母兄妹の恋:万葉集を読む

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万葉の時代には異母兄妹間の恋はタブーではなかった。当時の子どもは母親のもとで育てられたので、母親が違えば互いに会うこともなく、他人同士だったという事情も働いただろうが、天皇家からして異母兄弟婚が盛んだったので、世間でもタブー視されなかったと思われる。ただ、同母兄妹間の恋はさすがに強く忌避されていた。天智天皇と間人皇女とは同母兄妹間で恋をしあった例として有名だ。天智天皇の即位が異常に遅れたのは、このことが影響したのだと推測されている。

鏡王女をめぐる相聞:万葉集を読む

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万葉集巻二は、相聞と挽歌からなっている。相聞の部は、さまざまな男女の間に交された恋の歌を収めているが、まず眼を引くのは鏡王女をめぐる相聞歌である。鏡王女は、額田王の姉で、藤原鎌足の妻となり、不比等を生んだ女性だ。妹の額田王同様に、歌の才能に恵まれていた。その彼女がまだ若い頃、鎌足の妻になる前に、天智天皇から思いを寄せられていたらしい。巻二にはそんな思いを感じさせる歌が収められている。

恋の歌(相聞歌):万葉集を読む

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万葉集には恋の歌が多い。それは、万葉の時代の人々が恋多き人だったことの反映のようなものである。つまり日本人は、大昔から恋心が豊かな人種だったわけである。なぜ万葉人はそんなに恋にこだわったのか。一つには、万葉人が本質的に色好みだったという事情もあろう。しかしそれ以上に重要なのは、万葉時代の男女のあり方である。万葉時代の婚姻形態は、妻訪婚といって、男が女の家に赴いて、一夜を一緒に過ごすという形が基本であった。これは、もっと昔の古代社会における家族関係の基本が女系家族だったことの名残と思われる。いづれにしても万葉の時代の男女は、いまの時代の男女のように、一軒の家で共同生活を営んでいたわけではなかったのである。そんなわけであるから、男女関係を強固なものに維持する為に、絶え間のないコミュニケーションが必要となった。歌はこのコミュニケーションのメディアとして発達したのである。

冬梅を詠む:万葉集を読む

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万葉集には、梅の花を詠った歌が百十九首あるが、そのうち三分の一ほどが冬梅を詠ったものである。その冬梅は、白い花を咲かすので、雪が積もったさまに似ていた。そこで冬梅の歌は、雪と一緒に詠われることが多かった。次は、大伴旅人のものと思われる歌二首。
  残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも(849)
  雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも(850)
一首目は、残雪と共に咲いている梅の花は、雪が消えたあとまで咲き残っていて欲しいという趣旨で、二首目は、梅の花が雪の色を凌いで咲き誇っている、その花の盛りを一緒に見る人がいればよいのに、という趣旨である。どちらも、雪と梅とをライバル同士に見立てている。

雪を詠む:万葉集を読む

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万葉集には、雪を詠んだ歌が百五十首以上もある。それらが、冬の季節感を詠んだ歌の大部分を占める。日本人は、雪について、かなりきめ細かい感性を持って接していたといえるが、そのことは雪を表現する言葉の多様さにも現われている。淡雪、沫雪、深雪、初雪、白雪、はだれ雪、などといった言葉がそれである。

冬の歌:万葉集を読む

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万葉集の中で、冬を詠った歌といえば、圧倒的に雪を詠んだものが多い。それとあわせて、冬のうちに咲く梅を詠んだものがある。梅は、いまでは初春の風物として受け取られているが、旧暦では、今の正月にあたる時節はまだ冬なので、その頃に咲く梅が冬の風物として受け取られた。万葉の時代の梅は、白梅だったことから、それが咲くさまが、枝に積もった雪と似ていた。そこで、万葉の歌では、梅と雪とを関連付けて詠った歌が多い。

秋雨を詠む:万葉集を読む

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新古今集以来、雨といえば五月雨がまずイメージされ、したがって夏の季節感と強く結びついて今日に至っているが、万葉集には五月雨を詠った歌がひとつもない。梅雨らしきものを詠った歌はあるが、そういう場合には、「卯の花を腐す長雨」という具合に、否定的なイメージを持たされたものだ。万葉人が好んで、しかも肯定的なイメージで、詠ったものは、春の雨である春雨と、秋の雨である時雨や村雨である。秋の雨は、葉を色づかせるものとして詠われる場合が多い。

月を詠む:万葉集を読む

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中秋の名月という言葉があるとおり、秋の月見の風習が我々現代人にはあるが、万葉時代にはまだ月見の風習はなかった。月見の風習が中国から日本に伝わったのは、平安時代に入ってからのことだ。それゆえ、万葉集には、中秋の名月をことさらに詠ったものはないし、月が専ら秋と結びつくということもなかった。万葉集には月を詠んだ歌が多いが、それらは、季節を問わず、また満月に限られていない。そんなわけだから、ここでは、特に秋の季節感との結びつきにこだわらず、月を詠んだ歌を鑑賞したい。

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