読書の余韻

「花鏡」事書十二か条のうち第七条は「劫之入用心之事」。劫とは、長い修行の成果として位の上がること。その位の上がること、つまり年功を積むことを劫之入るといい、それについては用心すべきことがあるとする。修行にとっては、場所がものをいう。都にはいろいろ刺激があるので、田舎に比べれば上達に有利である。これを住劫という。都にいながら、上手の人も年をとれば古臭くなることがある。都の人は目利きが多いので、上手の仕損じを見抜くからである。

「花鏡」事書十二か条の最初は「時節当感事」である。能は音曲をもとにして進むものだが、シテがその声を出すのにタイミング(時節)があるということである。ふつうは橋掛かりで一声を出すが、それにはタイミングがあって、観客の呼吸と合わせるのが肝心である。また、場所についてもコツがある。橋掛かりを三分の一ほど残して一声をだす。舞台に立てば、囃子手の座より舞台を三分の二ほど残して立つ。舞う場合には、舞台の後ろを三分の一ほど残して舞はじめ、舞終わりすべきである。

世阿弥の能楽論「花鏡」は、応永三十一年世阿弥六十二歳の年に成立した。これより四年前に書いた「至花道」をさらに敷衍・展開したもので、世阿弥の中期の代表的な能楽論である。奥書に、前期の能楽論を代表する「風姿花伝」との比較が記されており、それによれば、「風姿花伝」は亡父観阿弥の教えを書き留めたものであるのに対して、この「花鏡」は、四十歳以降時々に心に浮かんだことがらを書き留めたものだとある。つまり「風姿花伝」は亡父から受け継いだ庭訓であるのに対して、これは自分自身の能楽論だというのである。

世阿弥が能楽論「至花道」を書いたのは応永二十七年、「風姿花伝」の別紙口伝を書いた二年後のことである。世阿弥後期の本格的能楽論「花鏡」への序論のようなものと言える。この能楽論の意図も、「風姿花伝」同様、能楽にとっての基本的な事柄を子孫たちに伝えようとするものである。その事柄を世阿弥は、ここでは五つにしぼり、それぞれについて簡単な説明を加えている。その五つとは、二曲三体事、無主風、闌位事、皮肉骨事、体用事である。

風姿花伝第三「問答条々」は、演能についての実際的な心得を問答形式で説いたもの。九つの問答からなっている。いづれも、具体的な項目であり、かつ実際的である。

風姿花伝第二は「物似条々」と題する。物真似について、それを九種類で代表させ、各々についての心得を説いたものだ。猿楽の芸がもともと物真似から始まったことは父親の観阿弥も認めていることであり、息子の世阿弥もそうした父親の見解を受け継いでいる。後に世阿弥は、物真似よりも幽玄を重んじるようになり、物真似の要素については、女体、軍体、老体に集約されていくのであるが、ここでは九体をあげてみな同じようなウェイトを付している。父観阿弥の影響がまだ色濃く残っていることを感じさせる。

「風姿花伝」は、世阿弥の最初の能楽論である。第一年来稽古条々から第七別紙口伝まで、七つの巻で構成されている。このうち、第三までは応永七年(1400 世阿弥38歳)に成立、続いて第六までが応永九年ごろ成立した。第七別紙口伝は、応永二十五年(1418 世阿弥56歳)ごろに、「花習」とほぼ同時に成立した。第六までは、父観阿弥の教えを世阿弥なりに受け止めたものを書き留めたという性格が強い。とりわけ第三までは、観阿弥の教えをそのまま書いたといえよう。

ジャン・マリ・カレのランボー伝については、先日読んだヘンリー・ミラーのランボー論のなかで、ランボーに関する一級資料として紹介されていたので、読んでみることにした。この伝記は、ランボーの生涯についての最初の本格的な研究とされ、ランボー研究者の誰もが最初に読むべきものとされてきたようだ。小生は、ランボー研究者というほどのものではなく、ただランボーが好きで、彼の詩を自己流で訳したりしてきたに過ぎない。それでも彼の強烈な生き方には非常な関心を抱いてきたので、その伝記についてもなるべく知りたいとは思っていた。だから、この本はもっと早く出会うべきだっと後悔している。もっともここに書かれている内容は、すでに大方のランボー研究者によって書かれてきたことで、とくに目新しいところはない。しかも、多分に事実誤認もある。たとえば、「イリュミナション」が「地獄の一季節」より先に完成していたとか、その「地獄の一季節」の刊本がすべてランボー自身の手によって焼却されたといったものだ。そのほか、ランボーが敬虔なキリスト教徒として死んだという記述もあるが、これもあやしい推測にすぎないのではないか。

近藤和彦の「イギリス史10講」(岩波新書)は、ローマ人からガリアと呼ばれた時代からサッチャー、ブレアに到るまでのイギリスの通史である。近藤は歴史学者だから、なるべく実証的に、つまり事実を尊重して余計な価値判断を持ちこまないように心掛けているようだが、その叙述からはおのずから、一定の価値判断、つまりバイアスのようなものは感じられる。そのバイアスとは、イギリスという国よりも、その国を動かしている人々の行動様式に着目して、そこに一定の価値を認める立場のことだ。イギリスという国を動かしてきたのは、アングロサクソンと呼ばれる人種の人々だが、そのアングロサクソンは、イギリスをいう国の範囲を大幅にはみ出し、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった国々を建国したほか、インドをはじめ世界中のさまざまな国を植民地化してきた。アングロサクソンはだから、世界の王者民族といってよい。かつて日本では、平氏にあらされば人にあらずといったものがあったが、アングロサクソンにあらざれば人にあらずといえるほど、イギリス人の同義語であるアングロサクソン人は世界を勝手気ままに動かしてきたのである。そんなイギリスに近藤は最大限の敬意を払い、日本も又かくありたしと願っているように思える。

近藤和彦はイギリス史が専門だそうだ。民衆の中に根付いている文化的な基層のようなものを重視し、その基層の動揺が歴史を動かしていくと考えているようである。「民のモラル」と題した本(ちくま学芸文庫)は、副題に「ホーガースと18世紀のイギリス」とあるとおり、18世紀のイギリス社会を、民衆の中に根付いている文化的な基層の面からときあかしている。かれがホーガースに着目したのは、この画家が同時代のイギリスの民衆の文化的なバックボーン、いうなればモラルを体現していたと考えるからだろう。

アイザック・ドイッチャーはトロツキーについて、理想化するよりもなるべく公平に評価したいと考えたようだ。ロシア革命に果たしたかれの功績を高く評価する一方、かれの行動をかりたてた強権的な傾向について忌憚なく批判している。その傾向は全体主義といってよいものであり、のちにスターリンが衣鉢をついでソビエト・ロシアを全体主義国家に変えるに際しての、見本となった。つまりトロツキーは、スターリンの全体主義を誘導する役割を果たしたというのである。スターリンとトロツキーの関係は、全体主義に対抗する民主主義の闘いだったというのが、大方の認識になっているが、実はそうではなく、トロツキーはスターリンの全体主義の師匠だったというのである。

ロシア革命に際してトロツキーの果たした役割は、政治的なものと軍事的なものとがあった。政治の分野では、かれは第二次大戦を終結させ、ソビエトの国家体制を西洋諸国に認めさせる任務を帯びた。この任務はあまりはかばかしい成果は生まなかった。むしろソビエトを屈辱的状態へと追い込んだ。トロツキーが直接携わったドイツとの単独講和は、ブレスト・リトウスク条約の締結に結実したが、それはロシアにとって非常に不利なものであった。もしドイツが大戦の敗戦国にならず、強い力を維持し続けたならば、ソビエト・ロシアは大きな犠牲に甘んじつづけたであろう。

アイザック・ドイッチャーは「武装せる預言者」の中で、トロツキーをロシア十月革命の最大の立役者として描いている。これは、基本的には間違いとは言えないが、通念とはかなり違った見方である。通念では、レーニンが最大の立役者であり、革命全体をコントロールしていたということになっている。レーニンこそが革命の司令塔であり、ドイチャーはその実行部隊の一人だったというのが、通念つまり普通の見方である。ところがドイッチャーは、トロツキーの役割を重大視し、トロツキーがいなかったなら十月革命はおこらなかっただろうというような見解を、この本の中で披露しているのである。トロツキーの伝記という体裁を考慮するとしても、あまりにトロツキー贔屓に傾いた結果、歴史の真相から外れているのではないか、との疑念を抱かせるほどである。

アイザック・ドイッチャーのトロツキー伝は「トロツキー三部作」と呼ばれ、非常に膨大なものである。三部作の題名は、第一部が「武装せる預言者」、第二部が「武器なき預言者」、第三部が「追放された預言者」とあり、全体としてトロツキーの誕生から死までの全人生をカバーしている。史上、一人の人間を対象にしたこれほど包括的で徹底的な研究は他に例がないといってよい。

ユダヤ人によるイスラエル国家の建設について、アイザック・ドイッチャーは両義的な感情を抱いていた。一方では、ホロコーストによって痛めつけられたユダヤ人が、民族としての安全の保障をイスラエル国家の中に求めるのは止めがたいことだとしつつ、他方では、そのためにユダヤ人がパレスチナ人を迫害することは許されないと考えたわけである。また、ドイッチャーはそもそも民族国家という考えには否定的であり、世界はゆくゆく民族の対立を乗り越えて、人類が一つにまとまるべきだと夢想していた。そんなかれにとって、ユダヤ人がイスラエル国家を建設し、それにしがみつくのは時代錯誤だと考えたのである。とはいえドイッチャーは、ユダヤ人によるイスラエル国家の建設を既成事実として前提したうえで、それの持つ様々な問題について冷静な分析に努めている。「非ユダヤ的ユダヤ人」の後半は、イスラエル国家について、色々な角度から論じた文章からなる。

ユダヤ人の歴史には、ユダヤ教をめぐる異端の伝統があって、その伝統の中からスピノザ、ハイネ、マルクスといった偉大な思想家が現れたとドイッチャーはいう。かれらは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人の民族的なアイデンティティを超えて、真の国際人になろうとした。それをドイッチャーは「非ユダヤ的ユダヤ人」と呼び、自分自身をその伝統につなげようとするのである。ドイッチャーは、かれの同時代人であるローザ・ルクセンブルグやレオン・トロツキーもそうした非ユダヤ人的ユダヤ人に含めている。フロイトについてもそうである。

「非ユダヤ的ユダヤ人」は、アイザック・ドイッチャーがユダヤ人問題について発表した論文及び講演草稿を、妻のタマラが夫の死後刊行したものである。彼女は序文に加えて、夫の簡単な伝記を寄せている。夫のドイッチャー自身、自伝を書こうとして果たせなかったので、彼女がかわってそれを果たしたというわけである。その夫のドイッチャーを妻の彼女は、ユダヤ人であることに徹底的にこだわったユダヤ人だったといっている。何しろポーランドのゲットーで生まれ、十三歳でラビとなり、東欧社会の野蛮なポグロムを何度も体験し、敬愛する父親をアウシュヴィッツで殺されたのであるから、ユダヤ人であることに自覚的になるのは当然のことだった。だが彼が自分を何よりもユダヤ人としてアイデンティファイしたことは、偏狭なナショナリストになることではなかった。逆にかれほど、ナショナリズムに無縁なインタナショナリストはいなかった、とタマラはいうのである。

アイザック・ドイチャーが「ロシア革命五十年」と題した講演をしたのは1967年のこと。その年にかれは死んでいるから、いわば遺言のようなものだ。終生マルクス主義者として革命の理念に忠実だったかれに相応しく、ロシア革命の歴史的な意義について、革命五十周年という記念すべき時にあたって、自分なりの評価を下したものだ。その評価の基準は、一方ではスターリニズムを厳しく批判しながら、社会主義革命そのものの可能性を信じるというものである。かれがスターリニズムを批判するのは、それが一国社会主義の方針に基づいていたために、狭隘な条件に制約され、社会主義本来の姿とは異なってしまったという理由からである。本来の社会主義は、資本主義の高度な発展を踏まえ、国際的な規模でおこらねばならない、そう考えたわけだが、その考えをかれはとりあえずトロツキーから受け継いでおり、その点ではトロツキストとみなされ、また自分自身そのことを認めていた。

アイザック・ドイッチャーは、E.H.カーと並んで、ロシア革命研究の第一人者である。もっともロシア革命は、結果として失敗に終わったというのが、いまの歴史学界隈の標準的な見方であるから、彼らのロシア革命の研究にはたいした意義は認められなくなったしまった。いうならば、彼らの研究は、無駄な努力に終わった、と片づけられがちというのが、落ちというところだろう。だからといって、彼らの業績を根こそぎ否定していいということにはなるまい。たしかにロシア革命そのものは、社会主義革命としては失敗に終わったといってよいが、そのことを以て、社会主義革命そのものを否定する理由にはならない。そういう評価をするためには、ロシア革命が、社会主義革命の、考えられる限りでの、唯一の可能性を代表していたといわねばならないが、それは言い過ぎだろう。社会主義は、資本主義の矛盾を解決するためのシステムとしての意義を持っている。そういう意味での社会主義のモデルは、決して意義を失ってはいないのである。

園田茂人の著作「不平等国家中国」(中公新書)は現代の中国社会を、データに基づいて実証的に分析している。その結果園田が得た印象は、ずばりタイトルにある通り、不平等が拡大する国が中国だということだ。中国といえば、普通には「社会主義国家」とイメージされており、社会主義国家とは不平等の解消をなによりも優先する社会だと思われてきたから、その社会主義を国是とする中国で、格差が拡大し、その結果不平等国家となってしまったのは、なんとも皮肉なことである、というのが園田の率直な感想であるようだ。中国がそんな国になってしまったのは、副題にもあるとおり、社会主義を自己否定したためだ。社会主義を自己否定して、資本の原理を導入したために、しかもその導入が中途半端だったために、副作用も大きかった。その副作用が、格差が拡大する不平等国家中国をもたらした、と園田は考えているようである。

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