読書の余韻

政談の巻二を徂徠は次のように書きだす。「太平久く続くときは漸々に上下困窮し、夫よりして紀綱乱て終に乱を生ず。和漢古今共に治世より乱世に移ることは、皆世の困窮より出ること、歴代のしるし、鑑にかけて明か也。故に国天下を治るには、先富豊なる様にすること、是治の根本也」

荻生徂徠が「政談」を書いたのは享保十一年頃のこと。享保元年から始まっていたいわゆる享保の改革がピークを記すときにあたる。徂徠は享保七年に将軍吉宗の身近に仕えるようになって以来、改革の行方に大きな関心を持ったに違いない。この「政談」には、そうした徂徠の関心というか、問題意識が強く盛られている。かれがこの書を将軍に献上したのは、享保十二年四月のことらしい。死の一年前のことである。そこには幕府の政策に活用してもらいたいという実践的な意図があったのだと思われる。この書は、「政談」という題名が語る通り、政治のあるべき姿を語った書なのである。

「近代日本の陽明学」と題したこの本は、大塩平八郎に始まり吉田松陰、西郷隆盛を経て三島由紀夫に至る、著者が陽明学的と考える人々を対象にしたものである。おもてづらは陽明学という思想運動を取り扱っているようにみえるが、普通の思想史とは大分違う。第一、水戸学とか山川菊枝とか、陽明学とはかかわりのなさそうなものに多くのページを費やしているし、三島由紀夫に至っては、著者自身、かれは陽明学の精神を体現した革命家というより、むしろ朱子学的精神を体現した能吏タイプの人間だと言っているくらいなのだ。

朱子学と陽明学はとかく対立する面が強調されがちだったが、実は深い絆で結ばれているというのが中国史家島田虔次の見方である。陽明学は朱子学の内在的な展開であり、「朱子学は、必然的に陽明学にゆきつくべき運命にあった」というのである。

桑原武夫といえば高名なフランス文学者だったが、新井白石を非常に高く評価し、白石の文章のいくつかを現代語訳したり、「荒井白石の先駆性」という小文を書いたりしている。それらを通じて桑原が言いたかったことは、白石が名文家だったということらしい。桑原は言う、「従来の日本文学史家がこうした白石の作品を文学として十分に評価していないことは、まったく遺憾といわざるをえない」と。

岩波版日本思想体系新井白石編に、加藤周一が「新井白石の世界」と題する結構長文の解説を寄せている。バランスのとれた解説なので、とりあえず新井白石という人物のプロフィールを知るには適当な文章だと思う。

新井白石は正徳二年(1712)すなわち将軍家宣が死んだ年の春から夏にかけて、侍講が終わるたびに、「本朝代々の沿革・古今の治乱」と題して、日本の歴史について進講した。「読史余論」は、その講義録というべきものである。序章に、「本朝天下の体勢、九変して武家の代になり、武家の代また五変して当代に及ぶ総論のこと」とあるように、清和天皇の代から始めて公家の政治の変遷を説き、引き続いて秀吉の代に至るまでの武家の政治の変遷を説いている。この間、公家の代九変のうち、六変以降の内容については、武家の代の五変と重なるが、歴史を語る視点が異なっている。すなわち六変以降の内容については公家の視点からこれを語り、五変については武家の視点から語っているわけである。

宝永五年(1708)十月、イタリア人宣教師シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て翌年江戸に移送されてきた。その頃幕府の要職にあった新井白石は、数回にわたってシドッティを尋問し、それにもとづいて幕府としてとるべき措置を上申した。それは三つの選択肢からなっていて、本国送還を上策、監禁を中策、処刑を下策としていたが、幕府がとった措置は中策の監禁であった。シドッティは茗荷谷の切支丹屋敷に監禁され、正徳四年(1714)十月に死んだ。

「東雅」は、語源解釈を中心とした語義解釈辞典というべきものである。古い日本語の成り立ちや特徴が浮かび上がるように配慮されている。いまでも日本語語源辞典としての意義を失っていない。白石がこれを作ったのは、失脚後間もなくのことで、その頃子供相手に学問を教えていたのだが、講義の中心が古い日本語について説き明かすことだった。その講義を集大成したのがこの辞典で、享保四年に現在の形に完成した。この辞典を白石が「東雅」と名付けたのは、中国最古の辞典「爾雅」を意識している。「東雅」とは、東の国、つまり日本の「爾雅」というわけである。

「藩翰譜」は、甲府城主だった頃の徳川綱豊(後の家宣)に仕えていた白石が、綱豊の命を受けて書いたものである。その成立経緯は「折たく柴の記」に詳しい。それによると、元禄十三年(1700)に、俸禄一万石以上の人々のことを調査して書き記せとの命を綱豊から受け、約一年間の下準備をしたうえで、翌年七月十一日に起稿し、十月に至って脱稿したということになっている。内容は、慶長五年(1600)から延宝八年(1680)に至る間の大名三百三十七名について、その事績を記したものである。

「折たく柴の記」は新井白石の自叙伝として知られている。上・中・下の三巻からなるが、自叙伝としての要素がもっとも大きいのは上巻である。この部分は、白石自身やその父親の生き方について述べたもので、白石の人間像が鮮やかに浮かび上がって来る。それを読むと、新井白石という人間は、なにはともあれ古武士的な心情を生涯失わなかったことがわかる。

トーマス・マンのチェーホフ論は、チェーホフへの敬愛に満ちている。マンは、チェーホフの作品への深い共感だけではなく、チェーホフの人柄への強い敬愛の念をも抱いていたことが、そのチェーホフ論からは伝わって来るのである。

「いいなずけ」は、チェーホフ最後の短編小説だが、「たいくつな話」と並んで、トーマス・マンが最も高く評価した作品だ。トーマス・マンのチェーホフ論の要点は、同時代のロシアに関するかれの鋭い批判意識と未来への希望にあったが、「たいくつな話」は同時代への批判意識をもっとも鋭い形で表明したものだとすれば、「いいなずけ」は未来への希望を美しい形で表明したものといえよう。

チェーホフの短編小説「たいくつな話」を、ドイツの文豪トーマス・マンは、「まったく異常な、そして魅惑的な作品であり、その特徴をなすしずかな、もの悲しい調子は、あらゆる文学にほとんど比類を見ないものだ」(木村彰一訳{チェーホフ論})と絶賛し、自分の最も愛する作品であるといっている。

戯曲「桜の園」は、チェーホフの遺作となったものである。遺作といっても、チェーホフは44歳の若さで死んでいるから、本人にとっては、生涯の総決算という意識はなかったかもしれない。だが、それまでの自分の文業にある程度の区切りをつけるくらいの気持は働いていただろう。それは、彼がこの作品において、それまで彼がこだわり続けてきたこと、つまり没落しつつある地主階級のメンタリティを描き出そうとしているところから推測される。

「三人姉妹」はロシアの中産階級を描いている。中産階級というのは、ロシアに限ったことではないが、身分が不安定である。没落して下層階級に転落する恐れがつねにある。だから、それなりの努力をせねばならない。しかし、努力にも限界があるので、没落の可能性が高まると、パニックのような状態に陥ったり、自分の境遇を直視できないで、判断停止のような状態になったりする。この戯曲に出て来るのは、そういった不安定さに怯えている人々なのである。

チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」は、「かもめ」に引き続き、ロシアの地主階級の家族を描いたものだ。地主といっても、広大な農地を持つわけでもなく、大勢の農奴を抱えているわけでもない。だが、汗水流して働かなくても済むほどの農地は持っている。その農地にしがみつくようにして、生きている人々がいる。この戯曲は、そうした小地主一家ともいうべき人々の日常を描いた作品である。

「かもめ」は、チェーホフの四つの長編戯曲のうちの最初のものである。既に短編小説作家として成功していたチェーホフは、この戯曲で、短編小説とは違う世界を描き上げようとした。チェーホフが短編小説で描いたのは、ロシア人の個人としての典型であったといえるが、この戯曲でめざしたのは、ロシア人の家庭、しかも地主階級に属する家庭の典型であったと言えるのではないか。その意味でこの戯曲は、革命以前におけるロシアの地主階級のメンタリティを描いたものと言えよう。

アントン・チェーホフの一幕もの戯曲「熊」は、好色な中年男と世間知らずな未亡人との一目惚れの恋を描いたものだ。テーマ設定としては、短編小説「犬を連れた奥さん」と似ている。こちらの方が十年も前に書かれていることもあり、テーマの特徴がより単純化された形で現われている。それは一言で言えば、ロシア人男女の刹那的な傾向とかかわりがある。ロシアの男はわけもなく女に一目惚れし、女もそれに対してわけもなく応えるという傾向だ。こういう話を読まされると、ロシア人と言うのは実に純粋な人々だと思わせられる。

チェーホフの短編小説「犬を連れた奥さん」は、好色な中年男と世間知らずの尻軽女との恋を描いている。こういう組み合わせは、我々日本人にとっては、だいたいが、男が女を弄んで終りという形になりやすいが、ロシア人の場合には必ずしも、そうはならないらしい。女のほうより男のほうが熱くなってしまうのだ。ということは、結果としては、女が男を弄んだ形になる。これは、どういうことか。前回とりあげた「可愛い女」では、ロシア人女性の典型として、自分の判断を持たぬ受動的な女性像が示されていたのだが、この小説では、ある意味男を弄ぶ積極的な女性像が示されているようにも見える。一体どちらの女性像が、ロシア人女性の典型に近いのだろうか。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ