映画を語る

uboot3.JPG

1981年のドイツ映画「U・ボート」は、文字通り潜水艦U・ボートの戦いぶりを描いたもので、一応戦争映画のジャンルに入る。ドイツは、かなり複雑な事情から敗戦したこともあって、戦争を正面から見つめるような映画を作ることを長い間ためらいっていたかのような感じを受けるのだが、1981年ともなれば、戦争の記憶にもヴェールがかかってきて、戦争を過去の出来事として客観的に見つめようとする姿勢が出てきたのだろう。この映画には、そうした戦争に対する客観的な視線が働いているように見える。

moro1.JPG

スタンバーグとディートリッヒはドイツで「嘆きの天使」を作った後、一緒にハリウッドにわたって映画史に残る名作を作った。「モロッコ」である。この映画では、マレーネ・ディートリッヒの妖艶な美しさが引き続き披露されたほか、アメリカ映画永遠の二枚目と言われるゲーリー・クーパーが、ディートリッヒの相方として存在感を示した。

angel1.JPG

1930年のドイツ映画「嘆きの天使(Der blaue Engel)」は、マレーネ・ディートリッヒを一躍世界の大女優に売り出した作品だ。ディートリッヒの名声はいまでも色あせていない。とりわけドイツ人にとっては永遠の女性として愛されている。筆者は先日ベルリンのポツダム広場にある映画博物館を見物したが、そこでもディートリッヒの扱いぶりは半端ではなかった。ドイツ映画と言えばまずディートリッヒがあげられるほど、ディートリッヒはドイツ人に敬愛されているばかりか、ハリウッドで活躍したこともあって、世界の映画史に燦然とした輝きを放っている。

jwar12.kai7.JPG

「私は貝になりたい」は、1958年にフランキー堺を主演にテレビドラマ化され大きな反響を呼んだものを、翌年映画化したものである。橋本忍が監督を、フランキー堺が主演をつとめた。テーマはBC級戦犯死刑囚の生き方と死に方をめぐるものである。

jwar11.jawai2.JPG

戦時中にはおびただしい数の戦意高揚映画がつくられたが、そのほとんどは幼稚な日本軍礼賛であったり、逆に兵士の困難な境遇ばかりを強調する厭戦映画のようなもので、本当の意味での戦意高揚映画はなかなか作られなかった。そんな中で山本嘉次郎が1942年に作った「ハワイ・マレー沖海戦」は、傑作と言ってよい作品である。傑作というのは、当時の海軍の様子が、飾らないタッチで詳しく紹介されており、そのドキュメンタリータッチな描き方が、日本史の一こまを如実に表現し得ているという意味である。

日本の黒い夏 冤罪:熊井啓

| コメント(0)
kumai04.kuroi2.JPG

熊井啓の2001年公開の映画「日本の黒い夏 冤罪」は、1994年の夏に起きた「松本サリン事件」を描いた作品だ。副タイトルにあるように、冤罪がテーマになっている。この事件は当時、事件の第一通報者が誤って被疑者扱いされ、その後オウム真理教の起こした犯罪だということが判明したのであるが、何故第一通報者が被疑者扱いされ、そのことによって言うにいわれぬ苦痛をこうむったか、そのことを考えさせる内容となっている。

海と毒薬:熊井啓

| コメント(0)
kumai03.umi2.JPG

「海と毒薬」は、遠藤周作の同名の小説を映画化したものである。遠藤がこれを書いたのは1957年のことで、それを読んだ熊井が早速映画化の承諾を取り付けシナリオまで書いたのだったが、テーマが重すぎて制作者があらわれず、やっと1986年になって自主制作にこぎ着けた。テーマが暗鬱なわりには大きな評判をとった。

サンダカン八番娼館 望郷:熊井啓

| コメント(0)
kumai02.sanda4.JPG

熊井啓の1974年の映画「サンダカン八番娼館 望郷」は、南方への出稼ぎ売春婦、いわゆる「からゆきさん」をテーマにした映画である。ノンフィクション作家の山崎朋子が1972年に公表した「サンダカン八番娼館-底辺女性史序章」を下敷きにしている。この本は、明治から昭和の敗戦にいたるまでの長期間、日本の貧しい女性たちがボルネオを舞台として女衒をする連中に売り飛ばされ、そこで悲惨な境遇を送ったさまを描いた。それまであまり知られることのなかった海外売春婦の実態が、この本とそれを映画化したこの作品によって、広く知られるようになった。もっとも、これは日本の恥であるから、最近は話題にされることもない。しかし、近年は一部で売春を合法化しようとする動きもあるようだから、売買春を通じて搾取される女性たちを描いたこの映画は、売春問題を考えるきっかけとしてもっと注目されてよいと思う。

忍ぶ川:熊井啓

| コメント(0)
kumai01.shino.jpg

熊井啓の1972年の映画「忍ぶ川」は、女優栗原小巻の出世作になった。栗原はこの映画のおかげで、吉永小百合と並ぶ人気女優となり、コマキストと呼ばれる熱狂的なファンを生み出した。それについては、小巻を美しく見せるべく、熊井の並々ならぬ意欲が働いていたようだ。その結果小巻の人気は上がったが、映画そのものは平板になってしまった。栗原を美しく見せるための細工だけが先に立ち、肝心の筋書きがあまりいただけないものになってしまったのである。

usnc16.slau2.JPG

1969年のアメリカ映画「スローターハウス5(Slaughterhouse-Five)」は、カート・ヴォネガットの同名の小説をジョージ・ロイ・ヒルが映画化したものだ。ヴォネガットは、初期の村上春樹の小説に大きな影響を及ぼした作家として、そのアンチリアルというか、飛んでる作風が特徴とされる。そうした側面はこの映画の原作にも十分に出ていて、現実と非現実が錯綜する独特な世界を描いているらしい。

usnc15.sting2.JPG

「スティング(The Sting)」は、70年代に大いにヒットし、日本でも話題になった映画だ。その主題歌は今でもテレビCMのバックグラウンド・ミュージックとして流れている。主題歌が長い寿命を持っている点では「第三の男」と似ているわけだが、「第三の男」は映画史上の傑作として今でも親しまれているのに対して、「スティング」のほうはそれほど注目されていないのが実情だ。筆者はこれを、映画ファンの一人として、残念なことだと思う。この映画はいろいろな意味で傑作と言えると思うからだ。その理由の最たるものとして筆者があげたいのは、この映画ほどアメリカの本音を正直に描き出したものはないということである。

usnc14.mash1.JPG

1970年のアメリカ映画「マッシュ」は、朝鮮戦争における米軍の野戦病院の様子をコメディタッチで描いたものだ。1970年といえばベトナム戦争の最中だが、なぜそのベトナム戦争ではなく、20年近くも前の朝鮮戦争をテーマにしたのか、よくわからないところがあるが、どちらにしてもこの映画は、強烈な戦争批判を感じさせないので、ベトナム戦争も朝鮮戦争も大して違いはないということなのかもしれない。

usnc13.cow2.JPG

「真夜中のカーボーイ」という題名は、日本語だけを見せられると、車のマニアかなんかの話だと思わされるが、そうではなくカウボーイがテーマだ。といっても本物のカウボーイではない。カウボーイにあこがれている多少頭の足りない現代人の話だ。その現代人(ジョン・ヴォイト)が、カウボーイの衣装に身を包んでニューヨークに赴き、そこで奇想天外な体験をする、といったたぐいの話である。いわばアメリカ版お上りさんの物語である。

usnc12.butchy3.JPG

1969年のアメリカ映画「明日に向って撃て(Butch Cassidy and the Sundance Kid)」は、いわゆるアメリカン・ニューシネマの傑作と言われているが、これが何故ニューシネマに分類されたのか、いま一つわからないところがある。ニューシネマというのは、アメリカの伝統的な価値観への異議申し立てを最大のコンセプトとしていたと思うのだが、この映画にはそうした要素は希薄、というよりほとんどない。逆に、西部劇が描いていた古き良きアメリカへのノスタルジーのようなものがあふれている。そうしたノスタルジーをかきたてるのが強盗団という反社会的分子であることに、社会秩序への異議申し立てを見てとれないこともないが、異議申し立てが犯罪者礼賛になっては、やはりどこがすっきりしないものが残る。

usnc11.easy2.JPG

「イージー・ライダー(Easy Rider)」は、アメリカン・ニューシネマの傑作の一つに数えられる。ロードムーヴィーと言う点では「スケアクロウ」と似ているが、「スケアクロウ」には一応目的地らしきものがあるのに対してこちらにはそれらしきものはない。マルディ・グラを見るためにニューオリンズを目指すが、それは一時の気晴らしのためであって、最終的な目的地ではない。また、スケアクロウは徒歩の二人組が主人公なのに対して、こちらはモーターバイクに乗った二人組を描いている。そのバイクが格好いいというので、この映画はバイク好きの連中から熱烈な支持を受けた。

配達されない三通の手紙:野村芳太郎

| コメント(0)
nomura06.letter.jpg

野村芳太郎の1979年の映画「配達されない三通の手紙」は、イギリスの推理小説作家エラリー・クィーンの小説を映画化したものだが、日本映画としてはどうもしっくりしないところがある。筋書きが日本人離れしているし、人物の醸し出す雰囲気が日本人らしくない。そのため映画の観客は、どこか別世界の出来事を見せられているような感じになる。娯楽作品としては、別にそれでも不都合なことはないわけだが、野村と言えば社会派映画で通ってきたこともあって、どうもすっきりしない印象を与える。

鬼畜:野村芳太郎

| コメント(0)
nomura05.kitiku2.JPG

野村芳太郎の1978年の映画「鬼畜」は、松本清張の同名の短編小説を映画化したものだ。テーマは子捨て・子殺しだ。清張がこの小説を書いたのは1957年のことで、それを20年もたった時点で映画化したことに、なにか特別の理由があったのか、よくはわからないが、この手のテーマは、時代にはあまり関係がないのかもしれない。21世紀に入っても、「誰も知らない」のような子捨てをテーマにした映画が作られていることからも、そう思われないでもない。

事件:野村芳太郎

| コメント(0)
nomura04.jiken1.JPG

野村芳太郎の1978年の映画「事件」は、大岡昇平の同名の小説を映画化したものだ。この小説はベスト・セラーとなり、筆者も読んだことがあるが、非常によくできた推理小説との印象を持った。その割に筋書きの詳細は忘れてしまったが、物語の展開にグイグイと引き付けられた興奮はよく覚えている。野村は、小説が刊行された翌年にこれを映画化したわけだが、その直前にはNHKがテレビドラマ化して放映していた。どちらも大いに反響を呼んだ。

砂の器:野村芳太郎

| コメント(0)
nomura03.suna.jpg

「砂の器」は、松本清張の社会派推理小説の傑作である。推理小説としての結構といい、細密な心理描写といい、日本の推理小説史上最高傑作のひとつと言ってよい。それを野村芳太郎が映画化した。原説にかなり忠実な映画化といえるが、単に小説を映画化したというばかりでなく、映画としての醍醐味を最大限に味わせてくれる傑作である。

拝啓天皇陛下様:野村芳太郎

| コメント(0)
nomura02.haikei.jpg

日本映画は、諸外国に比べると戦争をテーマにするのが好きだったと言える。戦争の取り上げ方にはいくつかのパターンがあって、日本兵の勇敢さをたたえるものとか、軍隊生活の厳しさを強調するものが多かったが、それらと並んで戦友同士の熱い友情も好んで取り上がられた。野村芳太郎の1963年公開の映画「拝啓天皇陛下様」は、その代表的なものだろう。これは結構人気が出て、続編が出たほどだ。渥美清のとぼけた演技が、観客に受けたからだと言われる。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ