映画を語る

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2009年のアルゼンチン映画「瞳は静かに(Andres no quiere dormir la siesta)」は、一少年が社会のありかたや人間の生き方について、しだいに学んでいく過程を描いている点では、一種の教養映画といえる。だが、主人公のアンドレスは、まだ十歳ほどの年齢で、社会や人間関係について学べるような柄では本来ない。ところがその幼い少年がいやでもそれらを学ばざるを得ないのは、彼の生きている社会が過酷なためである。そんなふうに感じさせる作品である。

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2008年のアルゼンチン映画「ルイーサ(Luisa ゴンサロ・カルサーダ監督)」は、孤独な初老の女の悲惨な暮らしぶりを描いた作品。ブエノス・アイレスの地下鉄を舞台に、押し売りや乞食のまねをしながら、必死に生きようとする老女の姿が印象的な作品だ。こういう映画を見せられると、アルゼンチンは厳しい格差社会であり、白人といえども、いったん転落するとなかなか浮かび上がることができない過酷な社会だと思わせられる。

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セリーヌ・シアマの2014年の映画「ガールフッド(Bande de filles)」は、フランスで暮らすアフリカ人少女の青春を描いた作品。移民としての彼女の環境は非常に厳しいと思うが、彼女のフランス社会とのかかわりはほとんど触れられず、もっぱら黒人との間のかかわりが描かれる。彼女は中学校の卒業を迎えても高校へ入ることもできず、かといって働く気にもなれない。そこで、黒人少女たちの不良グループと付き合いはじめる。そのうち自信が出てきて、恋人もできる、といったような内容の映画だ。

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2016年のフランス映画「未来よ こんにちは(L'Avenir ミア・ハンセン=ラブ監督)」は、あるフランス人女性の生き方を描いた作品。おそらく現代フランスにおける中流階層の女性の、典型的な生き方なのだと思う。だから、たいしたドラマ性がないにもかかわらず、多くの共感を呼んだのであろう。

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2016年のフランス映画「セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)」は、エミール・ゾラとポール・セザンヌの奇妙な友情を描いた作品。奇妙というのは、ゾラの視点からのことで、セザンヌはゾラに対して普通に振舞っていると思っている。ところがゾラにはそう思えない、という意味だ。

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2011年のフランス映画「最強の二人(Intouchables エリック・トレダノ オリヴィエ・ナカシュ監督)」は、金持の肢体不自由者とその介護人との人間的な触れ合いを描いた作品。介護人がマッチョな黒人男性というところが売り物だ。フランスはアフリカの旧植民地から多数の移民を受け入れているので、この映画に出てくるような黒人も珍しい存在ではないのだろう。

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2013年の香港映画「グランド・マスター(一代宗師 王家衛監督)」は、カンフー・アクション映画。カンフーといえば、ブルース・リーが有名になって以来、特殊な中国武術という印象が強いが、どうも中国武術の総称のようである。リーのカンフーは、そのうちの詠春拳という流派に属するらしい。この映画も、詠春拳の使い手が主人公である。

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2018年の中国映画「薬の神じゃない(我不是藥神 文牧野監督)」は、中国における薬事行政を痛烈に皮肉ったコメディ映画である。白血病の治療薬が法外な価格なので、金のない人々が苦しんでいる。ところがそれのジェネリック製品がインドで十分の一以下の価格で手に入る。インドでは合法的に売られているので、簡単に買えるはずなのだが、中国では認定されてないので、輸入することができない。そこで、ある患者に知恵をつけられた男が、ジェネリック薬品を密輸してそれなりの利益を上げる。

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2021年の中国映画「1950鋼の第七中隊(長津湖 監督は陳凱歌ほか二名)」は、朝鮮戦争を中国の視点から描いた作品。仁川上陸作戦とともに、朝鮮戦争の帰趨を決した重要な戦い「長津湖の戦い」がテーマ。この戦いは、アメリカによる朝鮮半島制圧に危機感をもった中国側が参戦し、その直後に行われた。この戦いがきっかけで、アメリカは南部に後退、南北朝鮮は38度線を境に分断が本格化する。

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2018年の香港映画「オペレーション・レッドシー(红海行动 ダンテ・ラム監督)」は、荒唐無稽な戦争アクション映画である。中国海軍が中東地域での紛争に介入し、中国人の人質を救出するために勇ましく戦うといった内容。これは実際にあったことを下敷きにしたとアナウンスされるのであるが、どうも眉唾である。おそらくイエメンの2015年の内戦を想定しているのだと思うが、その内戦の過程で中国軍が現地の過激派勢力と戦い多くの死傷者を出したというようなことは、日本では報道されていないので、知る由もないうえに、中国軍の戦いぶりが本格的な戦争そのものであり、そのような戦争を中国軍が戦ったというのが、にわかには信じられないのである。それは別としてこの映画は、中国軍の能力を誇示するプロパガンダ映画といってよい。中国海軍が全面的に協力したのもうなずける。

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2007年の中国映画「戦場のレクイエム(集結號 馮小剛監督)」は、国共内戦の一こまを描いた作品。併せて朝鮮戦争の一こまにも触れている。戦後国共両勢力は、覇権をめぐって壮絶な戦いを繰り返すが、そのうち華北を舞台に展開された淮海戦役の一こまがテーマである。この戦いは共産党の人民解放軍が勝利し、1950年の中共政権樹立へとつながる重要なものである。その戦いに参戦した一中隊の運命と、その中隊長谷子地の意地を描く。中隊は谷を除き全滅するのだが、正規な記録がないことや遺体が見つからないことを理由に、全員行方不明扱いされる。戦死者には勲章や年金が贈られるが、行方不明は恥だとされる。そこで生き残った谷は、全員が戦死したことを自分が証明し、かれらの名誉を回復したいと願う。その願いは最終的にかなえられ、全員英雄としてたたえられる、というような内容である。

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2019年のハンガリー映画「この世界に残されて バルナバーシュ・トート監督」は、ハンガリーにおけるホロコーストを生き延びたものの心の傷をテーマにした作品。ホロコーストをテーマにしたハンガリー映画としては、「サウルの息子」が有名だ。「サウルの息子」は、強制収容所におけるユダヤ人の苦悩を直接的なタッチで描いていたが、こちらは、戦後まで生き残ったものの心の傷に焦点を当てている。とはいっても、その傷は遠回しに表現されるばかりで、ずばりと示されるわけではない。

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2015年のデンマーク映画「ヒトラーの忘れもの(UnderSandet マーチン・サンフリート監督)」は、ナチスが大戦中に設置した地雷の撤去をテーマにした作品。その撤去作業を、デンマーク当局は国内に取り残されていたドイツ兵にやらせる。映画に出てくるドイツ兵は、みな子供の兵士である。その子供たちに、デンマーク軍の下士官が地雷撤去の作業を強制する。デンマーク人にはナチスへの敵愾心があり、その敵愾心がそれらの少年兵士に向けられる。したがって彼らの課された作業には懲罰的な意味がある。国際法上は、捕虜の人権は守られることになっているが、実際には踏みにじられる。国際法よりも国家的な憎しみのほうが優先されるのである。

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アレクサンドル・ソクーロフの2002年の映画「エルミタージュ幻想(Русский ковчег)」は、エルミタージュ博物館を舞台にした幻想的な作品。90分ほどの長さだが、全編がワンカットで作られており、映画史上はじめての試みだとして、大いに話題になった。ワンカットといっても、シーンはかわる。カメラの動きにあわせて、様々な人が登場する仕掛けになっている。その登場人物というのが、最初は現代のロシア人だが、そのうち昔のロシア人が出てきて、時間を超越した騒ぎになる。そこが幻想的だという所以である。

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2017年のアメリカ映画「スリー・ビルボード(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri マーティン・マクドナー監督)」は、痛烈な警察批判をテーマとした作品。アメリカ人は警察に懐疑的で、トラブルを警察に頼らず自分で解決しようとする傾向が強い。さすがに殺人事件などは、警察に頼らざるを得ないが、警察はまともに仕事をせず、黒人への暴力行使など、ろくでもないことにうつつを抜かしている。そういった警察不信が露骨に表現された映画である。

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2015年のアメリカ映画「スポットライト(Spotlight トム・マッカーシー監督)」は、カトリック教会における聖職者の性的虐待問題をテーマにした作品。アメリカでは、カトリック教会における性的虐待がしばしば問題となっていたが、大々的に取り上げられることはなかった。2002年に、ボストンの新聞ボストン・グローブが、綿密な調査にもとづいて、この問題を報道すると、全米的な規模で事態解明と責任追及が行われ、バチカンの教皇が謝罪に追い込まれたのは周知のことだ。この映画は、ボストン・グローブの専門部隊「スポットライト」による問題追及の過程を描く。

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1994年のアメリカ映画「フォレスト・ガンプ(Forrest Gump ロバート・ゼメキス監督)」は、アメリカ現代史の批判をテーマにした作品。その批判を、知能程度の低い人間の視点から浮かび上がるように作っている。批判されているアメリカは、1950年代の差別と分断が横行するアメリカであり、1960年代の戦争好きのアメリカであり、1970年代以降の金権礼賛的なアメリカである。知能程度の低い主人公には、社会を客観的に批判する能力はなく、現状を受け入れるのがせきのやまである。だが、その受け入れを迫るアメリカ社会があまりにも理不尽に見えるので、おのずから批判の様相を呈するのである。

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フランシス・フォード・コッポラの1974年の映画「カンバセーション・盗聴(The Conversation)」は、盗聴のプロの生き方と挫折を描いた作品。アメリカには盗聴のプロがいて、結構仕事もあるらしい。なにしろ現職の大統領が、政敵に盗聴を仕掛けるような国柄だ。盗聴は日常的なビジネスになっているということが、この映画からは伝わってくる。

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石井裕也の2019年の映画「町田くんの世界」は、石井の作品の中ではかなりユニークなものである。この映画の中の主人公の少年も、やはり生き方が下手なのではあるが、ほかの映画の中の人物たちとは違って、生き方が下手なためにひどい目にあっているわけではない。逆に周囲の誰からも愛されるのである。もっともかれは誰彼なく愛してしまうので、自分だけを愛してほしいと願う者にはストレスを与える。かれは特定の人だけを独占的に愛することができないのだ。

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石井裕也の2011年の映画「ハラがコレなんで」は、貧しい人間たちの助け合いというか連帯をコメディタッチで描いた作品。石井裕也は、いわゆる負け組と称されるような人々のみじめな生き方を描くのが得意だが、この映画は、貧しいながらもみじめ一点張りではなく、それなりに自分に誇りを持ち、貧しいもの同士で助け合うことの大事さを強調したもの。いわば貧者の連帯がモチーフである。

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