映画を語る

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田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)は、陳凱歌や張芸謀とともに中國第五世代を代表する映画監督で、1986年に作った「盗馬賊」は、世界的な評価を受けて出世作となった。もっともその後、文革を批判的に描いた「青い凧」が当局の逆鱗に触れ、中國では映画を作れなくなってしまった。

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陳凱歌の2017年の映画「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎( 妖猫伝 )」は、弘法大師空海の中国滞在中の一齣を描いた作品。この映画の中の空海は、修行僧というよりは悪戯坊主のイメージを振り舞いている。その悪戯坊主が中国のいたずら者白楽天と組んで、奇想天外な冒険をするというような内容だ。

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1947年の中国映画「春の河、東へ流る(一江春水向東流)」は、抗日戦をテーマにした作品である。それに中国ブルジョワ層の頽廃的な生き方をからませてある。この映画が公開された1947年は、国共内戦が激しかった頃で、どちらが勝ち残るか、まだ分からなかった。そういう時代背景の中で、この映画は、日本軍の蛮行に苦しむ庶民に寄り添うよう一方、大資本家に支持された国民党政権には距離をおいた姿勢をとっている。

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是枝裕和の2019年の映画「真実(La vérité)」は、是枝がフランスに招かれて、日仏共同制作として作った作品。かつての大女優が、女優としての末路を迎えるというような設定だが、その大女優とは、この映画の主役を務めたカトリーヌ・ドヌーヴであることは、その女優の名がドヌーヴのミドル・ネームであるファビアンヌであることからも、見え見えになっている。だからこの映画は、カトリーヌ・ドヌーヴへのオマージュとして作られたといってよい。この時ドヌーヴは76歳になっており、年齢相応の衰えを感じさせもするが、肉体の衰えを気力でカバーしてなおつりがくるといった演技ぶりを見せてくれる。彼女の娘役を務めたジャクリーヌ・ビノシュは55歳になっていたが、こちらは実際の年より老けて見えた。

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西川美和の2020年の映画「すばらしき世界」は、刑務所から出所してきた男の社会復帰をテーマにした作品。刑務所から出てきた人間に対して日本の世間は冷たい。だが中には親切にしてくれる人もいないではない。そういう希な善意に支えられて、すこしずつ社会に適応していく姿が描かれる。

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日向寺太郎の2019年の映画「こどもしょくどう」は、児童の貧困をテーマにした作品である。近年、格差社会といわれ、貧困が拡大している風潮のなかで、児童の貧困とか、それにともなう虐待が深刻な社会問題として浮かび上がってきた。この映画は、親から遺棄され、あるいは遺棄同然の扱いを受けて、食べることにも窮するような児童たちの悲惨な境遇を淡々と描いている。上から目線でかわいそうな子供を憐れむというのではなく、児童がそれなりの自覚をもって生きようとするさまを、ドライなタッチで描いている。

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成島出の2011年の映画「八日目の蝉」は、幼女誘拐とその後に展開される愛憎劇である。誘拐された子供が誘拐した女を母親と思い込んで強い愛着を感じていたために、実の両親との間がうまくいかず、社会にも適応できなくなった、そんな不幸な生き様を描いている。

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東陽一の1996年の映画「絵の中のぼくの村」は、絵本作家田島征三の少年時代を回想した自伝的エッセーを映画化した作品。田島は双子の弟で、少年時代は父親の郷里土佐の田舎で暮らした。清流があるところからして、四万十川の流域かもしれない。とにかく、土佐の田舎ののんびりとした自然の中での、ゆったりとした時間の流れを描いている。

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田中絹代は、日本の女性映画監督の草分けである。1953年に「恋文」を作って以来、1962年までに六本の作品を作っている、評価は賛否半ばだったが、興行成績は不調だった。田中は晩年巨額の借金を抱えていたというが、おそらく映画作りのためだったと思う。興行の失敗は自分の責任なので何ともいえないが、自分の作品をけなす意見には、田中は反発したはずだ。とくに、戦前から付き合いの長かった溝口健二に、映画は女の作るものではないといって否定されたことは、田中にとって面白くなかったのだろう。溝口は田中に惚れたいたのだったが、その田中にけんもほろろに扱われたのは、彼女の映画監督としての仕事を素直に認めてやらなかったためだ。

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2016年のインド映画「ガンジスに還る」は、インド人の宗教意識と死生観を、家族関係に絡めながら描いた作品。ガンジス流域の宗教都市バラナシを舞台にして、情緒たっぷりの画面を通じて、インド人の生き方の特徴が伝わってくるように作られている。それが非常にユニークなので(特にヨーロッパ人の目には)、世界中の注目を浴びた次第だが、インド人の、とくにヒンドゥーの考え方は日本人の仏教的な考え方に通じるものがあるので、日本人にとっては親しみを感じやすい。

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2001年のインド映画「モンスーン・ウェディング」は、典型的なボリウッド映画だ。ボリウッド映画というのは、歌と踊りをふんだんにとりまぜて、とになく賑やかで楽天的な娯楽映画といわれるのだが、この映画はその歌と踊りにセックスのスパイスを盛り込んで、賑やかな人間模様を繰り広げた作品である。

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1995年のインド映画「ボンベイ」は、インド風ロメオとジュリエットといったものだ。対立しあう集団に帰属する男女が愛し合うという設定である。シェイクスピアの悲劇は、家族同士の対立がテーマであり、その対立に引き裂かれるようにして、二人は死んでいくのだったが、この映画の中の男女は、相対立する宗教によって翻弄される。だがロメオたちとは異なり、死を強いられることはない。

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インド映画「ムトゥ踊るマハラジャ」は、日本では1998年に公開され、大ヒットになった。それまでインド映画とはほとんど没交渉だった普通の日本人は、この映画を通じてインド映画がどのようなものか、その雰囲気の一端に触れて大いに好きになり、俄かインドブームが起きたほどだった。

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サタジットレイの1976年の映画「ミドルマン」は、いわゆる「カルカッタ三部作」の三作目。一作目の「対抗者」と同じく、職を求めて必死になるインドの若者を描いている。「対抗者」の主人公は、経済的な理由から大学の医学部を中退し、できたら医学に関係のある職に就きたいと願うが、それがかなわず都落ちして、田舎のさえない職場で我慢する様子を追っていた。それに対して、この映画の中の主人公の若者は、大学は無事卒業できたにかかわらず、意に沿う就職ができない。その挙句に自分でビジネスを立ち上げるというような内容である。

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サタジット・レイの1970年の映画「対抗者」は、医学部を中退して職を探している青年の数日間を描いた作品である。同時代のインド社会の厳しい現実を、写実的に描いている。舞台がカルカッタであり、サタジット・レイは同じような趣向の作品を以後二本つづけ作っていることから、それらをあわせて「カルカッタ三部作」と呼んだりする。

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サタジット・レイの1969年の映画「森の中の昼と夜」は、都会で暮らしている若者たちが、森の中で数日間の休暇を楽しむさまを描いている。若い連中のことだから、はめをはずして騒いだり、女に熱をあげたり、また中にはひどい目にあったりするのもいるが、なんといってもバケーションのうえでのことだから、笑ってすますことができる。そんなインド人青年たちの楽天的な生き方を描いたこの映画は、これといって大袈裟な仕掛けがないだけに、この時代の若いインド人の生き方とか考え方がすなおに伝わってくる映画である。いわば同時代のインドの風俗映画といったところだ。

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サタジット・レイの1964年の映画「チャルラータ」は、イギリス統治下のインド社会の一断面を描いた作品。前作の「ビッグ・シティ」が同時代のカルカッタの中流家庭を描いていたのに対して、こちらは植民地時代のカルカッタの上流家庭を描いているという違いがあるが、夫婦を中心としたインドの家族のあり方を描いているという点に共通するものがある。

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サタジット・レイの1963年の映画「ビッグ・シティ」は、インドの大都市に暮らすサラリーマン一家を描いた作品。その頃のインドはまだ発展途上国であり、経済的には貧しく、また人々の意識は古い因習にとらわれていた。そんなインド社会にあって、とりあえず生活のために働く決意をした女性が、自分の家族をはじめ、世間の偏見や因習と戦う様子を描いている。

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サタジット・レイの1960年の映画「女神」は、ベンガル地方に生きる人々の宗教的な因習をテーマにした作品。ヒンドゥー文化への強い批判が込められているため、インドの保守的な人々の反発を招いたが、カンヌでは高く評価された。

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