映画を語る

visconti13.white1.JPG

ルキノ・ヴィスコンティの1957年の映画「白夜(Le notti bianche)」は、ドストエフスキーの同名の短編小説を映画化したもの。この小説を小生は昔読んだことがあり、詳しい内容は忘れてしまったが、たしか女に惚れやすい男はバカを見るといった内容で、ある種の警告を込めたものだったというふうに覚えている。女に惚れやすい男は、要するにお人よし過ぎるのであるが、ドストエフスキーにはそうしたお人よしな面があったので、これはドストエフスキーの自戒のための作品だと受け取ったものだ。

visconti12.senso.jpg

ルキノ・ヴィスコンティの1954年の映画「夏の嵐(Senso)」は、イタリア女の奔放な性愛を描いた作品。イタリア女は、フランス女に劣らず好色で、自分の性欲を追及するためにはすべてを犠牲にするほどと言われるが、そうしたイタリア女の破滅的な性愛を、オペラ的な雰囲気たっぷりに歌い上げた映画である。

visconti11.terra2.jpg

ルキノ・ヴィスコンティの1948年の映画「揺れる大地(La terra trema: episodio del mare)」は、イタリア、ネオ・レアリズモの傑作と言われる作品。シチリア島の漁師たちの厳しい生活を描いている。貴族であるヴィスコンティが労働者の暮らしを取りあげたのは、その頃かれが共産党員だったこととかかわりがある。かれは共産党の後援のもとにこの映画を製作したといわれる。

korea18.taxi1.jpg

2017年の韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」は、1980年5月に起きた光州事件をテーマにした作品。光州事件とは、朴正熙の暗殺、全斗煥による権力掌握、金大中逮捕と戒厳令施行などを背景に、韓国南部全羅南道の中心都市光州で起きた民主化運動を、全斗煥政権が武力によって弾圧した事件で、光州市民に多くの死傷者を出した。一説には、650人にのぼる死者・行方不明者を含め8000人近くの死傷者を出したといわれる。済州島事件と並んで、戦後の韓国史に汚点を残す権力による国民虐殺事件であった。

thai01.boon3.JPG

2010年のタイ映画「ブンミおじさんの森」は、タイ映画としてははじめてパルム・ドールをとり、タイ映画を国際的に注目させた作品だ。それまでタイを描いた映画としては、ミュージカル映画「王様と私」がある程度で、その中のタイはエクゾチックではあるが野蛮な国民性として描かれていた。「ブンミおじさんの森」は、タイ人自身によって作られたタイ映画であって、タイを肯定的に描いている。

cambodia01.pnom1q.JPG

2014年のカンボジア映画「シアター・プノンペン」は、クメール・ルージュによる大虐殺がカンボジア国民の心に残した傷をテーマにした作品。1970年代半ばに生じたこの大量虐殺によって、カンボジア国民の四人に一人が殺されたとされる。当然、生き残った国民には深い心の傷を残したはずで、この映画はそれをとりあげた。結構大きな反響を呼んだ。

viet03.norwegian1.JPG

トラン・アン・ユンはベトナム人だが、その彼が村上春樹の有名な小説「ノルウェーの森」を日本映画として作った。村上と五年がかりで交渉して映画化権を得たプロデューサーが、ベトナム人のトラン・アン・ユンにメガホンをゆだねた形だ。どういう事情からかはわからない。村上自身はその映画に満足の意を示したということらしいから、彼の起用は成功したということになる。興業的にも成功した。

viet02.ete2.JPG

トラン・アン・ユンの2000年の映画「夏至」は、現代ベトナム人の生き方を描いたものだ。これといったストーリーはない。三人の姉妹の、それぞれの生き方が情緒豊かに描かれている。といっても、この映画を通じてどれほどベトナム人を理解できるかは、別の問題だろう。ベトナムといえば、フランスによる植民地支配を戦争を通じて脱却したあと、対米戦争を経て社会主義国になったといういきさつがあるが、そうした歴史的な背景は一切触れられていない。ごく普通の国の、ごく普通の人々を、ごく普通の観点から描いている。

viet01.papaia.jpg

「青いパパイアの香り」は、日本で始めて公開されるベトナム映画とあって、小生もものめずらしさから、神田の岩波ホールまで見に行ったものである。しっとりとした画面がなかなか印象的だったことを覚えている。四半世紀ぶりに見たところ、記憶の中身と違っているところがあったりしたが、それなりに面白かった。

phil03.31.JPG

ブリランテ・メンドーサは、「ローサは密告された」で警察の腐敗を描き、鋭い社会的な視線を感じさせたものだ。「キナタイ マニラ・アンダーグラウンド」は2009年の作品で、「ローサ」より七年前に作ったものだが、これもやはり警察の腐敗をテーマにしている。警察はやくざまがいのビジネスをするばかりか、殺人も平然と行う。それを見ると、フィリピンの警察組織がいかに腐敗しているかよくわかる。

phil02.rosa21.JPG

2016年のフィリピン映画「ローサは密告された」は、現代フィリピン社会の闇を描いた作品。現代のフィリピン社会には多くの不条理が蔓延しているといわれるが、この映画が取り上げるのは、麻薬の蔓延と権力の腐敗である。どちらもドゥテルテ政権と深いかかわりがあるので、この映画は、痛烈なドゥテルテ批判ということができる。そんな映画がフィリピンで作られたということは、ある意味すさまじいことだ。

phil01.left3.JPG

2016年のフィリピン映画「立ち去った女」は、フィリピン映画としてはじめて、世界三大映画祭のグランプリ(ヴェネツィアの金獅子賞)をとった作品。四時間近い長編だが、監督のラヴ・ディアスはこれを超える長編映画を幾つも作っており、長編作品が得意ということらしい。

georgia09.viniard1.JPG

2017年のグルジア映画「葡萄畑に帰ろう」は、難民迫害をコメディタッチで描いた作品。折からアメリカではトランプが大統領になって、露骨な難民迫害を始めていた時期なので、この映画はそれを批判したものと受け取れぬこともない。もっともトランプの難民迫害が、トランプの人格を反映して、非人道的で仮借ないものだったのに対して、この映画の中の難民迫害には、やや人間らしさを感じさせるところはある。

georgia08.dance1.JPG

2019年公開の映画「ダンサー そして私たちは踊った」は、グルジア系スウェーデン人レバン・アキンの作品である。一応、スウェーデン・グルジア・フランスの共同制作ということになっている。テーマは同性愛に目覚める若い男の心の揺らぎ。それにグルジアの民族舞踏とかグルジア的な人間関係のあり方を絡ませてある。

georgia07.bonjour4.JPG

グルジア人の映画作家オタール・イオセリアーニにはファンタスティックな傾向があって、「セリーヌとジュリーは船でゆく」などはそうした傾向を強く感じさせたものだ。2015年にフランスで作った「皆さま、ごきげんよう(Chant d'hiver)」は、そうしたファンタスティックな傾向が極端に現われた作品である。

georgia06.manda2.JPG

2013年製作のグルジア・エストニア合作映画「みかんの丘」は、翌年製作されたグルジア映画「とうもろこしの島」とよく比較される。どちらも、アブハジアをめぐるアブハズ人とグルジア人の扮装をテーマにしており、人間同士の殺し合いを強く批判するメッセージが込められている。

georgia05.corn2.JPG

2017年の映画「とうもろこしの島」は、グルジア人によるグルジア映画であるが、グルジア人ではなく、アブハズ人の暮らしを描いている。アブハズ人は、グルジア国内の少数民族で、多数派のグルジア人とはたびたび紛争を起してきた。この映画は、そうした紛争を背景に、厳しい境遇を生きるアブハズ人の老人とその孫娘との懸命に生きる姿を描いている。実に感動的な映画である。

georgia04.zange1.JPG

1988年のグルジア映画「懺悔」は、ある種のディストピアをテーマにした作品である。そのディストピアは、どうやらスターリン時代のグルジアらしい。スターリンは大規模な粛清を行ったわけだが、その実態は、あまり明らかになっていない。この映画は、グルジアでは、地方自治体の幹部がスターリンの意を戴して粛清を行ったというふうに伝わってくるように作られている。

georgia03.lundi4.JPG

2002年の映画「月曜日に乾杯!(Lundi matin)」は、グルジア人であるオタール・イオセリアーニがフランスで作った作品である。プロデューサーはフランス人たちであり、主演俳優もフランス人だが、映画そのものの雰囲気はあまりフランス的ではない。なんとなく東方の雰囲気を感じさせる。それには俳優の一部にグルジア人が加わっていたり、バックミュージックに東方的な雰囲気があるからかもしれない。

georgia02.vache3.JPG

オタール・イオセリアーニはグルジア人だが、色々な事情があって、グルジアで映画を作ることがむつかしくなり、フランスで映画作りをするようになった。1999年の映画「素敵な歌と舟はゆく(Adieu, plancher des vaches!)」は、フランスで作った作品であり、パリを舞台に、フランス人たちの生き方を描いている。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ