映画を語る

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1993年公開の映画「まあだだよ」は、内田百閒の晩年を描いた作品である。内田百閒といえば、漱石門下の文人で、戦時中には文学報国会への入会を拒絶するなど、気迫ある男として知られていた。その百閒の生き方に黒澤は共感したのだろう。この映画の百閒の描き方には、人間としての強い共感が込められている。

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黒沢明の1991年の映画「八月の狂詩曲」は、長崎の原爆災害が一応のモチーフのようなので、狂詩曲というよりはレクイエム(鎮魂曲)といったほうがふさわしいかもしれない。実際この映画の中では、家族を原爆で失った老婆たちが、般若心経を読む場面が度々流される。土地柄、讃美歌を歌わせてもよいところかもしれない。

夢:黒沢明

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黒沢明の1990年の映画「夢」は、日米合作ということになっているが、それは資金の上のことで、中身は純粋な日本映画である。日本ではなかなか映画作りをできなくなった晩年の黒澤に、ハリウッドのワーナーが資金援助して、黒澤の好きなように映画を作らせてやったということらしい。

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デレク・ジャーマンがAIDSで死んだのは1994年2月だが、その前年に最後の作品「BLUE」を作った。一応映画ということになっているが、普通の意味での映画ではない。映画とは、活動写真から始まった歴史が示すとおり、映像が不可欠の要素と考えられて来た。ところがこの作品には、一切の映像がない。あるのは、ブルー一色に染まった画面だけだ。その画面の背後から、あるいは手前から、男のつぶやきが聞こえて来る。そのつぶやきとは、おそらくジャーマンその人の声なのだろう。

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ウィトゲンシュタインは、20世紀を代表する哲学者の一人であり、多くの哲学者がそうだったように、同性愛者であった。それをやはり同性愛者であるデレク・ジャーマンが取り上げて、その半生を映画化したのが、1993年の作品「ウィトゲンシュタイン」である。

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エドワード二世は、イギリスの歴史上最も劣悪な王といわれる。その理由は、優柔不断で指導力がなかったこと、同性愛に耽溺し、愛人を不当に優遇して人心の離反を招いたことだ。その挙句、天涯孤立の境遇に陥り、ついには妃であるイザベルに殺されてしまった。そんなエドワード二世の半生を、シェイクスピアのほぼ同時代人で、これも破天荒なスキャンダルをまき散らしたことで有名なクリストファー・マーロウが劇に仕立てた。それをデレク・ジャーマンが映画化したのがこの作品だ。ジャーマンのことであるから、エドワード二世の言動のうち、同性愛の部分に関心が集中しているきらいがあるが、これはマーロウの原作もそうなのであるか、原作を読んでいない小生には判断できない。一応原作を無視して映画に光を当ててみたい。

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デレク・ジャーマンの1990年の映画「ザ・ガーデン(The Garden)」は、同性愛者(男色者)の受難をテーマにした作品だ。この映画が描く受難には二通りある。一つは肉体の受難、もう一つは精神の受難だ。肉体の受難は拷問による死によって、精神の受難は嘲笑によって表現される。

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デレク・ジャーマンの1988年の映画「ウォー・レクイエム」は、ベンジャミン・ブリテンの合唱曲「死者のためのミサ曲」を映画化したものだ。合唱曲の映画化だからミュージカル仕立てになっている。その合唱曲は、戦争詩人として知られるウィルフレッド・オーウェンの詩集を主な材料とし、それにある教会のミサ曲を加えるという形になっている。そのオーウェン詩集の冒頭を飾る「奇妙な出会い」は、イギリス兵とドイツ兵との奇妙な出会いを歌ったものだが、そこにはある物語が含まれていた。その物語をこの映画は、一応メーン・プロットにして、拡散しがちな映像に一定の秩序をもたらしている。その物語というのは、イギリス兵が洞窟の中で出会ったドイツ兵を、かつて自分が殺していたというものだった。そのドイツ兵は、イギリス兵に向って、わたしはお前が殺した敵兵だと言う。それを聞いたイギリス兵は、相手を殺さざるをえなかった自分の境遇を、戦争が強要したことに深い怒りを覚えるというものである。

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「ラスト・オブ・イングランド」は、イギリスの終末という意味だ。終末であるから、イギリスという国の滅亡を意味しているわけだ。世界ではなく、イギリスが滅亡するというのはどういうことか。そこには、デレク・ジャーマンの個人的な事情がひそんでいるようである。ジャーマンは、前作「カラヴァッジオ」の制作を終えた頃、HIVの陽性が判明した。同棲愛者のジャーマンにとっては、宿命的な成り行きだった。ジャーマンは死を強く意識したのだろう。その死の意識がこの映画には反映しているのではないか。ジャーマンにとって、自分が死んだ後も、イギリスが存在し続けることは、ありえなかったのだ。なにしろイギリスは、マクベスを生んだ国だ。そのマクベスは、自分が死んだ後も世界が存在し続けることは絶えられないことだと叫んだのである。ジャーマンにとっては、世界ではなく、とりあえずイギリスが問題だった。そこでイギリスは、自分の死と運命を共にすべきものと考えたのだろう。

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カラヴァッジオは、イタリア・ルネサンス最後の巨人であり、またバロック芸術の先駆者といわれる。その陰影に富んだリアルな画風は、近代絵画のさきがけというにふさわしい。そんなカラヴァッジオだが、私生活はスキャンダルに満ちていた。いかがわしい連中と町を練り歩いてはスキャンダルを引き起こし、その挙句に殺人まで犯して、38歳の若さで死んだ。

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デレク・ジャーマンの1979年の映画「テンペスト」は、シェイクスピア晩年の有名な戯曲を映画化したものだ。筋書きとしては原作にかなり忠実であり、台詞も原作どおりだ。したがって非常にリズミカルに聞こえる。その一方で、ジャーマンらしい演出もある。登場人物がやたらに裸体になることやら、画面が陰惨なブルーに覆われていることなどだ。その陰惨な画面は、室内の人工的な灯りしかないケースにはそれらしく受け取れるが、屋外の光があふれているべき場面でも、同じように陰惨なブルーが支配している。というわけで、この陰惨なブルーは、デレク・ジャーマンのこだわりの色なのだろうと推測したりもする。

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デレク・ジャーマンは、いまではイギリス映画を代表する監督の一人に数えられている。みずから同性愛者であることを公表し、エイズにかかって52歳で死んだ。かれの作品には、同性愛を謳歌するようなところがあり、そのため男色映画というレッテルを貼られることもあった。

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殿山泰司は味のある脇役として日本映画には欠くことができない存在だった。新藤兼人の映画にも、新藤の監督デビュー作「愛妻物語」を手始めに、数多く出演している。この二人は、単なる監督と俳優という間柄を超えて、共通の目的を追求するいわば戦友のような関係だったようだ。だから殿山が死んだ後、新藤は「三文役者の死」という本を書いて、殿山の霊を慰めた。また、その本をもとに殿山の映画人としての半生を描いた。三文役者というが、なにも茶化した言い方ではない。殿山自身が自分を称してそう言っていたのを、殿山の人柄をよく物語るものとして、新藤が採用したということだ。

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新藤兼人の1999年の映画「生きたい」は、姨捨山伝説にからませながら、現代人が直面している老人問題を、新藤らしくユーモラスに描いたものだ。姨捨伝説は、役立たずになった老人を、口減らしのために捨てることをテーマにしていたが、同じような問題は現代にもある。と言うか、現代は寿命が延びて長生きするようになった部分、役立たずの老人が多く生み出されている。そういう老人を、現代人は老人ホームに収容しているが、これは形をかえた、体裁のいい姨捨ではないのか。この映画には、そんな問題意識が込められているようである。

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新藤兼人は荷風が好きらしく、「断腸亭日乗を読む」という本も出している。その断腸亭日常をベースにした映画も作っている。1992年の作品「濹東綺譚」がそれだ。この映画は、「断腸亭日乗」をもとに、荷風の半生を描きながら、その中に「濹東綺譚」の内容を挿話風に挟むという趣向になっており、あたかも荷風が「濹東綺譚」の世界を実際に生きたというふうに仕上げてある。

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新藤兼人の1988年の映画「さくら隊散る」は、演劇人の広島での被爆をテーマにしたものだ。被爆した人々の悲惨な死を描いている。新藤は、「原爆の子」を作って、広島原爆の非人間性を訴えたものだが、そこでは被曝による悲惨な死を直接描いたわけではなかった。この映画では、被爆した人々が、苦しみながら死んでいく過程を、至近距離から描いた。

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新藤兼人の1981年の映画「北斎漫画」は、葛飾北斎の生涯を描いたものだ。画家としての北斎の全盛期よりは、駆け出しの時代と最晩年期に焦点を当てている。この頃の浮世絵師は、春画で稼いでいたようで、北斎も例外ではない。その春画をこの映画は漫画と言いたいようだが、北斎自身が出版した「北斎漫画」では、春画はほとんど見られない。その春画のうちでも最も有名なのが、女が巨大な蛸と戯れている図柄だが、その図柄のモデルになった女を、まだ若々しい樋口可南子が演じている。一方北斎は緒形拳が、北斎の娘お栄を田中裕子が演じている。その田中裕子演じるお栄は、夏の厚さに裸で寝ているが、その姿が小娘のように見える。田中裕子はこの時もう二十六歳になっていたはずだ。

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新藤兼人の1979年の映画「絞殺」は、その前々年に実際に起きた事件に触発されたものである。その事件とは、高校生が父親に絞殺されるというものだったが、その高校生が進学校として有名な開成高校の生徒だったことで、世間の注目を浴びた。高校生が父親に絞殺されたのは、愛していた同級生の女子が、義理の父親からたびたび強姦されたあげく自殺したことにショックをうけて、世の中の大人たちを強く憎み、その憎しみが両親に対する八つ当たりとなって、家庭内暴力を振るうことになったことで、その暴力に耐えられなくなった父親が、息子が寝ているところを、締め殺してしまったのである。

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新藤兼人の1972年の映画「鉄輪」は、古能の傑作「鉄輪」を映画化したものである。それも単にストーリーを横引きしてというようなものではなく、原作の能の雰囲気が充分に堪能できるように工夫されている。能の仕舞に合わせて謡曲の一節が披露される一方で、音羽信子演じる昔の女が出て来て、能と全く同じ所作をする。と思うと、音羽と相棒の観世栄夫が現代の夫婦となって出て来て、鉄輪の嫉妬譚を現代に蘇らせるというわけで、かなり凝った作り方をしている。ただしあくまでも原作の能「鉄輪」の面白さに乗っかっている作品なので、能に興味のない人には退屈かもしれない。

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新藤兼人の1968年の映画「藪の中の黒猫」は、怪談仕立ての作品である。新藤のオリジナル脚本によることから、新藤には怪談趣味があったものと思われる。「鬼婆」などは、怪談とは言えないかもしれないが、般若面が顔にこびりついて離れないというような発想は、怪談に通じるものだろう。怪談であるから、ややこしい理屈はいらない。ただ怪しい雰囲気を楽しめればよい。そんなわけで、肩の凝らない、純粋に娯楽に徹した映画である。

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