映画を語る

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1990年台ごろから、日本も国際化が進み、外国人が多くやってくるようになった。なかでも中国人は、流入外国人としてはもっとも大きな割合を占め、従来からの在日韓国・朝鮮人にひっ迫する勢いを示すようになった。そういう傾向を背景にして、日本人の外国人差別意識も高まって行ったのではないか。柳町光男の1993年の映画「愛について、東京」は、そんな外国人への差別意識を強く感じさせる作品である。それまで外国人を主人公にした映画がほとんどなかったなかで、この作品のインパクトは大きかったようだ。それも否定的な意味で。この映画が公開されるや、中国人への差別意識に反発した団体が抗議のアクションを起こし、柳町らはその抗議を受け入れて、作品を再編集した。現在DVDで見られるのは、再編集後のバージョンで、オリジナルに比べて15分ほど短い。

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柳町光男の1979年の映画「十九歳の地図」は、中上健次の同名の短編小説を映画化したものである。小生は原作を未読だが、中上の代表作は何篇か読んでおり、その印象からすれば、この映画は中上的な雰囲気をよくあらわしていると思える。中上の小説の特徴は、日本社会の矛盾を一身に背負ったような男が、自分の宿命をクールに受けとめるといったものだ。そういう中上的な特徴が、この映画にはよく出ているのである。

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呉美保の2010年の映画「オカンの嫁入り」は、母娘の情愛を中心にした人情劇である。監督の呉美保は在日韓国人だが、日本で育ったこともあり、日本人の人情をよくわかっている。この映画はそうした呉の目から見た日本人の人情のあり方に、それへの多少スパイスをきかせた批判を込めて、日本の庶民、それも関西に暮らす庶民の生き方を、ウェットなタッチで描いたものだ。

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山崎貴の2019年の映画「アルキメデスの大戦」は、三田紀房の同名の漫画を映画化したもの。戦艦大和を象徴とする日本海軍の末路をテーマにしたものだが、山本五十六はじめ実在の人物をまじえながらも、内容的には全くのフィクションといってよい。その点は、ゼロ戦の開発をめぐる宮崎駿のアニメ映画「風たちぬ」のほうが、現実の話に近い。

資本論第一巻の最終に近い部分、それは実質的には第一巻の総まとめと言ってもよいが、マルクスはその部分を「資本主義的蓄積の歴史的傾向」と題して、資本主義の行き着く先としての、資本主義の否定の必然性の分析にあてている。非常に短い部分だが、ここに我々は、資本主義がいかにして共産主義社会を生み出すのかについての、マルクスの基本的な展望を見いだす。もっともその展望は、あまり実証的な分析には支えられておらず、多分に予言的なものではあるのだが。

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石井克人の2004年の映画「茶の味」は、ホームドラマをアニメ趣味で味付けしたような作品だ。アニメでなら不思議ではないようなことが、現実の出来事として語られるといった具合なのだ。筋書きらしいものはない。家族の成員それぞれの身に起こる出来事が、雑然と描写されるのである。

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2015年の映画「ディーパンの闘い(Dheepan)」は、スリランカの内戦で難民となってフランスにやってきた人々を描いた作品。フランス人監督ジャック・オーディアールが作ったフランス映画だが、主演俳優はスリランカのタミル人で、かれらが話す言葉もタミル語である。

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クロード・ルルーシュといえば、1968年のグルノーブル冬季オリンピック記録映画「白い恋人たち」の監督として有名だ。その二年前に作った「男と女(Un homme et une femme)」は、かれの出世作となった作品である。

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アニェス・ヴァルダの映画「幸福(Le Bonheur)」をはじめて小生が見たのは学生時代のことだ。大学内で自主上映されていたこの映画を、親しい友人に誘われて見に行ったのだが、見ての印象は、フランス人というのは。道徳的に問題のある人間たちだということだった。男は平気で不倫をして、それを妻に隠さないし、女も妻子持ちの男と気軽にセックスする。不倫に絶望した妻が、二人の小さな子を残して入水自殺する、というのもちょっとショッキングだった。日本の女は、妻子持ちの男には決して手を出さないものだ、またたとえ亭主が浮気をしたとして、それくらいで自殺する女などいない、と思ったことを覚えている。

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アニェス・ヴァルダは、女流映画作家の先駆者といえる人だ。ベルギー生まれだがフランスで育った。キャリアとして映画人を目指していたわけではなかったが、1955年に自主制作した「ラ・ポアント・クールト」がきっかけで映画界への道を選んだ。この映画は、自分が少女時代を過ごした南仏セートを写したドキュメンタリー風の作品だったようだ。斬新な映像処理が後に評判になって、ヌーヴェルヴァーグの先駆的作品と評価された。

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ロベール・アンリコの1975年の映画「追想(Le vieux fusil)」は、ナチス・ドイツに妻子を殺されたフランス人医師の復讐を描いた作品。それも単身で12人の兵士を相手に戦うという壮絶なものだ。主人公は、子どもの頃に父親が愛用していた狩猟用の古い散弾銃を持ち出して、それを武器に相手を次々と殺していくのである。途中で助け舟を出してくれた人々にも頼らない。あくまでも自分が妻子の仇をとることにこだわるのだ。かれはドイツ兵を殺しながら、その合間に妻子の思い出に耽る。その追想の様子を、日本語のスタッフは重視して、「追想」という邦題をつけたのだろう。原題のLe vieux fusilは、古い散弾銃という意味である。

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ダルデンヌ兄弟は社会の底辺で必死に生きる人々の姿を描き続けた。2012年の映画「少年と自転車(Le gamin au vélo)」は、親に捨てられた子供と、その子の里親になった女性との心の触れ合いを描いた作品だ。じつに考えさせられるところの多い映画である。

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ダルデンヌ兄弟の2008年の映画「ロルナの祈り(Le silence de Lorna)」は、アルバニアからベルギーにやってきた女性の、移民としての生き方を描いた作品だ。移民には出稼ぎ気分の者と、移民先の国民として迎えられることを願う者とがいるが、移民先の国民の資格をとることは非常にむつかしい。また、その資格をとったとしても、ドイツに住むトルコ人のように、ドイツ人社会から疎外されている者もいる。そうした移民問題の深刻さの一端を、この映画は考えさせてくれる。

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子供の心のまま大人になってしまったような人間が、どの時代のどの国にもいるものだ。いまでもそういう人間が大国の政治指導者になっているのは珍しい眺めではない。ダルデンヌ兄弟の2005年の映画「ある子供(L'Enfant)」は、そんな人間を描いた作品だ。

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ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌはベルギー出身の映画監督で、兄弟で映画作りをしている変わり種である。カンヌでパルム・ドールをとった1999年の映画「ロゼッタ(Rosetta)」は、かれらの代表作といってよい。ベルギーの下層社会で必死に生きる女性を描いている。

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市川準の2005年の映画「トニー滝谷」は、村上春樹の同名の短編小説を映画化したものである。原作にほぼ忠実で、違う所はエンディングに多少の演出が加わっていること。原作はトニーが天涯孤独の身になったところで終わるのだが、映画では妻のかつての恋人が登場していやみをたらたら言ったり、トニーが女を解雇したことを後悔するシーンが加わっている。これらは小説としては全く不要なものだが、映画には、全体を引き締める効果があるかもしれない。

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市川準の1997年の映画「東京夜曲」は、前作の「東京兄妹」同様、市川のある種器用さのようなものを感じさせる。これといった劇的な要素がなく、その意味でアンチ・ドラマといってよいのだが、観客を退屈させることはなく、なんとなく最後まで見させてしまい、見終わったあとでそれなりの余韻を残すといった具合だ。こういう映画は、だいたいが失敗に終わるものだが、そうさせないのが市川の腕の見せ所といえようか。

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市川準の1995年の映画「東京兄妹」は、両親に死なれて二人だけで暮らす兄妹を描いた作品。タイトルが示すとおり、東京の一隅、画面から都電の荒川線の沿線雑司ヶ谷界隈とわかる所を舞台にしている。雑司ヶ谷の鬼子母神が度々出て来るから、この兄妹はその付近に暮らしているのだろうと思う。両親が残してくれた小さな家に、二人だけで暮らしているこの兄妹を、カメラは淡々としたタッチで追う、というような作り方だ。

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市川準の1990年の映画「つぐみ」は、大人になりきらないというか、まだ成長期にある若い女性の青春のひとこまを描いた作品である。原作は吉本バナナの同名の小説で、若い女性読者から圧倒的な支持を受けて、ベストセラーになった。若い女性たちが感情移入できるような作品だったからだろう。この映画も、若い女性が感情移入できるように作られているが、小生のような老人が見ても、十分鑑賞にたえるものがある。

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坂東玉三郎の1995年の映画「天守物語」は、デビュー作の「外科室」同様、泉鏡花の作品を映画化したものだ。「外科室」はわけのわからぬ筋書きだったが、こちらは幽霊女が生きた男と恋に陥るというもので、荒唐無稽の度合いが一段と深まっている。そこが鏡花らしいところで、その鏡花らしさを玉三郎は、歌舞仕立てにして心憎い演出をしている。傑作といってよい。

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