日本の美術

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明治二十一年に刊行した「風俗三十二相」は、様々な階層の女性たちの表情や仕草をテーマにしたもので、全部で三十二の図柄が作られた。描かれた三十二人の女性たちのうち、徳川時代の女性が二十三人、明治の女性が九人である。それぞれ、うれしそうとか、寒そうとか、痛そうとかいった具合に、女性の感情を「そう」ということばで表現している。

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渡辺綱は源頼光四天王の首座で、勇猛で知られる。さまざまな逸話があるが、最も有名なのは鬼退治の話。都の羅城門に鬼が出るというので、綱は頼光から授かった金札を立てるべく、羅城門に赴いた。すると鬼が現れて、背後から綱の兜をつかんだ。そこで綱はすかさず鬼の腕を切り落とし、それを持ち帰ったというもの。

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袴垂保輔は都を騒がせる大盗賊、鬼童丸は市原野に住む盗賊だ。この二人が妖術を競い合う場面を滝沢馬琴が読本「四天王剿盗異録」に書いた。芳年はその場面をイメージ化したものを縦二枚続きの錦絵にした。当時馬琴の読本は庶民に人気があったので、こういう図柄も喜ばれた。

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魯智深は水滸伝に出て来る梁山泊の英雄の一人。僧侶でありながら、筋骨隆々たる巨漢で怪力の持ち主、さまざまな逸話があるが、中でも有名なのは、町で酒を飲んで寺に帰って来た時に、門を閉ざされてしまったために、金剛力士像をこわしてしまったというもの。それでも仏罰を蒙ることはなかった。

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これは奥州安達ケ原の人食い鬼伝説に取材した一点。この伝説は能や歌舞伎に取り上げられたほか、さまざまな形で人口に膾炙していたものだ。それを芳年が視覚化した。

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月岡芳年は、明治十八年から同二十二年にかけて、縦二枚続きの細長い作品を十五図制作した。画題は多彩だが、芳年らしく武者絵が多い。オーソドックスな武者絵と比べて、独特の迫力を感じさせる。

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藤原保昌は平安時代の人物で、藤原道長の家司を努めていた。道長のすすめもあって和泉式部と結婚し、自身も歌人として歌を残している。色々な逸話があるが、なかでも大盗賊袴垂保輔との出会いが有名である。

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上杉輝虎(謙信)は、天文二十一年(1552)に弾正少弼の官名を賜った。二十二歳の年である。武田信玄との川中島の戦いを始めたのは、その翌年のことだ。この絵は、その際の謙信の勇姿を描いたものとされる。この時謙信は単身信玄の本陣にせまり、敵ながらあっぱれとたたえられた。

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相模次郎は将門の名相馬小次郎をもじったもの。その将門の勇猛な戦いぶりを描いたのがこの図柄だ。将門は戦のたびに無類の活躍をしたが、天慶三年の最後の合戦でも、その勇猛ぶりは衰えなかった。この戦いは、将門側が圧倒的に不利だったのだが、将門は先頭になって相手をなぎ倒し、味方の士気を高めた。

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「芳年武者無類」は、明治十六年から刊行した武者絵のシリーズで、全三十三図からなる。神話時代から戦国時代までの英雄たちを描く。武者無類には「むしゃぶるい」をかけている。言葉通り武者震いがするほど雄々しい英雄たちの活躍が、スナップショットのように切り取られている。

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「皇国二十四功」は、日本の歴史上忠孝で名高い人物二十四人を取り上げたシリーズ。師匠の国芳が、「本朝二十四功」と題して同じようなシリーズを刊行していたが、両者の間には、四人が共通しているだけで、大部分は異なった人物である。

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義経(牛若丸)と弁慶が五条橋で出会う場面は、古来日本人の心を捉え続けてきた。その様子は義経記に原点があるが、能の橋弁慶をはじめさまざまな語り物を通じて人口に膾炙した。月岡芳年はこのモチーフを、単発の錦絵で表現して見せた。

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「大日本史略図会」は、「大日本名将鑑」とほぼ同じ時期に刊行されたシリーズで、皇祖天照大神のほか歴代天皇をテーマにしている。

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大日本名将鑑は明治十年から十五年にかけて刊行されたシリーズで、日本史上の偉人や賢人をテーマにしている。当時は明治維新にともなって日本の歴史への関心が高まっており、政府も国民に対する歴史教育に力を入れていた。このシリーズはそうした動きに乗ったもので、庶民の人気を博した。

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明治十年の西南戦争は、新聞出版業界を大いに賑わした。この戦争の報道に庶民の関心が高まり、新聞は発行部数を大いに伸ばした。日露戦争や太平洋戦争でも同じような現象が起き、戦争が新聞の需要を高めるという法則のようなものが確認されるにいたっている。
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「江水散花雪」と題した三枚組のこの作品は、いわゆる桜田門外の変を描いたものだ。桜田門外の変とは、安政七年に水戸の浪士ら十数名が大老井伊直弼の一行を江戸城桜田門外で襲撃した事件だ。直弼は安政の大獄など強権的な手法で反対者を弾圧し、開国政策を推進していたが、それを攘夷派に恨まれ、当時の攘夷派の中心だった水戸の浪人たちによって排撃された。

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晁蓋は水滸伝に出てくる英雄のこと。晁蓋は東渓村に住んでいた。そこから谷を隔てた隣の西渓村には、夜ごと怪物が出て人々を苦しめていた。そこで西渓村の人々は仏塔を建てて怪物を折伏したところ、怪物はたまらくなって東渓村に逃げてきた。その事に怒った晁蓋は、西渓村から仏塔を盗んできて東渓村に立てたところ、怪物は逃げ去っていった。以後晁蓋は托塔天王と呼ばれるようになった。この絵はその物語をイメージ化したものだ。

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「一魁随筆」とは題していても、文集ではない。錦絵のシリーズである。ここでいう「随筆」とは、勝手気ままに描いたものというほどの意味らしい。全部で十三図からなる。いずれも題名を記した枠を配しているが、その枠の左側には北斗七星の第一星「魁星」が、右側には北斗七星の「斗」の字があしらわれている。

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「和漢豪気術」は明治元年に刊行された武者絵のシリーズもので、全十図からなる。和漢と題しているが、「和漢百物語」が主に妖怪をテーマにしているのに対し、こちらは武者をはじめ講談の世界の英雄たちを描いている。

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秦桐若は戦国時代の武将で、黒田官兵衛の家臣だった。無類の勇者として知られ、三十三人の首をとったと言われる。一丈の旗指し物に唐団扇が目印で、これを見た敵は近づくことをためらったとされる。

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