日本の美術

kawa005.jpg

「五道」と題したこの絵は、「とうつくし画帳」シリーズの中の一枚。このシリーズは、日本橋大伝馬町の小間物屋勝田五兵衛の依頼で描いた一連の小型浮世絵のことで、暁斎はこれらを百枚以上描いたという。ほかに五兵衛の依頼で作ったものに「猩々狂斎風俗画帖」があり、いずれも暁斎を名乗る以前の幕末期の作品である。

不動明王開化:河鍋暁斎の戯画

| コメント(0)
kawa004.jpg

「不動明王開化」と題するこの絵は、「暁斎楽画」シリーズの一枚(第五号)だ。「暁斎楽画」は明治七年(1874)沢村屋から出版した大判錦絵のシリーズで、明治維新にともなう文明開化の諸相を皮肉たっぷりに描いたもの。風刺のさびと色彩の豊かさが独特のコントラストを醸し出し、江戸っ子の人気を博した。

kawa003.1.jpeg

「一寸見なんしことしの新ぱん」と題する三枚組の浮世絵は、幕末の物価騰貴を痛烈に批判したものだ。文久年間から上がり始めた物価は、慶應年間に入るとすさまじい勢いを呈し、この浮世絵が出回る直前(慶應二年)には、関西では米価が十年前の十倍、江戸でも四倍に跳ね上がる様相を呈した。そのため庶民の生活が窮迫し、米一揆や打ちこわしが各地で発生したほか、江戸近傍では武州一揆と呼ばれる大規模な騒乱が起こった。

風流蛙大合戦之図:河鍋暁斎の戯画

| コメント(0)
kawa002.1.jpeg

河鍋暁斎は、若い頃から社会情勢には敏感で、世の中の動きを戯画にして笑い飛ばしていた。「風流蛙大合戦之図」と題したこの絵はその代表的なもの。元治元年(1864)に描かれたこの作品は、同年夏に勃発した第一次長州征伐の様子を描いたとされている。

新富座妖怪引幕:川鍋暁斎の戯画

| コメント(0)
kawa001.1.jpeg

川鍋暁斎は、絵そのものもユニークなものが多かったが、創作態度も破天荒だった。その一つに席画というものがあった。これは大勢の見物人を前にして、即興的に絵を仕上げるというものだ。その際には、酒を飲んで酔っていることもあったようだ。

河鍋暁斎の世界

| コメント(0)
kawa00.jpg

河鍋暁斎(1831-1889)は、幕末から明治初期にかけて活躍した画家だ。しかし長い間その業績が正当に評価されることはなく、近年になってやっとその存在が認められるようになった。しかも日本の国内からではなく、海外での評価の高さがきっかけとなった。なぜそうなのか。海外の名声が国内での評価につながった例は、伊藤若冲はじめほかにもあるが、暁斎の場合には、国内と海外との落差が誰よりも大きかったのではないか。

蔦の細道図屏風:宗達の世界

| コメント(0)
19.1.sotatu38.1.tuta.jpg

蔦の細道図屏風は、伊勢物語第九段東下りのうち、宇津の山の蔦かずらの生い茂った細道の部分をイメージ化したものに、烏丸光弘が賛として七首の歌を書いたものだ。賛の歌は、いずれも伊勢物語からとられたものではなく、光弘が物語の雰囲気を踏まえて独自に詠んだものと思われる。この部分の原文は次のとおりである。

伊勢物語図色紙:宗達の世界

| コメント(0)
18.1 (1).jpg

宗達の手になる伊勢物語の色紙が今日46枚伝わっている。それらは、一時期に描かれたものではなく、寛永の半ばころから慶安年間にわたる十数年間に描かれたらしい。いずれにも宗達による落款はないのだが、色紙と裏打ち紙との間にある覚書から、ある程度の情報が得られる。それによると、書の筆者は、高松宮良仁親王や万里小路雅房など、身分の高い人であり、晩年の宗達が、貴族社会と深いかかわりを持っていたことがわかる。

風神雷神図屏風:宗達の世界

| コメント(0)
17.1.sotatu35.huujin.jpg

「風神雷神図屏風」は、宗達畢生の傑作と言ってよい。落款も印章もないが、生前から宗達最高傑作と称せられ、後世にも光琳や抱一が京都建仁寺に赴いて、この図の模写を行っている。図案といい、色彩と言い、日本画の歴史上にそびえる名作である。

舞楽図屏風:宗達の世界

| コメント(0)
16.1.sotatu34.bugaku.jpg

「舞楽図屏風」は、宗達が醍醐寺のために描いたものだ。醍醐寺は、秀吉の花見で有名だが、舞楽とも縁が深いらしい。宗達の「舞楽図屏風」は、そうした醍醐寺の歴史を踏まえていると思える。

松島図屏風(左隻):宗達の世界

| コメント(0)
15.1.sotatu33.2.matusima.jpg

松島図屏風は左右が一体となって一つの画面を構成しているので、この左隻の図柄は当然、右隻の延長としての風景を描いている。両者をつなげるのは、波打つ海と黄金に輝く浜だ。海はともかくとして、浜の描き方は、かなり様式的だ。その形象は、あたかも雲を思わせる。

松島図屏風(右隻):宗達の世界

| コメント(0)
14.1.sotatu33.matusima.jpg

六曲一双の「松島図屏風」も、ワシントンのフリーア美術館の所蔵である。国内にある「源氏物語関谷澪標図屏風」と並んで、宗達の金璧障屏画の代表作である。現存するものは六曲一双だが、もともとは六曲四隻だったという指摘もある。左の延長にさらに二隻があって、それらには伊勢物語東下りの場面が描かれていたという説であり、それが事実なら、この図柄は松島ではなく、伊勢の海ということになろう。だが、今では、現存のとおり六曲一双の絵として見、描かれているのは松島だという前提で鑑賞されている。

雲龍図屏風:宗達の水墨画

| コメント(0)
13.1.sotatu32.1.jpg

「雲龍図屏風」は、「松島図屏風」とともに海外に流出した宗達の傑作。ワシントンのフリーア美術館が所蔵している。水墨画の名品だ。六曲一双の屏風絵で、左右の龍が互いに睨みあっている図柄だ。どちらも背景を黒く塗りつぶすことで、龍の輪郭を浮かび上がらせる工夫をしている。また、波の描き方に、宗達らしい特徴がある。

牛図:宗達の水墨画

| コメント(0)
12.1.sotatu31.4.usi.jpg

京都の日蓮宗寺院頂妙寺は、宗達の墓があることで知られているが(真偽は確かではない)、そこには宗達の牛を描いた双福の掛軸が保存されている。普段は非公開で、特別公開の際も双福がそろって公開されることはない。なお、この頂妙寺は、有名な安土宗論に日蓮宗を代表して僧を派遣したほど、日蓮宗にとって重要な意義を持った寺である。

狗子図:宗達の水墨画

| コメント(0)
11.1.jpeg.jpg

宗達の水墨画の最大の特徴は、「たらしこみ」という技法を生かしていることである。たらしこみというのは、墨を塗ったあと、それが乾かないうちに墨を加えることで、墨のにじみの効果を利用した技法である。この技法を活用することで、水墨画らしい濃淡のコントラストを表現することができる。

源氏物語澪標図:宗達の襖絵

| コメント(0)
10.1.jpg

宗達の襖絵「源氏物語澪標図」は、同「関屋図」とともに一組をなすものだ。宗達はこれらが一対の組を形成していることを、さまざまな面で強調している。山に対する海、静に対する動、水平線の強調に対する垂直線の強調などである。こうしたコントラストの強調を通じて、この一対の絵が、有機的につながりあっていることを主張しているかのようである。

源氏物語関屋図屏風:宗達の襖絵

| コメント(0)
09.1.jpg

宗達の六曲一双の襖絵「源氏物語関屋澪標図屏風」は、「風神雷神図屏風」と並んで、宗達最高傑作との評価が高い。法橋宗達の落款があることから、寛永七年以降の、宗達の後期を代表する作品である。金地の上に、豪華絢爛たる世界を現出せしめている。

松図:宗達の襖絵

| コメント(0)
08.1.sotatu22.1.matu.jpg

養源院の客殿には、宗達の襖絵が二十面あったが、今日はそのうち十二面が残っている。松の間と呼ばれる座敷の、東西両面と南面とに、座敷をぐるりと囲むように配置された松の図柄が、力感をもって迫ってくる。

白象図:宗達の養源院杉戸絵

| コメント(0)
07.1.sotatu21.2.hakuzo.jpg

養源院本堂廊下の東端に、西端の唐獅子図に向き合う形で、「白象図」の杉戸絵がある。「唐獅子図」同様二枚一組で、向かって左側には、牙をむきだして身構え、今にも敵に襲い掛かろうとしている象が、右側には、その象を見下ろしている仲間らしい象の姿が描かれている。

唐獅子図:宗達の養源院杉戸絵

| コメント(0)
06.1.sotatu21.1.sisi.jpg

養源院は、三十三間堂に隣接する浄土真宗の寺院。秀吉の側室淀殿の祈願で、淀君の父浅井長政を供養するために、文禄三年(1594)に創建された。その後元和五年(1619)に焼失したが、同七年(1621)に淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が再興した。その際に、現在の本堂で、当時の客殿にあたる建物の内部に、狩野派と宗達による襖絵等が描かれた。狩野派は、徳川家に縁のある画師であるから、養源院の装飾に加わるのは自然であるが、一介の町絵師にすぎなかった宗達がなぜこのプロジェクトに参加できたか。いろいろな憶測がなされている。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ