旅とグルメ

ドイツ及び地中海への旅行報告

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四方山話の会今月(2017年7月)のテーマは、先日一部の会員が行った海外旅行の報告だ。その海外旅行というのは、七谷子を団長とするドイツ旅行と、石子が個人的に行った地中海クルーズ。この二つの旅行について、それぞれ代表者に報告してもらおうというわけである。

日本へ:独逸四方山紀行

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(拙宅のミニトマト)

ホテルにて荷物を受け取り、タクシーを雇ひてフランクフルト空港に至る。浦子運転手にチップをはずみたるところ、運転手感激せる様子にて日本語もていはく、ウレシー、と。ヨーロッパ諸国にては、頃日カード決済の普及に伴ひ、チップをやりとりする慣習次第に衰へをる由なり。タクシーの運転手と飲食店のギャルソンは、チップもて生活すとまでいはれしが、今日はその慣習の崩壊期にあたれるなれば、彼らの生活も甚大なる脅威に直面せるが如くなり。されど余はその詳細をつぶさに知ることなし。

ライン川下り:独逸四方山紀行

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(ライン川下りの観光船)

六月廿七日(火)陰、時に細雨あり。この日は独逸旅行最終日なり。ライン下りを楽しんで後帰国せんとて、七時過ぎにホテルに荷物を預けて出発す。この荷物はホテル側が直接管理することなし。預託者の自己責任を前提にして、預託者自ら地下の倉庫に保管するなり。その手続をなして後、バーンホフ構内にてアスマンスハウザー行きの切符を買ひ、七時五十三分発のローカル列車に乗り込む。構内売店にて買ひ求めしサンドイッチを食ひつつ窓外の光景を眺むるに、列車は少時にして田園地帯に入りぬ。

フランクフルトへ:独逸四方山紀行

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(中部ドイツの田園地帯)

列車はカッセル十四時三十七分発のチューリッヒ行なり。車窓より田園地帯の様子を見るに、麦畑と喬木の森こもごも相半ばす。喬木には幹の曲がれるもの多し。和辻哲郎の風土論には、ドイツの森林の樹木は、一様に真直ぐ天を向くとあり。その理由は、ドイツの森には強風の吹くことなきが故とありしが、ここ中部ドイツの森には、強風の吹きつけることあるにや、樹木は一様に真直ぐ天を向くことあらざるが如くなり。

カッセル漫歩:独逸四方山紀行

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(カッセルのトラム)

六月廿六日(月)陰、時に雨。七時起床。窓より駅前広場を見下ろすに、早くもトラムの運行始まれるやうなり。この町は、さして広大にはあらざれど、隅々までトラム通じ、住民はいづこに行くにもこれに乗りて行くを得るが如し。さればなるべし、自家用車の数は多からざるやうに見かけたり。

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(カッセル、シュターツ・テアーターの舞台)

この日のナイトライフは歌劇「エレクトラ」の観劇なり。午後五時にホテルを出で、トラムに乗りてケーニッヒスプラッツに至り、会場のシュターツ・テアーターに赴く。カッセルは人口わづか十九万の中小都市なれど、社会基盤充実し、都市交通のほかかかる文化施設まで備へをるなり。

埋葬文化博物館:独逸四方山紀行

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(埋葬文化博物館内部の霊柩馬車)

埋葬文化博物館はグリム・ヴェルトの近隣にあり。ドイツの埋葬文化について紹介・展示す。埋葬は、宗教儀式の一部として人間集団の基本的な文化現象なれば、それを通じて当該民族の深層心理を理解することを得るなり。しかして埋葬には多様の形態あり。ドイツ民族の場合には、キリスト教文化の一員として、土葬を基本にして、一部火葬も行ひをるやうなり。

ドクメンタ:独逸四方山紀行

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(ドクメンタ会場)

六時起床、七時朝食、八時半にホテルを出づ。この日は午前中全員揃ってドクメンタ会場をざっと見歩き、午後及び明日は二手に分かれ、谷子はドクメンタの研究を、残余のものは別途観光をなさんと欲す。ドクメンタとは、五年周期に行はれをる芸術祭にて、当代ドイツの芸術動向を知るには欠かせぬ催しなる由。谷子は二十年前ほど前より、毎回必ず参集しては研究を続け来りし由なり。今回もまたじっくり研究するつもりなれど、余ら他の者にとりては或は退屈ならんと思ひ、別行動を提案せるなりといふ。

ドイツ風温泉につかる:独逸四方山紀行

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(クーアヘッセンテルメ正面)

昼餉をすませばすでに午後四時過なり。些かの疲労感と激論の余韻のために、谷ら三子はこれ以上歩き回る元気を失ひたるが如く、これよりホテルに戻りてしばし休息せんといふことに決す。すなはちトラムに乗りて駅前に至り、ホテルにてチェックインをなし、各々用意されたる個室に収まる。六時に外出せんと約し、それぞれ思ひ思ひに過ごせしところ、余は下着などの汚れ物を洗濯す。また一日の日記を整理す。

カッセルへ:独逸四方山紀行

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(カッセル市街)

六月廿四日(土)午前六時に起床す。窓外細雨煙の如し。昨日の日記を整理し、七時過ぎより朝食。卓上谷子に昨日訪問したる施設Motteの名の由来を問ふ。谷子答へて曰く、モッテとは本来蛾の一種をさして言へり。それが結核の意味に転移し、更に体制を腐食する不届き者をさしていふようになりたり。その所以を言ふに、蛾の幼虫の葉を食ひ散らかすこと、結核菌が肺の細胞を浸潤し、また不届き者が体制を腐食することを想起せしむるが故なりと。谷子また言ふ、かのミハエル氏はアナーキストなりと。

シュターツ・オーパー:独逸四方山紀行

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(ハンブルグ・シュターツ・オーパー)

この日のナイトライフはシュターツ・オーパーにて歌劇の観劇なり。七時にホテルを出で、歩いて駅の反対側に及び、昨夜入りしリストランテのある通りを歩くこと数分にして劇場あり。劇の始まるまでの間、ロビーにてビールを飲む。ドイツ人は、観劇の合間にビールを飲み会話を楽しむもの多し。余らもその風習に倣へるなり。

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(ハンブルグ市役所<ラートハウス>)

食後歩みてバウムヴァルに至り、そこより地下鉄に乗りラートハウス駅に至り、ハンブルグ市役所(ラートハウス)を訪問す。ゴチック風の壮大なる建物なり。この壮大さはハンブルグの富を象徴しをるが如し。ハンブルグは中世以来ハンザ同盟都市として栄え、巨万の富を蓄積す。今日においてもその富を背景にして、国法上ラント(州)と同格のステータスを誇るなり。

ハンブルグ市内:独逸四方山紀行

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(ハンブルグ港)

六月廿三日(金)六時起床。窓外細雨煙の如し。昨日の日記を整理して後七時半、食堂にて朝餉をなす。レセプション脇の小さな食堂にて、ドイツパンと生ハム、ゆで卵とヨーグルトを供さる。入口の扉脇には新聞各紙を置きたれど、いづれもドイツ語紙にて、英字紙はなし。

ハンブルグへ:独逸四方山紀行

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(ハンブルグの投宿先ホテル・ベルモーア)

ハウプトバーンホフよりイーツェーエー(都市間高速鉄道)に乗りハンブルグに行かんとす。列車に乗り込むに、運行せず。しかもアナウンスなし。何事が出来せるや判然とせざるまま座席に座りをるに、暫時小出しにアナウンスあり。谷子が言ふには、どうやら事故のために出発を見合しをるやうなり。事故はハノーファーにて起きたるやうなれど、如何なる事故か説明なし。しかれば乗客らもそのうち運転すべしと思ひてか、そのまま待機せり。

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(イーストサイド・ギャラリーの壁画)

六月廿二日(木)半陰半晴。六時前に起床してシャワーを浴び洗髪をなして後、昨日の日記を整理す。その後リヴィングルームにて、昨日までの朝食の残り物やら、谷子が昨日買い求めし果物を食ふ。しかして室内の清掃を行ひ、八時過アパルトメントを辞す。室料の清算は後日カードを以てなすべしとなん。

ベルリンフィル:独逸四方山紀行

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(ベルリンフィル演奏会場)

谷子に知人との面談の様子を聞くに、時間の余裕あらざれば十分とはいへざれど、そこそこ目的を達せりといふ。面談の趣旨はドイツの社会教育の現状たりし由。さても研究熱心なことなり。彼の学究ここに極まれりといふべきか。

ポツダム:独逸四方山紀行

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(ポツダム、サンスーシー宮殿)

六月廿一日(水)晴。昨日同様浦子の用意せる朝餉を食ふ。この日は日本より持参せしといふ即席味噌汁を添へたり。食事中何者か玄関の呼び鈴を押すものあり。谷子が応接するに、学生らしき女挨拶をなし室内に侵入す。何ごとかと思へば、自分は建築技師にて、この建物の設計図の復元作業をなしをれば、部屋の間取り等につき情報を寄せられよといふ由。谷子の解説によれば、ベルリンには戦後所有者の不明となりし建物にして老朽の進みたるものを調査し今後の利用方針を決定せんとする動きある由。さればこの調査もその一環なるべし、と。

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(ベルリン・コーミッシェ・オーパー劇場正面)

谷子、こたびの旅行を計画するについて、ナイトライフを重視し、夜を楽しむに芸術鑑賞を以てせんとて、歌劇やら管弦楽の催しを多く取り入れたり。今夜はその事始とて、歌劇の観劇をなさんと欲す。場所はウンターデンリンデン近隣のコーミッシェ・オーパーなる劇場、出し物は現代ドイツの作曲家アリベルト・ライマンの作品メデアなり。

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(ベルリンの壁博物館)

イタリア料理を食ひて後、シャルロッテン・シュトラーセを南の方角へやや歩みたるところに壁博物館(マウアー・ムゼーウム)あり。いはゆるベルリンの壁に関する情報やら映像を集めをる処なり。ベルリンの壁設置されて以来撤去されるまで数十年間のドイツ史を世界史のなかに位置づけするなり。館外にはベルリンの壁の遺構あり、博物館と一体となりドイツ現代史に焦点をあてをるなり。

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(ベルリンにて浦子が用意せる朝食)

六月二十日(火)晴れて溽暑甚だし。六時頃起床するに夜すでに白みたり。昨夜は十一時頃まで薄暮の如くなれば、ベルリンの夏の夜の短きを知るべし。七時頃、浦子の手づから作りし朝食をふるまはる。材料は昨夜のうちに近くのスーパーにて買ひおきしものなり。ドイツパンに生ハムと果物の組み合はせなり。牛乳を飲みつつ食せり。食後の後片付けは余と岩子これを担当す。
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