旅とグルメ

四方山話の幹事仲間と八重洲中通りを飲み歩いた。この日は、昨夜来の雪が数年ぶりに積もり、東京は雪に埋もれるありさまだったので、家人からは自重したほうがよいと言われたのだが、山歩き用の靴をはいて、ペンギン歩きをすればなんとかなるさ、と考えて出かけた次第。おかげで大事に至らず飲み歩くことができた。

四方山の幹事仲間で忘年会を催した。実は、この時節に、このメンバーで、大阪旅行するつもりでいたのだったが、なかなか日程のの調整がつかず、忘年会はフグ屋でやろうということになったのだった。みなさんそれぞれ多忙なのはいいことではある。

四方山話の会の幹事団四人が久しぶりに集まって大阪旅行の相談をした。場所は四谷曙橋の中華料理店峨眉山。この店名は、李白の有名な詩「峨眉山月半輪 秋 影入平羌江水流」からとったもので、無論四川料理を食わせる。今日はその四川料理のフルコースを食いながら、大阪旅行を企画したのだった。十二月の前半をめどに、二泊三日で市内の穴場をめぐり歩き、土地のうまいものを食おうということになった。ついては清子など、関西在住の仲間にも声をかけて、一緒に飲もうということにもなった。

四方山話の会の全体会を三か月ぶりで催した。実はその間に一度設定したことがあったのだが、その際は誰からも参加の申し出がなかったので、幹事の石子の判断で中止になった。石子はそのまま会を解散しようとまで言い出したので、他の幹事三人でなだめて、なんとか新たな設定をしたところ、そこそこの参加申し込みがあって、かろうじて会が成り立ったわけであった。ちょうど暑い盛りのことであったが、小生はその暑さの中を会場に赴いた次第。会場はいつものとおり新橋の焼き鳥屋古今亭、参加者は小生のほか、福、島、梶、赤、浦、石の諸子,計七名である。

四方山話の会を5月26日に設定したところ、誰からも参加連絡がないというので、幹事の石子の判断で中止となった。すると、会の中核部隊たる例の四人組でこじんまりとやろうじゃないかと浦子が言い出し、別途設定することになった。場所は四谷荒木町の小料理屋「おろく」。浦子行きつけの店である。その店には小生も一度行ったことがあったが、その後近所に移動したという。ネットで地図を確認したところ、前にあった店から一歩脇道を入ったところだと表示されている。そこで小生は、その場所を目指して行ったのだったが、そこには存在しない。どういうわけかといぶかしく思ったところ、ちょっと先のところに、顔に見覚えのある女将が暖簾をいじっているのが見えた。そこが目当ての店だった。ネットにはいい加減な情報がアップされていたわけだ。

豊饒たる熟女の皆さんと半年ぶりに会ってランチを楽しんだ。船橋駅の構内にある少女像の前で落ち合ったが、今回はM女の姿はなく、T女とY女が来ている。M女とはなぜ連絡が取れないのかね、といったところ、いくら電話で呼んでも出ないのですよ、という。一度は連絡がついたのだが、その後音信不通になったというのだ。まあ、仕方がない、三人でイタリア料理でも食おうか。

清子が東京へ出てくるというので、かつて学生時代にロシア語をともに学んだ連中で同窓会をやろうということになり、急遽新宿に集まった。清子及び小生のほか、石、福の両子が加わった。幹事役は石子がつとめた。そういうわけで、石子の指示に従い、昨日(5月9日)午後五時ちょうどに新宿駅の南口改札に赴いた次第。福子がすでに待っていて、挨拶を交わしたあと、ほかの二人の来るのを待ったが、なかなか来ない。清子は迷子になる傾向があるが、石子にはそうした傾向はみられない。そこでおかしいと思って携帯で呼びだしたところ、すでに南口にいるという。どこの南口かと問いただしたところ、われわれがしょっていた柱の影からひょっこり姿を現した。清子も一緒である。

山子夫妻及び落子と久しぶりに会った。このメンバーで集うのは、松子の一周忌以来のことだから、実に三年半ぶりのことだ。コロナ騒ぎがあったり、山・落両子の体調がさえなかったりで、なかなか会う機会を作れなかった。この年になると、いつでも会えるという保証はないので、こうして会えるのはうれしいことだ。場所は東京駅近くの新丸ビル五階フロアにあるイタリア料理店デリツィオーソ・フィレンツェ。手ごろなランチコースがあるので人気の店だそうだ。そこに昼前に集合し、みなでランチを楽しんだ次第。無論ワインも味わった。

四方山話の会の全体会を久しぶりに開催した。昨年十月以来だから半年ぶりのことである。場所は例によって新橋の鳥料理屋古今亭。集まったメンバーは小生のほか、浦、赤、小、神、石、岩、梶、福の合わせて九名である。

四方山話の会の幹事会を兼ねた例の旅行同人の宴会を久しぶりに催した。場所は赤坂の天ぷら屋初穂。地下鉄の駅の一番出口を出て、一ツ木通りをやや進んだところにある。小雨の降る中を五時半に赴いた。他の三人はすでに席についていて、生ビールを飲んでいる。小生も生ビールを頼んで乾杯に加わった。その席上、さきほど地下鉄の車内で目撃したことを披露した。小生と同年齢と思しき男が、空いた席に座ろうとして脚がもつれ、隣の座席に座っていた母子の上に覆いかぶさったのだが、あわてて立とうとしたところ、更に脚がもつれて床に倒れてしまった。様子が尋常ではない。脳内になにか起ったかと思わせるようなありさまだ。周りにいた若い人が介助をして、次の駅で下ろしたので、老人である小生はとくに手出しをすることはなかった。ただ、自分もそうなったら困るな、と思ったところだった。そう話すと、他の三人もなにやら同情できるものを感じたように見えた。

例の四方山の旅仲間と忘年会を催した。場所は四谷荒木町のふぐ料理屋「しほせ」。石子が時節柄是非ふぐを食いたいというので、浦子がなじみの店に設定したのだった。その店は、車力門通りの奥まったところ、稲荷社の近くにあった。下り坂の途中である。

四方山話の会の全体会をおよそ半年ぶりに催した。会場は例の通り新橋の焼き鳥屋古今亭。集まったメンバーは八名。その中には初めて出席する神子も含まれていた。その神子と小生のほかに、赤、柳、梶、石、浦、岩の諸子が参加した。神子とは学校卒業以来はじめて逢うので、実に半世紀ぶりのことだ。

コロナはまだ収束したとはいえない状態だが、政府が経済活性化のために大胆なウィズコロナ対策を出したこともあり、世上はコロナをわすれたかのような能天気ぶりだ。そんな能天気に便乗するわけでもないが、四方山話の会を久しぶりにやろうということになった。ただ大人数でやるのは、さすがにはばかられるので、とりあえず、幹事の連中でやることにした。会場はいつもの新橋古今亭、集まったメンバーは、石、浦、梶の諸子と小生を合わせた四人。そのほか岩子にも声をかけたが、都合がつかないとのことだった。

豊饒たる熟女たちと、一人も欠けることなく揃って会食したのは、三年半前のことであった。その折は、彼女らの好きなイタリア料理を食いながら談笑したものであったが、その後、M女との連絡が取れなくなって、やむなく残り三人で遠足やら会食を楽しんでいた。このたび、長らく日本を苦しめていたコロナ騒ぎに、収束の見通しがたってきたこともあり、久しぶりに会食しようということになった。そこで小生はM女にも連絡してやろうと思って、彼女の携帯のナンバーを何度も呼んだのだが、呼んではいるのだが返答がない。それはもしかしたら、彼女の携帯に小生のナンバーが登録されていないせいかもしれぬと思い、T女から呼び出しをかけてもらったところが、運よく話が通じた。その結果、我々四人全員そろって会食できることとなった次第であった。

四方山話の会のフルスケールの会合を、半年ぶりに催した。会場は例によって新橋の焼鳥屋、集合時間は午後五時、メンバーは、岩、梶、浦、柳、福、石、島の諸子に小生を加えた八名。もっとも八人揃ったのは七時ごろになったが。

この年初に二年ぶりに催した四方山話の会は、その後コロナの第七波のためにまたもや停滞を余儀なくされたところだが、ここへきて終息の兆しが見えてきたこともあって、とりあえず例のロシアのメンバーで集まろうということになった。そこで小生は、季節柄旬のかつおを食いたいと全体幹事の石子に申し入れたところだったが、宴会幹事の浦子が言うには、いまは連休の最中で知り合いの小料理屋はどこもやっていない。だからいつもの中華屋でやることにした、あしからずと。そこで小生は、別にかつおに強いこだわりがあるわけではない、食いたくなったら女房に食わせてもらうさ、と応えた。

四方山話の会が、最後にフルメンバーで集まったのは2019年7月のことだ。その後、コロナ騒ぎがあったりして久しく絶えていたが、世の中が多少落ち着いてきたのを見計らって、思い切って再会することとなった。例によって石子がフルメンバーに呼びかけ、八人を限度として参加者を募ったところ、九人が集まることになった。二年ぶりの再会の場所は、新橋の焼き鳥屋古今亭である。

ロシア旅行の同人たちと久しぶりに、四谷曙橋の中華料理屋「峨眉山」で会った。前回会ったのは去年の9月のことだから、それから一年以上たっている。コロナ騒ぎで外出できる状況じゃなかったからだ。当然昨年十月に予定していたポルトガル・スペイン旅行も中止を迫られた。その騒ぎが一段落して、例の宣言が解除され、一定の行動の自由が認めらる事態になったことで、世間では一気に人の流れが蜜になった。我々もその蜜に貢献したというわけだ。

豊穣たる熟女の皆さんと1年9か月ぶりに会食した。コロナ騒ぎが落ち着いてきて、例の緊急事態宣言が解除されたので、町には人が繰り出していると、テレビニュースを見るにつけて、日蓮上人の言葉ではないが、互いに「こいしこいし」という思いが積み増して来て、久しぶりに会って食事でもしましょうということになったのだ。けれども、騒ぎは完全に収まったわけではないので、大事をとって、お昼ご飯をご一緒しましょうということになった。

s1.KIMG0024.JPG

荊婦と札幌に遊び、中島公園を訪れた。今から三十年以上も前、まだ幼かった子どもたちを連れて北海道一周旅行をしたことがあった。その折に中島公園を散策したことを思い出し、その旅行には同行しなかった荊婦に、我々が訪れた時の様子を、現場を見せながら話してやりたいと思って赴いた次第だった。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

  • √6意味知ってると舌安泰: 続きを読む
  • 操作(フラクタル)自然数 : ≪…円環的時間 直線 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…アプリオリな総合 続きを読む
  • [セフィーロート」マンダラ: ≪…金剛界曼荼羅図… 続きを読む
  • 「セフィーロート」マンダラ: ≪…直線的な時間…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…近親婚…≫の話は 続きを読む
  • 存在量化創発摂動方程式: ≪…五蘊とは、色・受 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…性のみならず情を 続きを読む
  • レンマ学(メタ数学): ≪…カッバーラー…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…数字の基本である 続きを読む

アーカイブ