旅とグルメ

浅草橋でフグを食う

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四方山話の会の今年の例会は先日の歌声喫茶が千秋楽だったはずなのだが、どういうわけかおまけがついて、浅草橋のたのやというフグ料理屋でフグのフルコースを食うことになった。例によって広い交際を誇る浦子の差配だ。

再び歌声喫茶に集う

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小子から青春の歌を歌おうと誘われて新宿の歌声喫茶に繰り出したのは今年初春のことだったが、今度は四方山話の会の例会行事としてみんなで押しかけようという話になって、寒風の吹きすさぶ中を赴いた。ビルの一階のエレベータ前についてみると、甲谷子と浦子が先について待っていた。甲谷子とは昨年の春以来の再会だから、お互い久しぶりだねといって挨拶する。そのうち岩子も加わった。今回の出席者はこの四人に石子を加えた五人のはずだが、その石子がなかなか姿を見せない。浦子が携帯で電話すると「今出られません」といいうメッセージが返ってくる。岩子がかけてもやはり同じメッセージが帰ってくる。予定時刻を十分も過ぎたことだし、石子も追ってやってくるだろうから、上に上がっていようと話しているところに、福子がひょいと現れた。そこで福子を加えた五人で店に上った次第だ。

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三日目(十一月十日)は諫早湾の干拓事業の象徴である水門を見物した後、長崎の街を散策しようということになった。ホテルのラウンジで朝食をすませ、九時頃ロビーに集合する。ところが横ちゃんあひるがなかなか現れない。今ちゃんあひるが言うには、横ちゃんあひるのトイレはいつも長いのだそうだ。トイレといえば、小生は旅行中便秘がちになるのだが、今朝は三日ぶりに出たのでほっとしている。だけど一日分しか出なかったようなので、まだ二日分残っている感じがする、と言ったところ、誰かが、自分は未だに出ていませんと、うらやましそうに言った。

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ハウステンボスへは午後四時過ぎに着いた。駐車場の入り口がわかりにくくて難儀したが、なんとか探し当てて車を止め、エントランスをくぐった。その先には水車が見え、いかにもオランダらしい光景が広がっていた。といっても小生はオランダに行ったことがない。写真や映画で見た記憶に照らし合わせているだけなのだが、なんとも懐かしい景色に見える。そのうち機会があれば本物のオランダを訪ねてみよう、と思った次第だった。

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由布院に遊んだついでに、吉野ケ里遺跡で日本の歴史を学ぼうというので、九時ころ旅館を辞して吉野ケ里方面に向かった。実はこう決まったのは昨夜のことだ。当初計画では、二日目にハウステンボスに遊び、三日目には諫早湾の干拓現場を見て、長崎空港から羽田へ戻るということ以外何も決まっていないのだった。飛行機と旅館の手配はシズちゃんあひるがやってくれたが、行動計画の詳細は横ちゃんあひるが担当したのだった。その横ちゃんあひるとしては、当初から綿密な計画を用意するというよりは、その場の雰囲気で柔軟に対応するのがよいという判断があったらしく、今日の行動計画は昨夜の旅館での歓談の中から生まれたのだった。

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かつてあひるの仲間と由布院に一泊旅行をしたことがあった。たしか十九年前のことだ。いつもの通りシズちゃんあひるが企画したのだったが、そのシズちゃんあひるが脚を骨折して急遽行けなくなり、残りのあひる(たしか十羽だったと思う)がガイド役なしに出かけたのだった。そのせいか、この旅行は惨憺たる記憶をあひるたちに残したのだった。由布院温泉に来たつもりが、泊まった施設は郊外の丘の上にあるリゾートマンションで、あひるたちは2DKの部屋にそれぞれ二羽ずつあてがわれ、食事は一階のエントランスホールで仕出し弁当を振る舞われた。それはまあ我慢できたが、ひどいのは入浴施設がないことだった。それであひるたちは、外湯に浸かりに行ったのだったが、その湯というのがマンションから一丁ほど離れた畑の中にあって、五右衛門風呂に毛の生えたような小さな湯船に粗末な脱衣場が付属しただけの、どう見ても温泉とは言えない代物だった。今ちゃんあひるなどは、立派な門構えの民家を入浴施設と勘違いして、家の中にすたこらと入りこんで居住者を驚かした始末だった。

雄弁に煽られる

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四方山話の会の今月(10月)の例会には栗子が参加すると言う。その栗子が自分史のレジュメを事前にメールで送ってきた。写真入りで履歴書のような体裁である。本人はこれを「日経風私の履歴書」と呼んでいる。ともあれそれを印刷したものを持って会場に駆けつけた。というのもこの日は台風の余波ですさまじい風が吹き荒れ、電車が遅れがちだったのだ。

白河の関に立つ

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今回の旅行については、高湯温泉の硫黄の湯につかることとともに、白河の関に立ちたいという思いが強かった。それで松子に特にお願いして、白河の関に寄ってもらった。白河の関については、ここで饒舌を振るうこともないと思う。能因法師、西行法師そして芭蕉という具合に名前を連ね、それらがみな白河の関と縁があるといえば、それがどのような縁なのか、日本人なら知らぬものがないと言ってよいのではないか。

高湯温泉につかる

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山子夫妻及び落、松の両子と福島の高湯温泉に遊んだ。隣の土湯や会津の温泉には、このメンバーで行ったことがあるが、高湯は結構名高いにかかわらず、まだ一度もいったことがないので、今年はここで硫黄の湯につかろうと思った次第だ。ここはまた、徳川時代の初めころから、湯治場として栄えたところでもあるので、先日行った小川温泉とは、古い湯治場としてまた違った風情を楽しめるかなと思ったのだった。

民主主義と正義を語る

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先日予告しておいたように、四方山話の会九月の例会では、小生が「民主主義と正義」をテーマにして話をすることになった。ところが事前に石子からメールが届いて、今回の参加者は非常に少なくなる見込みだと言う。テーマが重すぎて、敬遠するものが多いのだろうと石子はいうのだが、たしかに古稀になんなんとして、こむつかしい話を聞かされるのは、しんどいかもしれない。

ドイツ及び地中海への旅行報告

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四方山話の会今月(2017年7月)のテーマは、先日一部の会員が行った海外旅行の報告だ。その海外旅行というのは、七谷子を団長とするドイツ旅行と、石子が個人的に行った地中海クルーズ。この二つの旅行について、それぞれ代表者に報告してもらおうというわけである。

日本へ:独逸四方山紀行

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(拙宅のミニトマト)

ホテルにて荷物を受け取り、タクシーを雇ひてフランクフルト空港に至る。浦子運転手にチップをはずみたるところ、運転手感激せる様子にて日本語もていはく、ウレシー、と。ヨーロッパ諸国にては、頃日カード決済の普及に伴ひ、チップをやりとりする慣習次第に衰へをる由なり。タクシーの運転手と飲食店のギャルソンは、チップもて生活すとまでいはれしが、今日はその慣習の崩壊期にあたれるなれば、彼らの生活も甚大なる脅威に直面せるが如くなり。されど余はその詳細をつぶさに知ることなし。

ライン川下り:独逸四方山紀行

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(ライン川下りの観光船)

六月廿七日(火)陰、時に細雨あり。この日は独逸旅行最終日なり。ライン下りを楽しんで後帰国せんとて、七時過ぎにホテルに荷物を預けて出発す。この荷物はホテル側が直接管理することなし。預託者の自己責任を前提にして、預託者自ら地下の倉庫に保管するなり。その手続をなして後、バーンホフ構内にてアスマンスハウザー行きの切符を買ひ、七時五十三分発のローカル列車に乗り込む。構内売店にて買ひ求めしサンドイッチを食ひつつ窓外の光景を眺むるに、列車は少時にして田園地帯に入りぬ。

フランクフルトへ:独逸四方山紀行

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(中部ドイツの田園地帯)

列車はカッセル十四時三十七分発のチューリッヒ行なり。車窓より田園地帯の様子を見るに、麦畑と喬木の森こもごも相半ばす。喬木には幹の曲がれるもの多し。和辻哲郎の風土論には、ドイツの森林の樹木は、一様に真直ぐ天を向くとあり。その理由は、ドイツの森には強風の吹くことなきが故とありしが、ここ中部ドイツの森には、強風の吹きつけることあるにや、樹木は一様に真直ぐ天を向くことあらざるが如くなり。

カッセル漫歩:独逸四方山紀行

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(カッセルのトラム)

六月廿六日(月)陰、時に雨。七時起床。窓より駅前広場を見下ろすに、早くもトラムの運行始まれるやうなり。この町は、さして広大にはあらざれど、隅々までトラム通じ、住民はいづこに行くにもこれに乗りて行くを得るが如し。さればなるべし、自家用車の数は多からざるやうに見かけたり。

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(カッセル、シュターツ・テアーターの舞台)

この日のナイトライフは歌劇「エレクトラ」の観劇なり。午後五時にホテルを出で、トラムに乗りてケーニッヒスプラッツに至り、会場のシュターツ・テアーターに赴く。カッセルは人口わづか十九万の中小都市なれど、社会基盤充実し、都市交通のほかかかる文化施設まで備へをるなり。

埋葬文化博物館:独逸四方山紀行

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(埋葬文化博物館内部の霊柩馬車)

埋葬文化博物館はグリム・ヴェルトの近隣にあり。ドイツの埋葬文化について紹介・展示す。埋葬は、宗教儀式の一部として人間集団の基本的な文化現象なれば、それを通じて当該民族の深層心理を理解することを得るなり。しかして埋葬には多様の形態あり。ドイツ民族の場合には、キリスト教文化の一員として、土葬を基本にして、一部火葬も行ひをるやうなり。

ドクメンタ:独逸四方山紀行

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(ドクメンタ会場)

六時起床、七時朝食、八時半にホテルを出づ。この日は午前中全員揃ってドクメンタ会場をざっと見歩き、午後及び明日は二手に分かれ、谷子はドクメンタの研究を、残余のものは別途観光をなさんと欲す。ドクメンタとは、五年周期に行はれをる芸術祭にて、当代ドイツの芸術動向を知るには欠かせぬ催しなる由。谷子は二十年前ほど前より、毎回必ず参集しては研究を続け来りし由なり。今回もまたじっくり研究するつもりなれど、余ら他の者にとりては或は退屈ならんと思ひ、別行動を提案せるなりといふ。

ドイツ風温泉につかる:独逸四方山紀行

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(クーアヘッセンテルメ正面)

昼餉をすませばすでに午後四時過なり。些かの疲労感と激論の余韻のために、谷ら三子はこれ以上歩き回る元気を失ひたるが如く、これよりホテルに戻りてしばし休息せんといふことに決す。すなはちトラムに乗りて駅前に至り、ホテルにてチェックインをなし、各々用意されたる個室に収まる。六時に外出せんと約し、それぞれ思ひ思ひに過ごせしところ、余は下着などの汚れ物を洗濯す。また一日の日記を整理す。

カッセルへ:独逸四方山紀行

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(カッセル市街)

六月廿四日(土)午前六時に起床す。窓外細雨煙の如し。昨日の日記を整理し、七時過ぎより朝食。卓上谷子に昨日訪問したる施設Motteの名の由来を問ふ。谷子答へて曰く、モッテとは本来蛾の一種をさして言へり。それが結核の意味に転移し、更に体制を腐食する不届き者をさしていふようになりたり。その所以を言ふに、蛾の幼虫の葉を食ひ散らかすこと、結核菌が肺の細胞を浸潤し、また不届き者が体制を腐食することを想起せしむるが故なりと。谷子また言ふ、かのミハエル氏はアナーキストなりと。

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