日本文化考

十二巻正法眼蔵第二は「受戒」の巻。受戒とは戒を受持すること。それによってはじめて仏教の修行者たる資格が得られる。単に出家するだけではなく、受戒を経てはじめて比丘となる。出家しただけでは沙弥にとどまり比丘にはなれない。

十二巻正法眼蔵の第一は「出家功徳」の巻。正法眼蔵第七十五つまり本体部分の最期の巻が「出家」と題したものであった。十二巻本の最初に置かれたこの「出家功徳」の巻は、「出家」において説いたものを、さらに膨らませて展開したものである。一部反復もある。量的にはだいぶ長いが、内容的には比較的単純である。経典や故人が出家功徳について説いた部分を取り上げ、それについて道元なりの解説を加えるという体裁になっている。

正法眼蔵第七十五は「出家」の巻。正法眼蔵の本体部分の最後を飾るもので、奥書には寛元四年九月十五日示衆とある(時に道元四十六歳)。この年の六月十五日に、大仏寺を改めて永平寺としており、この示衆は永平寺における最初の示衆である。増谷文雄によれば、期日が判明している範囲で最後の示衆だという。

正法眼蔵第七十四は「王索仙陀婆」の巻。王索仙陀婆とは、「大般涅槃経」巻九「如来性品」において説かれている比喩のこと。王が仙陀婆を求めると、臣下が王の意をくんで求めに応じる品を差し出した。それは塩であったり、器であったり、水であったり、馬であったりしたが、その際の王の求めによく応えたものであった。そのことから仙陀婆とは、相手の求めに相応しいもののことをさす。それを王が求めたので「王索仙陀婆」というのである。

正法眼蔵第七十三は「他心通」の巻。他心通とは、五神通とか六神通とか呼ばれる人間の特殊な能力の一つで、他人の心を読み取る能力をいう。その能力を道元は正面から罵倒し、そんなものでさとりの境地は得られないと説く。他心通の能力があろうがなかろうが、さとりの境地はすべての人が平等に求めるべきものだというのである。

正法眼蔵第七十二は「安居」の巻。安居とは、仏教教団において、修行僧たちが一定期間一か所で集団生活をし、修行に専念すること。原始仏教の頃から行われていたといい、大乗の各宗派でも行われたが、禅宗ではとくに重視された。安居を通じて仏教修行者としての自覚を高め、また教団としての団結も強めた。夏に行われるものを夏安居というが、冬に行われるものもある。それは冬安居と言われる。道元が「正法眼蔵」の中で取り上げているのは夏安居である。

正法眼蔵第七十一は「鉢盂」の巻。鉢盂とは、僧が用いる食器のこと。俗に衣鉢を継ぐというが、衣鉢とは僧が着る衣装と僧が用いる食器をいう。先輩僧の生き方に学ぶというような意味だ。そのことから連想されるように、この巻の主題は、仏祖の教えを受け継ぐことを、衣鉢を継ぐことにたとえている。衣装を受け継ぐことを、教えを受け継ぐことの象徴として捉えることは、「伝衣」の巻でなされていた。この巻はだから「伝衣」の巻のバリエーションといってもよい。

正法眼蔵第七十は「虚空」の巻。ここで虚空という言葉の意味が問題になる。通常の意味では無限定な空間ということになろうが、道元はここでは、諸法皆空というような意味で使っているようである。そこがよくわかっていないと、この巻は何を説いているのか、得心がいかなくなる。ところで諸法皆空は般若教のメーンテーマであり、とりわけ般若心経はこれを繰り返し説いている。この巻のなかでも、般若心経は「心経」という言葉で言及される。そんなこともあり、この巻は般若心経を念頭においていると考えられる。

正法眼蔵第六十九は「自証三昧」の巻。自証とは、自らの力により悟りを開くという意味。それに三昧を加えて、その境地に没入するということ。こういうと、悟りは自分だけの力で達成すべきであって、外的な事柄、たとえば善智識とかお経とかは問題にならないというふうに聞こえるが、そうではない。善智識やお経もまた悟りの実現には不可欠だということをこの巻は説く。その趣旨を冒頭で次のように述べる。「諸佛七佛より、佛佛祖祖の正傳するところ、すなはち自證三昧なり。いはゆる或從知識、或從經卷なり」。

正法眼蔵第六十八は「大修行」の巻。この巻は有名な公案「百丈野狐」についての、道元なりの解釈を示したもの。この公案は、南宋の臨済宗の僧無門慧開が編んだ公案集「無門関」の第二則として収められている。道元は「無門関」を日本に持ち帰ったと思われる。仏教の基本思想の一つである因果が、この公案のテーマなのだが、それについて道元は非常に批判的な見方をしている。文言の一々についてこまかく批評を加え、その批評が、考案に対して否定的なニュアンスを感じさせるのである。

正法眼蔵第六十七は「転法輪」の巻。転法輪とは、真理を説くという意味の仏教用語であり、釈迦が悟りを得たのち初めて行った説法を初転法輪といったりする。しかし、この巻の趣旨は転法輪そのもののことではなく、禅者の間で尊重されてきた首楞嚴経についてである。この経は、古来偽経ではないかとの疑問が呈せられてきた。その疑問について、道元はありうることだとしながらも、現実に禅の仏祖たちがそれを受け入れてきたのであるから、むげに否定するのではなく、尊重するべきだと説く。とはいえ、偽経の疑いはまぬがれないのであるから、無条件に信ずるべきでもないと、いささか中途半端な態度を道元はとっているように見える。

shunkan.jpeg

十八世中村勘三郎十三回忌追善歌舞伎「俊寛」の様子をNHKが放送した。勘九郎、七之助兄弟が、父親がかつて三島村で公演した歌舞伎を再現したもの。父親の勘三郎はこの演目を二回もやったそうだ。三島村というのは、薩摩半島と屋久島の中間にある三つの島からなる。そのうち硫黄島を、平家物語のいう鬼界が島に見立て、そこの砂浜で演じた。テレビの画面には大勢の見物客が映っていたが、この多くは内地から船でやってきた人びとだろう。

正法眼蔵第六十六は「三昧王三昧」の巻。三昧とは、仏教用語で、精神を集中すること、あるいは精神の集中した状態をいう。そういう状態に至ってはじめて悟りを得る準備ができる。三昧は悟りの境地そのものではないが、悟りに飛躍するための不可欠の条件である。巻の名称「三昧王三昧」とは、三昧の中の王である三昧、究極的な三昧ということであろう。その究極的な三昧は、只管打坐によって得られると説く。

正法眼蔵第六十五は「如来全身」の巻。経巻こそが如来全身であって、それさえあれば仏のための供養はできる。なにもわざわざ仏舎利を集めて塔を建てるには及ばない。経巻こそが仏舎利よりも功徳がある。その経巻を塔に収めて護持すればよいと説く。仏舎利という因習的な権威に頼らず、経巻を護持することが肝要だと説いているように見える。その経巻がなにを指しているのかについては、具体的な言及はない。

正法眼蔵第六十四は「優雲華」の巻。優雲華とは、仏教の教えでは、三千年に一度咲くという非常に珍しい花のこと。その珍しい花に、仏の教えの珍しさをたとえた。だが、道元は別の考えかたをする。仏の教えは決して珍しいものではなく、つねに仏祖から仏祖へと伝えられていると説くのである。

正法眼蔵第六十三は「発菩提心」の巻。「発菩提心」と題する巻はもう一つある。追加十二巻のうちの第四巻だ。岩波文庫の旧版では、本体第六十三は「発無上心」と題していた。それが「発菩提心」と変えられたのは、本文の趣旨を踏まえたからだろう。本文を読むと、「発無上心」とか「無上心」といった言葉は一切出てこず。もっぱら「発菩提心」という言葉が頻出するのである。

正法眼蔵第六十二は「祖師西来意」の巻。祖師西来意とは、禅宗の祖達磨が西天インドから東土中国にやってきたのはどんな目的でか、という意味。禅宗の公案でたびたび出てくる言葉である。禅の根本精神をたずねるものとされる。その祖師西来意がこの巻の主題のはずだが、肝心の祖師西来意の内容には触れず、香嚴寺襲燈大師(通称香嚴)の放った言葉の意味についての解釈となっている。

正法眼蔵第六十一「龍吟の巻」は、四人の禅僧をそれぞれ師とする禅問答をテーマにしたもの。その四人とは、投子山慈済大師、香巌寺襲燈大師、石霜、曹山である。このうち曹山は洞山と共に曹洞宗の祖師とされている。その曹山を含めて四人の禅僧にかかわる禅問答の題目として、「枯木裏龍吟、髑髏裏師子吼」という言葉が出てくる。その言葉の意味をめぐって問答がなされるところから、言葉の一部をとって「龍吟」とするのである。

正法眼蔵第六十は「三十七品菩提分法」の巻。「三十七品菩提分法」とはさとりに至る三十七の道という意味。三十七品は、仏教用語としては、三十七道品と呼ばれるのが普通。これは仏教の根本思想である四諦のうち、道諦についての詳細な教えであり、悟りを得るための修行の階梯を意味する。修行の階梯といえば、大乗仏教では、華厳経の中で十地品という形で説かれているが、三十七道品は、原始仏教における修行の階梯とされる。道元が、十地品ではなく、三十七道品について説くこの巻は、示衆の対象が、これから修行に入る出家者だということと関係する。出家者に向かって修行の心得を説くにあたって、原始仏教における釈迦の言葉をストレートに伝え、かれらに出家と修行への覚悟を促したものと考えられる。

正法眼蔵第五十九は「家常」の巻。家常とは家庭における日常のことをいう。現代の言葉でいう日常茶飯事というものに近いニュアンスの言葉である。その日常茶飯事を通じて、仏教の修行が行われるということを、道元はこの巻で言っている。仏教の修行は、なにも特別な行いではなく、日常茶飯事を通じて行われるべきだというのである。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

  • √6意味知ってると舌安泰: 続きを読む
  • 操作(フラクタル)自然数 : ≪…円環的時間 直線 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…アプリオリな総合 続きを読む
  • [セフィーロート」マンダラ: ≪…金剛界曼荼羅図… 続きを読む
  • 「セフィーロート」マンダラ: ≪…直線的な時間…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…近親婚…≫の話は 続きを読む
  • 存在量化創発摂動方程式: ≪…五蘊とは、色・受 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…性のみならず情を 続きを読む
  • レンマ学(メタ数学): ≪…カッバーラー…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…数字の基本である 続きを読む

アーカイブ