日本史覚書

昨夜(4月24日)、NHKのスペシャル番組「映像の世紀」が、「大東亜共栄圏の夢と現実」と題して、アジア太平洋戦争における日本の対外進出の実像に迫っていた。その中で、日本人が東南アジア諸国の人々からどのように見られていたかについて、簡単な言及をしていた。その一例として、インドネシア人のことわざを紹介し、かれらが日本に一定の期待をしていたということを匂わせている。そのことわざとは、「黄色い人が白い人を追い出してくれる」というものだが、それを、自分らと同じ肌の色の日本人が、肌の色の違うオランダ人を追い出してれるという意味にかさねて、インドネシア人が日本人を好意的に見ていたことの実例のように紹介していたものだ。

2022年の総選挙の際に、奈良県で自陣営の候補者の応援演説をしていた安倍晋三元首相が、一民間人によって殺害される事件が起きた。この事件は個人的な怨恨による犯罪だとすぐにわかったが、その動機が世間の耳目を集めた。1970年台を中心に、いわゆる霊感商法を通じて多額の金を不当に集めたとされる統一教会がからんでいたからである。犯人の母親は統一教会の信者となって、多額の金を寄付するなどして家庭が崩壊した。そのことについて怨恨を抱いていた犯人は、安倍晋三元首相がこの団体と深いかかわりがあると思い込み、団体に対する怨恨を安倍個人に向けなおして殺害したというのである。

小生がこの一文を書いているのは2022年の7月だ。ちょうど参院選があったばかりで、自民党が圧勝、改憲勢力が三分の二の多数を占める一方、政権批判勢力は大きく後退した。投票日直前に安倍晋三元総理大臣が元自衛隊員によって殺害されるハプニングもあった。安倍といえば、日本の右傾化を先導してきた人物であり、日本における右翼の定義として、安倍の個人的な言動が基準にされるほど、日本右翼の象徴的な存在である。その安倍の死は、右翼への打撃になるどころか、むしろ右翼の国民運動化へ向けてのモメンタムを強めるのではないかと思われるほどである。日本の右翼は安倍の殺害をテロリズムと位置づけ、右翼を批判するものもテロリストの一派と見なしている。しかもそんな安倍を国葬しようとする動きも、政権中枢の周辺で強まっている。安倍を国葬にすることで、安倍の体現する右翼思想を、日本の国是にしようとでもいうかのようである。

安倍晋三政権の登場以来、右翼が俄かに勢いづき、政治的・社会的影響力を高めた。その有力な担い手として前稿では「日本会議」をあげたが、もう一つ無視できないものがある。ネット右翼通称ネトウヨと呼ばれる連中だ。安倍政権の登場は、ちょうどインターネットの爆発的な普及時期と重なっており、ネットを根城にした右翼の動きが活発化してきたのである。かれらは、ネット空間で極右的な主張を繰り返す一方、互いに語らって路上に進出し、過激な行動をとるようになった。在特会と称される団体はもっとも過激な行動で知られている。

安倍晋三政権による日本政治の右傾化の背後に「日本会議」といわれる団体があることは、近年広く知られるところとなった。日本会議は、さまざまな運動を通じて外側から安倍政権を支えるばかりでなく、政権の中枢にも食い込んで、安倍晋三の極右的な政策を主導していると考えられている。そんな日本会議も、いきなり表舞台に登場してきたわけではない。地味な活動を長く続けてきた結果、極右団体として政治のかじ取りに深くかかわるようになったのである。

戦後右翼の主流が反共親米であったことは前述したとおりだが、その姿勢に反発して、新たな右翼の姿を求める動きが1960年代半ば以降に出てきた。今日新右翼と呼ばれる勢力の登場である。新右翼の源流としては、1966年に早大を拠点にして結成された日本学生同名(日学同)、および1969年に、やはり早大を中心にして結成された全国学生自治会連絡協議会(全国学協)である。どちらも学生運動から生まれたという共通点がある。

戦後右翼が順調に復活できたのは、逆コースといわれる政治の流れの変化があったためだ。それはアメリカの反共政策に伴なうものであった。アメリカは、日本の行き過ぎた民主化が、共産勢力の伸張をもたらすことを恐れ、右翼の復権を図る一方、共産党や労働組合など反米的な分子をレッド・パージと称して弾圧した。

敗戦後、日本に進駐したGHQは、日本の戦争指導者やその協力者を対象に一連の措置をとった。まず東条英機や近衛文麿を最高戦争指導者として戦犯指定し、逮捕した。ついで、戦争遂行体制に多大な役割を果たした右翼も責任を追及され、次々と逮捕状が出された。右翼の大物について言えば、鹿子木員信、児玉誉志夫、笹川良一、大川周明、徳富猪一郎ら、その数60人ほどに及んだ。児玉は、終戦の直後に成立した東久邇内閣の内閣参与として迎えられたほどの政治力をもっていたが、GHQの眼には、許しがたい軍国主義者として映ったのである。

日本の敗戦をめぐっては、軍の一部にこれを認めず、徹底抗戦を叫んでクーデタを計画するものがいた一方、右翼のなかにもこれを否認して抗議する動きがあった。しかしどちらも大した成果もなく失敗している。このうち右翼の抗議行動として知られているのは、愛宕山事件、松江騒擾事件、代々木練兵場事件である。

1940年10月に、総力戦を効果的に遂行するための国民組織として大政翼賛会が結成される。これは当初は自主的な団体という性格をまとっていたが、実体は、国家権力による国民生活全体の統制を目的としたものだった。その目的を達成するため、政党などの政治結社はもとより、経済団体、労働団体、宗教・文化団体、地域共同体など、国民生活にかかわるあらゆる団体・組織が大政翼賛会に統合されていった。右翼団体も例外ではない。右翼団体の中には、石原莞爾の影響を受けた東亜連盟のように、組織としての自主性にこだわったものもあったが、多くは自主的に解散して、政府の意向にしたがった。

大川周明といえば、5.15事件を中心とする軍部内の一連のクーデター計画に深くかかわっていたことで知られる。大川はまた、板垣征四郎などを通じて満州事変にも関わっていた。それら軍部内の動きは、日本の国家社会主義化とアジア侵略をめざしたものだった。その二つの目標を大川も共有していた。国家社会主義については、北一輝の存在があまりにも大きいため、大川はとかく北の影に隠れ、その分アジア侵略をめざす大アジア主義者としての側面が強調されるきらいがある。

北一輝と大川周明は、昭和の右翼運動に思想的な基盤を与えた人物である。二人の年齢は三歳しか違わず、したがってほぼ同年代であり、また、有力な右翼団体「猶存社」の共同メンバーでもある。猶存社は、国内問題においては国家社会主義的な傾向が強く、対外的には大アジア主義を掲げて侵略的な傾向を強くもっていた。北も大川も、その二つの傾向を併せもっていたのであるが、あえて言えば、北は国家社会主義のイデオローグ、大川は大アジア主義のイデオローグと言えるのではないか。

日本の右翼運動は、昭和に入ると俄然先鋭化する。玄洋社や黒龍会といった伝統的な右翼に代わって、新たな行動右翼が台頭し、公然とテロを行うようになる。井上日召が中心となった血盟団事件はその代表的なものだ。昭和の右翼は血盟団のような民間の運動にとどまらず、軍部の中にも深く根をはっていった。5・15事件は、日本軍国主義の台頭をもたらした事件だが、それには民間の右翼と軍部内の右翼勢力との密接な連携があった。その5.15事件と、それに前後した血盟団事件や満州事変は、まったくバラバラに行われたように見えるが、真相においては強く結びついていたのである。

日本近代史における大正期の位置づけにはさまざまな見方がある。司馬遼太郎のように、日本近代史を明治と昭和で代表させ、明るい明治と暗い昭和といった対立軸を前面に押し出して、大正期をほとんど無視する見方がある一方、いわゆる大正デモクラシーや文化的な多様化の動きをもとに、新たな可能性をはらんだ時代だったと積極的に評価する見方もある。

明治維新からアジア・太平洋戦争の敗戦にいたる時期の日本の右翼は、国内的には皇道主義、対外的には侵略主義を特徴としていた。その日本の侵略主義をもっとも強く体現していたのは、玄洋社の頭山満である。頭山には大した思想性はないが、あえて言えば、西郷隆盛の影響を強く受けていることである。西郷の思想は、簡単に言うと道義主義と対外膨張主義ということになるが、頭山はそのどちらをも受け継いだ。道義主義は皇道主義という形をとり、対外膨張主義はアジア主義という形をとった。

玄洋社は日本の右翼の最初の本格的組織といわれるが、当初は自由民権派の一つだったのであり、また、単なる一地方の党派として、全国的な知名度はゼロに近かった。その玄洋社が一躍全国に名を知られるもととなったのは、明治二十二年(1889)の大隈重信暗殺未遂事件であった。大熊は、明治十九年(1886)頃から本格化する不平等条約改正問題に深くかかわり、大隈私案と呼ばれる条約改正案をまとめるにいたっていた。この改正案を「ロンドン・タイムズ」が明かにすると、その屈辱的な内容に怒りの声が巻き起こった。そうした怒りの声を玄洋社が受けた形で大隈暗殺事件を引き起こしたのである。

日本で政治的な運動団体としての右翼が現れるのは明治以降のことである。徳川時代には、右翼というフランス由来の言葉は無論ないし、その右翼の特徴であるところの反動的なナショナリズムといった観念も育っていなかった。一応、明治維新の遂行者たちに影響を与えた国学とか神道の思想には、今日右翼の特徴とされる考え方が見られなかったわけではなかったが、右翼は左翼あっての右翼であることを思えば、左翼の存在しない徳川時代に右翼が育つわけもなかったのである。

日本の右翼

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日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

嵯峨隆の著作「頭山満」(ちくま新書)は、近代日本の右翼運動を中心的に担った政治結社「玄洋社」の指導者頭山満の伝記である。頭山の個人的な経歴を逐年的に追うといった体裁で、頭山の思想の特徴とか、政治結社としての玄洋社の果たした役割などには大した言及がない。だから読者はこの本を読んでも、日本の右翼運動の歴史的な意義とか、それに玄洋社が果たした役割について、明確なイメージを結べるわけではない。頭山という個人が、義侠心にかられた熱血漢だったというような、たいして意味のない評価を聞かされるだけである。

高橋正衛の著作「二・二六事件」は、1965年に初版が出てから数十版を重ね、今日まで読み継がれてきたというから、ニ・二六事件の研究書としては古典的なものであろう。研究書としては多少かわった構成になっている。事件の詳細をドキュメンタリー風に追いかける部分と、事件の背景や歴史的な意義について解明する理論的な部分とに分かれており、重心はドキュメンタリー部分におかれている。それは高橋が出版編集者の出身であり、また若年の頃にこの事件を身近に感じたということにも理由があるようである。

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