漢詩と中国文化

西門鬧は、犬に転生して15年生きたことになっている。かれが犬として死んだのは1998年10月のことだから、犬として生まれたのは1983年のことだ。その年は改革開放時代が幕を開けた頃にあたり、以後中国は欧米化への道を突き進んでいったので、犬としての西門鬧はまるまる改革開放時代を生きたということになる。

西門鬧が三度目の転生をして豚となるのは1972年のことである。その豚としての彼が死ぬのは1981年のことだから、転生豚としての西門鬧の生涯は1970年代をほぼカバーしているわけだ。その七十年代は、他の時代と比較して次のように言われる。「五十年代はまあ純潔で、六十年代は狂気のいたり、七十年代はびくびくもので、八十年代は顔色窺い、九十年代ともなれば邪悪の限り」。七十年代がびくびくものなのは、毛沢東の死を挟んで、中国がどの方向に進んでいくのかはっきりしなかったことを反映しているのではないか。

西門鬧が牛に転生してこの世に登場するのは、1964年10月1日のことだ。この日、牛の市場が開かれ、そこに牛を見に行った藍瞼が、西門鬧の生まれかわりである仔牛を見て、一目で気に入ってしまい、自分の家に連れ帰ったのであった。おそらく生まれて間もない時のことだったと思う。西門鬧がロバとして死んだのは1960年のことだから、四年ぶりに転生したわけだった。

西門鬧が最初に転生したのはロバだった。かれは豊かで働き者の地主であったが、おそらく国共内戦の混乱の中で、殺されてしまったのである。死後閻魔大王の前に突き出されたかれは、熱した油で揚げられるなどの拷問を受けて、罪を白状しろと迫られる。それに対して彼は、自分は無実だから人間に戻してほしいと主張する。そんな西門鬧に閻魔大王は、もう一度この世で生きるチャンスをくれたのだった。だが、期待に反して、ロバとして転生させられたのである。

莫言のノーベル賞授賞理由に、「幻覚的(Hallucinatory)リアリズムが民話・歴史・現代と融合している」とあった。その意味が小生にはよくわからなかった。幻覚はある種の現実かもしれないが、普通の感覚では、幻覚と現実とは正反対のものだろう。それが何故結びつくのか、そこがまずわからなかった。またその幻覚的リアリズムが民話・歴史・現代と融合すると言うのもしっくりしない言葉だった。一つだけピンときたのは、こうした言葉によって莫言の作風を紹介しようというのは、莫言の小説世界が世間の常識をはみ出しているからだということだった。

小説「白檀の刑」は、孫眉娘の独白から始まる。彼女には三つの綽名がある。大足仙女、半端美人、犬肉小町である。大足というのは、彼女はあまり育ちがよくなく、当時の中国人女性にとっては両家の子女のあかしであった纏足を施されることがなかったために、足が天然のまま育ってしまったからだ。纏足で委縮したサイズが標準だった当時の中国女性としては、天然の足はみっともない大足に見えたのである。

莫言の小説「白檀の刑」は、タイトルにあるとおり、処刑がテーマである。この小説は、義人孫丙が白檀の刑という、中国の処刑の中でもっとも残忍といわれる方法で殺される場面がクライマックスとなっているのだが、そのほかにも処刑のシーンは出て来る。いずれも残忍なものである。それらについての描写を読むと、中国人というのは、処刑についてきわめて洗練された文化を持っていると思わされる。

小説「白檀の刑」へのあとがきの中で莫言は、「自分がこの小説で書きたかったのはじつは音だったのだ」と書いている。この小説を構想し、執筆した最初の動機も音だったし、そもそも物書きになって以来自分の意識に付きまとい続けてきたのも音だったというのだ。その音とは、とりあえず二つの音。一つは、自分の故郷である山東省の高密県付近を走っている膠済鉄道の汽車の音、もう一つは、これも故郷に伝わってきたという地方劇猫腔の音楽の音だ。

莫言がノーベル文学賞を受けた時、受賞理由として「幻覚的なリアリズムによって民話、歴史、現代を融合させた」と説明された。後段の部分はある程度理解できる。民話というのは莫言が親しんだ中国の地方に伝わる民話なのだろう。歴史が中国史を指すのは間違いないようだ。その歴史を現代と融合させているとは、中国というのは常に過去と切り離しえないということであろう。つまり、莫言という作家は、中国という国と切り離しえない、極めて民族色豊かな作家ということになる。その辺は、村上春樹を始め、民族性を超越したコスモポリタン風の文学を追求する現代の人気文学とは大いに異なる。

1970年代末から始まるいわゆる改革開放の時代は、中国社会に巨大な変化をもたらした。その最大のものは、人びとの価値観と生き方が劇的に変わったことだ。毛沢東時代の平等主義にひびがはいり、格差が容認されるようになった。才能のあるものが豊かになるのは当然だという気風が社会を動かすようになった。それにともない、一部の要領の良い人間が金銭的な成功をおさめる一方、要領の悪い人間は貧困にうちに取り残されるようになった。そうした中国社会の変化を、「豊乳肥臀」はシニカルに描き出している。それゆえ同時代に対する批判的な視点を感じさせるのである。

上官家には、男子の金童のほかに八人の娘たちが生まれた。こんなに沢山の娘が生まれたわけは、母親の上官魯氏が男の子を望んだからだ。男の子さえ生まれれば老後の安泰を期待できると考えたのだ。しかしやっと生まれてきた男の子である金童は母親の期待にそうことができなかった。それどころか、母親の負担になるばかりだった。そんなドラ息子でも、母親は心を込めて愛し続けたのである。それを読むと、中国人の母親が息子に注ぐ愛情の異様さを感じさせられる。

小説「豊乳肥臀」の表向きの主人公は、語り手たる上官金童ではあるが、実質的な主人公はかれの母上官魯氏といてよい。というよりか、母親が体現している中国的なもの、中国の台地の悠揚迫らぬ寛容さにあるといってよい。母親が生きた中国現代史は、清朝の支配から抗日戦争、国共内戦を経て改革開放にいたる変転極まりない時代だったが、その変転につながっているすべての要素と、母親は密接にかかわりながら生きた。その生きざまは、おそらく平均的な中国庶民の生き方を濃縮しているのではないか。この母親の場合には、娘たちがそれぞれ漢奸勢力、国民党、共産党と結びつき、党派抗争の直接の当事者となった特異性はあるが、普通の庶民でも、なんらかの形でそうした党派抗争の当事者となる運命にあったわけで、その点では、彼女は特殊な例ではない。ただ、他の人に比べれば、典型性に増していたにすぎない。中国人としてのその典型的な生き方を、語り手の母親たる上官魯氏は見せてくれるのである。彼女の生きざまを見ることで我々外国の読者でも、中国の台地の息吹に触れるような思いになるであろう。

小説「豊乳肥臀」は、語り手たる上官金童の誕生から、彼の母親の死に至るまでの、中国現代の歴史を微視的な視点から描いたものだ。金童が生まれたのは、小説の冒頭部分では1935年のことだとアナウンスされるが、その後なし崩し的に訂正されて1939年の卯年生まれだとされる。一方母親が死ぬのは93歳の時だとアナウンスされる。母親は1900年に生れたということになっているから、1993年に死んだわけだ。その母親の若い頃、つまり金童が生まれる前のことも小説は語っているから、この小説全体がカバーしているのは、辛亥革命以前の1900年から改革開放後の1993年までの、中国現代史のほぼ全時代である。その時代の中国をこの小説は、上官金童という語り手の微視的な視点から語っているのである。

莫言が「赤いコーリャン」の連作を書いた時は、テーマが抗日戦でもあり、また主人公たちをはじめ登場人物たる中国庶民が肯定的に描かれていたために、中国では大変好意的に受けとめられた。また、現代中国映画の旗手といわれる張芸謀が映画化したことで、日頃文学にはあまり縁のない一般大衆にもその名が広まった。作家としての順調な滑り出しだったわけだ。ところが、数年後の1996年に「豊乳肥臀」を書くや、一転して厳しい反応があった。批評家たちから手厳しい批判を受けた上に、本の出版停止処分を食らってしまったのだ。その落差はどこから来ているのか。

莫言を読む

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莫言がノーベル賞を受賞した2012年前後には、ほとんどの日本人は村上春樹の授賞を期待していた。莫言は隣国中国の作家であるが、日本ではほとんど無名の存在で、したがってその作品も知られていなかった。莫言の小説を原作とする映画「赤いコーリャン」が世界的評判をとったことは、一部の映画ファンのなかで話題となったが、なにしろこの映画は、中国人の抗日闘争をテーマとしたものであり、日本兵の残虐さが大袈裟に描かれていたので、日本では悪質な反日映画と受け取られ、上映はされたものの、評判はよくなかった。そんな莫言が、ほかでもない村上春樹をさしおいて、同じアジア人作家としてノーベル賞を受賞したというので、日本じゅうがあっけにとられたものである。

莫言の小説「酒国」にはさまざまなテーマが込められているが、中心となるのは酒と人肉食である。莫言の猥雑で豊穣な世界のなかで、人肉食が正面から取りあげられているのは、この小説の中だけだ。このショッキングなテーマを莫言はなぜ、持ち込んだのか。人肉食といえば、日本では大岡昇平の「野火」が思い浮かぶ。大岡の描く人肉食は、飢餓に迫られての極限的な行為であり、したがって極めて倫理的な意味合いを付与されている。それに対して莫言の描く人肉食は、そうした倫理的な意味合いを持たされていない。かえって祝祭的な雰囲気に包まれている。

莫言には自己引用癖があって、小説の中でたびたび自分の作品や自分自身を引用或は言及する。これは、大江健三郎を模倣したのか、あるいは彼自身のこだわりなのか。大江の場合には、自己引用癖が現われるのは晩年の作品のなかであり、それも後発の作品が以前の作品を引用するような形をとった。そこから、一連の作品が相互に響きあうような独特の効果を生み出し、複数の作品が一つの世界を共有しあうような体裁を呈した。大江は、最初は大した意図があってそうしたのではないようだが、やがて意図的にそうしたスタイルを追求したようだ。そのことを通じて、大江が影響を受けたらしいバルザックの人間喜劇の世界を再現しようとしたのかもしれない。

莫元の創作年表を見ると、1996年発表の「酒国」は、かれの一連の本格的長編小説の走りとなるものだということがわかる。その三年後には「豊乳肥臀」を書いており、以下堰を切ったように多くの長編小説を書いた。それらが、幻覚的リアリズムという評価を得て、ノーベル文学賞を受賞したことはよく知られている。

莫言の作風は、マジック・リアリズムとかグロテスク・リアリズムとか評される。マジックというのは、時空を超えた自在な語り口をさしていうのであろう。また、グロテスクというのは、暴力をさりげなく描写することを意味するようだ。莫言は暴力を、小説を彩るもっとも大きな要素として使っている。その描写の仕方は、あまりにもストレートなので、妙にサバサバとしている。あまり陰惨な感じはしない。そこがかえって読者をグロテスクなものを見たという感じにさせるのであろう。大江健三郎や村上春樹の暴力表現とは、かなり異なっている。大江や村上の暴力表現は迫真性を伴なっているので、読者は自分自身が追体験しているように感じるが、莫言の暴力描写にはそうした迫真性はない。だから読者は、遠くから眺めているような気持ちで読めるのである。グロテスクなものを見るような気持ちで。

「赤い高粱」は、ノーベル賞作家莫言にとって出世作となったものだ。張芸謀が映画化し、それがベルリンの金熊賞をとったので、そちらのほうがまず有名になった。もっともこの映画は、日本では反日映画と受け止められて、評判はよくなかった。実際映画のみならず原作の中でも、日本軍の横暴さが描かれている。小説のテーマは、日本軍と戦う庶民の生きざまを描くことにある。

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