漢詩と中国文化

自詠老身示諸家屬:白楽天を読む

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白楽天の五言古詩「自ら老身を詠じ諸家屬に示す」(壺齋散人注)

  壽及七十五  壽は七十五に及び
  俸沾五十千  俸は五十千に沾ふ
  夫妻偕老日  夫妻 偕老の日
  甥侄聚居年  甥侄 聚居の年
  粥美嚐新米  粥は美にして新米を嚐め
  袍溫換故綿  袍は溫かにして故綿を換ふ
  家居雖濩落  家居 濩落と雖も
  眷屬幸團圓  眷屬 幸ひに團圓たり
  置榻素屏下  榻を置く 素屏の下
  移鑪青帳前  鑪を移す 青帳の前
  書聽孫子讀  書は孫子の讀むを聽き
  湯看侍兒煎  湯は侍兒の煎るを看る
  走筆還詩債  筆を走らせて詩債を還し
  抽衣當藥錢  衣を抽いて藥錢に當つ
  支分閑事了  閑事を支分し了り
  爬背向陽眠  背を爬きて陽に向って眠る

憶江南詞三首:白楽天を読む

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白楽天の詞「江南を憶ふ」(壺齋散人注)

其一

  江南好          江南好し
  風景舊曾暗      風景 舊(も)と曾て暗(そら)んず
  日出江花紅勝火  日出でて 江花 紅火に勝り
  春來江水緑如藍  春來って 江水 緑藍の如し
  能不憶江南      能(よ)く江南を憶はざらんや

香山寺二絶其一:白楽天を読む

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白楽天の七言絶句「香山寺二絶」其一(壺齋散人注)

  空門寂静老夫間   空門 寂静にして 老夫間なり
  伴鳥随雲往復還   鳥に伴ひ 雲に随って 往き復(ま)た還る
  家醞満瓶書満架   家醞は瓶に満ち  書は架に満つ
  半移生計入香山   半ば生計を移して香山に入る

耳順吟:白居易を読む

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宝暦二年(826、55歳)の秋、白居易は病を理由にして蘇州刺史の地位を辞し、洛陽の自宅に戻った、その翌年(太和元年)、秘書監を授けられたが、これは閑職といってよかった。その後、刑部侍郎の職を経て、太和二年には太子賓客として再び洛陽に隠棲。以後名目上の職につくことはあっても、実質的には隠居状態が続く。このように、白居易は五十台半ばにして、官僚としてのコースから外れてしまったのである。それも自らの意思で。

正月三日間行:白楽天を読む

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白楽天の七言律詩「正月三日間行」(壺齋散人注)

  黄鸝巷口鶯初語   黄鸝巷口  鶯初めて語り
  烏鵲河頭氷欲銷   烏鵲河頭  氷銷(き)えんと欲す
  緑浪東西南北水   緑浪 東西南北の水
  紅欄三百九十橋   紅欄 三百九十橋
  鴛鴦蕩漾双双翅   鴛鴦 蕩漾す 双双の翅
  楊柳交加万万条   楊柳  交加す 万万の条
  借問春風来早晩   借問す 春風の来たること早晩
  只従前日到今朝   只だ前日より今朝に到る

宿湖中:白楽天を読む 

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白楽天の七言絶句「湖中に宿す」(壺齋散人注)

  水天向晩碧沈沈   水天 晩に向ひて碧沈沈
  樹影霞光重畳深   樹影 霞光重畳として深し
  浸月冷波千頃練   月を浸す冷波は千頃の練
  苞霜新橘万株金   霜を苞む新橘は万株の金
  幸無案牘何妨酔   幸に案牘無し 何ぞ酔ふを妨げん
  縦有笙歌不廃吟   縦(たとい)笙歌有るも 吟ずるを廃せず
  十隻画船何処宿   十隻の画船 何れの処にか宿する
  洞庭山脚太湖心   洞庭の山脚 太湖の心

呉中好風景二首其一:白楽天を読む

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白楽天は、二年間の杭州生活の後、半年の洛陽勤務をはさんで、宝暦元年(825、54歳)の春に蘇州刺史に転じた。蘇州は江南の大都市であり、白楽天はめずらしく多忙を極めたらしい。元真への手紙のなかで「清旦に方に案を堆くす、黄昏に始めて公より退く」と書いているほどである。

春題湖上:白楽天を読む

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白楽天の七言律詩「春湖上に題す」(壺齋散人注)

  湖上春來似畫圖  湖上に春來りて畫圖に似たり
  亂峯圍繞水平舖  亂峯圍繞して水平らかに舖(し)く
  松排山面千重翠  松は山面に排して千重の翠
  月點波心一顆珠  月は波心に點じて一顆の珠
  碧毯線頭抽早稻  碧毯の線頭 早稻を抽き
  青羅裙帶展新蒲  青羅の裙帶 新蒲を展ぶ
  未能抛得杭州去  未だ杭州を抛ち得て去る能はず
  一半勾留是此湖  一半の勾留 是れ此の湖

杭州春望:白居易

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江州司馬に左遷された白楽天は、忠州刺史を経て元和十五年(820)中央に召還されたが、その翌々年の長慶二年(822、51歳)には再び地方に出される。今度は杭州刺史としてである。白楽天自ら地方転出を望み出たとも言われるが、実質は左遷であったらしい。あいかわらず、自分の立場をわきまえず、政府批判をしたことが原因だったらしい。

春江:白楽天を読む

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白楽天の七言律詩「春江」(壺齋散人注)

  炎涼昏曉苦推遷  炎涼 昏曉 苦(はなは)だ推遷し
  不覺忠州已二年  覺えず 忠州 已に二年
  閉閣只聽朝暮鼓  閣を閉じて只だ聽く 朝暮の鼓
  上樓空望往來船  樓に上って空しく望む 往來の船
  鶯聲誘引來花下  鶯聲に誘引せられて花下に來り
  草色句留坐水邊  草色に句留せられて水邊に坐す
  唯有春江看未厭  唯だ春江の看れども未だ厭かざる有り
  縈砂繞石淥潺湲  砂を縈(めぐ)り石を繞って淥潺湲たり

重題:白楽天を読む

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白楽天の七言律詩「重ねて題す」(壺齋散人注)

  日高睡足猶慵起  日高く睡り足りて猶起くるに慵し、
  小閣重衾不怕寒  小閣衾を重ねて寒を怕れず。
  遺愛寺鐘欹枕聽  遺愛寺の鐘は枕を欹て聽き、
  香爐峰雪撥簾看  香爐峰の雪は簾を撥げて看る。
  匡廬便是逃名地  匡廬は便ち是れ名を逃るるの地、
  司馬仍為送老官  司馬は仍ほ老を送るの官為たり。
  心泰身寧是歸處  心泰く身寧きは是れ歸する處、
  故鄉何獨在長安  故鄉何ぞ獨り長安に在るのみならんや

江州に来た翌々年(元和十二年)の春、白楽天は魯山の香鑪峯の麓に草堂を建てた。陶淵明の生き方を思うにつれ、官を捨て去るには到らないが、せめて静寂に包まれて思索に耽りたいと願ったからだった。草堂が完成するや、白楽天は「香鑪峯下新卜山居草堂初成偶題東壁」五首を作った。これはその第一首である。

琵琶行その四:白楽天の歌詞

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白楽天の歌詞「琵琶行」その四(壺齋散人注)

  我聞琵琶已歎息  我琵琶を聞いて已に歎息し
  又聞此語重喞喞  又此の語を聞いて重ねて喞喞たり
  同是天涯淪落人  同じく是れ天涯淪落の人
  相逢何必曾相識  相ひ逢ふ 何ぞ必らずしも曾て相ひ識らんや
  我從去年辭帝京  我 去年 帝京を辭してより
  謫居臥病潯陽城  謫居して臥病す 潯陽城
  潯陽地僻無音樂  潯陽 地僻にして音樂無し
  終歳不聞絲竹聲  終歳 絲竹の聲を聞かず
  住近湓江地低濕  住まひは湓江に近くして 地は低濕
  黄蘆苦竹遶宅生  黄蘆苦竹 宅を遶って生ず
  其閒旦暮聞何物  其の閒 旦暮 何物をか聞く
  杜鵑啼血猿哀鳴  杜鵑啼血し 猿哀鳴す

琵琶行その三:白楽天の歌詞

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白楽天の歌詞「琵琶行」その三(壺齋散人注)

  沈吟收撥插絃中  沈吟 撥を收めて絃中に插み
  整頓衣裳起斂容  衣裳を整頓し 起ちて容を斂(おさ)む
  自言本是京城女  自ら言ふ 本是れ京城の女
  家在蝦蟇陵下住  家は蝦蟇陵下に在りて住む
  十三學得琵琶成  十三にして琵琶を學び得て成り
  名屬敎坊第一部  名は敎坊の第一部に屬す
  曲罷曾敎善才伏  曲罷っては曾て善才をして伏せしめ
  粧成毎被秋娘妬  粧成る毎に秋娘に妬まる
  五陵年少爭纏頭  五陵の年少爭って纏頭し
  一曲紅綃不知數  一曲の紅綃 數を知らず
  鈿頭銀箆撃節碎  鈿頭銀箆 節を撃って碎け
  血色羅裙翻酒汚  血色の羅裙 酒を翻して汚る

琵琶行その二:白楽天の歌詞

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白楽天の歌詞「琵琶行」その二(壺齋散人注)

  轉軸撥絃三兩聲  軸を轉じ絃を撥ひて三兩聲
  未成曲調先有情  未だ曲調を成さざるに先づ情有り
  絃絃掩抑聲聲思  絃絃掩抑して 聲聲思ひあり
  似訴平生不得志  平生志を得ざるを訴ふるに似たり
  低眉信手續續彈  眉を低れ手に信(まか)せて 續續として彈じ
  説盡心中無限事  説き盡す 心中無限の事
  輕攏慢撚抹復挑  輕く攏(おさ)へ慢く撚り 抹(な)でて復た挑ね
  初爲霓裳後六幺  初め霓裳を爲し 後には六幺
  大絃嘈嘈如急雨  大絃は嘈嘈として急雨の如く
  小絃切切如私語  小絃は切切として私語の如し
  嘈嘈切切錯雜彈  嘈嘈切切 錯雜として彈き
  大珠小珠落玉盤  大珠小珠 玉盤に落つ

琵琶行并序:白居易の歌詞

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江州に左遷された翌年の元和十一年(816、46歳)、白楽天は琵琶行と題する歌詞を作った。友人を送る途中、たまたま琵琶を弾く夫人と遭遇し、その夫人の身の上話を聞くうちに、自分の境遇の悲しさが改めて身にしみ、この歌を作ったと序文にあるとおり、琵琶を弾く夫人にかこつけて自らの流謫の身の上を歌ったものと解される。そのへんのいきさつは、序文に詳しい。

訪陶公舊宅:白楽天を読む

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白楽天が左遷された地九江は、陶淵明の故地として知られるところである。日ごろから陶淵明に心酔していた白楽天は、陶淵明縁の場所を訪ね、その遺風を慕う詩を詠んだ。すなわち、「陶公の舊宅を訪ふ」と題する五言古詩とその序文である。

初貶官過望秦嶺:白居易の七言絶句

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元和十年(815、45歳)、白居易は江州司馬に左遷された。理由は、越権行為であった。宰相の武元衡が不審な殺され方をしたのに対して、当時太子左賛善大夫という官職にあった白居易は、真相究明を求める上疏をしたのであったが、諌官でもないのにそういう行為に及んだのは越権行為だとして罪に問われたのであった。(もっとも表向きの罪状は別件であったらしい)

不致仕:白楽天 秦中吟十首から

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秦中吟十首は、新楽府五十首とともに白楽天の風諭詩を代表するものである。同じく風諭詩でも、新楽府のほうが音楽の伴奏にあわせて歌うべきとされているのに対して、秦中吟はすべて五言古詩である。そのため、新楽府に比較していささか堅苦しさを感じさせる。作られたのは、新楽府より後、元和五(810)年ころとされている。この年の五月に白楽天は、京兆府戸曹参軍となっているから、そこへ赴任する以前に書かれた可能性が高い。ここでは、その第五首「不致仕」を紹介したい。

鹽商婦:白居易を読む

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白楽天の「新楽府」から「其三十八 鹽商婦」壺齋散人注

  鹽商婦 多金帛   鹽商の婦 金帛多し
  不事田農與蠶績  田農と蠶績とを事とせず
  南北東西不失家  南北東西 家を失はず
  風水爲鄉船作宅  風水を鄉と爲し 船を宅と作す
  本是揚州小家女  本は是れ揚州小家の女
  嫁得西江大商客  嫁し得たり西江の大商客
  綠鬟溜去金釵多  綠鬟溜り去って金釵多く
  皓腕肥來銀釧窄  皓腕肥へ來って銀釧窄(せま)し
  前呼蒼頭後叱婢  前に蒼頭を呼び 後に婢を叱る
  問爾因何得如此  爾に問ふ 何に因て此くの如きを得たる
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