学海先生の明治維新その四十七

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 十一月の上旬、小生は公務出張で小笠原に行った。東京・小笠原間の航海は一隻の船で行っている。往復にそれぞれ二十四時間以上かかり、現地での荷の積み替えや船の手入れなどを含め、出発してから戻って来るまで六日間ほどを要する。これを一航海と称する。小生らの小笠原への出張旅行は、一航海六日間を要した。

悲しき口笛:美空ひばりの映画

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美空ひばりといえば、昭和の歌姫と呼ばれ、日本人にこよなく愛された。とりわけ小生の母親の世代には圧倒的な人気があった。小生の母親(昭和四年生まれ)もひばりの大ファンで、どんな用事があってもひばりの歌声に耳を傾けることを優先したものだった。外出先でも、ラヂオでひばりの歌が流される番組を必ずチェックしていて、その時間が近づくと、息子である小生に向かって言ったものだ。さあ、ひばりちゃんの歌が始まるから帰らなくちゃね。

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幡随院長兵衛は、徳川時代初期の江戸で町奴として名を高めた人物だ。後の時代の侠客の原型となったといわれる。旗本奴水野十郎左衛門との対立は、講談や芝居に取り入れられて、長い間人気を博してきた。

アルルのはね橋:炎の画家ゴッホ

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ゴッホは1888年の3月にアルルにやってくると、さっそく町はずれの田園地帯に出かけてスケッチをした。中でも気に入ったのはラングロア橋というはね橋で、ゴッホはこの橋を、デッサンも含めると十点も描いている。その中で最も有名なのがこの作品だ。

丸山真男の日本ナショナリズム論

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丸山真男は「超国家主義の論理と心理」(1946年)において、日本のナショナリズムの究極的な形態としての超国家主義を論じていたが、それから五年後に発表した小論「日本におけるナショナリズム」では、日本のナショナリズムをもう少し広い視点から取り上げている。その視点とは、一方ではヨーロッパのナショナリズムとの比較であり、もう一方ではアジア諸国のナショナリズムとの比較という視点である。

学海先生の明治維新その四十六

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 明治二年十月二十一日に会津藩士小林平格が学海先生を訪ねてきた。この男はこれまでも幾度か学海先生を訪ねたことがあった。最初に訪ねて来たのは同年一月二十六日だった。真龍院隠居慈雲院を名乗って面会を求めて来たのであったが、会って話を聞いてみると会津藩士で、同藩士林三郎の友人ということだった。林三郎は留守居仲間として親しくしていた男なので、学海先生はその友人というこの男に心を許した。用件を聞くと、佐倉藩にあずかり置かれている会津藩士と連絡を取りたいということだった。佐倉藩では新政府軍に降伏した会津藩士数名を預かっていたのである。

オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)

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「オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)」は、1980年代から90年代にかけてロンドンやニューヨークの舞台でロングランになったほか、何度も映画化された。内容は怪物が美女に思い焦がれるといったもので、いわば「美女と野獣」のバリエーションといってもよい。欧米ではこの手の話が非常に受けるらしく、ほかにも様々なバリエーションがある。あの「キング・コング」なども野獣が美女に惚れるという点では、同じような趣向といってよいだろう。

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上の写真は目下SNSなどを通じて日本中津々浦々まで出回っているので、それをここで引用したからといって、著作権侵害などとわめきたてないで欲しい。この写真は、今回の西日本大水害がおしせまる中で、安倍政権党の人々が赤坂自民亭と銘打ったところで催した宴会の一こまだ。写したのは安倍晋三総理の腹心政治家。いかにも楽しそうな面々の表情だが、これを見た日本中の良識ある人々が、国民が大水害で苦しんでいる最中に、酒を飲みながら騒いでいたとはけしからぬと批判を寄せて、これをSNSにアップした件の政治のサイトは炎上したそうだ。

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「東錦浮世稿談」は、幕末期に人気のあった講談に取材したもので、五十図からなる。慶応三年から四年にかけて、錦盛堂以下五つの版元から出版された。すべてではないが、多くの図柄に血みどろの光景が描かれている。

「他人の足」は、「死者の奢り」とほぼ同時に書かれた。「死者の奢り」とその前の「奇妙な仕事」がいずれも死をテーマにしていたのに対して、この小説は死を正面から取り上げてはいない。かといって死をスルーしているわけでもない。いわば側面から取り上げている。死はこの小説においては、メインテーマではなく基調低音のような役割を果たしているのである。

黄色い家:アルルのゴッホ

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1888年の2月にゴッホは南仏の町アルルにやってきて、ラマルティーヌ広場の一角にある黄色い家に住んだ。アルルは産業の町として結構にぎわっていたが、ラマルティーヌ広場は町の外れ近くにあって、そこからは麦畑まで歩いていけた。ゴッホは早速麦畑に出かけて行っては、強烈な太陽の光を浴びながら南国の明るい風景をスケッチした。

スター誕生(A Star Is Born)

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「スター誕生(A Star Is Born)」は、落ち目のスターと新しくスターになっていく男女の恋をテーマにしたものだ。これはハリウッド好みのテーマらしく、同じ原作で三度も映画化されている。そのほか、先年オスカーを受賞したフランス映画「アーチスト」も同じようなテーマだった。ハリウッドがいかに気に入っているかわかろうというものだ。

海上の道:柳田国男の日本人起源論

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柳田国男の主著「海上の道」はいくつかの論考からなっている。その冒頭を飾る小論「海上の道」は、全体への導入部の位置づけだ。ここで柳田は、自分の問題意識の起源について語っている。その問題意識とは、日本人はどこからやって来たのかということであった。柳田はこれについて、日本人は遙か南の海から「海上の道」を通ってやって来たと仮定する。そしてどのような理由でそう仮定したか。その理由を説明する。その理由がすなわち、問題意識の起源となるわけだ。

学海先生の明治維新その四十五

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 版籍奉還問題は明治二年六月十七日に薩長土肥以下の諸藩主が上表したことでけりがついた。これに伴いすべての藩について版籍奉還が行われた。当然佐倉藩も藩籍奉還を進んで行った。しかし藩がすぐになくなったわけではない。藩主は知藩事に任命され、従来行っていた藩内の統治を当面は引き続き行うべきこととされた。

ラ・マンチャの男(Man of La Mancha)

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「ドン・キホーテ」は世界文学史に屹立する偉大な小説にして、また奇想天外人をして抱腹せしめる衝撃であふれている。小説がこのように型破りであるばかりか、その作者ミゲル・デ・セルバンテスも古今東西人類が排出したなかでも最も型破りな男であった。したがって、小説そのものにせよ、その作者のセルバンテスにせよ、人間の想像力を刺激してやまない。ミュージカルの題材としてももってこいである。

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「英名二十八衆句」には、正徳年間の仇討ち事件をとりあげた作品がある。これは遠城治左衛門と安藤喜八郎の兄弟が、末弟宗左衛門の仇を討とうとして返り討ちにあったというもので、「崇善寺の仇討ち」と呼ばれて、浄瑠璃や歌舞伎の題材になっていた。この仇討ちのうち、兄を芳年が、弟を香機が担当し手描いた。兄弟の名をそれぞれ入れ替えているのは、本名を表に出さない工夫である。

炎の画家ゴッホ

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日本ではゴッホを「炎の画家」という呼び方が定着している。その画風や色彩が炎のような激しさを感じさせるからだろう。しかし色彩という点ではゴーギャンのほうが激しい。ゴーギャンは暖色系の原色を駆使して絢爛たる色彩世界を現出した。これにシンプルな構図が相まって、ヨーロッパの絵画史上例を見ないような世界を作り上げた。ゴーギャン以降の画家でゴーギャンの影響を受けなかったものはいないと言ってよいほど、その後の西洋絵画に深刻に働きかけた。

裸の日本人:佐藤忠男の日本人論

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佐藤忠男は映画評論家である。その佐藤が「裸の日本人」と題して、彼なりの日本人論を展開して見せたのがこの本である。裸の日本人というから、偽らぬ本当の姿の日本人を描いたということなのだろう。映画評論家の行う日本人論だから、映画を材料にしながら日本人を分析したものかといえば、必ずしもそうではない。映画や芝居にふれた部分もあるが、ほとんどは佐藤自身の経験を通じて浮かび上がった日本人の姿がここには描かれている。いわば佐藤の目から見た裸の日本人の姿がここには描かれていると言ってよい。

学海先生の明治維新その四十四

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 学海先生の細君の弟藤井喜太郎はかねて仏国留学の抱負を抱き、その準備として一昨年の慶應三年春より横浜で勉学修行をしていた。本来ならそろそろその抱負を実現すべき時期なのだが、維新の混乱で佐倉藩には喜太郎を留学させる余裕がなくなり、喜太郎も自力では資金を調達できず、延び延びになっていた。そんな折々喜太郎は横浜から義兄を訪ねてきて、色々と興味深い話を聞かせてくれた。
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1971年のアメリカのミュージカル映画「屋根の上のバイオリン弾き(Fiddler on the Roof)」は、日本でも大ヒットしたほか、もとになった舞台劇のほうも、何度も俳優を代えながらロングランとなった。ミュージカルとして日本人のハートを長く捉え続けたわけは、家族愛を中心としたセンチメンタルな情感を醸し出していることにあるのだろう。

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