當麻寺:奈良・大和路を歩く

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(当麻寺本堂、金堂)

當麻寺は近鉄駅を出て十数分ほどのところにあり。あたかも正午なれば門前のうどん屋に入り、ビールとうどんと柿の葉寿司を注文せり。柿の葉寿司とは、さばの押し寿司を柿の葉に包みたるものなり。過日奈良駅にて買い求めし柿の葉寿司には、さばのほかにもいろいろとありしが、昔ながらの柿の葉寿司はさばを主体にするものといふ。柿の葉寿司といへば吉野がそもそもの発祥にて、吉野といへば鮎が思ひ浮かぶなれど、なぜか鮎にはあらずして、海の幸なるさばを用ゐる由なり。

陸奥への旅(五)平泉:西行を読む

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西行の最初の陸奥への旅のハイライトはやはり平泉だったろう。平泉を根拠地としていた藤原氏は、西行とは同族だったから、丁寧に接待されたとも考えられるが、西行が具体的にどのような接待を受けたかはわからない。ただ、山家集から推し量ると、西行は冬の初めから翌年の春先まで平泉にいたようである。これだけ長く滞在していたというのは、藤原氏から大事にされたことを物語っているのではないか。当時の西行はまだ無名だったから、藤原氏が西行を大事にする理由は、同族であるという以外にない。

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「汚れた顔の天使(Angels with dirty faces)」は、ギャング映画のスター、ジェームズ・キャグニーをフィーチャーした作品だ。「民衆の敵」と並んで、キャグニーの代表作とされる。キャグニーといえば、ハード・ボイルド・タッチのアクションが売り物だが、この映画の中のキャグニーは、人情を重んじるヒューマンなギャングとして描かれている。ヒューマンなギャングとは形容矛盾に聞こえるが、それを矛盾と感じさせないのが、キャグニーの持ち味だ。

長谷寺:奈良・大和路を歩く

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(長谷寺登廊)

三月十五日(水)陰。ホテル二階食堂にて朝餉をなし、村上春樹の小説「騎士団長殺し」の下巻を幾ページか読み進みし後、九時近くにホテルを出でてJR奈良駅より電車に乗り、長谷寺駅に至る。そこより石段の道を下り、小さな橋を渡り、参道沿ひの様子を眺めつつ長谷寺に向かふ。長谷寺は太古より観音信仰の拠点として多くの参拝者を集めしなれば、参道沿ひには今も多くの旅館やら土産屋が並びをるなり。上田秋成の小説「蛇性の淫」にも長谷寺参道の土産屋登場せり。秋成の小説には、この参道は人の往来繁き所として描かれてあり。その一角なる土産屋に、蛇の化身少女を伴ひて現はるるなり。その土産屋、もしいまもあらば奈辺ならんと思ひつつ歩みたり。

雪舟の山水長巻(三)

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山水図巻の秋の部分は、西湖を上から俯瞰した景色に始まり、湖の沿岸から奥の山の中へと視線を導いてゆく、流れるような手法で描かれている。しかもそれを単に横へ連続させるだけではなく、季節の移り変わりがそれとなく感じられるようになっている。雪舟の構図に対する綿密な意図が現われているところである。

平城宮跡、西大寺:奈良・大和路を歩く

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(当麻寺参道)

庭前の沈丁花に春の気配を感じ、そぞろに旅情を搔き立てられしかば、奈良・大和路を歩まんとて、背嚢に身の周りのものと薬袋をつめ、杖をひいて家を出でぬ。時に平成廿九年初春のことなりき。

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この当時のタヒチのゴーギャンとしてはめずらしく、Pastorales Tahitiennes とフランス語で題名をつけたこの絵を、ゴーギャンは大変に気に入り、1892年の12月にモンフレーに宛てて書いた手紙の中で、「これまで最高の出来栄え」と誇った。

板垣退助と大隈重信は、日本の政党史の冒頭を飾る二大巨頭である。板垣は自由党の創始者として、後の政友会につながる政党の伝統を作ることに貢献し、大隈は改進党の創始者として、これは後の憲政党の流れにつながった。この二つの党は、いずれも日本のブルジョワ層の利害を代表していたといえるが、どういうわけか仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていた。だから板垣と大隈が手を結んで所謂隈板内閣を作ったことは、歴史の皮肉の一つに数えられる。しかしもともと天敵同士だったものが何時までも一緒にもつわけもなく、この隈板内閣はわずか数ヶ月の短命で終わったのだった。

鈴生と少年時代を回顧する

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鈴生とまた例の寿司屋で飲んだ。彼最近腰痛が悪化して居ても立ってもいられぬ日が続いたが、今日はなんとか歩くことが出来るようになったそうだ(痛め止めの効果もあるらしい)。そのついでにご母堂を近所の老人施設にショートステイさせたそうだ。なにしろ何ヶ月も風呂にも入らず寝たきりに近い状態なので、たまにはこういうところに入れて、オーバーホールをせねばならぬからね、ということだった。そのご母堂は今年九十九歳になり、痴呆の程度も大分進んできたが、あんたのことはまだ覚えているよ。今晩一緒に飲むと言ったらなつかしそうな顔をしていた。そう鈴生は言って、この調子だとまだ大分先まで生きそうだ、俺のほうが早く死にそうだし、またそう願いたいものだ、生きているのがもう面倒になった、と弱音を吐く。

陸奥への旅(四)白河の関:西行を読む

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白河の関から先が陸奥である。そこに立った際の感慨を、西行は次のように山家集に記している。
「みちのくへ修行してまかりけるに、白川の関に留まりて、所柄にや、常よりも月おもしろくあはれにて、能因が秋風ぞ吹く、と申しけん折、何時なりけんと思ひ出でられて、名残多くおぼえければ、関屋の柱に書きつけける
  白川の関屋を月のまもる影は人の心を留むるなりけり

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1932年公開の映画「暗黒街の顔役(Scarface)」は、前年公開の「犯罪王リコ」、「民衆の敵」と並んで1930年代アメリカギャング映画の傑作である。ギャング同士の抗争が、前二作以上になまなましく迫力を以て描かれており、その後のギャング映画に大きな影響を与えた。その影響は1970年代に大ヒットした「ゴッドファーザー」や日本のやくざ映画「仁義なき戦い」シリーズにまで及んでいる。ギャング映画はそれ自体がハードボイルド・タッチだが、これは究極のハードボイルド・ヴァイオレンス映画である。

雪舟の山水長巻(二)

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山水長巻の特徴は、四季の季節の変化が明瞭に表現されていることだ。そしてその季節の交代が、それとわかるように描かれている。春から夏への交代は、霞のたちこめた山中の景観から、ゆったりと水をたたえた湖畔の景観への転換として示される。

安倍公房「燃えつきた地図」

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すぐれた小説の重大な要素として、小説を締めくくる最後の言葉がある。安倍公房の小説「燃えつきた地図」は、次のような言葉で終わる。「轢きつぶされて紙のように薄くなった猫の死骸を、大型トラックまでがよけて通ろうとしているのだった。無意識のうちに、ぼくはその薄っぺらな猫のために、名前をつけてやろうとし、すると、久しぶりに、贅沢な微笑が頬を融かし、顔をほころばせる。」

いわゆる森友事件を巡って、森友の理事長が現職の総理大臣から、その妻を通じて100万円の寄付を受けたと証言したことについて、当該総理大臣はこれに強く反発し、「これだけ多額の寄付を私が行うことはあり得ない」と否定したそうだ。しかし事実を否定するのなら、単に「なかった」といえばすむことだ。それをわざわざ「あり得ない」というのは、聞く者の耳に異様に聞こえるのではないか。

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ゴーギャンは、「悪魔の言葉」でイブのイメージを暗示的にあらわしたが、「かぐわしき大地(TE NAVE NAVE FENUA)」と題した絵では、それを明示的に表した。ここで描かれているのは、タヒチのイブのイメージなのだ。

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ジェームズ・キャグニーは、エドワード・G・ロビンソンと並んで、1930年代アメリカギャング映画を代表する俳優である。二人とも、小柄ながら不敵な面構えで、いかにもたたき上げのギャングといった風格を感じさせる一方、人間的な弱さも感じさせて、複雑な陰影を漂わせた。そこがアメリカギャングの心意気を感じさせたのだろう。ギャングスターといえばこの二人が自然と浮かび上がるほど、人々に受け入れられた。そんなキャグニーにとって、「民衆の敵(The Public Enemy 1931年)は、彼を一躍スターダムにのし上げた作品である。

私と他者:サルトルの対他存在論

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他者(人間としての)の問題は、デカルト以降の認識論的哲学の伝統の中では最大のアポリアだった。デカルトの提起した前提の上では、他者は自立した存在としての基盤を持たない。他者は私によって構成されるというかぎりで、無機物や動物と何ら変ることはなかった。要するに、私に対して従属的な関係にある、私の付属物のようなものだったわけだ。ところがサルトルは、私を他者に対して従属的な立場に置き、私を他社の付属物に転化させることで、私と他者との関係を逆転させた。そして、そのことによって、他者の問題に光を当てようとした。それが「存在と無」の中で展開される「対他存在論」である。

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マタイエアの海岸は、さんご礁の砂洲に囲まれて、内海のようになっている。だから泳ぐには都合がよい。この絵は、その海辺で遊ぶ女たちと、銛で魚をとる男を描いている。

伊藤博文と山縣有朋は、長州閥の巨魁として明治の政治を牽引した。服部之総は明治維新を、徳川封建体制から薩長藩閥勢力への権力の移行というふうに捉えているが、その権力に形を与え、それを強固なものに仕上げていくについて、伊藤と山縣が中心的な役割を果たしたと見ている。しかしてこの二人には、彼らの性格を反映したかのような、明確な役割分担が見られる。伊藤は新たな権力に形を与え、山縣は新たな形を与えられた権力を操縦して、藩閥政治を貫いた、というわけである。

「西行物語」は、西行が隠者と出会った話を語っている。この隠者は、九十歳を超えた老人で、武蔵野の人里離れた原野に庵を結び、そこで読経三昧の生き方をしているように見えた。西行がその素性を聞くと、自分はもと郁芳門院に仕えていた侍だったが、女院の死後出家して諸国を修行して歩くうち、ここ武蔵野の野が仏道修行の隠れ家に便ありと聞いて、ここに庵を結んで、以来六十余年の間読誦して過ごした、その数は七万四部だ、と答えた。西行も郁芳門院とは縁があったので、互いに語り合って夜を過ごした、というような話である。

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