Hard Brexit:テレサ・メイの選択

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イギリスの首相テレサ・メイが、所謂Hard Brexitの方向性について言明した。ごくかいつまんで言うと、EUの単一市場を脱退してでも移民の流入を抑止するというものだ。移民の流入について、彼女の抱く危機感を反映した選択だと受け止められる。

冬の歌:山家集を読む

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山家集の冬の部には八十七首の歌が収められており、夏の部の八十首より多い。古今集では、冬の部はわずか二十九首で夏の部の三十四首より少なく、また万葉集では冬の歌は非常に少ないことに比べると、西行は比較的冬に感じることがあったといえなくもない。

芝居道:成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男の1944年の映画「芝居道」は、長谷川一夫と山田五十鈴をフィーチャーした芸能物という点で「鶴八鶴次郎」と似ているが、筋書きは溝口の「残菊物語」に近い。どちらも、男の出世のために女が犠牲になる話だ。ただ、「残菊物語」は女が不幸な結末を迎えるのに対して、「芝居道」ではハッピーエンドでめでたしとなるところが違っている。

子どもの貧困

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この一・二年の間に、貧困な子どもを対象に食事サービスを実施する施設が増えているようだ。2013年に貧困児童対策の法律(子どもの貧困対策法)が施行されたのがその背景にあるとも指摘されている。実際、2013年には21しかなかったものが、今では300を超えているという。そういう施設は無論あった方がいいが、決して十分とはいえない。毎日サービスを実施しているのは少数だし、絶対数もまだまだ足りない。

四季山水図(冬):雪舟の山水画

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四季山水図(ブリジストン美術館蔵)四幅のうち冬図。このシリーズの絵の中では、構図がもっとも安定している。空の余白の部分は少ないが、その分背景の山と前景の景色との調和が画面を安定させている。左上の空の余白と右下の水の部分とが対応しているところも、構図の安定に役立っている。

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「1940年の夢(Le rêve de 1940)」と題するこの絵は、「ルーマニア風のブラウス」と対をなすものである。マティスはこの二つの作品を非常に気に入り、自分のアトリエの壁に、並べて架けていたほどだった。

九鬼周造「いきの構造」

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日本にはことば遊びの文化的伝統がある。駄洒落や地口など比較的単純なものから、俳文のような高度に知的な文章にいたるまで、ことば遊びの例は枚挙にいとまがない。九鬼周造の「いきの構造」という文章は、そうしたことば遊びを哲学の現場に適用したものだ。彼の場合には、ドイツに留学して西洋哲学を勉強したこともあって、そのことば遊びには洋の東西にわたることば遊びのエッセンスを凝縮したところがあり、それだけでも、日本のことば遊びの伝統に新たな要素を付け加えたという光栄を認めることができるかもしれぬ。

オバマケア廃止の政治的インパクト

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共和党主導の米議会が、いわゆるオバマケアの廃止に向けて動き出した。オバマケアについては、トランプも廃止の意向を示していたが、これは共和党が党是のようなものとしていたこともあり、共和党優位の政治状況を踏まえて、一気に廃止してしまおうということらしい。廃止後、どのような形でフォローするのか、いまのところ共和党は明らかにしていない。とにかく気に入らないこの制度をまず潰してしまえという思惑が透けて見える。

もみじ:西行を読む

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もみじは秋におきる現象であるから、和歌の伝統においても秋と深く結びつけて歌われてきた。今日もみじといえば、楓の紅葉を代表として葉が赤く色づく紅葉が思い浮かぶが、万葉集の時代には、葉が黄色く色づく黄葉のほうが注目されたようだ。万葉集の歌の大部分は、この「黄葉」を歌っており、万葉仮名にも「もみじ」に「黄葉」という漢字を当てている。たとえば次の歌、
  秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも(万0208)
これは万葉仮名では、「秋山之黄葉乎茂迷流妹乎将求山道不知母」であり、もみじの部分に「黄葉」の字があてられている。

秀子の車掌さん:成瀬巳喜男

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「秀子の車掌さん」は、当時人気が盛り上がっていた十六歳の少女スター高峰秀子をフィーチャーした作品だ。いまならアイドル映画といったところだろう。それを成瀬巳喜男が監督した。女の生き方に拘った映画を作ってきた成瀬が、コメディタッチの少女映画を作ったわけだが、このときに成瀬は高峰が気に入ったのか、戦後大人になった高峰を起用して、日本映画の歴史を飾る一連の傑作を作った。成瀬と高峰のコンビは、小津と原節子、溝口と田中絹代のコンビと並んで、日本映画にとっては幸福な組み合わせだったといえよう。

習近平政権が日中戦争史を書き換え

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習近平政権が、歴史教科書における日中戦争史の記述を書き換える動きを始めたそうだ。これまでは、日中戦争の開始は1937年の盧溝橋事件とされ、それから終戦までの八年間を日中戦争とし、これを抗日戦あるいは八年戦争と呼んできた。それを変えて、1931年の満州事変を日中戦争の開始とし、この戦争を十四年戦争と呼ぶべく、歴史教科書の現場に指示したというのである。

四季山水図(秋):雪舟の山水画

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四季山水図(ブリジストン美術館蔵)四幅のうち秋図。東京博物館蔵の四季山水図秋図が、画面中央の広い部分に雲煙を配し、それで以て画面を上下に二分しているのに対して、これは背景の山と前景の自然とを近接させて、しかも明瞭な線で描かれている。

中上健次「枯木灘」

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「枯木灘」は、「岬」の後日譚という体裁をとっている。「岬」の中で「かれ」という代名詞で言及されていた二十四歳の主人公が、「秋幸」という固有名詞を持った二十六歳の青年として出てくる。人物の輪郭が明確になったのと平行して、舞台設定も明確になっている。「岬」では紀州のどこからしいと思わせていただけだったが、この小説の中では、熊野新宮の門前町の、路地と言われる、周囲から孤立した特殊な空間が舞台である。

人情味あふれる話を聞く

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筆者が四方山話の会に加わってから丁度一年がたった。八丁堀のおでん屋で数年ぶりに旧交を温めた後、ほぼ毎月のように宴会を開いては、メンバーのそれぞれが自分の半生を語った。そんな話を聞かされると、自分とは違った人生もあったのだと、感慨深く思うこともある。それが会を重ねて、今宵は岩子が語り部をつとめることとなった。同席したメンバーは、岩子と筆者のほか、石、柳、田、六谷、小、浦、福の諸子、合わせて九名であった。会場はいつもの通り新橋の古今亭である。

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「ルーマニア風のブラウス(La blouse roumaine)」と題したこの絵は、非常にシンプルに見えるが、シンプルなだけにいっそう、構図の決定にはかなりな時間を要した。マティスがこの絵を完成させるにあたって描いた習作が十三枚も写真に残されていることからも、そのことがわかる。

はたらく一家:成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男の1939年の映画「はたらく一家」は、成瀬の作品系列の中では異色の作品である。女を描くことに拘ってきた成瀬がこの映画の中で描いたのは、女ではなく、「はたらく一家」つまり労働者の家族の生活ぶりである。この映画が公開された頃の日本は、労働者世帯の生活は苦しく、その意味では社会的弱者の立場にあるといえなくもなかったので、同じく社会的弱者である女の立場に通じるものがないとはいえなかったが、やはり女とはたらく一家では、かなり色彩を異にするというべきだろう。

労働と相互行為は、言語(記号表現)と並んで、精神の自己形成のうえで三つの決定的な契機をなすものである。カントが言うように、まず自己意識としての精神があって、そこから人間の間の相互行為や自然を対象とした労働、あるいはコミュニケーションが生じてくる、のではない。逆に労働・相互行為・言語の弁証法的な過程のなかから自己意識としての精神が生まれてくる。こう喝破したのは、「イエナ精神哲学」を講義した頃の初期のヘーゲルであった。ヘーゲルはこの三つの弁証法的な要素から相互行為(相互承認)を重点的に取り出し、それをもとに精神現象学の体系を作り上げたが、それはハーバーマスにとっては、ヘーゲル思想の豊穣さが損なわれる結果につながった。やはりこの三つの要素をともに生かす形で、ヘーゲルの初期思想を再構築し、そこから現代の問題性に対応できるような哲学を構築する必要がある。このような問題意識に導かれながら、ハーバーマスは「労働と相互行為」と題する小論を書いたのだと思われる。この小論はだから、初期ヘーゲルの再発見をテーマにしたものと言える。

月:西行を読む

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日本の詩歌の歴史において月が秋と深く結びつくのは平安時代後半以降のことだ。中国での観月の風習、これは旧暦八月の十五日に行われたが、その風習が平安時代の半ばに入ってきたことが、秋と月を結びつけるきっかけになった。日本人は九月の十三夜にも観月をするようになったので、月と秋の結びつきがいよいよ強まったわけである。

鶴八鶴次郎:成瀬巳喜男

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女の立場に立って男女の絡み合いの理不尽さを描き続けた成瀬の作品としては、「鶴八鶴次郎」は一風変った作品だ。例によって男が愚かなことはいいとして、女のほうもそれにおとらず愚かだということになっている。互いに好いた間柄にかかわらず、つまらぬ意地を張り合ったために、結ばれることができない。そんなもどかしさをこの映画は描いているのだが、彼らがつまらぬ意地を張り合うのは、彼らが因習的な芸能の世界に生きているからだ、そんなメッセージも伝わってきたりして、成瀬の映画としては、ひとひねりを感じさせる。

今年行なわれるフランス大統領選で、極右政党国民戦線(FN)の党首マリーヌ・ル・ペンが勝つ公算が強まっている。もしそうなった場合には、強烈なナショナリストを標榜する指導者がヨーロッパの大国に現れるわけで、EUはおそらく解体するだろうと予想される。そればかりでない、欧米における政治地図が一変するような事態が起こる可能性もある。

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