安部晋三総理がプーチンと会談した結果、懸案の北方領土問題については、1956年の日ソ共同宣言を基礎にして交渉を進めることになったと発言した。この発言をめぐって、さっそくさまざまな憶説が飛び交っている。政府としては、これは四島が日本に帰属するとした従来の立場を一歩も踏み出るものではないというような言い方をしているが、実際上は、歯舞・色丹の返還を上限とし、国後・択捉は永久に棚上げ、あるいは放棄することを意味している。

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マネはゾラの友情に応えて肖像画をプレゼントした。その絵は1868年のサロンに出展され入選したが、批評家の評価は芳しくなかった。いつもは自分をほめてくれるゾラが当時者になったことで、誰もこの絵をほめるものはいなかった。ゾラ自身、この絵が気に入らなかったとみえて、自分の家にかざることをしなかったという。

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日本人は昔から怪談好きだったが、それは日本の夏の暑さと関係があったらしい。我々日本人は、今でこそエアコンで夏の暑さをしのげるようになったが、昔はそういうわけにもまいらず、我々の先祖・先輩たちは怪談話を聞いたり見たりしながら、暑気払いにあいつとめたものと見える。そんな怪談話の中でももっとも人気を博したのが「四谷怪談」だ。原作は鶴屋南北だが、そのほかにもいろいろなバージョンがあって、人々を怖がらせてきた。怖がることによって、ヒヤッとした冷気を味わってもらおうというわけであろう。

雑誌「世界」の最近号(2018年12月号)が「移民社会への覚悟」と題した特集を組んでいる。安倍政権が打ち出した実質的な移民推進策への反応だろう。安倍政権は、「これは移民ではない」と言い訳しながら実質的な移民の受け入れを進めようとしている。その背景には深刻な労働力不足があり、経済界からの外国人労働力の受け入れ要請がある。こうした事情を背景に、この特集は、日本の移民政策の問題点を指摘しているのだが、その論調には、やや首をかしげたくなるところがある。収められた論文の多くに、移民はいいことだ、あるいは避けられないことだという前提があって、日本が移民受け入れ国家としてどう対応していくかといったことばかりが強調され、そもそも移民政策がこの国の未来にどのような意味をもつのか、そしてまた、移民受け入れを拡大していくことが本当にいいことなのか、といった本質的な議論が置き去りにされている感じがあるからだ。

柄谷行人は「遊動論」において柳田国男を、南方熊楠及び折口信夫と比較している。南方も折口も柳田と並んで日本民俗学の巨匠と言われているが、三者の間にはかなりな学風の違いがある。その違いについて柄谷は彼なりの視点から比較検討しているわけである。

 旧佐倉藩士依田学海をめぐるこの史伝体小説はついに明治十年にたどり着いた。以前にも書いたように、小生はこの小説を明治十年まで書き継ぐつもりでいた。その目標としていた年についにたどり着いたわけである。この年は言うまでもなく西南戦争が行われた年である。この戦争には学海先生も異常な関心を示し、先生のこの年の日記はもっぱらこの戦争への言及で満たされている。先生がそれほどまでこの戦争にこだわったのには、それなりの理由があると思う。この戦争は武士階級の存在意義というものが根本的に否定されて、天皇を中心とした新たな国づくりが始まる結節点に位置する。それゆえこの戦争は、一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを画すシンボルのようなものでもある。武士として生まれ、武士としての心情を生涯持ち続けた学海先生にとっては、この戦争は自分のアイデンティティにかかわるものだったのであろう。
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昭和十八年公開の映画「花咲く港」は木下恵介のデビュー作である。九州の離島を舞台に、気のいい島人とそれを騙そうとするペテン師とのやりとりを描いている。その離島がどこなのか、画面からは明確に伝わってこないが、どうやら長崎から遠くないところにあるように思われる。最後に自首したペテン師たちが、警官に船に乗せられて連行される先が長崎だからだ。

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光琳には草花をモチーフにした作品が数多くある。とりわけ初期の作品に多い。それらの図案は、単に自然の花を再現したと言うよりは、曲線の使い方や構図の配置などに装飾性が認められる。こうした装飾性は、燕子花図と通じるもので、光琳の実家雁金屋の家業である衣装の文様に通じるものだ。光琳は実家の衣装文様のデザインの特徴を、一方では燕子花図のような様式的な図柄に発展させるとともに、この図柄のように、自然を装飾的に描いたわけだ。

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メキシコ皇帝マクシミリアン処刑のニュースが、パリ万博で湧いていた最中にもたらされた。マクシミリアンはハプスブルグ家の一員だったが、フランス皇帝ナポレオン三世の要請によってメキシコ皇帝についていた。しかしメキシコの独立をめぐる内乱のさなか、独立派のファレスによって銃殺されたのだった。それには、皇帝でありながら自前の強い軍隊を持たず、フランスの軍事力に頼っていたという事情があった。フランス軍が彼を見捨てて去って行ったために、無防備の状態になってしまったのである。

江藤淳といえば、今日では比較的穏健な保守主義者というイメージが流布しているようであるが、彼の政治評論の代表作といわれる「『ごっこ』の世界が終わった時」を読むと、変革を志向していた改革家としてのイメージが伝わって来る。普通保守といえば、社会の現状を支えている制度・思想を尊重する姿勢を言うが、彼がこの小論の中で展開しているのは、同時代の日本の現状に対する痛烈な批判であり、それを乗り越えようとする意志だからだ。

 五月の下旬、あかりさんから職場に電話がかかって来て、これから会えるかと聞かれた。電話を受けたのは午後一時過のことで、二時から重要な会議を控えていた。小生は会議の主催者なので外すわけにはいかない。それでその会議が終わったらすぐにでも会うようにしよう、四時には職場を出るようにするから、四時半には銀座のいつもの喫茶店に着けると思う。そう言って電話を切った。
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アンドレイ・タルコフスキーの遺作となった1986年公開の映画「サクリファイス」を、彼はスウェーデンで作った。1983年にイタリアで「ノスタルジア」を作った後、実質的な亡命状態で外国に住み続けていたのだったが、外国での二作目をスウェーデンに作ることになったわけだ。どのような理由からかはわからない。

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尾形光琳といえばこの図屏風が浮かび上がるほど有名な作品で、光琳の代表作と言ってもよい。光琳が法橋の位を授かった元禄十四年(1701)頃の作品と考えられ、光琳の現存する作品のなかでは、もっとも早い時期に属するものだ。モチーフの燕子花は、伊勢物語の八つ橋の場面に取材した。はるばる東へとやってきた業平一行が望郷の念にかられながら、「かきつばた」の五文字を五つの句の頭に読み込んで歌を歌ったと言う、日本人なら誰でも知っている場面を絵画化したものだ。

「万延元年のフットボール」は色々な意味で大江健三郎にとって転機となった作品だ。その割にはテーマがいまひとつわかりにくい。あるようでいて、ないようにも見える。大江がわざとそう仕掛けたのかもしれぬが、従来の感覚で読むと、非常にわかりにくいところがあることは否めないようだ。ようだ、と推測形でいうのは、この小説にはわかりやすい読み方を拒むようなところがあって、したがってどんな読み方でも可能だから、読後感として、あるいは批評として、どんなことでも言えるようなところがあるからだ。

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マネは1866年のサロンに、「悲劇役者」と題する絵と共にこの「笛を吹く少年」を出展したが、どちらも落選した。しかも今回は、「草上の昼食」や「オランピア」の時のような、マイナスではあるが大きな反響を呼ぶこともなかった。大方の美術批評家から黙殺に近い扱いを受けたのである。

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1983年公開の映画「ノスタルジア」は、アンドレイ・タルコフスキーがイタリアで制作した作品だ。完全にイタリア映画と言ってよい。資本もスタッフも俳優も、殆どすべてイタリアのものだ。言葉もイタリア語だ。ただ主人公のロシア人は、ロシア人のオレーグ・ヤンコフスキーが演じ、彼が独白するシーンにはロシア語が使われる。

柄谷行人の柳田国男論は、柳田の「山人論」を中核にして展開される。柄谷はそれを展開するにあたって、柳田の学説の変遷についての通説を強く批判することから始める。通説によれば、柳田は山人の研究から始めたが、途中でそれを放棄し、山人とは正反対の稲作定住民=常民の研究へと向かい、晩年はこの常民たる日本人の祖先を海のはるかかなたからやって来た人々とする日本人起源論を主張するようになった。そうした見方に対して柄谷は、柳田は生涯を通じて山人の研究を放棄したことはなかった、むしろ彼が生涯をかけて追及したのは、山人についての思想を深化させることだったと言う。

 神風連の乱が起きた四日後、十月二十八日には山口県の不平士族が乱を起こした。これを萩の乱という。首謀者の前原一誠は松下村塾の出身であり、維新当時には参議・兵部大輔の要職についたほどの大物だった。明治三年に下野して以来、山口県不平士族のシンボル的な存在となり、新政府の政策を厳しく批判していたが、廃刀令と秩禄処分によって士族の生命線が破壊されたと見るや、一段と過激さを増していた。そんな矢先に熊本で神風連が立ち上がったと知り、それに呼応する形で乱を起こしたのである。
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アンドレイ・タルコフスキーの1979年の映画「ストーカー」の題名は、異性にしつこくつきまとう人間のことではなく、ロシア語の「スタルキェル」という言葉を英語流に言ったものだ。で、そのスタルキェルが何を意味するのか、筆者の持っているロシア語辞典には載っていなかった。映画の解説サイトの中には、密猟者などと訳しているものもあるが、それが正しい訳なのかどうか、筆者には確認できない。

ドナルド・トランプとアメリカ・メディアが正面から対立していることは周知の事実だ。トランプはメディアをフェイクニュースと言って罵り、メディアはトランプを不誠実なデマゴギーだと言って罵っている。両者はいわば正面衝突の観を呈している。この正面衝突あるいは対立の勝者はどちらのほうか。答えはドナルド・トランプである。その理由を、NEWSWEEK の最新号の記事が分析している(President Trump Has Defeated The Media By Ben Shapiro)。

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