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篠田正弘の作品「はなれ瞽女おりん」は、水上勉の同名の小説を映画化したものである。瞽女とは、盲目の女性芸能民のことで、集団をなして各地を放浪し、門付けなどをして暮らしていた人々だ。彼女らは疑似母親のもとで固く結束し、厳しい掟を自らに課していた。弱い身として生きる知恵でもあるその掟は、もしそれを破る者がいると集団の崩壊につながる恐れがあるので、集団から排除・追放された。追放されて一人になった瞽女をはなれ瞽女と言う。水上勉はそのはなれ瞽女をモチーフにした小説を書き、それを篠田が映画化したわけだ。

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尾形光琳は宝永末年から正徳の始めにかけて、宗達の大作を相次いで模写した。それによって、自分自身大作の創作へと飛躍した。宗達の「松島図屏風」については、まず模写をしたうえで、それを自分なりに翻案したものをいくつか描いた。今日残っているのは四点である。その一枚が、ボストン美術館にあるこの「松島図屏風」である。

舟遊び:マネ

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「舟遊び」と題するこの絵も、セーヌ川とボートの組み合わせをモチーフにしたものだ。ここでは二人の男女が小舟に乗って、ぼんやりとポーズをとっている。男はマネの義弟ルドルフ・レーンホフ、女はマネの妻カミーユだとされている。男のほうはこちら側、つまり観客に顔を向けているが、女のほうはどこ吹く風といった風情を見せている。

アントン・チェーホフ(1860-1904)は短編小説と何本かの戯曲を書いて、四十四歳の若さで死んだ。かれがこれらの形式にこだわったのは、物語よりもロシア人を描きたかったからだろう。かれほどロシア人の人間性にこだわった作家はいない。そうした人間性は、無論長編小説の形式でも描くことができるが、短編小説や戯曲を通じてのほうが、人間性の典型は描出しやすい。人間性の色々なパターンを、限定された形式を通じて、典型的に示すこと、それがチェーホフの狙いだったように思える。

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ニキータ・ミハルコフの2007年の映画「12人の怒れる男」は、アメリカで何度も舞台・映画化された作品のロシア流リメイクである。この作品は裁判制度の問題点をテーマにしたもので、人が人を裁くことに正義があるのかということをとりあげたものであるが、ミハルコフのこのリメイクでは、それにロシア流の味付けが施されている。つまり、ロシアという国には、そもそも正義を体現した法がないのではないのか、そんな国で裁判をすることにどんな意味があるのか、ということについてロシア流のブラック・ユーモアを交えながら描いているわけだ。

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竹に虎の組み合わせは、武家好みのモチーフとして、室町時代から多く描かれて来た。光琳のこの図は、小さな画面に虎の姿をいっぱいに描き、その周囲に竹を配したものであるが、虎の表情にはいかめしさと滑稽さとが同居していて、これだけを単独に描いても、絵にはならなかったと思う。周囲の竹があるおかげで、虎の大きさが引き立ち、虎らしい雰囲気が出ている。虎だけだったら、猫と区別はつかないだろう。

「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」の第三部は、「オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中編」からなっているが、その一つ目は「狩猟で暮らしたわれらの先祖」という題名の不思議な話である。この題名を大江はオーデンの詩「狩猟で暮らした我らの先祖(Hunting Fathers)」からとったと小説の中で明らかにしている。それは、語り手である僕が、流浪する一家とその家長とを、暗闇に燃える焚火のあかりのもとで見た時の印象を語った部分だ。その部分は次のようなものである。

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「アルジャントゥイユ」と題したこの絵も、屋外での作業の成果だろう。画面の明るさがそれを物語っている。だがこの絵も、「ボートのアトリエで描くモネ」同様、光の効果にはあまり注意を払っていない。その結果画面構成がかなり平板になっている。前景の二人の人物と彼らの背後にあるものとが、同じ平面にあるかのごとく、全体に平板さを感じさせる。

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ニキータ・ミハルコフの2011年の映画「遥かなる勝利へ」は、「太陽に灼かれて」で始まる独ソ戦三部作の最後の作品だ。ここでコトフ大佐は生き別れになっていた最愛の娘ナージャと再会する。しかしそこは独ソ戦の最前線で、コトフはナージャを地雷から助けようとして自らが犠牲になり死んでしまう。ハッピーエンドにはならないのだ。

「まれびと」は「常世」と並んで、折口信夫の思想の中核概念だ。折口はこの概念を「国文学の発生」第三稿のなかで初めて体系的に論じた。その論じ方がいかにも折口らしいのである。

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ニキータ・ミハルコフの2010年の映画「戦火のナージャ」は、「太陽に灼かれて」の続編である。前作で主演のコトフ大佐は逮捕された後銃殺刑に処せられたとアナウンスされ、その娘のナージャも刑死したとされていたが、実は二人とも生きていた。その二人のその後の生き方を描いたのが続編の映画である。見どころは、父親が生きていることを知った娘のナージャが、命を掛けて父親を探し出そうとするところである。というのも、二人は、独ソ戦の中で戦線の真っただ中をさまようこととなり、それこそ命を危険にさらす日々を送ったからである。

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「孔雀立葵図屏風」は、左隻に立葵の花を、右隻に雌雄の孔雀を描いている。双方の絵にはあまり関連は感じられないので、それぞれ独立した作品として鑑賞される。特に孔雀図は、羽を大きく広げた雄の孔雀と、その前で首を低く垂れた雌の孔雀の醸し出す雰囲気がなんとも言えない感動を呼び起こす。

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マネはモネ、ドガ、ルノアールといった印象派の画家たちと仲良くなったが、一番親しみを覚えたのはモネだった。モネが1865年のサロンに出展した海洋画が批評家たちの喝さいを浴びた時には、名前の似ているこの若い画家にいら立ちを覚えたこともあったが、じきに親密な間柄になった。モネのほうではマネを自分たち印象派の指導者のように思っていた。一方マネは自分を印象派とは区別し、あくまでもオーソドックスな絵画をめざすのだと思っていた。

江藤淳は、昭和54年秋から翌年春にかけてアメリカに滞在し、アメリカの対日本検閲政策の実情について研究した。そしてその成果を「閉ざされた言語空間」という書物に著して刊行した。これは、日本は敗戦とともに連合軍=アメリカから「言論の自由」を与えられたという通説に対して、反駁するのが主な目的だったらしい。江藤のアメリカ嫌いは相当のものだから、そのアメリカに言論の自由を貰ったというような言説が同時代の日本にゆきかっていることに憤懣やるかたないものを感じたからだろう。そんなバイアスを抜きにしても、これは日本の戦後史の一端を解明するうえで非常に有益な研究だといえる。江藤の最大の業績をこれに帰する意見があるのも、うなずけないことではない。

 小生が学海先生の史伝体小説を書き上げたのは六月末のことであった。小生としてはもう少し書きようがあると思わないでもなかったが、なにしろ初めての試みであるし、自分の能力を以てしてはこれくらいが限界だろうと思って筆を擱いた次第だった。書き上げるとすぐに原稿の写しを英策に送り、後で感想を聞かせて欲しいと頼んだ。
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1994年公開のロシア映画「太陽に灼かれて」は、1930年代半ばのいわゆるスターリン粛清の一端を描いたものだ。この粛清では100万人以上が犠牲になった。その多くは、スターリン派による反スターリン派の粛清であるが、中にはこれに乗じて私的な怨みを晴らしたようなものもあったらしい。この映画はそうした私的な怨みをテーマにしている。

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光琳は、江戸在住中に姫路藩主酒井氏の庇護を受けた。この「躑躅図」は酒井氏にささげた逸品である。その後肥前黒田藩に伝えられてきた。当時の武家の嗜好は狩野派であったため、この絵にも狩野派的な雰囲気が感じ取れる。光琳は狩野派から出発したこともあって、狩野派の技法には通じていた。この作品は、しかし狩野派一点張りというわけではなく、墨の処理の仕方に雪舟の撥墨山水画の影響も指摘できる。

「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、「ぼくは詩をあきらめた人間である」という文章から書き始められる。その詩をあきらめたらしい人間、それはこの小説集の編者の位置づけだと思うのだが、その編者らしい人間が、自分自身「詩の如きもの」と称するものを披露し、この小説集はその「詩の如きものを核とする」三つの短編小説と、ブレイクとオーデンの詩を核とする二つの中編小説からなっていると宣言している。宣言と言うのも、この小説は上述の五つの中・短編小説のほかに、「なぜ詩ではなく小説を書くのか、というプロローグと四つの詩の如きもの」と題する短文を収めており、全編の冒頭に置かれたその短文のなかで、この小説集を書いた動機に触れているわけであるが、その触れ方と言うのが、記述と言うより宣言を思わせるものだからだ。

鉄道:マネ

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「鉄道」と題したこの絵を美術批評家たちは例によってさんざんにこき下ろしたが、その最もありふれた根拠は、「鉄道」と題しながら肝心な鉄道が絵からは見えてこないというものだった。しかしこの絵をよく見れば、背景が鉄道を描いたものだとすぐにわかるはずだ。鉄道を描いているのにそれがストレートに伝わってこないのは、蒸気機関車の吐きだす煙が充満していて、鉄道の様子を覆い隠しているからだ。それ故この絵は、煙がかもしだすぼんやりとした背景から浮かび上がった、母と子の肖像画として受け取られた。

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アレクサンドル・ソクーロフの2011年の映画「ファウスト」は、ロシア人であるソクーロフがロシアで作ったロシア映画である。ところが、映画の中ではドイツ語が使われている。これを見た筆者は、最初はドイツ語吹き替え版かと思ったが、そうではないらしい。わざとドイツ語を使っているようなのだ。タイトルもドイツ語で書かれている。ヨーロッパ映画には、国際協力映画というものがあって、たとえばイタリア中心の映画でフランス語が用いられたりはするが、ロシアで作られた映画でドイツ語をもちいるというのはどういうわけか。これでは、日本映画でありながら、もっぱら中国語を聞かされるようなものだ。

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