久しぶりに峨眉山で会う

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四方山話の四月の例会は約一年ぶりに曙橋の峨眉山でやった。前回は九州から出てきた秋子を歓迎する意味もあって、十名以上が出席したが、今宵集まったのは七人。小生のほか、福、六谷、岩、小、石、浦の諸子だ。まず、先月の歌声喫茶の模様を写した記念写真を小子が皆に見せた。するとこの場にいなかったほかの連中も興味を示し、そのうちまた行って見ようやという話になった。あのときに、鷲子から会場に電話があって、新子の病気のことを話していたが、そのあと新子に見舞いの電話を入れたら喜んでいたよ、と小子が皆に報告した。

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「マンゴーの花を持つ二人のタヒチ女」と呼ばれるこの絵は、ゴーギャンの肖像画の中では非常にユニークなものだ。ゴーギャンが人間を描くときには、何らかの意味をそこに込めようとして、わざとらしいポーズをとらせることが多かったのだが、この絵にはそうした意図は全く感じられず、女たちは自然な様子で立っている。彼女らは観客の視線を気にすることなく、自分自身、あるいはとなりの人にだけ関心を払っている。

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「担え銃(Shoulder Arms)」は、第一次世界大戦についてのチャップリンなりの反応である。チャップリンは、基本的には反戦主義者だったので、第一次世界大戦は愚かな戦争だと思っていた。だがアメリカの世論は、英仏連合に味方してドイツ・オーストリアの枢軸国と戦うべきだと盛り上がり、ついにはアメリカも参戦する事態になった。そんな世の中の動向に、疑問をぶつけ、戦争の愚かさを改めて訴えたのがこの映画だといえる。もっとも正面から反戦を唱えることは、当時のアメリカの世論からすれば非常に危険な行為だったわけで、チャップリンは、戦争への抗議を笑いのオブラートに包んで披露して見せた。

和辻哲郎の風土論

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和辻哲郎にとって風土論は、彼の人間論と密接な関係にある、というより人間論の不可分の要素となっている。和辻にとって人間とは、個であると共に全体でもあるが、その全体とは人間の共同態としての社会的な性格のものであり、そこには人間の間柄が働いている。風土というのは、この間柄のあり方を根本的に規定しているのである。したがって風土とは、言葉の表面的な意味から連想されるような単なる自然のあり方ではなく、人間の生き方そのもの、「人間が己を見出す仕方」としてとしてとらえられている。人間は風土を離れて存在し得ない、風土が人間を作る。そのように和辻は考えているわけである。

伊勢への移住:西行を読む

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治承四年(1180)、晩年の西行は高野山を引き払って伊勢へ移住した。動機はくわしくわかっていないが、恐らく源平争乱が本格化したことが背景にあると思われる。その年の夏には頼朝が挙兵し、戦雲が都にせまる気配を見せ始めていた。清盛と親しかったらしい西行は、別に平家に肩入れするでもなく、騒乱に巻き込まれることを恐れたのではないか。

犬の生活(A Dog's Life):チャップリン

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チャップリンの1918年の映画「犬の生活(A Dog's Life)」は、ルンペンプロレタリアートの惨めだが自由気ままな暮らしぶりを描いたものである。一人の宿無しが、野良犬のような暮らしをしているうち、一匹の野良犬と仲がよくなり、その犬とともに人生を切り開いてゆくという話である。短編映画にしては、四十分という長さであり、一応物語としてのまとまりは持っている。チャップリンにとっては、従来のスティックスラップ・コメディから本格的な劇映画への足がかりとなった作品だ。

山水図:雪舟の絶筆

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これは雪舟の絶筆となった山水図である。上部に、牧松周省と了庵桂悟による賛が添えられている。まず、牧松が賛を寄せ、彼の死後に了庵が賛を加えたことが、文面から読み取れる。

白い馬:ゴーギャン、タヒチの夢

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1897年の自殺未遂からゴーギャンは比較的早く回復したが、経済的な困窮が深まり、日々の糧を得る為に、現地の役所に雇われてつまらない仕事をするハメになった。だがそのうち、パリから「我々は何処から来たのか」が売れたという知らせと、いくばくかの金が届いた。そのことで気をよくしたゴーギャンは、再び制作の意欲が湧き上がるのを覚えた。「白い馬」と呼ばれるこの絵は、そんな折のゴーギャンの傑作である。

岡義武「山県有朋」

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明治の元勲のなかで山県有朋ほど人気のない者はいない。それゆえ彼の生き方や業績を肯定的に評価する研究もあまりない。そんななかで岡義武が1958年に著した「山県有朋」(岩波新書)は、山県という政治家をなるべく曇りのない眼で見つめ、その評価すべきところはきちんと評価しようという意思に貫かれている。山県有朋研究にとっては、古典的な意義をもつ本だ。

善通寺:西行を読む

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讃岐の白峰で崇徳院の墓に詣でた西行は、その脚で善通寺に赴いた。弘法大師が生まれたところである。高野山で真言仏教の修行をしている身の西行としては、是非とも行かねばならぬところだったと思える。西行は単にこれへ参詣したばかりでなく、その裏手の曼荼羅寺の行道所のあたりに庵を結び、そこで一冬を過ごしている。西行としては、修行としての意味とともに崇徳院の怨念を祈り鎮める意味もあったと思われる。

チャップリンの冒険(The Adventure)

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「チャップリンの冒険(The Adventure)」は、アメリカの警察をあざ笑った映画である。アメリカの警察は、移民社会の自警団のようなものから出発しており、国家権力の象徴という意味合いよりは、白人社会の自己防衛装置としての色彩が強かった。自己防衛ということは、よそ者に対して攻撃的であることを身上とする。攻撃されるほうは、たまったものではなく、警察に対して強い不信感を持たざるを得ない。この映画は、攻撃される立場の目から見た、アメリカ警察への不信感とか不快感をもとに、アメリカ警察をあざ笑ったものと言える。権力に対して常に距離感をとっていたチャップリンらしい作品だ。

天橋立図:雪舟

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「天橋立図」は、雪舟八十二歳以降の最晩年の作品と考えられる。技法的にも、品格の上でも、雪舟の画業の集大成といえるもので、彼の最高傑作の一つに数えてよい。

村上春樹の長編小説「騎士団長殺し」は二部からなっていて、第一部を「顕れるイデア編」、第二部を「遷ろうメタファー編」と題する。イデアとはプラトン以来の西洋哲学にとっての主要概念である。日本語では理念と訳されることが多い。またメタファーのほうは、西洋で発達した修辞学における主要概念である。こちらは比喩と訳されることが多い。修辞学上の概念ではあるが、哲学上の議論にもよく援用される。

金正恩の挑発的な態度に頭に来たトランプが、もし金正恩が核実験をしたら許さない、その場合にはアメリカは北朝鮮に対して先制攻撃も辞さない、と言って、空母カールビンソンを旗艦とする海上攻撃部隊を北朝鮮に向かわせた、と発言したことで、世界中が大騒ぎになった。ところが、カールビンソンは北朝鮮に向かっていたのではなく、シンガポールを出航した後インド洋に向かい、そこでのんびり油を売っていることがわかった。それでまた世界中が大騒ぎになっている。いったい、どうなってるんだ、と。

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「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか(D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?)」は、ゴーギャン畢生の大作であり、彼の代表作でもある。なにしろゴーギャンは、自殺する決意を固めた上で、この世を去るにあたっての遺言のつもりでこの大作を描いた。気迫がこもっているし、彼の人生や世界についての考えが集約的に表現されたものであるから、見る人を圧倒する迫力がある。

チャップリンの移民(The Immigrant)

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1917年の短編映画チャップリンの移民(The Immigrant)」は、ヨーロッパからアメリカへ来た移民をテーマにしたものだ。この時代のアメリカは、労働者不足を補うために大量の移民を受け入れていたし、ヨーロッパには仕事にあぶれた人々にこと欠かなかったので、需給がマッチして、大量の移民がヨーロッパからアメリカへと流れた。アメリカを目指した人々は、そこに希望の大地を夢想したわけだが、多くの場合それは幻想に過ぎなかった。アメリカに渡った人々には苦い現実が待っていた、というのがこの映画の描くところである。とはいっても、苦い現実を告発調で描くわけではない。一部の諦めと一部のペーソスをまじえて、いわばほろ苦く描くのである。

和辻哲郎の存在論

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和辻哲郎が存在論を持ち出してくるのは、人間存在を基礎付けるための方便としてである。その点では、人間存在としての現存在を存在の典型として、そこからすべての存在を基礎付けようとするハイデガーと似ているところがある。存在概念を腑分けするにあたって、ことば遊びを駆使するところもハイデガーと似ている。もっとも似ているのは外面だけで、論理展開の内実はかなり異なっている。そこには和辻の和辻らしさがうかがえるのである。

四国への旅:西行を読む

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仁安二年(1167)の冬、西行は中国路をへて四国に渡る旅をした。主な目的は、その四年前に崩じた崇徳上皇の墓に詣でることと、弘法大師ゆかりの善通寺に参ることだった。旅立つにあたって西行は賀茂神社に参り、その折に詠んだ歌を「山家集」に載せている。
「そのかみまゐりつかうまつりける習ひに、世を遁れてのちも賀茂にまゐりけり、年高くなりて四国の方へ修行しけるに、また帰りまゐらぬこともやとて、仁安二年十月十日の夜まゐり、幣まゐらせけり、内へも入らぬことなれば、棚尾の社に取り次ぎまゐらせ給へとて心ざしけるに、木の間の月ほのぼのに、常よりも神さび、あはれに覚えてよみける
  かしこまるしでの涙のかかるかな又いつかはと思ふあはれに(山1095)

チャップリンの勇敢(Easy Street)

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「チャップリンの勇敢(Easy Street)」は、いわゆるチャップリン風の映画の確立を物語る記念碑的な作品だ。1914年以来、他愛ないドタバタ喜劇を六十本以上作ってきたチャップリンが、1917年のこの映画で、しっかりしたストーリーを持ち、しかもパンチの効いた社会風刺を盛り込んだ本格的な喜劇映画を作った。以後チャップリンは、この映画で示した傾向を深める形で映画作りを進めてゆくのである。

桜の花が散るのを見届けて鴨は去った

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先日、筆者の家の近所にある長津川調整池公園に桜が咲いた光景を紹介したが、その桜が昨日来の嵐ですっかり散り果てた。それと共に、昨日まで見られた鴨が一羽残らず見えなくなった。おそらく北の方へ去って行ったのだと思う。桜の花が散るのを見届けて。

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