トランプが労働長官に起用したアンドリュー・パズダー(Andrew Puzder)は外食産業のCarl's Jr. and Hardee'sを経営しているが、これは所謂ブラック企業として有名だ。従業員からの苦情を受けて労働省が調査したところ、その60パーセントで最低賃金以下であったり、法の基準を超えたオーバーワークが指摘された。アメリカではブラック企業という言葉はないらしいが、日本のブラック企業も顔負けするほどのブラック振りらしい。それの経営者が労働長官になるわけだから、労働者にとっては笑えない話だろう。

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マティスは1920年代に、オダリスクをモチーフにした多くの作品を描いた。オダリスクとは、トルコのハーレムに仕える侍女のことだ。マティスはモロッコに何度も旅をしたが、そのさいにイスラム趣味の一環として、このオダリスクに興味を覚えたのだろう。フランスでは、アングルなどが過去にオダリスクをモチーフにしていたこともあって、なじみのあるテーマでもあった。

雁の寺:川島雄三

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川島雄三の1962年の映画「雁の寺」は僧侶たちの堕落を描いたものである。筆者が子どもの頃は、親戚中の菩提寺が禅寺だったこともあり、坊さんというものは謹厳実直で、妻帯しないのは無論、仙人のように清らかな生活を送っているものと考えていた。それは言い換えれば退屈な生活ということになるが、世の中には毎日退屈な生活が続いても一向に気にならない奇特な人もいるのだと、子どもながら感心したものだった。その後、宗派によっては妻帯を認めるところもあり、真宗などは毛坊主と言って、頭に毛の生えた坊さんが俗人とほとんど違わない生活を送っているさまを見もしたが、それはかなり成長した後のことで、幼い子どもの頃は、坊さんと言えば欲望とは無縁な尊い人たちだと思い込んでいたものである。ところが、この映画では、坊さんといえども欲望の点では俗人と変らず、かえって他にすることがない分、放蕩三昧に耽っている羨ましい境遇の人たちなのだと暴露したのである。そんなこともあってこの映画は、日本の仏教界から大きな反発を受けた。

TIMEのPerson of the Yearにトランプが選ばれる

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雑誌TIMEが、毎年恒例のPerson of the Yearにトランプを選んだ(写真は当該号の表紙)。紹介のコメントには、President of the Divided States of Americaと記した。これに対してトランプは、これを報ずるテレビ番組に電話出演して、感想を述べた。「選んでもらったのは光栄だが、"分裂"と書くのは嫌味だと思う。私はまだ大統領ではないので、分裂させるようなことは何もしていない」と言ったそうだ。

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(常盤橋内紙幣寮之図)

紙幣寮は大蔵省印刷局の前身である。明治四年に役所として設立され、紙幣の発行や銀行の許認可などを所掌していた。だが、役所の設立当時は、技術的な問題があって紙幣の印刷はドイツなどの外国に依頼していた。日本で印刷するようになるのは、明治十年以降のことである。

アドルノ&ホルクハイマーは、啓蒙の歴史的な段階を表現した好例としてホメロスの叙事詩「オデュッセイア」とマルキ・ド・サドの小説「ジュリエット」を取り上げる。「啓蒙の弁証法」の第二及び第三章は、それぞれ第一章たる「啓蒙の概念」への補論として、この二つの例の検討に当てられている。彼らによれば、「オデュッセウス」は、人類が野蛮の状態から文明の状態へと飛躍することで、童蒙(蒙昧)の状態から啓蒙の状態へ進化したことを表し、「ジュリエット」は、啓蒙がその絶頂を極めた時点で啓蒙の反対物たる獣性=野蛮を呼び出したということを主張したものだと言うのである。

浄土と桜:西行を読む

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  願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃(山77)
これは西行の歌の中でもっとも有名なものの一つだ。生涯桜を愛した西行が、生涯の終わりにも桜を眺めながら死んでゆきたい、と歌ったものだと解釈されるのが普通で、西行の純粋な美意識がこもったものだと受け取られてきた。この歌に、単なる美意識を超えて、西行の浄土信仰が込められていると解釈したのは吉本隆明である(西行論)。

女は二度生れる:川島雄三

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赤線地帯や遊郭を好んで描いた川島雄三が、「女は二度生れる」では、泥水稼業の女の生き方に焦点を当てた。時代設定は明示されていないが、公開された1961年のあたりだと思わせる。売春防止法が施行されたあとで、売春斡旋が犯罪になったという認識が、映画の登場人物(料理屋の女将など)の口から発せられるところからそうわかる。そうした売春禁止の時代背景のなかで、一人の不見転芸者の生き方を描く。不見転芸者とは誰とでも寝る芸者という意味だが、そんな芸者が売春防止法の施行後も当分のあいだ生き残っていた、そんな歴史的事実を気付かせてくれる映画である。

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(芝増上寺日中)

芝増上寺は、上野の寛永寺と並んで徳川家の菩提寺である。十五代将軍のうち六人がここに葬られた。寛永寺が天台宗なのに対して増上寺は浄土宗である。また寛永寺が江戸城から見て鬼門の方向にあるのに対して、増上寺は裏鬼門にあたる。

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天国編の挿絵の第二枚目は、第十九曲に対応している。ベアトリーチェとともに木星天に上ったダンテはそこで、地上で正義を実践した例たちが鷲の姿を取ってダンテらの前に現れ、ダンテの質問、それはキリストの出現以前に生きた人々が何故天国へ行けないのか、という素朴な質問であったが、その質問に答える。そして、人間の過去の歴史において、不正を働いたものどもの行為をあげ、それを糾弾する。

プミポン王の死後保留されていたヴァジラロンコン皇太子の王位継承が実現した。皇太子自身の不人気に加え、現王朝は九代で滅びるという予言が広く信じられていたこともあって、ヴァジラロンコン皇太子の即位はないのではないかとも言われていたが、結局彼が即位するということで最終的な決着がついたわけだ。

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1920年代に入るとマティスは、再び具象的で色彩豊かな絵を描くようになる。今度の場合は、具象的なフォルムは肉感的になり、色彩もそれに応じて感性的なものになった。この背景には、マティスのたびたびのモロッコ旅行がある。モロッコに旅行したことでマティスは、ある種の異国趣味を搔き立てられ、それを絵の中に反映させようとして、このような感覚的な絵を描くようになったのだと思われる。

司馬遼太郎の統帥権論

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司馬遼太郎は、昭和初期の十数年間を日本史にとって異常で異胎な時代だったと言い、日本にとっては「別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた」と言いつつ、この「わずか十数年間の"別国"のほうが、日本そのものであるかのようにして内外で印象づけられている」のは残念だという気持を強く抱いたようだ。

落花:西行を読む

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桜は咲くとすぐに散ってしまうものであるから、桜の花の散るさまを歌った歌は多い。万葉集から次の二首をあげてみよう。
  阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらん見る人なしに(1867)
  春雨はいたくなふりそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも(1870)
一首目は、阿保山の桜が見る人もなく散ってしまうのは惜しい、という気持を歌ったものであり、二首目は、桜が見る人もなく散るのは惜しいからあまり強く降らないでくれと春雨に呼びかけている。どちらも桜の花が人知れず散ってしまうのが惜しいという感情を歌ったもので、歌としては非常に素直なものだ。

幕末太陽伝:川島雄三

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落語は物語性に乏しいこともあって映画化には馴染まないらしく、落語を映画化したものはあまりない。そんななかで目を引くのが川島雄三の映画「幕末太陽伝」だ。これは「居残り佐平次」という古い落語を映画化したもので、当然笑いが命である。笑いの大家川島雄三ならでは、なかなか着目できないところだろう。またこの話は品川の遊郭街を舞台にしている。遊郭も川島の愛してやまなかったもので、「洲崎パラダイス赤信号」では、消滅の危機に瀕する遊郭街を愛惜の年を以て描いていた。「幕末太陽伝」もまた、売春防止法の施行直前(1957年)に公開されているから、川島はここでも消え行く日本の遊郭街に愛惜の念を寄せたつもりなのだろう。

トランプが中印を挑発

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トランプが台湾の蔡英文総統と電話会談を行い、互いの享協力関係について話し合ったそうだ。1979年の米中国交回復以来アメリカは台湾と外交関係を絶ち、台湾も中国の一部だとする本土の政権に敬意を表してきたが、これはその外交上の先例を破るもので、今後への影響が考えられる。実際本土側から早速反応があって、アメリカと台湾とが直接外交上のやり取りをすることは認められないと反発した。

Post-Truth(脱真実)社会

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最近欧米のメディアでは"Post-Truth"という言葉がよく目につく。オックスフォード辞典はこの言葉を、今年の流行語に選んだそうだ。意味は、「真実がものを言わなくなった」事態といったようなことらしい。真実を意図的に無視して、あったことをなかったように言い、なかったことをあったように言えば、それはウソになるが、政治の世界ではかならずしもそうではない。政治の世界では、うそも方便なのであって、人々を納得させるうそは、人々をげんなりさせる真実よりも貴い、そういったとらえ方がまかり通っている。そんな事態が例外ではなくなって、恒常化した世界をさして"Post-Truth(脱真実)"社会と言うようになったらしい。

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(大川岸一之橋遠景 明治十三年)

墨東地区を東西に流れる堀川のうち、本所・深川境界沿いのを竪川と言い、西側から数えて、一之橋から六之橋まであった。この掘割はもともと縦川といったのだが、後に言葉の洒落で竪川と書かれるようになった。

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ダンテの天国のイメージは、当時のヨーロッパ人の抱いていた天体のイメージを反映している。天体が地球を中心にして、惑星圏と恒星圏からなっているのと並行するように、天国も月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星それぞれの惑星天及びその外側に広がる広大な恒星天からなり、恒星天の更に外側に至高天があると考えていた。

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1910年代の半ばから末にかけて、マティスはある種の転換期を迎えた。それまでの、装飾的で色彩豊かな技法を一旦ペンディングにして、ピカソのキュービズムの実験に共鳴するような、抽象的で理屈ばった絵を描くようになった。構図がいっそう抽象的になり、色彩的には地味でかつ単調さが目立つようになった。この時期のマティスの絵の評価は、マティス本来の傾向からの逸脱であり、したがって退化だとする見方と、新たな芸術の開発に向けての偉大な実験だったとの見方とに分かれている。前者の見方のほうが有力なようである。

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