アラバマの田舎者でも恥は知っている

| コメント(0)
米上院のアラバマにおける補欠選挙で、民主党の候補者ダグ・ジョーンズが共和党のロイ・ムーアを破り、民主党に四半世紀ぶりに上院の議席をもたらした。アラバマと言えば、先の大統領選において、トランプがヒラリーに28ポイントの差を付け、圧倒的な勝利を収めた州であり、アメリカの中でも最も共和党の基盤が強いと言われる。そこで民主党が勝ったことの意味は大きい。というより共和党の負けた意味は大きいと言うべきだろう。というのもこの選挙は、共和党のオウンゴールのようなものだったからだ。

ハイデガー「形而上学入門」

| コメント(0)
「形而上学入門」は、1935年のフライブルグ大学での講義を文章化して1953年に発表されたものである。これに対して、アドルノが強く反発し、その反発を梃子にしてハイデガー批判の書「本来性という隠語」を書いたことはよく知られている。アドルノがそんなに反発したわけは、ハイデガーがナチス時代における自分の生き方についてまったく反省しておらず、むしろ居直っているかのような印象を受けたからだと思われる。実際この本を読むと、あいかわらずドイツ民族優越主義を思わせる言葉があちこちにある。その点ではハイデガーは、ナチス時代と全く違っていない、そうアドルノが受け取ったのも無理のないところがある。

柿本人麻呂歌集の挽歌

| コメント(0)
万葉集巻九挽歌の部は、柿本人麻呂歌集からとられた五首の歌が冒頭に置かれている。その一首目は、「宇治若郎子の宮所の歌」と題するもので、残りの四首は「紀伊の国にして作る歌四首」である。これらの歌が挽歌とされているのは、かつて紀州の浦でともに過ごしたらしい女性の面影をしのんでいるからで、その女性は既に死んだのだと考えられる。人麻呂は、紀伊への行幸に供奉したことがあるので、その折に共に遊んだ女性の面影を、あとで回想したのではないかと思われる。無論かつて遊んだ紀伊においてである。

崖の上のポニョ:宮崎駿

| コメント(0)
miya08.ponyo.jpg

宮崎駿の2008年公開のアニメ映画「崖の上のポニョ」は、人間の少年と人魚の少女とのふれあいを、暖かいタッチで描いたものである。冒険の途上危険な目に遭った人魚の少女が少年に助けられ、人魚として少年に大事にされているうちに、少年への気持ちが実って人間の姿に変わり、最後には人間の子として少年の家族に迎えられるという筋書きだ。

扇面散貼付屏風:宗達の扇面図

| コメント(0)
04.1.jpeg.jpg

宗達の実家俵屋は、絵屋として、市中にかなり知られていたようである。俵屋は、基本的には大衆的な絵屋として、貴族や寺社の求めに応じて書くというより、庶民の需要に応えていたものと推測される。その需要の主なものは、襖に張り付けることを目的とした図であるとか、扇の装飾だったと思われる。これは、宗達の家業というべきものだから、おそらく生涯のあらゆる時期にわたって制作したのだと思われる。しかし、単体として残っているものは数少ない。特に扇の場合には、扇の形としてではなく、扇面のために書かれた図柄を、襖に張り付けた形のものが残されている。

赤鼻の道化師:ルオーの世界

| コメント(0)
r29.1.jpg

「赤鼻の道化師」と題するこの絵は、1906年ごろに描いたものを、1925年ごろから28年ごろにかけて描きなおしたものだ。原型がどうだったか、伺いしれないが、おそらく構図はそのままで、色彩がかなり暗かったのだと思われる。それをルオーは、色彩を中心に描きなおした。その結果、コントラストの激しい、このような形に収まった。

大杉栄評論集を読む

| コメント(0)
大杉栄は、幸徳秋水のようにはまとまった著作を残さなかった。彼が残したのは、方々の雑誌に発表した評論のような短い文章ばかりである。それらの文章を集めて一冊にしたものが岩波文庫から出ているので、それを読めば、大杉の思想的な立ち位置がだいたいわかる。それを一言であらわせば、徹底した個人主義と、権力の否定、そしてそれらがもたらすところの無政府主義、つまりアナーキズムといったことになろう。

日本橋に高速道路はいらない

| コメント(0)
首都高速の都心部分の老朽化に伴い、関係機関の間で再整備の検討が進んでいるという。検討機関とは、国交省の道路部隊、東京都の土木部隊、首都高速道路の管理者である首都高速道路株式会社(旧首都高公団)の三者である。これに地元自治体の中央区が加わっているようだが、これは将来巨額に上る整備費用の一部でも負担させるための布石だと受け取られている。

田辺福麻呂の挽歌:万葉集を読む

| コメント(0)
田辺福麻呂は、大伴家持とほぼ同時代人で、おそらく下級官吏だったと思われる。万葉集巻十八には、天平二十年の春、越中の国守だった家持の屋敷に、福麻呂が左大臣橘家の使者として赴き、宴席にはべりながら、家持らと歌を交わしたことが触れられている。

ハウルの動く城:宮崎駿

| コメント(1)
miya07.howl.jpg

「ハウルの動く城」は、普通の人間の少女が魔法の世界に紛れ込んで、魔法使いたちの争いに巻き込まれるさまを描いている。人間の少女が異界に紛れ込み、そこで冒険をするというテーマは、前作の「千と千尋の神隠し」と似ている。「千」のほうは、両親と一緒に神隠しにあって異界に紛れ込むわけだが、その点では日本の伝説の世界を踏まえているわけだが、こちらは主人公の少女ソフィーが、ふとしたことから一人の青年と出会い、それがきっかけとなって、異界へとワープする。このワープという現象は、現実世界から異界への移動についての、これは西洋的な伝説の装置といってよい。

沈黙を破る人々:TIMEのPerson of the Year

| コメント(0)
171201.time.jpg

TIME恒例の Person of the Year に,今年はセクハラ被害について公然と発言した女性たちを、「沈黙を破る人々 The silence breakers」と命名したうえで選出した。今年は、こうした女性たちが声を上げたおかげで、ハーヴィー・ワインシュタインとかアル・フランケンといった各界の実力者が相次いで職を失い、セクハラはかならずしも得になる行為ではないという通念を、改めてアメリカ社会に喚起した。それは本来なら当たり前のことなのだが、その当たり前のことが今までのアメリカでは当たり前でなかった。正義は踏みにじられ、悪がはびこってきたのだ。そういう憂うべきアメリカを本来の姿に立ち戻すうえで、彼女らの行為には偉大な意義がある、というのが選出理由である。

03.sotatu15.hasu.jpg

蓮下絵百人一首和歌巻は、宗達と光悦とのコラボレーション作品のうちで、掉尾をかざるものである。そのことは、巻末に置かれた「大虚庵光悦」という落款から推測できる。光悦がこの落款を用い始めるのは、鷹が峰の光悦町への移住後のことだからだ。その事実をもとに、この図の制作年代は、元和年間(1515-23)の初頭ころと推測される。

「みみずくは黄昏に飛び立つ」は、女性作家である川上未映子による村上春樹へのインタビューである。「騎士団長殺し」の執筆前後になされたということもあり、「騎士団長殺し」についての舞台裏的な話が多い。タイトルに出てくるみみずくにしてからが、「騎士団長殺し」の中に出てくるキャラクターだ。そのみみずくが黄昏に飛び立つというと、ヘーゲルの有名な言葉「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」を想起するが、ミネルヴァの梟は哲学を体現して飛び立つのに対して、村上のみみずくは物語を抱えて飛び立つのだそうだ。

ピエロ:ルオーの世界

| コメント(0)
r25.1.jpg

今日いわゆる「ルオー的な」絵として知られる絵をルオーが描くようになるのは、1920年代の半ば頃である。上の絵は、1925年に描かれたものだが、これなどは、いかにもルオーらしい。この一年前に描いたサーカスの道化の絵と比べて、相違は一目瞭然である。だから筆者は、この絵をもってルオー的な様式を確立したものだとし、また1925年をルオーにとっての決定的な転換の年だとしたい。

千と千尋の神隠し:宮崎駿

| コメント(0)
miya06.sen.jpg

「千と千尋の神隠し」は、神隠しにあった少女の異界での冒険を描いたものだ。宮崎は前作の「もののけ姫」で、動物の怨霊がこの世界で跋扈するさまを描いたわけだが、ここではこの世界から異界へとワープした少女が、そこで本物のもののけたちと出会うさまを描いている。そのワープのきかっけとなるのが、日本古来の伝説を彩る神隠しというわけだ。

ハイデガー「プラトンの真理論」

| コメント(0)
「プラトンの真理論(真理についてのプラトンの教説)」は、1940年に論文として発表され、1947年の「ヒューマニズムに関する書簡」に併載されたものであるが、その原型は1930/31年の講義に遡る。ハイデガーは論文化するにあたって、講義録に大幅な手を加えたと言われているが、真理の本質とは存在がそれ自身をあらわにすること、或は存在がかくれなくあらわになること、とする真理観については、同時期の講義「真理の本質について」と同じ立場に立っており、したがって思索の基本線には変更はないと考えてよい。

筑波の歌垣:万葉集を読む

| コメント(0)
高橋虫麻呂には、筑波山の歌垣を詠んだ歌がある。「筑波嶺に登りて嬥謌會(かがひ)を為る日に作れる歌一首併せて短歌」がそれである。歌垣とは、筑波地方に古くから伝わる風習で、常陸の国風土記にも記されている。その歌垣を虫麻呂は、民間風俗を紹介するようなタッチで描いている。そこからして、歌としての面白さには欠けるという指摘もあるが、古代の風習を生き生きと描写していることには、貴重な意義があると言えよう。

もののけ姫:宮崎駿

| コメント(0)
miya05.mononoke.jpg

もののけと言うと、昔話に出てくる妖怪のことが想起されるが、この映画のなかでもののけ姫とよばれているのは、妖怪ではなく山犬に育てられた人間の娘のことである。そのもののけ姫が人間を敵として戦う。その戦いに一人の少年が巻き込まれて、もののけ姫と人間との板挟みになる。そんな話を、この映画は描いている。

02.1.jpg

宗達は若年の頃、本阿弥光悦とのコラボレーションからいくつもの傑作を生みだした。光悦は、宗達とほぼ同年齢と推測されるが、その多面的な才能によって、慶長期から徳川時代初期にかけての日本の美術をリードした巨匠である。その光悦と宗達は遠いながらも親戚の間柄で、それが機縁となって両者のコラボレーションが実現したという見方もあるが、必ずしも確証があるわけではない。わかっていることは、宗達の描いた下絵の上に、光悦が書を載せ、両者が相まって、独特の美的世界を演出したということである。光悦の才能は書に限られるわけではなかったが、書においては当時の日本を代表する書家であり、それにユニークな絵師であった宗達が協力することで、前代未聞の新しい美的境地が開発されたと言える。

サンフランシスコ市が、中国、韓国、フィリピンの女性が日本軍の慰安婦にさせられたことを物語る像等を、市の財産として受け入れたことについて、サンフランシスコ市と姉妹都市関係の長い歴史を持つ日本の大阪市の何某市長が、両市の信頼関係が崩壊したと言って、姉妹関係都市を絶縁する決定を行った。この決定に至るまで、大阪市長は何度かサンフランシスコ側に対して、受け入れないように申し入れていたようだが、サンフランシスコ側はその申し入れにほとんど無視に近い扱いをしたようだ。

最近のコメント

アーカイブ