ドナルド・トランプが初の国連演説で北朝鮮を激しく攻撃し、完全破壊を辞さないと述べたことで世界を震撼させた。北朝鮮を完全に破壊するとは、どういうことか。2400万の北朝鮮人を皆殺しにすることだろうか。多くの人がそう危惧したと思う。アメリカは1600発以上の核弾道を持っていると言われるから、それらをすべて北朝鮮に打ち込めば、たしかに北朝鮮は人っ子一人生き残らない焦土と化し、完全破壊されると思う。またトランプならそれをやりかねないと思っている人が多いだろう。

「存在と時間」第一編第五章は「内・存在そのもの」と題して、世界・内・存在としての現存在の根本的な有様について分析している。世界・内・存在としての現存在は、自分が生きている世界についてすでに存在了解を持っており、この存在了解を手がかりにして世界についての認識を成立させるというふうにハイデガーは問題を提起するのであるが、それではこの世界了解とはどのような内容のものなのか。それがこの章において論じられるテーマである。ハイデガーは世界了解の内容を基本的には二つの面から見る。一つは、現存在の現存在としての自分自身についての捉え方であり、もうひとつは自分自身以外の存在者についての捉え方である。ハイデガーは、前者については情態性、後者については了解と呼ぶものを通じて解明する。

民主主義と正義(五)

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九 正義と共通善
 ロールズの議論は、正義という上位概念を持ち込んだおかげで、自由に一定の制約があることを認めた。人間は誰でも自由を無制約に行使できるわけではない。自分だけ幸福になれば、他人のことには無関心でもよいといった考え方や、他人の犠牲のうえで自分の利益を図るといったことは許されない。何故なら、そういうことは正義に反しているからだ。この場合、ロールズが正義という言葉で意味しているものは、ほとんど平等ということに近い。人間は、能力の上では不平等に生まれてくるものだが、だからといって、差別されてもよいということにはならない。まして、能力以外の要素、たとえば人種とか思想信条とかによって、差別されてはならない。人間は、自分の意志でコントロールできない要素について差別されるべきではない。何故なら、人間は基本的には平等に作られているものであって、それを否定することは人間の尊厳を踏みにじるものだからだ。ここからしてロールズの正義論からは、人間の自由の行使は、他人の自由を踏みにじらない範囲に制約されるという考えが生まれてくるわけだ。

七夕を詠む(一):万葉集を読む

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万葉集には、七夕を詠んだ歌が百三十首以上収められている。当時の日本人に、七夕が親しまれていたことをうかがわせるが、実は七夕は、日本固有の行事ではなく、中国から伝わってきたものだ。それが日本にいち早く定着した背景には、日本の婚姻制度の特徴が働いていた。日本の古代における婚姻制度は、妻問婚といって、男が女の家に通うという形態をとっていた。そうした婚姻制度があるところに、一年に一度男女が天の川で出会うという中国の伝説が入ってきたために、この伝説が日本固有の妻問婚を想起させて、いちはやく普及したのだと考えられる。

戦線の08/15

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「08/15」シリーズ第二作「戦線の08/15」は、題名のとおり戦線におけるドイツ軍の戦いぶりを描く。戦いの舞台はロシア、そこでの独ソ戦の最前線に、第一部で出て来た部隊がそっくりそのまま登場する。ドイツ軍が、兵営単位で戦線に配置されることがよく伝わって来る。その辺は、内地で結成された師団単位で行動する日本軍の場合と同じだ。

民主主義と正義(四)

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7 ケルゼンの自由主義的民主主義論
 民主主義と自由主義とは本来異なる概念であり、両者は必ずしも密接に結びつくべき必然性を持たないとするシュミットの主張とは対照的に、民主主義と自由主義とは、歴史的に密接に結びついてきたばかりか、理論的にも結びつくべき運命にあると主張する立場もある。ハンス・ケルゼンはその代表である。ケルゼンは、民主主義というものは、自由と平等を目的としており、定義からして自由主義と不可分のものであると主張した(ケルゼンの議論は「デモクラシーの本質と価値」に手際よく要約されている)。彼も、議会主義が必ずしも民主主義と必然の結びつきをもたないとする点ではシュミットと一致するが、しかし彼のいう議会は、民主主義を実現するための一つの手段として観念されており、シュミットの言うような意味での、自由主義のための機関ではない。

願成就院阿弥陀如来像:運慶と鎌倉彫刻

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運慶は、三十歳代半ばに鎌倉に下向して、結構多くの仏像を作っている。奈良仏師で、康慶と同世代の成慶が頼朝に招かれて仏像を作っているが、運慶も成慶を追うようにして鎌倉に下向し、頼朝の岳父北条時政のために仏像を作っている。今日伊豆韮山の願成就院に残っている阿弥陀像以下の諸像がそれだが、ほかにも浄楽寺の阿弥陀三尊像がこの時期の作である。

民主主義と正義(三)

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5 シュミットによる自由主義批判
 議会主義と、その基盤となる自由主義についてこのように整理したうえでシュミットは、自分自身の立場を明らかにする。それを簡単に要約していうと、権力の集中と国家の役割の拡大というものである。

安倍晋三総理が、北朝鮮による危険な挑発に対して、国際社会が一体となって立ち向かうことの必要性を訴えた文章を、米紙に寄稿した。筆者はそれをニューヨークタイムズのWEB版で読んだ。ほかにも寄稿したメディアがあるのかもしれない。それを読むと、安倍総理の危機感が伝わってくる。北朝鮮は不誠実な国家であって、いかなる話し合いも効果を結ばないので、この際力づくで屈服させる必要がある。ついては国際社会のあらゆる国が、北朝鮮に抜け道を用意することなく、国連の決めた制裁を完璧に遂行すべきである、といった考え方が、ある種の熱意を以て伝わってくる。後日の参考のために、その全文を引用しておきたい。

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「一生の三時期(Die drei Lebensalter)」は、女性の生涯の三つの時期をイメージ化したものである。人間の生涯を三つの時期あるいは段階にわける考え方は、スフィンクスがオイディプスにかけた謎の神話以来ヨーロッパ人に馴染みの深いものだったが、クリムトはそれを、女性の人生に即して展開して見せたわけだ。

中江兆民「一年有半」

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中江兆民が死んだのは明治34年12月13日のことで、死因は喉頭癌だった。最初癌の症状に気づいたのは前年明治33年の11月のことだったが、その折には喉頭カタルくらいに見くびって油断していた。ところが翌年の春、関西に旅行したところ、症状がひどくなって苦痛に耐えられぬので、医師に治療を仰いだ。そこで喉頭癌だと宣告され、余命は一年半、よく養生すれば二年だろうと言われた。本人としては、たかだか半年くらいの寿命だろうと観念していたところ、一年半の猶予を与えられたと受け取り、その一年半を有意義に使おうと決意した。どう使うかは迷いがなかった。日頃胸中に温めていた思いを吐露し、以て文人たるの意気を示さんとすることだった。こうして兆民は、遺書というべき著作「一年有半」および「続一年有半」をしたためたのである。そして、この両書の完成と刊行を見届けて、その年のうちに死んだ。享受した余命は一年有半ではなく、たかだか半年だったが、兆民としては一年有半におとらぬ充実した日々だったろうと思われる。

民主主義と正義(二)

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3 シュミットの民主主義論
 ここでテクストの「現代議会主義の精神的状況」を踏まえながら、シュミットの民主主義論がはらんでいる問題について考えてみたい。

虫を詠む:万葉集を読む

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日本人ほど虫の鳴き声に敏感な民族はいないだろうと言われている。微妙な声を聞き分けて、その鳴き声の主である虫の種類も細かく分類し、それぞれ相応しい名を与えている。松虫、鈴虫、鍬形虫といった具合に。ところが万葉の時代には、虫は一喝して「こほろぎ」と呼ばれた。いまでも「こおろぎ」という名の虫はいるが、それに限らず、キリギリスも松虫も鈴虫もみな一様にこほろぎと呼ばれた。ということは、万葉の時代の日本人は、現代人ほど虫の声に敏感ではなかったということか。実際に万葉集には、秋の虫を詠った歌が十首にも満たない数があるばかりなので、あるいはそうかもしれない。

08/15:ドイツの軍隊生活

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ドイツ映画「08/15」は、第二次大戦におけるドイツの位置づけのようなものを正面から描いた、戦争もの三部作の統一名称である。第二次大戦勃発直前におけるドイツ軍の兵営での兵士たちの日常を描いた第一部、戦線での戦いぶりを描いた第二部、そして敗戦後のドイツを描いた第三部からなる。原作は、ドイツ軍兵士だったハンス・ヘルムート・キルストの回想録で、1954年に出版されるやベストセラーになった。それをパウル・マイが、出版直後から映画化にとりかかった。ドイツは敗戦国として、しかもナチスの所業が国際的に非難されていたこともあって、第二次大戦を正面から取り上げた映画は珍しかった。そんな風潮のなかで公開されたこの映画は、かなりの反響を呼んだようだ。

民主主義と正義(一)

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 四方山話の会の平成廿九年九月の例会で、筆者は「民主主義と正義」をテーマにして、一時間ほど話をした。以下はその際に用いた原稿である。このテーマを筆者が選んだ理由は、本文にも触れているとおり、近年民主主義という言葉が安易に使われ、その結果人々が民主主義について鈍感になっているとの危惧を抱いたことによる。そこで、民主主義という概念の内包と外延を明らかにすることで、民主主義についての人々の認識を曇りのないものにしたい、そう願ったわけである。その際にシュミットを議論の手がかりにしたのは、シュミットが民主主義を以て独裁を基礎づけたことで、民主主義の問題点を逆説的に解明したと考えるからだ。以下、筆者の議論の内容を五回にわけて紹介したい。

大日如来像:運慶と鎌倉彫刻

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運慶は年少時から父の康慶に師事して奈良仏師としての修行を積み、二十代の半ばには一人前の仏師になっていたと思われる。その成果を物語るのが、円成寺の大日如来像である。台座の蓮華板裏面に書かれた銘文には、大仏師康慶実弟子運慶が安元元年(1175)に作り始め、翌年十一月に完成したと記されている。実弟子とは、実の子でありかつ弟子であるという意味である。

カフカの「城」を読む

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「城」は普通には、未完成の作品と受け止められている。形式的にはそのように見える。主人公Kと旅館紳士荘のおかみとの会話の途中で中断してしまうし、話の流れからしても、とても完結しているようには見えない。しかしよくよく考えれば、この奇妙な話にまともな終り方があるだろうか。そもそもこの小説は、なにかまとまりのある筋書きからできているわけではない。たしかに、主人公には個人的な目的があり、とりあえずはその目的をめぐって小説が展開してゆくのであるが、そのうちに主人公自身が自分の目的を見失ってしまうようなところがある。主人公が、自分の行為について明確なイメージを持っていなければ、小説を読んでいる者にはなおさら、なにがそこで問題となっているのか見えてこない。ところが小説というものは、昔から多かれ少なかれ、問題なしでは進まなかったものなのだ。

民主主義と正義を語る

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先日予告しておいたように、四方山話の会九月の例会では、小生が「民主主義と正義」をテーマにして話をすることになった。ところが事前に石子からメールが届いて、今回の参加者は非常に少なくなる見込みだと言う。テーマが重すぎて、敬遠するものが多いのだろうと石子はいうのだが、たしかに古稀になんなんとして、こむつかしい話を聞かされるのは、しんどいかもしれない。

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臨月の妊婦の裸体を真横から描いたこの絵は、発表当時、やはりすさまじい反響を巻きおこした。無論拒絶的な反響であり、スキャンダラスな騒ぎといってもよいものだった。あまりにもエロティックで、猥褻だという反応が強かったのだ。たしかに猥褻かもしれない。女性の裸体とか、妊娠した腹とかは、それ自体では猥褻ではないが、ある文脈の中におかれると、俄然猥褻な印象をあたえるものだ。クリムトのこの絵も、そのような猥褻さをかもしだすようなものだったと言えよう。

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フランス映画は、第二次世界大戦について、あまり取り上げることがなかった。ろくな記憶がなかったからかもしれない。その点は、映画界がこぞって太平洋戦争を取り上げた日本とはかなり事情が異なる。敗戦国である日本が戦争映画を沢山つくり、戦勝国であるフランスが、戦争をとりあげたがらない、というのは面白い現象だ。

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