知の快楽

メルロ=ポンティの著作「知覚の現象学」は、「行動の構造」と一対のものとして学位論文を構成していることからわかるとおり、同じ課題を追求している。それは、人間の認識とか実践を、極端な実在論や極端な観念論のいづれかではなく、その両者を接合させることの上に基礎づけるというものだった。極端な実在論は自然とか意識外のものを基準にして立論し、意識は外的自然の反映だというふうに極言したりもする一方、極端な観念論は、意識こそが世界を構成するのであって、自然を含めた外的世界は意識の産物だとする。その二つの極端を配排して、「意識と自然、内的なものと外的なものとの関係を了解すること」(竹内芳郎、小木貞孝訳)が、メルロ=ポンティが「行動の構造」及び「知覚の現象学」において追求した課題だった。

メルロ=ポンティは、意識に定位しながら立論する姿勢をサルトルと共有していたので、サルトル同様に無意識を認めなかった。だから、サルトルがフロイトを批判したように、かれもフロイトを批判した。批判の要点は二つ。一つは無意識の実在性を否定すること、もう一つは無意識を原因とした因果関係を否定することである。

ベルグソンの哲学は、大きくいって二つの要素からなっている。現象一元論的な要素と、生命の哲学と称されるような要素である。後者は、エラン・ヴィタールといった生気論的な概念を駆使して説明される。この二つの要素のうち、第一の現象一元論的なものは、ベルグソンがそもそも出発点において提示していたものであり、第二の生気論的な要素は、後期になって本格的に展開される。「創造的進化」はその大成といってよい。

メルロ=ポンティは弁証法という言葉を二義的な意味で使っている。一つはヘーゲル由来の使い方、もう一つはゲシュタルトと相似的なものとしての使い方である。ヘーゲルの弁証法は、全体と部分との関係について説明したものだ。人間の知覚というものは、対象の全体を一時にとらえることはできない。一時に知覚に与えられるのは、対象の一面である。例えば家について、人間は、例えばその前面を見て、それで家を見たつもりになる。しかし家には側面もあるし、背面もあれば屋根もある。それらすべてが集まって家の全体像が作られる。人間の知覚というものはしかし、一時的には対象の一面しかとらえられないから、家の全体像を把握するためには、時間をかけて、家の様々な側面を見なければならない。そのうえで、それぞれの一面的な様相を、全体としての家のあらわれであるとして位置づける。その作用をヘーゲルは弁証法といった。弁証法は、ふつう、措定・反措定(否定)・総合(否定の否定)というプロセスで表されるが、措定とは、上の家の例でいえば、まず家の前面を見ることであり、反措定とは、家は全面だけではなくそれ以外の面、例えば背後もあるとすることであり、総合とは個々の家の現れを全体としての家に結びつけて認識することである。

「行動の構造」は「知覚の現象学」ともどもメルロ=ポンティの学位論文を構成するものだ。かれが「行動の構造」を刊行したのは1942年のことだが、執筆脱稿したのは1938年のことで、「知覚の現象学」(1945年)より七年も前のことだ。そんなこともあって、これら二つの論文は、一対で学位論文を構成してはいるが、内容はかなり異なったニュアンスを感じさせる。「知覚の現象学と」比較して、「行動の構造」は実証科学の成果を大胆に取り入れている。一読して、科学論文を読まされているような印象を受ける。とりわけ神経生理学とか、心理学の最新成果を引用しているので、あたかもそれらの学説と運命を共有しているかの観を抱かされる。そこでメルロ=ポンティのこの著作は、かれの依拠した科学の成果が色あせれば、それと運命をともにするだろうという批判もあらわれたほどだ。

鷲田清一は、日本におけるメルロ=ポンティ研究の第一人者である。講談社学術文庫から出ている「メルロ=ポンティ」は、文字通りかれのメッロ=ポンティ研究の包括的な業績といえる。メルロ=ポンティの生涯にわたる思想の流れを、変わらぬところと変わったところを明らかにしながら、丁寧にたどったものである。かれのメルロ=ポンティに対する私的な感慨が漏れてくるところもあるが、全体として、メルロ=ポンティの思想をありのままに提示しようとする姿勢が感じられる。

レヴィ=ストロースが広範な影響力を発揮した著作「野生の思考」の中でサルトル批判を行ったことはよく知られている。そこでサルトルが反論を行い論争になったが、その論争はかみ合わなうことがないままに、なぜか世間ではレヴィ=ストロースのほうが勝ったという判定をした。実際、サルトルはその後の哲学界で影が薄くなっていくのである。

サルトルのボードレール論は、かれが「実存的精神分析」と呼ぶものの応用である。これは、ボードレールの伝記的な事実に基礎を置くものであって、作品の内部に立ち入って分析するということは、基本的には行っていない。たまにボードレールの詩が引用されるのは、詩自体の価値に着目してではなく、「実存的精神分析」によって導き出されたボードレールの性格分析の傍証としてである。

サルトルのボードレール論は、かれの言う「実存的精神分析」を適用したものである。これはフロイトの精神分析に対抗したものであって、その概要については、「存在と無」のなかで触れられている。それをごく単純にいうと、人間とは彼の自由な意思(意識の選択)の産物であるというものだ。フロイトは、無意識とか言語といった、個人の意識のコントロールに服さない要素が個人の生き方を決定づけると考えたわけだが、サルトルはそいいう考えを完全に否定し、個人はかれの自由な意思の産物であり、その自由な意思の担い手である意識の範囲が、かれの人生全体と重なり合うと考えた。そうならば、デカルト的な明晰な意識を分析すればすむ問題であって、なにもフロイトの無意識を思わせる精神分析というような言葉を使わずに済むだろうと思うのだが、なにしろフロイトの影響力はすさまじく、人間の精神を論じる時にそれを無視するわけにもいかない。そこでとりあえず精神分析という言葉を使いながら、それにサルトル得意の実存的という言葉を重ね合わせたわけであろう。

サルトルは「存在と無」を、ヘーゲルの「精神現象学」を強く意識しながら書いた。かならずしも大きな影響関係があったというわけではないが、即自・対自の概念セットとか、個人の他者との関係のモデルとしての主人と奴隷に関する議論をほぼそのまま受け容れている。だが、ヘーゲルの方法論の特長であった弁証法については、ほとんど考慮を払っていなかった。サルトルが弁証法と取り組むようになるのは、マルスス主義との対決を通じてである。

サルトルの論文「方法の問題」は、もともと独立した論文として1957年に「レタン・モデルヌ」に発表されたものだ。それが1960年に「弁証法的理性批判」の刊行に際して、その冒頭に収録された。この大著にとっての緒論的な扱いであった。サルトルがそうしたわけは、この論文が実存主義とマルクス主義との関係、その革新的な問題としての弁証法の位置づけについてテーマとしていたからだろう。要するに「弁証法的理性批判」における問題提起を、この論文が先取りしており、したがってそれの緒論としてふさわしいと考えたからだと思われる。

サルトルが「唯物論と革命」を書いた1946年は、フランス共産党の権威が非常に高まっていた時期であり、また、革命への期待も高まっていた。そうした時代背景のなかで、サルトルは共産主義者たちと対決する必要を感じて、この文章を書いたといえる。サルトルがいう共産主義者は、革命者であって、かつマルクス主義者であった。サルトルの共産主義者への態度は、革命への原動力としては尊重する一方で、かれらの思想である唯物論については、厳しく批判するというものだった。それゆえこの書は、革命への情熱を煽る一方、唯物論を主張するマルクス主義を批判するという戦略をとっている。

サルトルの著作「実存主義とは何か」(1945)は、一応サルトルの倫理思想をはじめて披露したものということになっている。同時に第二次大戦直後に俄かに流行現象となった実存主義について、その思想的な意義を弁明したものである。というのも、サルトルの認識によれば、サルトルらの実存主義は大きな誤解を受けている。左翼のマルクス主義者も、右翼のカトリック勢力も実存主義を激しく攻撃しているが、それは彼らが我々を誤解しているからなのだと言って、サルトルは実存主義の弁明にあいつとめているといった具合なのである。

穴に関するサルトルの議論は、フロイトの肛門性愛論に対抗したものだ。フロイトは、幼児の肛門愛こそが、人間にとって最初の性的リビドーの発露であり、それは、意識の発達していない幼児にとっては、無意識の衝動であるとした。それに対してサルトルは、二重の観点から反撃を加える。一つは幼時には性欲などありえないということ、もう一つは、無意識の衝動などナンセンスだということだ。衝動といえども、サルトルにとっては、意識の自由な選択なのである。

サルトルの遊戯論は、所有論の一バリエーションである。サルトルによれば、人間は、かれが所有するところのものと一致する。所有するものが大きければ大きいほど、かれの人間性は大きくなる。逆に、所有するものが少ないほど、かれの人間性は小さくなり、所有するものがない人間は、存在しないも同様の、要するになにものでもない存在という、形容矛盾的な状況を甘受せねばならない。ところで、遊戯の精神とは、心のゆとりから生れてくるものであり、その心のゆとりとは、人間性のゆとりから生れるものであることを考えると、人間は所有するものが多いほど、遊戯の精神に富むということになる。

サルトルの所有論は、単に経済的な概念ではなく、形而上学的な概念である。それはまた単独の概念ではなく、創作論、存在論とともに三位一体をなしている。所有は、創作によって根拠を与えられ、存在の根拠となっている。この三位一体の中核には、無論存在があるのだが、それは所有によって基礎づけられるかぎり、所有こそが真の中核である。それはキリスト教の三位一体の教義において、神なる父が名目上の中核ではあるが、その子であるキリストが実質的な中核であるのと同じである。

サルトルの「存在と無」は、徹底的に意識に定位した議論であるから、無意識は考慮に入れていない。というより、サルトルは無意識の存在自体を認めていなかった。サルトルが「存在と無」を書いた頃には、フロイトの無意識についての主張が広く知られており、また、哲学者のなかにもベルグソンのように無意識の重要性を指摘する者が出てきていた。これは西洋の精神的な学問の流れにおいては画期的なことであり、いまや無意識を無視して人間の精神的な営みについて論じることは時代遅れのそしりを免れなかった。にもかかわらずサルトルは、徹底的に無意識を無視し、人間の精神活動をあくまで意識の領域に限定した。サルトルは自分のそうした立場を次のように表明するのだ。「実存的精神分析は、無意識的なものというこの要請をしりぞける。心的事実は、実存的精神分析にとっては、意識と広がりを同じくするものである」(松浪信三郎訳)

共同存在についてのサルトルの議論は、「われわれ」についての議論である。サルトルは即自存在としての自己(わたし)から出発して、その即自存在の無化としての対自存在へと移行し、対自存在の他者にとってのあり方としての対他存在を経て、共同存在へと到達するのである。だからサルトルの「われわれ」は、対他存在が対自存在に根拠づけられているように、個人によって根拠づけられる。まず共同体があり、そこから個人が抽出されるというのではなく、あくまで個人が先にあって、その個人の集まりとしての「われわれ」が現れてくるのである。

「存在と無」におけるサルトルの対他存在論は、サルトルなりの他者論である。サルトルはそれを、ヘーゲルの他者論から導き出している。ほとんどヘーゲルの精神現象学における自己と他者の相克の議論の焼き直しといってよい。ヘーゲルはその相克関係を、主人と奴隷の関係で代表させたが、サルトルもまた同じような議論を展開している。

サルトルの存在論は意識に定位した議論であるが、その議論の中核をなすのは、意識の即自存在と対自存在という一対の概念である。この概念セットをサルトルがヘーゲルから受け継いだのは間違いない。しかし、その使い方はかなり異なっている。ヘーゲルは、即自と対自との対立を、認識の弁証的発展過程の段階と見たのに対して、サルトルはそれを存在の様相のようなものとしてみた。ここでサルトルが存在という言葉で扱う対象は、意識である。その意識に、即自存在と対自存在の対立があると考えるわけである。

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