知の快楽

ドゥルーズは、西洋の伝統思想である形而上学を根本的に批判し、それを解体したうえで、全く新しい思想の原理を提示しようとする。それは自分自身の反復の思想を、ニーチェの永遠回帰の思想と融合させたものだ。永遠回帰としての反復というべきものが、ドゥルーズの掲げる新しい哲学の原理なのである。とはいっても、ドゥルーズの解釈するニーチェの永遠回帰は、ニーチェ本人が考えていた永遠回帰とはかならずしも一致しない。ドゥルーズは、自分自身の反復についての考えを、ニーチェの永遠回帰に無理に接合しようとして、永遠回帰の思想的な含意をゆがめて捉えなおしているフシが見える。もっともそれが悪いというわけではない。先人の思想の読み替えは、哲学の歴史ではめずらしいことではない。むしろ読み替えによって、思想が新たな命を吹きこまれることもある。

「差異と反復」の結論部分のタイトルは、ずばり「差異と反復」である。このタイトルを用いることによってドゥルーズは、この書物の目的を改めて確認しているわけである。その目的とは、西洋哲学の伝統を形成してきた形而上学を根本的に批判し、それに代わるものを提示するというものだった。形而上学の根本的な批判は、「表象=再現前化批判」という形をとり、新しい哲学は「永遠回帰」の思想という形をとる。そうすることでドゥルーズは、ニーチェこそが新たな時代の哲学にとっての導きの星であると位置付けるのだ。

「差異と反復」の第五章は、「感覚されうるものの非対称的総合」と題されているが、実際には、差異と感覚的な所与(ベルグソンが「意識の直接与件」と呼んだもの)との関係について論じる。ドゥルーズによれば、「差異は、所与がそれによって与えられる当のものである。差異は、雑多なものとしての所与がそれによって与えられる当のものである。差異は、現象(与えられるもの)ではなく、現象にこの上なく近い仮想的存在である」。つまり、差異は現象そのものではなく、それを根拠づけるものだというわけである。それをドゥルーズは、別の部分で、差異は現象の充足理由だと言っている。

「差異と反復」の第四章は、「差異の理念的総合」をテーマとする。この奇妙な言葉で表されたテーマについて明確な観念を持つためには、「理念」という言葉の意味をおさえておかねばならない。この理念という言葉をドゥルーズは、まずカント的な意味で使い始めるのだが、途中から、それもいきなり、ドゥルーズ独自の意味合いで使うことになる。理念とは多様体であり、したがって差異からなると言い出すのである。なぜそう言えるのか、について立ち入った説明はない。

「差異と反復」の第三章は、「思考のイマージュ」と題されているが、実質的な内容は、哲学の前提に関する議論である。ドゥルーズは、従来の伝統的な哲学はすべて、ある前提から出発していると見ている。その前提とは、哲学以前の世俗的な道徳を反映したものである。したがって臆見とか常識と言い換えられるようなものである。そうした臆見ないしは常識が土台にあるから、哲学はすべての人(といっても西洋的な伝統に属する人という意味だが)にとって共通の議論の対象となるのである。ところで、ドゥルーズの哲学者としての使命は、伝統的な哲学(形而上学)を、ニーチェと共に解体することであった。その解体の主要な武器として、ドゥルーズは、哲学における前提の批判とその否定を打ち出すのである。だからこの章の狙いは、「哲学における前提」を破壊することにある。

「差異と反復」の第二章は「それ自身へ向かう反復」と題されている。これは反復について立ち入って分析したものだ。それをドゥルーズは「それ自身へ向かう反復」と表現した。この表現は、差異を主題的に論じた第一章のタイトル「それ自身における差異」と同様奇妙なものである。むしろより一層奇妙といってよい。反復とは、常識的な意味では、つまり伝統的な意味では、反復されるものを前提にしている。それは反復するものとの間に密接な関係を持っているはずだ。その密接な関係とは、同一性のことである。反復するものと反復されるものとの間に何らかの同一性を認めるからこそ我々は、あるものが反復した、あるいは反復されたと考える。常識的な考えでは、差異が同一性を前提としていたように、反復もまた同一性を前提している。ところがドゥルーズは、そうした常識的な考えに異議を唱える。反復とは、同一のものの繰返しではなく、差異が反復されると考えるのである。「それ自身へ向かう反復」という言葉には、そうしたドゥルーズの考えが反映されていると思うのだが、この言葉からそうした考えがストレートに伝わってくるようには見えない。「それ自身」というのが、それ自身との同一性なのか、あるいはドゥルーズのいう差異としてのそれ自身なのか、この言葉からははっきりとわからないのである。

ドゥルーズの著作「差異と反復」の第一章のタイトルは「それ自身に置ける差異」である。これは実に奇妙な言葉だ。常識的な考えでは、差異というのは、あるものの別のあるものとの相違ということを意味する。あるものに差異があるとすれば、それは別のある者との関係を前提としているわけであるから、差異という概念は媒介された概念であり、したがって相対的な概念ということになるはずだ。ところがドゥルーズは「それ自身における差異」という言葉を使う。「それ自身における」という言葉は、常識的には、他のものとの関係を無視した、したがって何ものにも媒介されない、絶対的な概念ということになる。こうした概念規定は、常識とは著しく異なるので、読者を混乱させることは免れない。

ジル・ドゥルーズが1968年に出版した著作「差異と反復」は、かれの前半期の営みを集大成する業績である。かれがこの著作の中で展開したのは、西洋の伝統的な哲学思想(それをかれは形而上学と呼んでいる)の解体であり、そのうえで、全く新しいタイプの思想を構築しようというものだった。そうした問題意識は、ほぼ同時代を生きたライバル、ジャック・デリダと共有していたものだ。デリダのほうは、1967年に「声と現象」や「グラマトロジーについて」などを出版しており、それらの中でやはり西洋の伝統思想である形而上学の解体を目指していた。それをデリダはのちに脱構築という言葉で呼ぶようになるが、1967年の時点ではまだ大っぴらには使っていなかった。ドゥルーズのほうは、脱構築などという大げさな言葉は使わなかったが、西洋の伝統哲学に対する破壊的な攻撃力は、より深刻なものだったといえる。

ドゥルーズは「ニーチェと哲学」の結論部分を、ニーチェと弁証法の関係について強調することにあてている。これは自然なことだ。ドゥルーズはニーチェを西洋形而上学の破壊者として位置づけており、その形而上学が弁証法によって代表されるのであれば、ニーチェを弁証法の敵対者として描きだすことは、論理的に当然のことである。その弁証法を体系化したのはヘーゲルである。だからニーチェの弁証法への敵対は、ヘーゲル批判という形をとる、とドゥルーズは言う。「ヘーゲルとニーチェとの間に妥協は不可能である」(足立和弘訳)として、両者が不倶戴天の敵だと言うのである。とは言っても、ニーチェが終始一貫してヘーゲルを名指し批判したわけではない。ニーチェが名指し批判したのはソクラテスやプラトンといった哲学者である。だからニーチェは、ヘーゲルその人ではなく、ヘーゲルによって代表される弁証法的なものの見方を批判したといってよい。

議論というものは、問いの立て方次第で大体の方向が決まるものだ。その問いは疑問というかたちをとるが、その疑問は多くの場合、というよりほとんどの場合、議論の参加者すべてに共通した問題をめぐるものである。というのも、一部の人にだけ関心を持たれるだけで、大部分の人あるいは多数の人に関心を持たれない問題は、そもそも議論の題材とはならないからだ。議論というものは、最低限共通の土台の上でなされる必要があるのだ。ところが、大部分の人にとって共通する問題とは、じつはどうでもよいことだ、とニーチェは言う。なぜならそういう問題は、人間の大多数をしめる凡愚な連中にとって意味を持つにすぎず、したがって現実の秩序の容認を前提としている点で、ロバが背負う荷物と異ならないからだ。そういう連中の関心事は、自分たちの利益を守ろうとする動機に駆られている。その利益は奴隷の利益である。だから、問いの立て方を問題にするときには、たとえば真理とは何かといったような、万人に共通するような外観を呈しているような場合には、それを疑ってかからねばならない。誰がその問いを発したかを、見極めねばならない。奴隷の発した問いは、所詮奴隷の利益を守ろうとするものである。真に有用なのは、人類全体の向上につながるような問いであり、それを発することができるのは、一部のエリート、つまり超人なのだ、というのがニーチェの基本的な考えである。

ニーチェのいう超人をドゥルーズは「価値の創造者」として捉える。その前に「価値転換」とか「価値変換」とか言っているが、それはある価値をほかの価値で置き換えるということではない。ドルーズが言うには、「これは諸価値を変えることではなく、諸価値の価値を生み出す境位を変えることである」(足立和弘訳)。ちょっとわかりにくい言いかたであるが、既存の価値とは全く違った新しい価値を生み出すようなそういう境位の転換ということを意味する。要するに、まったく新しい価値を生み出す、つまり価値を創造する、それが超人だと言うのである。

ニーチェはニヒリズムを神の死と関連づけながら論じる。ニヒリズムとは、神が死んだあとにおとずれる状態である、というのが、「ツァラツストラ」の中で展開された思想である。神とは奴隷の発明品だとニーチェは考えるから、その神が死んだということは、奴隷道徳が根拠を失ったということを意味する。奴隷道徳こそは、人間一般の生きる基準であったから、その基準がなくなるということは、基準を成り立たしめている一切の価値がなくなることを意味する。そうした価値の不在をニーチェはニヒリズムと呼んだ。すくなくとも、「ツァラツストラ」からはそのように伝わってくる。してみれば、ニヒリズムとは否定的でマイナスイメージの概念ではなく、肯定的でプラスイメージの概念だということになる。「ツァラツストラ」は非常に文学的に書かれているので、かならずしも明晰な概念ばかりではなく、ニヒリズムという概念にも曖昧な部分が多いのであるが、ニーチェがそれにある積極的な意味をもたせようとしていたことは読み取れるのではないか。ニーチェの超人は、神が死んだ後のニヒリズムを背景にして初めて現れるのである。

ニーチェの「永遠回帰」についてのドゥルーズの解釈はかなりユニークなものである。ニーチェがこの概念を前面に押し出したのは「ツァラストラ」においてだったが、その内実はかならずしも明らかではない。多様な解釈を許すようなものである。たとえば、もし世界が無限だとすれば、一度おきたことがもう一度繰り返されないという断定はできない、したがって世界は永遠に同じことの繰り返しである、というような解釈も成り立つような書き方である。それに対してドゥルーズは、彼独自の解釈を施す。ニーチェの永遠回帰は、同じものが繰り返されるのではなく、常に新たなものが生成するというのである。その新たなものの生成をドゥルーズは、「差異の反復」という言葉で表現する。この言葉自体はニーチェのものではないので、ドゥルーズは自分自身の作った概念によって、ニーチェの永遠回帰の概念を基礎づけようとした、と言える。

「力への意思」は、「永遠回帰」とならんで、ニーチェの思想の根幹をなす概念である。ドゥルーズもそのように捉えている。だが、そのわりに概念の内実が明確だとはいえない。「力への意思」は、力と意志とから合成された言葉だが、その意思の部分については、ニーチェはショーペンハワーの影響を引きずっているようである。ショーペンハワーの意志概念は、主著のタイトル「意志と表象としての世界」が暗示するように、表象とセットで打ち出されている。表象の根拠となるものが意思だという具合にである。そういう使い方だと、意思は非常に精神的な色彩を帯びることとなり、したがってその意思が表象としての世界の根拠だとする考えは限りなく独我論に傾く。しかし、ニーチェは狭い意味での独我論を軽蔑していた。そういう独我論をニーチェは、賎民の思想だと呼んだことだろう。賎民は、強者の存在を認めたくない。だから自己の内部に閉じこもりたがる。そういう姿勢は独我論と親和的である、というのがその理由だ。

怨恨とやましい良心についてのニーチェの議論は、かれが奴隷の道徳と呼ぶものの起源をめぐる議論である。奴隷は主人との関係で意味を持つので、主人の存在を前提とする。主人を否定することで、奴隷は積極的な意味を持つようになり、したがって単なる主人の付属物ではなく、自立した人間になれる。その場合、主人との関係における「能動と反動」、「肯定と否定」、「高貴と卑劣」といった対立概念が大きな意味をもつ。奴隷は主人との関係において、能動に対する反動、肯定に対する否定、高貴に対する卑劣の側を代表する。いずれも積極的なものに対する受動的なものの反乱という形をとるが、それは具体的には怨恨をばねとし、また怨恨という形をとる。怨恨とは、能動に対する反動の反応であり、肯定に対する否定なのだ。怨恨はしたがって、強いものに向けられた精神の状態であるが、その怨恨が外にではなく、内側に、つまり自分自身に向けられるとやましい良心となる。怨恨はストレートな反応であるが、やましい良心のほうは宗教的で屈折した構えである。

ドゥルーズはニーチェの哲学を、「力への意思」をはじめとしたいくつかのキー概念を分析しながら解明していく。それらのキー概念の中には、「能動と反動」、「肯定と否定」、「高貴と低劣」といった一連の概念セットがあるが、それらは外見から思われるほど単純な二項対立ではない。通常の二項対立を構成する二つの項目は、互いに対立しあうものの、価値的には同等のものであり、より高度な概念のもとでは、相互に置き換え可能なものである。ところがニーチェの一連の対立概念セットは、一方が他方より価値的に高度なものであって、それが反対概念との対立を超越して、それ自身が無条件の存在を主張するといったものだ。その無条件の存在をもとに、存在を無条件に肯定しようというのがニーチェの思想の根本的な特徴である。その存在の無条件の肯定という境位から、永遠回帰とか超人といった思想が生まれてくる。

ドゥルーズは、ベルグソン、ヒューム、ニーチェ、カントといった思想家たちと向き合うことから自分自身の思想を生み出していった。なかでも彼に決定的な影響を与えたのは、ベルグソンとニーチェである。ベルグソンについては、差異という概念を彼なりに基礎づけるにあたって大きな手がかりとした。ベルグソン自体には差異という概念を大げさにあつかう気はなかったはずなのだが、というより差異つまり分節以前の現象の全体を主題とした思想家であるはずなのだが、ドゥルーズはベルグソンを差異の思想家として解釈しなおし、それを材料にして自身の差異の哲学を構築しようとした。ニーチェについては、西洋思想の伝統の破壊者として位置づけることで、その破壊の意思を受け継ぐ形で、自分自身西洋思想の破壊者として振舞う決意をしたというふうに言えるのではないか。もう一人、ドゥルーズが大きな影響を受けた思想家としてスピノザがあげられる。そのスピノザをドゥルーズは、ニーチェを通して再解釈した。それを簡単にいえば、キリスト教の否定と唯物論的な快楽主義と道徳的な価値の転倒ということになる。いずれにしても、ニーチェに依拠しながら既成の哲学を批判し、西洋思想の伝統を根本的に解体しようとする意志を、ドゥルーズには感じることができる。そんなことから、ドゥルーズはニーチェの最良の弟子ということができる。かれの初期の著作「ニーチェと哲学」は、かれが解釈したニーチェ思想の真髄を披露したものである。

ジル・ドゥルーズは、差異についての考察から自分の哲学を始めた。かれの初期の代表作「差異と反復」はその最初の本格的な成果だ。かれが「差異と反復」を刊行したのは1968年のことで、前年のデリダの「エクリチュールと差異」と並んで、「差異の哲学」の宣言のように受け取られたものだ.。かれらが差異をことさらに強調したのは、西洋の伝統的な哲学思想への挑戦を、この言葉に託したからだ。西洋の伝統的な哲学思想の根本的な内容は、同一性によって規定されている。同一性というのは、プラトンのイデアがそうであるように、永遠にかわらぬ(不変の)ものを基礎づける概念である。その概念から形而上学が構成された。その形而上学に代表される西洋の伝統思想を解体するためには、同一性との対立関係にあると思念される「差異」の概念を、とりあえず押し出そうというのが、二人の考えだったといえる。デリダとドゥルーズによって代表されるフランスの現代思想は、差異の哲学といわれることがあるが、それは差異こそが伝統的な西洋思想を解体するうえで、最重要な役割を果たすと考えられるからである。
ハイデガー晩年の「精神」概念は極めて特異なものである。それは深く特定の民族性と結びついている。つまりドイツ的な民族性である。世界中の民族のうちでドイツ民族だけが、真の意味での精神を持っている。その他の民族は、偽の精神しか持ちえない。だから本物の哲学を語ろうと思ったら、ドイツ語で語らねばならない。なぜならドイツ語だけが真の精神を体現しているのであり、真の精神こそが哲学の源泉だからである。それゆえフランス人が哲学を語るときには、かれもドイツ語で語らざるをえないのである。

ジャック・デリダが「精神について」を書いたのは1990年のことだ。「脱構築」の哲学者としての名声を確立していた。かれの脱構築の思想は、ニーチェやハイデガーの強い影響を感じさせるのだが、初期の活動においては、ハイデガーを主題的に論じたことはなかった。この書「精神について」は、副題「ハイデガーと問い」にあるとおり、ハイデガーについて主題的に論じたものだ。デリダはそのハイデガー論を「精神」という概念を中心にすえて展開する。

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