知の快楽

ベルグソンは国際的な心霊研究団体の会長を勤めたことがあるらしく、1913年にロンドンで行われた心霊研究協会での会長としての講演記録が、「生者の幻と心霊研究」と題して、「精神のエネルギー」に収録されている。

ベルグソンはデカルト主義を20世紀に再興した哲学者である。ここでデカルト主義と言っているのは心身二元論のことだ。デカルトは、物質としての身体と自我の意識としての精神をそれぞれ独立した実体だとしたうえで、相互の関係について思索をめぐらしたわけだが、うまく説明できる原理が見出せなかった。デカルトの後継者たちも、うまい説明ができたとはいえない。唯一スピノザは、精神も物質も実体などではなく属性だと言って、この二つを対立させるのはナンセンスだと言ったのだったが、それは問題を棚上げしたに過ぎない。かれは精神と物質を唯一の実体としての神の属性だとすることで、心身二元論を解消したように見せかけたのだったが、説明するのに神を持ち出すのは、説明を放棄しているにひとしい。

「精神のエネルギー」は、1919年に刊行されたベルグソンの論文集で、ベルグソンが折に触れて発表した論文を集めたものである。これは原型では二分冊になっており、一冊目が「心理学と哲学の特定の問題」を取り扱い、二冊目が哲学の「方法」について取り扱っている。このうち「「精神のエネルギー」と題して日本語(レグルス文庫)に訳されているのは一冊目である。

ベルグソンは、思考を映画の仕掛けに喩えることが好きで、随所で持ち出している。映画の仕掛けというのは、固定した(不動の)映像をつなげて映し出すことによって、動きを演出するものだ。動いているものが不動のものの組み合わせから生まれるというこの仕掛けは、思考に似ている。思考もまた、現象を不動の部分に切り分けたうえで、それらを組み合わせることで連続的な動きを認識する。その不動のものは、とりあえずは現象の一断面だが、それが抽象化されて概念に高まっていることもある。いずれにしても人間の思考は、動きをそのものとしてありのままに受け入れることは苦手で、不動のものの組み合わせとして認識する点で映画の仕掛けと似ているのである。

存在と無をめぐるベルグソンの議論は、西洋哲学の伝統からかなり離れている。西洋哲学の伝統においては、この議論は、なぜ無ではなくて有なのかとか、無は存在の否定だとかいった形でなされてきたが、それらの議論に共通しているのは、存在と無を対立させる考えに立っていることである。無は非存在とされ、存在と鋭く対立させられる。無は存在の欠如なのである。こうした考え方を、ベルグソンはナンセンスだという。無は存在の欠如なのではない。存在の一つのあり方あるいは側面なのだとするのである。だからベルグソンは存在と無の二元論を排斥する。世界は存在によって充たされている、と捉えるわけである。

ベルグソンが「時間と自由(意識の直接与件)」を書いたとき、意識はとりあえず人間を前提としていた。ベルグソンには唯心論的な傾向があるから、精神的な原理が世界を基礎付ける可能性は大きかったわけだが、「時間と自由」の段階では、精神的な原理の担い手としての意識は、人間の精神に極限されていたのである。ところが、「創造的進化」を書くに至り、ベルグソンは意識を、人間に局限されたものではなく、世界全体の生成を基礎付けるものとして捉えなおした。意識はもはや人間の内部に閉じ込められてはおらず、世界全体の生成原理に高められたのである。

進化論を哲学のテーマとして取り上げたのはベルグソンが最初であり、また本格的な哲学的進化論としては、最後の人でもあった。ベルグソンの進化論への関心は、哲学的処女作ともいえる「時間と自由(意識の直接与件)」の中で既に表明されていた。「時間と自由」が発表されたのは1888年のことで、ダーウィンが「種の起源」(1859年)を刊行してからまだ30年にもなっていない。その短い期間に、スペンサーによる進化論の俗流化が始まっている。ベルグソンが取り上げた進化論は、そのスペンサー経由のものであった。スペンサーは、ダーウィンの自然選択説を換骨堕胎して、適者生存説をぶち上げたわけだが、ベルグソンはその適者生存説に大きな影響を受けたようである。ベルグソンの思想の特徴は、人間の知性の働きを、生存の便宜性と関連付けることだが、その人間にとっての生存の便宜性こそは、適者生存と深いかかわりを持つのである。

エスプリはきわめてフランス的な概念だ。それに相当する言葉、要するに翻訳上対応する言葉は、英語ではスピリット、ドイツ語ではガイストということになるのだろうが、厳密に一致しているわけではない。意味の上にずれとか行き違いがある。このエスプリをベルグソンはもっぱら笑いとの関係において取り上げる。ベルグソンによればエスプリは、笑いの根源であるおかしみの、言葉の上での表れということになる。それを日本語で表記すれば機知ということになろう。

笑いについてのベルグソンの説は、かれの主要思想である純粋持続とどのような関係にあるのか。ベルグソンは笑いを、基本的には社会的なものだと定義する。人間というものは社会的な生き物だから、他の人間を無視しては生きられない。社会は個人に対して一定の態度を求める。それは明確な規範という形をとることもあれば、暗黙の期待という形をとることもある。どちらにしても個人はそうした社会の要請に応えなければならない。だから個人がその要請に反したことをすると、社会は何らかの形で制裁を加える。笑いはそうした制裁の洗練されたものだ、というのが笑いについてのベルグソンの定義である。

ベルグソンは、無意識を哲学の主要なテーマとして持ち込んだ最初の西洋人ではないか。東洋では、無意識の問題は馴染みの深いものだった。大乗仏教の唯識哲学などは無意識を正面からとりあげているし、同じくインド思想から生まれたヴェーダンタ哲学なども、無意識を重視していると井筒俊彦は指摘している。井筒によれば、イスラム教シーア派の神秘思想やユダヤ教の神秘思想などにも無意識を重視する流れはあるようだ。小生は、ベルグソンの無意識をめぐる思想は、フロイドのそれと並んで、ユダヤ教の神秘主義思想あたりに根源があると見当をつけている。

ベルグソンは、人間の精神の本質的なあり方を純粋持続としての時間性に求めた。ベルグソンはその思想を、学位論文「時間と自由」において展開したわけであるが、「物質と精神」において、更に徹底的な考察を加えた。その考察を通じて、時間というものが人間にとって持つ本質的な意義を明らかにしたのである。

ベルグソンが「時間と自由」の中で展開して見せたのは、精神と物質をめぐるデカルト的な二元論を20世紀に復活させるものだった。物質は延長によって特徴付けられる、それに対して精神は非延長的なものであって、その本質は持続としての時間にある。延長すなわち空間的なものと、持続すなわち時間的なものとは全く異なった原理に立っている。だから混同すべきではない。ところが大多数の人々は両者を混同している。それも時間を空間化するという形で。その結果奇妙なことが沢山起きる。エレア派のゼノンが提出した詭弁はその最たるものだ。そういう錯誤を避けるためには、精神と物質とを、全く異なったものとして峻別せねばならない、というのが「時間と自由」という著作の基本的内容だった。

ベルグソンの著作「時間と自由」第三章は、自由についての議論である。自由はとりあえずは意思決定の自由という形をとるが、その自由をどう捉えるかは、自然や人間の精神活動についての考え方を背景にしている。ベルグソンはその考え方を、機械論と力動論とに分ける。機械論というのは、自然や人間の精神活動はある一定の法則によって支配されていると見るもので、したがって人間の意志には自由な決定の余地はないとみなしがちである。それに対して力動論は、自然や人間の精神活動には法則にしばられない部分があり、したがって自由な意思決定の余地が残されていると考える。しかしその力動論といえども、法則性を無視するわけではない。

岩波文庫で邦訳が出ているベルグソンの著作「時間と自由」は、学位論文として書かれたもので、ベルグソンの思想活動の出発点となるものである。もともとのタイトルは「意識の直接与件について(Essai sur les données immédiates de la conscience)であった。それが英訳された際に訳者が「時間と自由」と訳し、日本でもそれが踏襲された。この著作の内容は、時間と空間の関係及びそれを踏まえた上での自由と必然性との関係についての誤った考えへの批判に費やされているので、「時間と自由」という題名でも差し支えないといえよう。

哲学の書物には、うんうん唸りながら読むタイプのものと、うきうき楽しみながら読むタイプのものがある。ヘーゲルの書物がうんうん唸りながら読むタイプの最たるものだとすれば、ベルグソンの書物はうきうき楽しみながら読むタイプを代表するものだろう。ベルグソン以外にも楽しく読める書物はある。近代以降に限っても、スピノザやライプニッツは楽しく読める、だがベルグソンの書物はレベルを超えた楽しさを与えてくれる。その最大の理由は、かれの文章の流麗さと感性的な色合いだろう、それを小生は文章のつやとか色気とか言いたいが、その色気に満ちた文章をベルグソンは書く。その色気ある文章を以て、どんな人間にとっても深い関心を持っているようなことについて語ってくれる。うきうきと楽しまないではいられないではないか。

「思想と動くもの」への緒論第二部の主要なテーマは、哲学と科学の関係についてである。このことにベルグソンがこだわるのは、かれの説が反科学主義だとの批判が強く出されたからであった。そういう批判が出るのは、科学と哲学との関係が正しく理解されておらず、哲学は科学を厳密化したものだとか、科学を基礎づけるものだとかいう考えが広まっているからだ。ベルグソンはそうした誤解を解消して、哲学と科学とのあるべき関係を模索するのである。

ベルグソンは「思想と動くもの」を刊行するについて、未発表の二編の小文を緒論として置いた。河野与一訳の岩波文庫版では、三分冊の最後に置かれているが、原著では冒頭に置かれている。また、河野訳では、便宜上「哲学の方法」という総題が付されているが、これは緒論の扱っているテーマを要領よく表現したものといえる。この緒論は、哲学の基礎となるものをまとめたもので、ベルグソンなりの方法序説と言うべきものであるからだ。

ベルグソンの小論「可能性と事象性」は、アリストテレスが提起し、西洋哲学の存在論を彩ってきた問題「可能態と現実態」の対立について、ベルグソンなりの回答を与えたものである。原題はLe possible et le réelとなっており、le réelを訳者の河野与一が事象性と訳したものだが、この言葉には現実性とか実在性といった意味も含まれる。ベルグソンはこの小論を1930年にスウェーデン語で発表した。1927年に受賞したノーベル文学賞への、遅ればせながらの受賞講演の代わりのつもりだったようだ。

ベルグソンとウィリアム・ジェームズは強い友情で結ばれていた。ジェームズのほうが17歳も年長だが、年齢の差を越えて互いに尊敬しあった。それは二人の思想に親縁性があったからだ。ジェームズは意識に直接与えられた感性的なものを自分の思想の土台として、ある種の唯心論を展開したわけだが、ベルグソンにも唯心論的な傾向が強い。ベルグソンの哲学的業績が「意識の直接的与件について」の考察から始まったように、かれの思想も意識に直接与えられた感性的なものを土台としている。そういう共通性が二人を強く結びつけたのだと思われる。もっともこういう意識内容を重視する思想(現象一元論と呼ばれる)は、当時流行していた新カント派にも共通するところで、その影響を受けた日本の西田幾多郎にも見られるところである。

ベルグソンの著作「思想と動くもの」に収められた「哲学的直観」という小文は、哲学と科学を比較しながら、哲学固有の意味について考えたものである。科学はある時代における知を代表しているものであるから、その時代の哲学は科学に対して意識的にならざるを得ない。じっさいどの時代の哲学思想も、同時代の科学の成果を自分に取り込んでいる。そのうえで、哲学はすべての科学を基礎付けるものだと言ってみたり、科学の成果を一段と高い視点から総合したものだと言って自慢したがるものである。しかしそれは思い上がった考えだとベルグソンは言う。哲学と科学とは本来異なったものだから、それぞれが自分の領分を持っているのであり、一方で他方を代用するわけにはいかず、また一方が他方より優れているともいえない、と言うのである。

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