日本文学覚書

岩波の「同時代ライブラリー」から出ている大岡昇平の「歴史小説論」は、前半で彼自身の歴史小説論を、後半でそれの応用としての森鴎外の歴史小説批判を載せている。まとまった著作ではなく、折に触れて書いた文章をまとめたものだ。

大岡昇平が「堺港攘夷始末」を書いたのは最晩年のことであり、その完成を見ずに死んだ。もっとも書こうと思ていたことの九分ほどは書いたと思われる。書き残したのは、この事件についての大岡の総括的な批評であったようだ。大岡は本文の中でもそうした彼自身の批評を折に触れ加えているから、大岡が当初意図したこの作品の構想は、大部分果たされたといってよいのではないか。だから、この作品は一個の独立した史論として読んでよい。

森鴎外の小文「空車」は、文字通り空車について述べた感想文のようなものである。これを鴎外は「むなぐるま」と呼び、古言だという。それに対して「からぐるま」と読むのは「なつかしくない」といって、自分としては「むなぐるま」という古言をあえて使いたいという。

森鴎外が小文「歴史其儘と歴史離れ」を書いたのは大正三年の暮れの頃のことで、翌年1月1日発行の雑誌「心の花」に掲載された。時期的には「山椒大夫」の執筆直後だったようで、本文のなかで、「山椒大夫」の執筆の経緯や、どういう創作姿勢で臨んだかについて書いている。つまり「山椒大夫」をサンプルにとって、鴎外が自己の創作姿勢について語ったものといえる。

森鴎外の短編小説「高瀬舟」は、「興津弥五右衛門の遺書」に始まる鴎外晩年の一連の歴史小説と「渋江抽斎」以下の史伝三部作に挟まれた時期に書かれたものだ。その意味で過渡的な作品といってよいのだが、他の作品群と比べ、非常にユニークなものである。鴎外は一連の歴史小説において、男の意地やら女の生き方そして人間の尊い愛といったものを描き、史伝三部作においては、徳川時代末期を生きた日本人たちの生き様を微細な視点から描いた。どちらのジャンルの作品においても、人間の個人としての生き方がテーマだった。それに対して「高瀬舟」は、人間の個人としての生き方というより、個人が生きる社会のあり方への批判という面を押し出している。つまりこの小説は、鴎外としてはめずらしく、社会的な視点を強く感じさせるものだ。その社会的な視線は、社会批判となって現れたり、安楽死といった、ある種の社会問題へのこだわりとしてあらわれている。

森鴎外が短編小説「最後の一句」を書いたのは大正四年の秋。時期的には、「山椒大夫」を書いて、一息いれていた頃である。鴎外は「安井夫人」で一女性の夫や家族への献身を描き、「山椒大夫」では姉の弟への献身を描いたわけだが、この「最後の一句」のテーマも献身である。しかも、子供が親の命を救うために自分が犠牲になるところを描く。その子供は、「いち」という十六歳の少女であるから、これも「安井夫人」以来の、女性の献身をテーマにしたものの延長上にある作品といってよい。

「栗山大膳」は鴎外晩年の歴史小説のなかでは、あまり注目されなかった。非常に地味な印象だし、物語展開に劇的なところがない。小説としては中途半端だと受け取られるのも無理はない。この作品については鴎外自身「歴史其儘と歴史離れ」の中で触れており、これは「歴史其儘」を語ったものだと言っている。つまり鴎外の意識の中では、あくまでも史伝であって、小説とは思っていなかった。雑誌の編集者が独断で小説扱いしたというのである。

森鴎外の小説「堺事件」は、史実に基づいた歴史小説である。題材は、戊辰戦争の最中におきた土佐藩士によるフランス水兵殺害事件。この事件は、新政府がまだ体制を固めていない混乱期におきたもので、日本側の対応に腰の砕けたところがあって、フランス側からの抗議をそのまま聞き入れ、事件にかかわった土佐藩士たちは、弁解の機会もろくに与えられないまま、死刑にされた。ただ、打首ではなく切腹を許されたのがせめてものはなむけだった、というのが通説になっている。

瀬戸内晴美が得度して寂聴を名乗ったのは昭和四十八年(1973)満五十一歳の年であった。出家の理由は煩悩から逃れることだったと本人も語っている。彼女は多感な女であって、つねに恋をしていた。その恋が彼女にとって煩悩のたねとなり、気の休まる時もなかった。五十の坂を超えたとき、さすがに煩悩に囚われた自分があさましく思われ、濁世を捨てて出家する気になったのだと思う。

瀬戸内晴美が短編小説「蘭を焼く」を書いたのは四十七歳の時で、「墓の見える道」を書いた二か月後だった。「墓の見える道」は、基本的には、女の生理を、というか性的衝動をテーマにした作品だ。この「蘭を焼く」は、表向きは焦げた蘭の花の匂いをテーマにしているが、その匂いは女の匂いを連想させることになっているので、やはり女の生理がテーマといってよい。その匂いとは、脇の下や内股から漂ってくるとされている。どんな匂いなのか。小説では、自分の匂いが葱の匂いと似ていることを気にしている女が出てくるので、ここでいう女の匂いとは、葱によく似た匂いなのであろう。たしかに女の汗は葱の匂いがする。

瀬戸内晴美は、45歳の時に書いた「黄金の鋲」を最後に露骨な私小説を書かなくなった。だが、私小説的な感性を思わせるものはしばらく書いていた。47歳の時に書いた「墓の見える道」は、一応私小説とは異なった創作ということになっているが、語り口には私小説的な雰囲気が濃厚だし、また、テーマになった事柄も、瀬戸内自身の体験が幾分かは盛られているようである。そうした意味では、これは、私小説と純粋な創作との中間的な作品といえるのではないか。

瀬戸内晴美の私小説「黄金の鋲」は、「妬心」及び「地獄ばやし」で書いたのと全く同じ事柄を書いたものである。つまり、自分の人生を振り回し続けた年下の男との痴情がテーマである。痴情という言葉を使ったが、それ以外の言葉では言い表せないほど、これらの小説の中の女(瀬戸内自身)は、どす黒い感情に惑溺している。それはともかく瀬戸内はなぜ、その体験にかくもこだわったのか。それへの答えを瀬戸内自身この小説の中でほのめかしている。

瀬戸内晴美の長目の短編小説「地獄ばやし」は「妬心」とほとんど同じテーマを描いている。「妬心」は、瀬戸内にとって長い間の因縁にからまれた年下の男との破局を描いていたのだったが、そこで描かれたのとほとんど同じようなことが、ここでも繰り返し描かれている。分量が倍近く(原稿用紙にして75枚から125枚)になったぶんだけ、描写は詳細になったが、書かれていることは、ほとんど異ならない。瀬戸内はなぜ、このテーマにそんなに拘ったのか。

短編小説「妬心」は、平野謙がいう瀬戸内の私小説の第三部ループの嚆矢となる作品である。この第三グループというのは、瀬戸内の最初の結婚を破綻させる原因となり、その後瀬戸内が八年間変則的な同棲生活をともにした男との関係をも破綻させた年下の男との、離別をテーマにした作品群である。この年下の男に瀬戸内は深い愛着を持っており、その男の愛を失うことは耐えがたかったようだ。この小説は、その耐えがたい彼女の心を正直に告白したものだ。なにしろ瀬戸内本人が、これは自分の実人生を描いた私小説だと認めているので、この小説を読むことで読者は、単に文学的な興味を駆られるだけではなく、瀬戸内という女性のありのままの姿を垣間見たような気になるだろう。

瀬戸内晴海の短編小説「みれん」は、「夏の終わり」で始めて描かれた三角関係の終わりをテーマにした作品である。題名「みれん」からは、瀬戸内自身この三角関係に複雑な感情を抱いていることが伝わってくる。彼女は、八年間一緒に暮らしてきた男に、理性では別れなばならぬと納得しておりながら、感情ではなかなかわりきれない。むしろ強い「みれん」を感じている。頭とは全く逆のことを、下半身が迫ってくるのである。

瀬戸内晴美の短編小説「あふれるもの」は、「夏の終わり」の延長上にある私小説だ。「夏の終わり」は、八年間奇妙な同棲生活をしてきた男と、最初の結婚の破綻の原因を作った年下の男との三角関係を描いていたが、この「あふれるもの」は、その年下の男が十二年ぶりに現れ、瀬戸内が激しく恋慕の感情を抱くようになるところを描く。平野謙が言うところの、瀬戸内の私小説の第二のグループのモデルとなった事件にとって、時系列的には発端となった出来事をモチーフにしているわけである。

「夏の終わり」は、瀬戸内晴美が私小説作家として自己確立した作品である。瀬戸内は、事実上の処女作といえる「花芯」が文壇に受入れられず、文芸雑誌からも長い間締め出されていたのだったが、この小説によって、ようやく一人前の作家と認められるようになった。時に瀬戸内は、四十歳だった。

先般馬歯百歳を以て成仏した瀬戸内寂聴尼は、俗人の頃は小説家であった。本名の瀬戸内晴美名義で作家活動をしていた。「花芯」はその瀬戸内晴美の出世作となったものである。原稿用紙七十枚ほどの短編小説で、テーマは女の官能の解放であった。女の官能の解放といえば、この小説が書かれた頃は、ほとんどありえないことだったので、瀬戸内のこの作品はかなりスキャンダラスなものとして受け取られたはずだ。はずだ、というのも、瀬戸内よりはるかに後の世代に属する小生のような人間には、瀬戸内が生きた時代の社会的雰囲気がいまひとつ伝わってこないからだ。

「チビの魂」及び「のらもの」は、いずれも小林政子にインスピレーションを得て書いた短編小説である。「チビの魂」(1935)は、秋声の分身たる主人公と政子の分身たる圭子との同棲生活を描いており、それに人身売買の犠牲となった少女をからませている。「のらもの」(1937)は、政子の若いころのエピソードを描いている。こちらは、つまらぬ同棲をしたおかげで、あたら青春の貴重な時期を台無しにしてしまったというような苦い後悔をテーマにしている。

「町の踊り場」と「死に親しむ」は、ともに昭和八年(1933)に書かれた。どちらも秋声の日常に取材した私小説風の作品である。「町の踊り場」は、姉の危篤を受けて故郷の地方都市(金沢)に戻った日々を描き、「死に親しむ」は、友人の医師の死をテーマにしている。二つの作品には、これといった関連はないが、どちらも踊り(社交ダンス)が小道具がわりに使われている。「町の踊り場」のほうは、気晴らしにダンスホールに出かけて行って初体面の女性と踊る秋声の分身が描かれるのであるし、「死に親しむ」のほうは、主人公の「彼」とその友人の医師はダンスを介して結びついているのである。

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