日本文学覚書

多和田葉子は都市めぐりが好きなようで、しかも世界中を股にかけて歩いているようだ。「百年の散歩」はそうした自分の趣味をエッセーふうにしたものだが、「容疑者の夜行列車」は小説の形で都市めぐりの醍醐味を楽しんでいる。タイトルにあるとおり、夜行列車で都市間の移動をしているのだが、そのタイトルに同じように含まれている「容疑者」という言葉が何を意味するのかよくわからない。この小説に出てくるのは容疑者ではなく、「あなた」と呼ばれる人なのだ。その「あなた」とは語り手の呼びかけの対象でもあり、また小説の主人公でもある。普通小説の主人公は三人称で呼ばれるか、それとも語り手自身であるか、そのどちらかなのだが、この小説の場合には二人称の「あなた」で呼ばれるのである。あまり例がないのではないか。

において、約、九割、犠牲者の、ほとんど、いつも、地面に、横たわる者、としての、必死で持ち上げる、頭、見せ者にされて、である、攻撃の武器、あるいは、その先端、喉に刺さったまま、あるいは、

「犬婿入り」は、芥川賞をとって多和田葉子の名を一躍有名にした作品ということらしい。それなりに強いインパクトを日本の文学界に与えたようだ。小生が読んでみての印象は、言葉の使い方が非常にユニークだということだ。谷崎のもっともユニークな小説「卍」の語り口を連想させる、非情に息の長い文章からなっている。句点(。)が少なく、長々とした文章が続く。谷崎ほど長くはないのは、さすがに今日の読者には重すぎるためだろう。谷崎は、その息の長い文章を、源氏物語を読むことで身につけたようだが、多和田の場合にも、源氏物語の影響が指摘できるのだろうか。

多和田葉子は、日本の大学を卒業後ドイツのハンブルグで就職し、以来ドイツで暮らして来たそうだ。要するに移民のようなものだろう。ドイツは他の国に先駆けて多くの移民を受け入れてきた。特にトルコからの移民が多かったようだ。それらの移民は、ドイツ社会の中で、ドイツ人がやりたがらない仕事に従事し、ドイツ人社会からは疎外されがちなところがある。トルコ系のドイツ人ファティ・アキンの映画を見ると、そうした陰湿な差別が如実に描かれていて、憂鬱な気分にさせられる。

「三人関係」は多和田葉子の第二作。デビュー作の「かかとを失くして」と比較すると趣向の違いを感じさせる。まず文体があっさりとした感じになった。「かかと」のほうは、谷崎の饒舌体を思わせるような、息の長いねっとりとした文体で書かれていたのに対して、こちらはどういうこともない普通の文章である。その普通の文体で、かなり現実離れした話が展開していくので、読んでいる方としては、からかわれているような気分にさせられる。不思議な小説である。

「かかとを失くして」は、日本の文学空間においては、ちょっとしたセンセーションだったようだ。村上春樹が「風の歌を聞け」でデビューして以来のことではなかったか。村上の場合には、自分自身に起きて欲しいが、色々な都合を考えればそうもいかないようなことを、いわゆる飛んでる文体でさらりと描いたものだが、多和田の場合には、自分には決して起きて欲しくないが、しかしなんとなく巻き込まれそうなことを、かなり浮世離れした文体で、ねっちりと描き出した。そこが当時の日本人にはセンセーショナルだったのではないか。

多和田葉子はノーベル賞に最も近い日本人作家だそうだ。その理由はおそらく、21世紀の国際社会の現実をもっとも色濃く体現しているということにあろう。20世紀が国家間の戦争に明け暮れた世紀とすれば、21世紀は、人々が国境を超えて歩き回るような、いわゆるグローバル化された世界である。グローバル化された世界は、究極的には個人の背景にある国境というものを無化する方向に働くと思うのだが、いまはそのグローバル化が始まったばかりなので、個人はまだ国籍を背負った状態で、互いに接しなければならないような状態にある。そうした中途半端なグローバル化の状態を、多和田は典型的な形で表現しているのである。

小生が小説を読む場合、具体的な土地についての言及があれば、かならず地図で所在を確認したり、その土地の歴史的背景など周辺的な情報を集める癖がある。そうすることで、小説を一層深く味わうことができると思い込んでいるからだ。安部公房の「けものたちは故郷をめざす」も例外ではなかった。小生は、満蒙を舞台にしたこの小説を、中国分省地図を傍らに置きながら読み、具体的な地名が出てくるたびに、その所在をたしかめたものだ。

「けものたちは故郷をめざす」は、安部公房の作品のなかでは、ちょっとはずれた系列の作風を感じさせる。安部公房の作風の特徴は、ごく単純化して言うと、カフカを思わせるような超現実的な筋書きと、あらゆる国籍を超脱したコスモポリタンな性格である。ところがこの作品には、いづれの特徴も見られないか、あるいは非常に希薄だといってよい。筋書きは極めて現実的なものだし、登場人物たちの国籍を強く感じさせる。とくに日本人へのこだわりが強い。安部はどうも日本人についてよいイメージを持っていないらしく、そのマイナスイメージをこの小説の中で、ぶちまけているのではないかと思わせられるほどである。これは、痛烈な日本人批判の書といってよい。

「二つの同時代史」は、大岡昇平と埴谷雄高のかなり長い対談をおさめたものだ。彼らがこの対談をしたとき、二人とも七十代の半ばに差し掛かっていた。二人とも1909年に生まれ、この対談の数年後に相ついで死んでいるから、これはそれぞれの白鳥の歌をかわしあったものと言ってよい。二人とも言いたいことを言って、死んでいったのだから、さぞせいせいしただろうと思う。

大江健三郎は、小説を書くために生れて来たといってよい。学生時代に早くも芥川賞をとり(飼育)、最後の長編小説(晩年様式集)を書いたのは78歳の時だった。そんな年で長編小説を書いた作家は、世界の歴史でも稀有である。ゲーテが「ファウスト」を完成させたのは死の前年81歳の時だが、ゲーテをそこまで駆り立てたのは旺盛な性欲だった。それに対して大江を老年に至るまで創作に駆り立てたのは、社会に対してのコミットメント意識だったように思われる。彼にとって生きることは書くことであり、書くこととは社会にコミットすることだったのである。

大江健三郎が、往復書簡の二人目の名宛人に選んだのは、南アフリカのユダヤ系女性作家ナディン・ゴーディマである。ゴーディマは南アフリカにおけるアパルトヘイトの暴力を批判していたことで知られていたが、大江はそれを踏まえて、日本における暴力の問題、とくに子供の暴力について問題提起する。その当時の日本では子どもの暴力が社会問題化していたのである。それについて、その責任を戦後の教育に押し付ける議論が日本では盛んであるが、それは違うだろうというのが大江の意見である。これに対してゴーディマは、子どもが育つ環境が大事だという、ある意味常識的な返事をしている。

「暴力に逆らって書く」は、大江健三郎の往復書簡を集めたもの。1995年1月から2002年10月にかけて、11人の海外の知識人との間でかわされた往復書簡である。大江は1994年にノーベル賞を受賞して、世界的な名声を得ていた。その名声をもとに、朝日新聞が高名な知識人との往復書簡を計画したということらしい。それらの書簡は朝日の夕刊紙上で公開された。

大江健三郎には敬愛する人物が何人かいて、かれらを小説の中に登場させる癖があった。音楽家の武満徹はそのなかでも最も多く登場させている。本名ではなく、篁という名前をつけて。篁とは密集した竹の林という意味だから、武満とは、(音の上で)親和的だ。また日本史上の怪人といわれる小野篁を想起させたりもする。小野篁は、時空を自由に往来する能力があったといわれるが、武満の音楽にもそんな雰囲気が指摘できる。

「晩年様式集」は、大江健三郎の最後の長編小説だ。これを脱稿した時、大江は七十八歳になっていた。こんな年で長編小説を完成させた作家は他にいないのではないかと思って調べてみたところ、あのゲーテが「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」を完成させたのは八十歳のときだとわかった。世の中、上には上がいるものである。

小説「水死」のメーンテーマは、父親の水死をめぐる語り手たる作家の探求であるが、それと並行する形で、若い演劇者たちの活動がある。その中でも「うないこ」と呼ばれる女性が、大きな意義を持たされている。この女性は冒頭の部分で現われ、以後語り手たる作家のまわりに居続けたあげく、小説の最後の部分では、意外な役割を果たすのである。その役割というのは、世界中の読者に向って、日本がいかに強姦者にとって都合のよい社会であるかということを、身を以て訴えることなのである。つまり自分自身が強姦されるという形で。

大江健三郎の小説世界は、四国の山の中に伝わる伝説を中心にして、いくつかのテーマをめぐって展開するのだが、そうしたテーマの一つに、父親の不可解な死というものがある。そのテーマを大江は、「みずから我が涙をぬぐい給う日」の中で初めて取り上げたのだったが、最晩年の小説「水死」は、それを新たな視点から本格的に展開して見せたのであった。

大江健三郎が、エドガー・ポーの詩「アナベル・リー」を自分の小説の中に取り込んだのは、小説の語り手つまり大江自身が、この詩に特別の思い入れを持っていたからというふうに書かれているが、またこの詩のイメージが、少女への偏愛というかロリータ・コンプレックスのようなものを、多少とも感じさせるからであろう。というのも、この小説の女性主人公であるサクラさんは、あるGIによって変態的な愛情を注がれていたのであるが、その愛情の注ぎ方がロリータ・コンプレックスを感じさせる一方、エドガー・ポーのアナベル・リーへの愛を感じさせないでもないからだ。

「美しいアナベル・リイ」というタイトルは、エドガー・ポーの詩「アナベル・リイ」からとったものだ。大江は当初この小説に「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」というタイトルをつけたのだったが、後に文庫化する際に「美しいアナベル・リイ」に替えた。「臈たし」云々は、日夏耿之介の訳語だが、いかにも時代がかっていて、今の日本には場違いと思ったのだろう。

大江健三郎には、自分は戦後民主主義の担い手だという自覚があって、民主主義がきらいな人たちを嫌悪していた。そうした嫌悪は、たとえば石原慎太郎のような反民主主義的な国家主義者を「あし(悪)はら」と呼んだり、江藤淳を「う(迂)とう」と呼んだりするところにあらわれている。ところが三島由紀夫に対しては、無論基本的には嫌悪しているようだが、評価しているところもある。その評価の部分を含めた自分の三島評を、大江は「さようなら、私の本よ!」の中で、披露している。

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