日々雑感

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この写真は、英紙ガーディアンに載っていたもの。ショッキングな映像が印象的だったので、引用した次第。全裸の男女が重なりあうようにして横たわっている。この人たちはこれを通じて、皮を剥がれた動物をイメージしてもらいたいのだそうだ。そう言われれば、人間の裸体に血のこびりついた様子が、皮を剥がれた動物、たとえば鶏やウサギを連想させる。

陰核(クリトリス)は、専ら女性の性的快楽に関わるものだと考えられて来たが、実はそれだけではなく、生殖にも深いかかわりがあるということがわかってきた。イギリスの研究者ロイ・レヴィン氏が、最近医学雑誌 Clinical Anatomyに起稿した小論のなかで、そのメカニズムについて報告している。

今年のMLBワールド・シリーズは異例なことが重なった。優勝したワシントン・ナショナルズは、前身のモントリオール・エズクポズ時代を含めて、球団創設以来50年ぶりのシリーズ出場で、しかも一発で優勝した。エクズポズがナショナルズに変る際には、球団の経営を引き受ける者がいなくて、大リーグ機構が直接経営したということもあり、長い間低迷していたのが、その後経営主体が現れてからは、徐々に他の球団並みになっていき、ついにワールド・シリーズ優勝にこぎつけたというわけだ。

小生が吉永小百合の映像を始めてみたのは中学生の時のこと。映画館に足を運んで「キューポラのある町」という映画に出ている彼女を見たのだったが、その時の彼女の演技というか、彼女の表情に、釘付けにされたことを覚えている。この映画の中の彼女は、まるで観音様のように慈悲深く見えたものだ。小生は、子供心に吉永小百合が好きになり、以来半世紀にわたって彼女のファンであり続けた。その吉永小百合に密着取材した番組をNHKが放送するとあって、小生は夕食をそそくさとすませて、テレビ画面に見入った次第だった。

美空ひばりが死んで30年になるそうだ。そのひばりを小生はこよなく愛しているが、それは母親の影響だった。小生の母親はひばりの大ファンで、食事の時間も惜しんでひばりの歌を聞いていたものだった。ひばりの歌を聞くときの母親の顔は仕合せそのものだった。その母親の顔を見るのが好きで小生は、ひばりのことも好きになったというわけである。そのひばりを、AIの技術を使って今に蘇らせようというプロジェクトが進んでいて、その成果をNHKが披露するというので、小生は胸を高らせながらテレビ画面に見入ったのだった。

旧友松子が死んで一年が経った。そこで残されたものとしては一周忌の墓参りをしたいと思い、山子が代表をつとめて、未亡人に墓の所在等をたしかめたところ、不案内なものにはなかなか行き当らないでしょうといって、一緒に行ってくれることになった。そんなわけで、彼岸の前日の日曜日に、桜木町の駅で待ち合わせをした(山子夫妻、落子、小生そして未亡人)。墓地は根岸霊園といって、本牧方面にあるのだが、交通の便が悪く、桜木町からバスでアクセスするのがよいというのだ。

今日7月27日は土用の丑の日だ。夏の土用の丑にあたる日は、昔からウナギが出て来るのが日本の食卓のならいだったが、この日の我が家の食卓にもうなぎの蒲焼が出て来た。うなぎの蒲焼は小生の大好物なので、大いに楽しみながら食った次第。若い頃には、頻繁にうなぎを食ったものだが、最近は値が上がったこともあり、そう頻繁には食えなくなった。だから夏の土用の丑の日くらい、腹いっぱい食いたいものだと思う。

野党的気性

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先日トーマス・マンのゲーテ論を読んでいたら興味深いくだりがあった。ゲーテは野党の立場には決して立たなかったし、野党に理解を示したこともなかった、というのだ。ここで野党と言われているものは、意識的に主流派に対立するのを好む連中を言う。ゲーテはそういう連中を軽蔑して、自分はつねに主流派に与したいと考えた。それはゲーテのエリート意識から来ている、社会のエリートに属する者は、常に支配的な立場に立つものだし、また自分が恩恵を受けていると感じる体制の現状を肯定するものだ。支配層はいつでも保守的だった、そうマンは言うのである。

中央公論2019年7月号に、今年87歳になる五木寛之と83歳になる横尾忠則の対談が載っていた。「生涯現役をめざして」というタイトルのとおり、死ぬまで元気に生きようという決意を互いに述べ合ったものだが、その秘訣、つまり死ぬまで元気でいる秘訣は、上手にボケることだそうだ。小生も含めて大部分の人間は、それも高齢者といわれる身分の人間は、自分だけはボケたくないと思っているだろうから、これは蒙を啓かれるような言葉だ。上手にボケたほうが、ボケないで頑張っているより、なにかと便利だと言われれば、あるいはそうかもしれないと思ったりする。


このビデオは、昨日(5月18日)に小生の家の付近の水路で撮影したカルガモの親子の雄姿。このヒナたちは5月の2日に生まれたので、まだ二週間ちょっとしかたっていないが、御覧のような結構成長している。よく見ると八羽いるのがわかる。生まれた5月18日には九羽いたので、一羽欠けたわけだ。どういう理由で欠けたのかはわからない。昨年までは、ここで生まれたカルガモのヒナは、一羽残らず無事成長していたので、とても残念なことだ。
昨日に続き今日も長津川へカルガモを見に行った。例のところに直行し、カルガモたちがいるかどうか水面をのぞいてみた。すると二組とも見えない。どこへいったかと思ってあたりを見回すと、大人のカルガモが五羽、一列になって泳いでいるのが見えた。これらのカルガモたちは、どういうつもりでこんなところを泳いでいるのだろうか、と不思議になる。昨年以前にここで生まれたヒナたちの一部なのだろうか。雌雄の区別はつかない。二組のカルガモたちの、母親の同胞かもしれない。その可能性は高い。姉妹が子を産んだのを、同胞として祝福しているのか。それにしてはその同胞たちと彼女らの子供たちの姿が見えない。

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一昨年から二年続けて、この季節の長津川でカルガモの親子を見かけた小生は、今年も見られることを期待して数日前から注目していたのだったが、一昨日に新しい親子を見かけてほっとした次第だった。そこで今日は天気もいいことだし、カメラを持って現場に出かけた。小さな水路が長津川の本流に合流するあたりだ。ここは水が浅いために、生まれたてのヒナにも安全な場所を提供してくれるとあって、毎年母カモがコガモを伴なって、我々人間にお目見えする場所になっている。

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ここしばらく陽気の進み具合が足踏みしていて、折角開き始めた桜がなかなか咲き広がらなかったが、今日は朝から気温があがり、すっかり春めいた陽気になたので、さぞ桜の開花も進んだろうと思って、付近の公園に出かけてみた。すし屋で寿司を握ってもらい、コンビニで缶ビールを買って、いそいそと出かけた次第だ。

新元号が令和に決まった。某官房長官が例の仏頂面で令和という文字を書いた紙を掲げた姿がテレビに写されたのを、小生は実況中継の画面で見たのだった。その際に官房長官が、出典は万葉集にあると手短にコメントしたので、小生は聊か思うところがあった。今回の改元にあたっては、従来のような漢学者ばかりでなく、日本史の学者も加わっているという噂だったので、日本語の文献から出展されるのではないかという予測をしていたのだったが、その予測があたったということだ。

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東京では桜が満開になったというので、小生の家の辺りではどうかなと思い、近所の長津川公園に出かけてみた。すると、写真のような光景が目に入って来た。これは、小生の家から来て最初に見える桜なのだが、ご覧のとおり八分咲きである。だが、これだけ咲いているのはここだけで、この反対側の方の、東北にあたる部分では、まだまだ二分咲きといった具合で、公園全体で百本ほどある桜を平均すると五分咲きといったところか。まだ満開にはほど遠い。

イチローが28年間の現役生活にくぎりをつけて、引退の意思を表明した。とりあえず、ごくろうさんと言いたい。偉大な功績を残したことに対しての言葉としては月並みだが。これ以上に相応しい言葉があるとも思えない。とにかく、ご苦労様でした。一ファンとして心からそう思います。

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上の写真は、小生の家の近くにある公園で毎日見かける花だ。灌木に咲くこの花は、一月の冬の盛りから見かけているから、かれこれ二か月も咲いている。この花の名をいつか、植物に詳しい人から教えてもらったが、行きがかりの人から教えてもらったその名前を、小生はうかつにも忘れてしまった。植物図鑑にあたっても見つけることができない。毎日のように見る花なので、できれば思い出したい。どなたか知っている方がいれば、教えてくださるとありがたい。

瀬戸内寂聴尼は今年九十六になり、あと二か月もすると九十七になるのだそうだ。そこで自分がその年まで生きてきたことをうれしいかというと、そうでもないらしい。特に年をとってからは、生きていることが必ずしもうれしくはないらしい。そのように思うのは、自分の命がこの世のために役に立たなくなったと感じる時だそうだ。そういう時には、「まだ、だらだらと生き続けて役にも立たなくなった自分の命を持て余しているような気もする」のだそうだ。

読書誌「図書」(2019年1月号)に、中国文学者の武田雅哉が寄せた小文「熊さん八つぁん」がなかなか面白かった。これは、今年の干支であるイノシシを材料にして、中国文化の一端について考察しているものだが、その語り口が非常に洒落ている。そこで、この人の書いた本も面白かろうと思って、いろいろ探したところ、「鬼子たちの肖像」というのが目に留まり、読んでみた次第だ。

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この元旦は例年通り早起きしてNHKの能楽番組を見た。今年の出し物は羽衣。八年前の元旦にもやっていた。その時は梅若万三郎がシテをつとめていたが、今年は観世清和がつとめた。どちらもすばらしい演技ぶりだ。観世清和は、オールラウンドの芸風で、女の役をやらせてもうまいし、また直面でもさまになる。さすがは観世流本家だけある。声に艶があるのは天性だろうが、その声で人の耳を驚かし、色気ある仕草で人の目を喜ばしむるわけだ。

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