無覚先生:三年ぶりの総選挙で自民党が大敗しました。公明党も拠点というべき大阪の選挙区で全敗するなど、自公連立政権に厳しい結果となりました。自公あわせても定数の過半数にいたらなかったわけで、政局が一挙に流動化することが考えられます。石破首相の進退問題に発展する可能性もある。これまで自民党は盤石の基盤を誇り、一強多弱といわれるような圧倒的な優位を誇ってきたのが、一気にひっくり返ってしまった。政治というものはわからないものだと改めて考えさせられました。今回の事態をどう受け取ったらよいか。
日々雑感

佐倉の川村美術館が閉館することになったそうだ。ついては見納めの見物に行かないか、と旧友鈴生から誘われて出かけた次第。今の時期はちょうど佐倉の秋祭りが催されるので、ついでにそちらの方も見物しよう。近年佐倉の目抜き通りから電柱が撤去されて、山車の人形が繰り出すようになったという。今までは電線に邪魔されて、人形は宝の持ち腐れだったものを、晴れて山車の上に姿を現すようになったというので、佐倉の人々は喜んでいるそうだ。
辻浩和は日本中世史の研究者で、「中世の遊女―生業と身分」などの著作がある。その辻が、今般東京芸術大学大学美術館で開催された「大吉原展」について、「遊女はなぜ描かれたか」と題する批判的なコメントを出した(雑誌「世界」2024年8月号)。この展覧会は、開催前からSNS上で話題を集め、いわゆる炎上を引き起こしたという。炎上した理由は、この展覧会が、吉原が人身売買や性的搾取が行われていた場であったことに無自覚で、買う側に立って遊郭を美化しようとしているのではないかとの疑惑を呼んだことにある。主催者側ではそうした指摘を受けて、「大吉原展の開催にあたってー吉原と女性の人権」と題する声明を出し、吉原遊郭が女性の人権を軽視していたことを認めるにやぶさかではないと弁明したのだったが、辻が実際に会場に足を運んで見た結果得た印象は、「制度の犠牲になった遊女たちなしにはあり得なかった吉原の文化と歴史を再考する機会」にはなっていなかったというものだった。
雑誌「世界」の最新号(2024年8月号)に、朱喜哲の「いまは哲学の出番ではない」と題した小論が掲載されている。アメリカのプラグマティズム哲学者リチャード・ローティについて論じたものである。論者はローティ研究者だということらしいが、そのローティが晩年にアメリカの対テロ戦争と称する武力行使を容認したことを取り上げて、そうした姿勢が哲学者としてのかれの思想とどのような関連があるのかについて考察している。小生は、ローティのことは全く知らないので、たいしたコメントをすることはできないが、これを読んでの印象は、ローティは本来まともな思想の持ち主ではあるが、こと政治の問題については非常に保守的だったと論者が考えているということだ。それはローティが、政治はプラグマティックな実践の問題であり、したがって政治を論じるときは、哲学は脇へ置かねばならないと割り切っていたことから来るのだろうと論者は忖度しているように見える。

2024年2月に歌舞伎座で行われた十八世中村勘三郎十三回忌追善公演から、勘三郎の二人の息子勘九郎・七之助兄弟が共演した「籠釣瓶花街酔醒」の舞台をNHKが中継放送したのを見た。勘三郎の当たり役だった籠釣瓶の佐野次郎座衛門を勘九郎が演じ、花魁八つ橋を七之助が演じた。ほかに片岡仁左衛門、尾上松録などが共演した。
昨日(5月24日)、近所の長津川公園を散歩していると、支流の水路にカルガモの親子が群れているのが見えた。一昨日は本流の水路に浮かんでいた。ほぼ毎年のように、この季節になると、生まれたばかりの小ガモを連れたカルガモを見る。よくよく観察を続けた結果、この小ガモは別の小さな池で生まれ、母親とともに道路を歩いてここまでやってくる。その途中、カラスに食われてしまう個体もあるようだ。
NHKの定例番組「映像の世紀バタフライエフェクト」が、伝説のジャズシンガー、ビリー・・ホリデイの歌った曲「奇妙な果実」を放送したのを見た(5月13日)。小生はビリーの大ファンなので、是非もなく見た次第だが、番組はビリー自身にではなく、この曲のほうに焦点を合わせていた。この曲はユダヤ人が作ったものだが、ビリーが歌って広めさせた。というか、ビリー・ホリデイという歌手をそのままを感じさせる曲なのである。

船橋海老川の桜並木は、船橋界隈ではもっとも人気のある花見名所だ。JRの線路から北方面に3キロにわたる桜並木がある。かつては千本桜と呼ばれたそうで、いまでも500本ほどの桜の並木が展開している。曇天が続いた後、気持ちのよい青空が広がったのをさいわいに、小生は海老川まで花見に赴いた次第。

昨年(2023)の三月に死んだ作曲家坂本龍一の最後の日々を記録したNHKスペシャル番組「LastDays 坂本龍一最後の日々」を見た。2020年の一月に肝臓に3センチ大の癌がみつかり、医師から余命半年といわれながらも、2023年三月に死ぬまで、死と向き合いながら、最後には自分の人生に納得して死んでいった坂本の最後の日々が、圧倒的な存在感をもって迫ってくる作品だった。

今年は、三月に入って寒い日が続いたおかげで桜の開花が遅かった。東京都心部では三月二十九日にやっと開花し、満開になったのは四月四日だった。小生の住む千葉県船橋は、それよりもっと遅れ、開花は四月に入ってから、満開は四月七日だった。その満開の桜を見に、この日四月七日に、弁当を持参して近所の桜の名所長津川公園に赴いた。

表参道を、山通との交差点を渡ると、その延長上に東側に伸びるやや狭い道が伸び、それを「みゆき通り」と言いますが、この通りの外れ近くにフロムファーストビルができてからは、フロムファースト通りとも呼ばれるようになりました。フロムファースト自体は、総合生活提案産業ですが、ビルの中にはさまざまな商業施設が入っています。この建物を設計したのは山下和正。竣工は1975年です。

プラダ青山の東側に小道を挟んで隣接するのは「ザジュエルズオブアオヤマ」です。ファッションブランド数店などが入る複合商業施設です。きわめてユニークな外観のこの建物を設計したのは光井純&アソシエーツ建築設計事務所。竣工は2005年です。

表参道と青山通りの交差点を渡った先に、通称フロムファースト通りがあり、その通りを少し進むと、左手にファッショナブルな建物が見えます。イタリアのファッションブランド、ブルネロ・クチネリの旗艦店です。石造を思わせる重厚なイメージのファサードが印象的です。設計はイタリアの建築家ロレンツォ・ラディ。世界中のブルネロの店舗設計を手掛けているそうです。竣工は2021年です。

原宿駅から表参道を引き返して、青山通りとの交差点を右に行くと、ひときわ高いビルが見えます。AO(あお)という複合施設のビルです。高層の建物と中層の建物がセットになっています。高層の建物は、下に向かって幅が狭くなっていて、いかにも不安定に見えます。設計は日本設計。竣工は2009年。名称の「あお」は、「青山で会おう」と語呂合わせをしているのだそうです。

表参道と明治通りの交差点から明治通りを北上すると左手に奇妙な形のビルが見えます。ジ・アイスキューブ・ビルという複合施設です。名前のとおり、氷の塊を積み重ねたような形です。その氷の塊をガラスのチューブで表現しています。設計は光井純&アソシエーツ建築設計事務所、竣工は2008年です。

東急プラザ表参道を再訪しました。前回は、ケヤキの葉が鬱蒼と繁っていましたが、今回は葉を落としていて、建物のアウトラインがよく見えます。一方で屋上の植栽は、常緑樹ですので、冬でも青々としています。

表参道の一郭に神宮前小学校があり、その斜め前に奇妙な形をした建物がたっています。GYRE(ジャイルと読みます)といって、複合商業施設です。ちょっと見た目にも、かなり風変わりな印象をうけます。建物の各階が、それぞれずれているように見えるのです。各階が連続していないで、断絶したものを積みあげたように見えるところから、まるで積み木のイメージそのものです。

表参道ヒルズは、この地域ではもっとも大規模な建物で、全長が250メートルもあります。そのわりに高さが控えめなので、上から見ると地べたに横たわった竜のように見えるでしょう。

2022年にオープンしたマックスマーラ表参道は、マックスマーラにとって表参道地区では二つ目のものです。イタリア人建築家アンドレア・トニョンの設計です。庇構造を取り入れ、その部分を流線形にすることで、躍動感を演出しています。この躍動感があるために、実際よりもそびえたつような印象を受けます。

表参道KEYAKIビル、ケリング・ビルは、一区画の敷地を仲良く分け合うように立っています。ケヤキビルが敷地の角に立ち、それをL字型に囲むかたちでケリング・ビルが立っています。通りを隔てた向かい側から見ると、細長い建物が二つ並んでいるように見えます。
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