日本の政治と社会

北朝鮮外務省の日本担当副局長なる人物が、日本の安倍総理に言及して、雀の電脳水準以下だと罵倒したそうだ。これは朝鮮中央通信を通じて発表した談話のなかで出てきた言葉で、安倍総理が北朝鮮の発射した超大型放射砲を弾道ミサイルと取り違えたことを馬鹿にしたもの。この人物はご丁寧にも、北朝鮮は近いうちに本物の弾道ミサイルを発射するつもりだから、弾道ミサイルがどういうものか、よく見ろとも言ったそうだ。また、「安倍は本当にどれ一つ不足がない完ぺきな馬鹿であり、二つとない希代の政治小人だ」とも言ったそうだ。

韓国政府は、日本に通告していたGSOMIAの破棄を、昨日、期限ぎりぎりのどん詰まりになって、延期すると発表した。いままでの韓国政府の振舞いからすると、意外に映る。その理由を、自称識者たちはさまざまに説明して見せているが、やはり米国の圧力に屈したとみるのが自然だ。トランプ政権は、この問題については、背景に日韓間の歴史問題をめぐる軋轢があることを棚上げしながら、GSOMIAの破棄がアメリカに及ぼす害悪を無視できずに、韓国政府を締めあげたのだと思う。アメリカにとって、日韓はともに子飼いの犬のようなものだ。その犬同士が喧嘩するのはかまわぬが、それが主人である自分の立場を危うくするのは許せない。そう考えたうえで、そうした行為をとっているのは韓国のほうであるから、とりあえず韓国を締めあげようということだったと思う。そうしたアメリカの意向に、韓国政府が屈したということだろう。

先般の台風騒ぎで多大な犠牲を出した千葉県、その知事を務める某氏が、災害対応がひどかったといって日本中から批判されている。某週刊誌などは、某知事が災害発生の翌日に、公務を放り出して雲隠れし、千葉県内の自分の別荘に行っていたと報じたことで、批判の声はいっそうすさまじさを増した。某知事は、あれは別荘ではなく自宅なんですよ、と弁解したが、自宅だとしたら、千葉県民の災害の苦しみを放り出して、自分のことばかり考えていた証拠になるというので、もっとひどいということになる。そこで某知事への批判は、罵倒へとかわり、某知事はいまや日本中から袋叩きされている状態だ。

2020年度から実施されるはずだった英語民間試験が土壇場で見送りとなった。土壇場というのも、申し込み受付手続きが始まる当日に発表されたということだから、その唐突ぶりは否めない。この事態の背景には、某現職文科大臣の、いわゆる「身の丈」発言があった。この発言が、図らずも当該制度の持つ矛盾点をあぶり出す形になり、それを国民の多くが知るに至り、このまま実施を強行しては、重大な反発を招きかねないとの、安倍政権の危機意識が働いた結果、今回の決定となったものだ。とすれば、某文科大臣は、皮肉めいた言い方をすれば、重大な問題をはらむ制度について、考え直すきっかけを作ったということになる。

先日、神戸市立東須磨小学校の教員間で起きた陰湿ないじめ問題では、加害者の教諭四人が謹慎処分に処されていたが、それが有給休暇制度を利用したもので、給与が支払われているのはけしからぬとして、このたび神戸市議会がかれらへの給与の差し止めを可能にする条例を作ったそうだ。市民の感情を考慮したものだというが、果たして問題はないのか。例によって日本のメディアの報道は、明確で丁寧なものとはいえないので、なにが起きているのか、よくわからないところがある。給与の差し止めなどというから、有給休暇中にかれらに支払われるべき給与を差し止めることかといえば、どうもそう単純なことではないらしい。

今年は台風の当たりシーズンで、巨大台風が繰り返し日本を襲ったが、なかでも千葉県の被害は甚大だった。千葉県はこれまで長い間台風による直接被害を免れてきたのだが、今年は三度も巨大台風に見舞われ、そのたびに大きな被害を受けた。千葉県に育ち、いまもそこに居住する小生としては、知り合いにも被害を受けた人たちがいたりして、他人ごとではなかった。先日は、考妣の法要のために千葉県佐倉市の寺を訪ねたが、その寺も甚大な被害を受けたほか、近隣住民にも避難所に非難した人が多数いたと聞かされた。

先日、東京五輪のマラソン競技を、アスリート・ファーストの見地から札幌で開催するというIOCの方針が伝えられるや、東京都の知事はこれに大きく反発。そんなに涼しいところでやりたいなら、北方領土でやったらどうですかと、わけのわからぬことを言い出して世間の失笑を買ったところだが、今度は又、別のことを言い出した。暑さ対策というなら、マラソンの開始時間を繰り上げて午前五時にしたらどうかとか、復興五輪という名目を掲げているのだから、札幌より東北の方が相応しいのではないか、といった意見を知事の意向を受けたに違いない東京都の役人どもが言い出したと言うのだ。

東京オリンピックのマラソンと競歩の種目を、札幌で開催する案がIOCで真剣に検討されているそうだ。名案といえるので、おそらくその方向で実現する可能性が高い。開催都市たる東京都の知事は強く反発しているそうだが、選手の健康第一という名目の前では、その言い分は通らないだろう。小生は、基本的にはIOCの案に賛成だ。

関西電力の幹部が、不明朗な金品を受領していた問題が大きな騒ぎを引き起こしている。金の出どころは原発立地自治体の元助役で、その金の大本の出どころは関西電力の工事を請け負っていた企業だ。つまり工事代金の一部がキャッシュバックの形で関西電力の幹部にわたっていたということで、これは古典的な汚職の構図と同じものだ。

台風15号は千葉県の人びとに甚大な被害をもたらした。小生は千葉県民ではあるが、幸い甚大な被害に見舞われることはなかった。だが、日頃仲よくしている千葉県民には甚大な被害を被った人もいて、小生は友人として、憂慮に耐えない。そんな千葉県民に打撃を与えたのが自然災害であることは、小生にも理解できるが、その自然災害がこんなに甚大化したのは、人災も作用しているのではないか。特に東京電力の責任が重いと思うのだが、国や千葉県の行政当局にも責任があるのではないか。

ニューヨークでの国連総会にあわせて設定されていた日米貿易協定。この結果について安倍政権はウィンウィンといって、さも日本側にも利益があるようなことをいっているが、日本側が一方的に譲歩させられたということは、中身をよく読んでみれば、中学生でも気が付くことだ。日本側からアメリカに与えたのは畜産物などの関税をPPT並みの水準におまけしてやること。一方アメリカが日本に与えたものは、無いに等しい。安倍政権は、もしかして仕掛けられるかもしれない日本からのアメリカ向け自動車輸出への制裁が、今回はかけられなかったことを以て、日本側の成果のようなことをいっているが、それは現在ないものが、今後もないままになったというだけの話で、日本側が新たに獲得したものでは、毛頭ない。

「表現の不自由展」をめぐって一騒ぎがあり、その再開が計画されていた矢先、文化庁が「あいちトリエンナーレ」全体を対象に、交付決定していた補助金を全額取消すると決定した。その理由として文化庁は、主催者が当該催しにかかる進行状況などを、補助金交付者たる文化庁に報告しなかったのはけしからぬと言っているそうだが、実際は「表現の不自由展」に安倍政権が強い拒絶反応を示したことにあることはミエミエだ。かりに文化庁の言うとおりだったとしても、それはそれで問題がある。こういう性質の展覧会に、国がこまかく介入するのは、それこそ検閲と言われて仕方がないのであって、法治主義を尊重すべき政府のやることではない。

福島原発事故の責任をめぐって強制起訴された東電の旧経営陣三人に対して、東京地裁で無罪判決が出た。これまでの経緯を踏まえれば、無罪判決が出ることは十分に予想されたことだが、小生はその理由に吃驚させられた。判決理由は、刑事責任をめぐる伝統的な解釈を踏まえたものというよりは、それを大きく逸脱して、これまでの刑事責任論を根本から覆すようなものだといえる。いわば犯罪者に御墨つきを与え、今後同種のことがらについては、責任逃れの方途を広くしてやったようなものだといえるのである。

雑誌「世界」の最新号(2019年10月号)が、「日韓関係の再構築へ」と題した特集を組んでいる。いまや、日本のメディアでは反韓・嫌韓が流行現象となって、韓国を罵ることが当たり前となっている中、日韓関係の再構築を云々する言説は、とかく攻撃にさらされやすい。なにしろ政官民が一体となって隣国韓国を侮辱してやまないのだ。そんな中で、こういう特集を組んだ「世界」編集部の勇気を評価したい。

台風15号の進行経路にあたっていた千葉県では、大規模な停電が発生し、五日目の今日になっても、いまだに20万近い世帯で解消されていない。中には、復旧するまでにあと二週間かかるところもあるなどと、信じられない情報が飛び交っている。

台風15号が関東地方を直撃し、各地に大きな被害を出した。この台風は、関東を襲ったものとしては、十数年ぶりの巨大台風で、被害の発生が事前に想定されたので、JRはじめ鉄道各社が、計画運休を実施した。関東での計画運休は、昨年も台風24号に際して行われたが、それは当日の正午前後に、その日の夜の終電を早めに前倒しするというものだった。今回は、前日のうちに、始発を午前八時以降に先延ばしすると発表した。

Japan Times の電子版に、日本企業とミャンマーとの経済的な結びつきについて、批判的な記事が載っていた。日本人が書いたものだが、なかなか鋭いところをついている。日本企業が、ロヒンギャの問題を全く考慮にいれないで、ひたすらミャンマーの軍閥を応援しているのは、政治的にも道義的にもまずいのではないか、といった趣旨の記事だ。

あいちトリエンナーレの一環として催された「表現の不自由展」が、脅迫や恫喝に屈する形で、主催者自ら中止したことをめぐって、さまざまな言説が流れている。それを分類すると、大きく二つにわかれる。ひとつは、表現の自由といえども自ずから限界があって、今回の催しはその限界を大きく逸脱していたのだから、中止になったことは当然だというもの。もう一つは、表現の自由は、憲法が保障する基本的人権の中でももっとも中核的なもので、いかなる事情があろうとも、これが踏みにじられることがあってはならない。今回の中止の事態は、その表現の自由を踏みにじったものといわねばならない、というものだ。この二つを両極端として、様々な言説がなされている。

海上自衛隊の護衛艦いずもが空母に改修されることにともない、その甲板に最初に発着するのは、米軍の戦闘機F35Bになる見込みだと聞いて、小生はいささか吃驚した。いくら同盟国だとは言え、自国の中核的な軍事力を、まず他国の使用に供するという発想が理解できない。これでは日本の軍事力は、アメリカを喜ばすためにあるようなものだ。どうぞ米軍のお役にたててくださいと、へりくだっている印象が伝わって来る。

中央公論最新号(2019年9月号)が、「新・軍事学」という特集を組んで、その一環として「今なぜ徴兵制を論じるのか」という座談会を掲載している。参加しているのは三人で、そのうちの一人(女性)が先日公刊した本をきっかけにして、今なぜ徴兵制を論じるべきなのかについて議論している。それを読んだ小生は、聊かの同意をすると同時にかなりの違和感を抱いた。

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