日本の政治と社会

中央公論最新号(2019年9月号)が、「新・軍事学」という特集を組んで、その一環として「今なぜ徴兵制を論じるのか」という座談会を掲載している。参加しているのは三人で、そのうちの一人(女性)が先日公刊した本をきっかけにして、今なぜ徴兵制を論じるべきなのかについて議論している。それを読んだ小生は、聊かの同意をすると同時にかなりの違和感を抱いた。

五木寛之と立松和平の対談「親鸞と道元」を読んでいたら、2008年の9月に日本の新聞史上初めての出来事があったと五木が言い出した。それは、朝日の一面トップに「自殺者十年連続三万人を越える」という見出しが出たということだった。なぜそれが珍しいかといえば、自殺の記事というのは、縁起が悪いということもあって、社会面の端のほうに小さく載るのが普通で、一面トップで扱われるようなものとは思われていなかったからだ。それが一面トップを飾るに至ったのは、自殺の問題が深刻化していることのあらわれなのだろうと、その五木の発言からは伝わって来た。

日頃率直な物言いで人気を博している北野タケシが、いま話題になっている芸人の闇営業問題で、芸人を抱えている事務所の対応を批判した。タケシの言い分によれば、芸人というものは猿回しの猿のようなもので、その猿が粗相をしたからといって、猿を責めるのは大人げない。責めるなら猿回しのほうと責めろというのだ。タケシが猿回しというのは、芸能事務所のことである。たしかに、今回の問題で、芸能事務所の対応には、頭をかしげるところが多かった。タケシが腹を立てるのももっともだと思う。

無覚先生:今回の参院選は与党が勝つだろうというのが大方の予想で、どこまで勝ち進むかが焦点だったと思いますが、結局は、いわゆる改憲勢力が三分の二に届かなかった。これをどう見るかというのが、今回の選挙結果についての評価のポイントになるのではないか。三分の二を失ったことを以て、安倍政権に厳しい審判が下されたと見るのか、それとも与党で過半数を上回ったことを以て安倍政権は健闘したと見るのか。

日韓関係がかなりもつれている。ある意味戦後最悪の状況になっており、もはやもつれを通り越して危機的な険悪さを感じさせられる。いまにも戦争が始まってもおかしくないほどだ。というより、物理的な武力によらないとはいえ、経済的な武器で相手を叩きのめそうとする日本の態度は、経済戦争というかたちの戦争をしかけていると、国際社会から見られているのではないか。何故こうなってしまうのか。

老衰が死因の三位になったそうだ。厚生労働省の人口動態統計によれば、日本国内で2018年に死亡した人のうち、一位のがん、二位の心疾患についで、老衰が第三位、割合にして8パーセントを記録したという。何を以て老衰と定義するかというと、他に死亡の原因がない、いわゆる自然死をさす。自然死する人のなかで、90歳を超えた人について、老衰というらしい。

安倍政権が事実上の移民受け入れ政策をとったことに伴い、既存の外国人労働者の実態に関心が集まった。技能実習生などの名目で受け入れている外国人労働者が、非常に劣悪な環境に苦しんでおり、その実情はまさに、日本企業による外国人の労動搾取、あるいは奴隷労働だとの批判を招く中で、今後日本が受け入れる移民労働者がどのような待遇をうけることになるのか、関心が集まるのは、ある意味自然なことだ。こうした関心に答えるかのように、NHKが、主にベトナムから受け入れた技能実習生らの実体をルポルタージュ取材した番組を流した(7月13日のNHKスペシャル)。

ハンセン病患者の家族への国の責任と賠償を認めた熊本地裁判決に、安倍政権はこの判決に服し、控訴しないことを表明した。このこと自体は、小生にも評価できる。ハンセン病の問題は、患者本人ばかりでなく、家族も又塗炭の苦しみを味わってきたことを思えば、報われて当然だろう。その責任の大部分が、この問題を放置してきた国にあることを考えれば、政府が判決に服すのは当然のことだ。だが安倍晋三総理は、「極めて異例の判断だが、あえて控訴を行わない」という言い方をして、どこか恩着せがましい印象を振りまいている。どうせ謝るなら、もっとすっきり謝った方がよい、と感じたのは小生のみではあるまい。

いま進行中の日産問題については、色々な見方があるだろう。小生などは、日産の内紛に検察が民事介入したと考えている。その理由には、国際的な背景もあるだろう。また訴追の理由としては、刑事事件の外見をまとってはいるが、基本的には個別企業の内紛に、検察が介入したという構図だと思う。自分たちの企業が、外国資本によって全面支配されることを恐れた日本人経営者たちが、検察を抱き込んだ形で、巻き返しを図ったというのが、正直なところではないのか。

トランプが側近への内緒話という形であるが、日米安保条約がアメリカにとって不平等であることを理由に、廃止すべきだというようなことを言及したというので、ちょっとした騒ぎになっている。一番心穏やかでないのは安倍政権らしく、日米同盟の盤石ぶりを強調し、将来にわたって日米安保条約がなくなることなどありえないと、これは先方の意向をまったく無視するようなものの言い方をしている。

中央公論2019年6月号に、歴史学者呉座勇一が「俗流歴史本と対峙する」という文章を寄せている。いま世間で評判になっている歴史書三点をとりあげて、その学問的いい加減さを指摘しながら、こうしたいい加減さがまかり通っているのは、歴史学者たちが無関心なせいともいえるので、歴史学者はもう少し目を見張って、こうしたいい加減な言説に必要な批判を与える必要があると訴えているものだ。

安倍晋三がトランプの特使としてイランを訪れたことは、昨日のこのブログでも紹介したとおりだが、その訪問の最中に、こともあろうか日本の貨物船が、ホルムズ海峡において二度にわたり砲撃を受けるという事態が起きた。この攻撃はイランに責任があるとアメリカのポンペオ国務長官は言っているから、おそらくそうなのであろう。もしそうだとしたら、イランはどんな意図に基づいてこの攻撃を行ったのだろう。日本のメディアは例によって、自分たちの想像を超える事態にアタフタしているかのように、いまのところ報道・解説を自制している。

日本の総理大臣である安倍晋三が、わざわざイランまで出かけていって、ホメイニやロウハニなどイラン側の指導者たちと一連の会談を行っているそうだ。これは、安倍晋三の自発的な意思からしたことではなく、アメリカの大統領であるドナルド・トランプに急き立てられてしたのだというふうに伝わって来る。安倍晋三自身も、そうした観測を否定していないから、事実としてそうなのだろう。だからこれは、日本の総理大臣が、外国の政府のために特使をつとめているのだといえよう。

先日のこのブログで、中国における信用スコアの動きを紹介した際に、今は民間のサービスにとどまっているが、将来はそれが政府によって運営される可能性がないわけではなく、そうなった場合には、ディストピアとしての監視国家が生まれる可能性もあると書いた。その時点では、そうなるにしてもかなり先の話だと思っていたのだが、実際はすぐ手前まで来ているということらしい。その動きを、雑誌世界最新号(2019年6月号)の記事「"C"の誘惑」が分析している。

かつて漢字が読めないことを、空気が読めないこととか解散のタイミングが読めないこととからめて、3Kが読めないと揶揄された総理大臣がいたが、空気や解散風はともかくとして、漢字が読めない総理大臣がもう一人いた。その総理大臣、ここでは某総理といっておくが、その某総理が、先日行われた前天皇の退位礼正殿の義の晴れ舞台で、国民を代表して、「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を・・・願っていません」と言ったそうだ。これは「已(や)みません」というべきところを、「已」という漢字の読み方がわからずに、「いません」と読んだようだ。その場面を、小生もテレビで見ていたが、当該の場面における某総理の態度には、どこか不自然な所が感じられた。おそらく漢字の読み方がわからなくて、ちょっとしたパニックに陥ったのかもしれない。

今年の統一地方選は、あいかわらず低投票率が目立った。前半の十一道府県知事選こそ47.72パーセントで、前回をかろうじて上まわったが、それでも五割に満たない。そのほかの、道府県義選や市長選、市議選の多くは過去最低だ。これには色々な要因があるだろうが、有権者にとって地方選が活力を感じさせないことが大きく影響しているのではないかとの指摘がある。

新しい元号令和が、時の総理大臣安倍晋三のイニシャティヴで作られたことは、いまや公然の事実だ。元号案の候補収集過程から決定に至るまで安倍晋三の強い意向が反映しているので、安倍晋三は令和という元号の生みの親のように、多くの国民から見なされている。元号は、時の天皇のおくり名となるものだから、その元号の生みの親ということは、天皇の名付け親というに等しい。だから安倍晋三は天皇の名付け親になれるか、という問題設定は正確ではない。ことの性質を踏まえれば、安倍晋三は天皇の名付け親にふさわしくなれるか、といったほうがよいだろう。

旧優生保護法にもとづいて障害のある人たちに強制的な不妊手術が行われてきた問題で、被害者の救済を目的とした議員立法が成立した。その法律の前文には、「我々」を主語とした反省の言葉が書かれている。そのことについて、被害者やかれらを応援する人の中から、「我々」とは誰をさすのかという疑問の声が起っているという。かれらの考えでは、この問題の本当の責任者は、優生保護法を制定した国であり、また被害者の苦痛を放置してきたのも国であるからして、反省と謝罪の主体は国であるべきだ。したがって「我々」などと曖昧な書き方をするのではなく、国と明記したうえで、国を主語として謝罪と反省の言葉を述べるべきだということになるようだ。

最近、リベラルな編集方針で知られていた Japan Times に異変が起きたようだ。これまで「forced laborers」と表記してきた徴用工を「wartime laborers」と変更し、従軍慰安婦を「women who worked in wartime brothels, including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers」に変更したことに、異変の兆候が窺われる。

ジャーナリストの田原総一郎が、体験的戦後メディア史と題して、戦後政治家とのインタビューのやりとりを、雑誌「世界」に寄稿している。田原は、歴代の総理大臣にインタビューをしたが、ほとんどの総理大臣経験者が、戦争をするのはよくないと言っていたそうだ。田中角栄がそうだったし、宮澤喜一や竹下登もそうだった。また中曽根康弘や佐藤栄作も、戦争をできるように憲法を改正しようとはしなかった。

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