美を読む

赤鼻の道化師:ルオーの世界

| コメント(0)
r29.1.jpg

「赤鼻の道化師」と題するこの絵は、1906年ごろに描いたものを、1925年ごろから28年ごろにかけて描きなおしたものだ。原型がどうだったか、伺いしれないが、おそらく構図はそのままで、色彩がかなり暗かったのだと思われる。それをルオーは、色彩を中心に描きなおした。その結果、コントラストの激しい、このような形に収まった。

ピエロ:ルオーの世界

| コメント(0)
r25.1.jpg

今日いわゆる「ルオー的な」絵として知られる絵をルオーが描くようになるのは、1920年代の半ば頃である。上の絵は、1925年に描かれたものだが、これなどは、いかにもルオーらしい。この一年前に描いたサーカスの道化の絵と比べて、相違は一目瞭然である。だから筆者は、この絵をもってルオー的な様式を確立したものだとし、また1925年をルオーにとっての決定的な転換の年だとしたい。

鏡の前の娼婦:ルオーの世界

| コメント(0)
r06.1.jpg

ルオーは1903年のサロン・ドトーヌ展に出品することで画家としてのキャリアを出発した。その頃から1910年代の半ばごろまでにおけるルオーの主なモチーフは、サーカスとか娼婦といったものだった。これらのモチーフは、ピカソなども手掛けており、またそれ以前から多くの画家が好んで描いたものであって、ルオーに限らず時代の流行と言ってよいものだった。だが、ルオーの描き方には、ある特徴がみられた。それはサーカスの芸人や娼婦たちを、好奇の視線の先にあるものとしてではなく、精神的な存在として描くことであった。その精神性がやがてルオーを、キリスト教的な精神世界の表現に向けさせることになるのである。

ジョルジュ・ルオー:キリスト者の幻視

| コメント(0)
r00.jpg
(ジョルジュ・ルオーの自画像)

ジョルジュ・ルオーは、20世紀最高の宗教画家と言われる。彼の絵は深い宗教性を感じさせるのであり、それを見る者を宗教的な恍惚にいざなう。彼のそうした宗教的な芸術表現は、14歳で弟子入りしたステンドグラスの職人としての修行に根差していることはよく言われる。というのも彼は生来敬虔なキリスト教信者であったわけではなく、カトリックに入信したのは1892年、21歳のときであった。その彼がキリスト教をテーマにした宗教的な作品を多く描くようになったのは、ひとつには少年時代のステンドグラスの修行と、生まれながらでなく自分の意思によって選び取った信仰の賜物と言ってよいのではないか。

ヨハンナ・シュタウデの肖像:クリムト

| コメント(0)
klimt1918.3.1.jpg

これもクリムトの遺作の一つである。完成度はかなり高い。あと一筆といったところだ。この肖像画のモデルとなったヨハンナ・シュトラウスと思われる女性の未完成の別の肖像画が残されているが、それを見るとクリムトの肖像画制作のプロセスがわかる。クリムトはまず、顔の部分をほぼ完成させ、その後に衣服や背景に映ってゆくのである。

花嫁(Die Braut):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1918.2.1.jpg

「花嫁(Die Braut)」と題したこの絵もクリムトの遺作の一つ。テーマは花嫁だが、アダムとイヴが聖書から伝わるイメージとかけ離れているように、この絵もまた花嫁のイメージとあまり結びつかない。花嫁のイメージを画面から読み取ろうとすれば、中央上部で顔を横に傾けた女性ということになろうが、それでも彼女から花嫁らしさが伝わってくるとはいえないようである。

klimt1918.1.1.jpg

クリムトは55歳の若さで死に、多くの未完成作を残した。「アダムとイヴ(Adam und Eva)」と題するこの作品もその一つである。テーマは聖書にあるアダムとイヴの物語らしいが、絵からはそのようなイメージは伝わってこない。イヴはクリムトの作品に出てくる他の女たちとほとんどかわらないし、アダムのほうはあまり存在感を感じさせない。

klimt1917.1.1.jpg

クリムトは「水蛇」などの作品で女性の同性愛らしきものを描いたが、「女友達(Die Freundinnen)」と題した晩年のこの作品もその延長上のものだろう。タイトルは「女友達」だが、一見してレズビアンのカップルとわかる。

死と生(Der Tod und Leben):クリムト

| コメント(0)
klimt1916.2.1.jpg

「死と生(Der Tod und Leben)」と題されたこの絵は、20世紀初頭に流行したフロイトの思想を踏まえた「エロスとタナトス」の具象化とも、ヨーロッパ中世を席巻した「死の舞踏」の現代的解釈とも言われた。

klimt1916.1.1.jpg

「エリザベート・バホーフェン=エヒトの肖像」に見られたオリエンタリズムを更に押し進めたのがこの「フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像」だ。背景に中国風ともモンゴル風とも区別がつかないが、雰囲気としては東洋風のイメージが、隙間なくびっしりと描かれている。モネやゴッホの絵に見えるジャポニズム的な要素とはかなり違っている。

klimt1914.1.1.jpg

「エリザベート・バホーヘン=エヒトの肖像」と題するこの肖像画は、装飾的なパターンを背景にして、女性の全身像を描いたものだ。女性を十頭身以上の極端なプロポーションで描くのは、クリムトの一貫したポリシーだ。その女性が、シルクの肌触りを如実に感じさせる白いドレスに包まれて、こちら側を正面を向いて立っている。構図としては、クリムトにおなじみのものだ。

乙女(Die Yungfrau):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1913.1.1.jpg

晩年のクリムトの絵には、無地に近い単調な背景に人物の群像を浮かび上がらせるタイプのものと、賑やかな装飾的パターンを背景にして単身の全身像を配置するタイプのものとが共存している。「乙女(Die Yungfrau)」と題されたこの絵は、前者の代表的なものである。

klimt1912.2.1.jpg

「メーダ・プリマヴェージの肖像(Boldnis Mäda Primavesi)」は、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」と並んで、クリムトの前期から後期への過渡期を代表する作品だ。前期の特徴である「黄金様式」から、後期の特徴であるやわらかい色使いの装飾画への移行を読み取ることができる。

klimt1912.1.1.jpg

アデーレ・ブロッホ=バウアーはクリムトの恋人で、彼女の絵をクリムトは何枚か描いている。もっとも有名なのは1907年の作品だが、それとこの絵を見比べると、同じ画家の手になるとは思えないほど、違った印象を受ける。その要素はいくつかあるが、決定的なものは、色彩の使い方だろう。1907年のものが「黄金様式」の典型例として、金色を主体にして装飾性に富んだ作品なのに対して、この絵は、どちらかというと大人しい印象を与える。

klimt1910.1.1.jpg

1909年はクリムトにとっての転換の年になったといわれる。この年の展覧会で見たマティスやムンクの絵から、彼はそれまでの自分の絵が時代遅れになったのではないかとの深刻な悩みに直面し、絵画の様式の転換の必要性を強く意識するようになる。そこから彼なりの試行錯誤が続き、晩年の華やかな作品群が生まれたといえる。

ユーディットⅡ:クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1909.1.1.jpg

クリムトは、1901年に続いて1909年にもユーディットをテーマにした絵を制作した。世紀末をまたいだ時代のヨーロッパでは、サロメとかユーディットがファム・ファタールの典型として人気を博していたので、この絵もそうした人気に便乗したものだと思われる。便乗するということばかりではなく、クリムト自身にもファム・ファタールへの強い嗜好があったようだ。

ダナエ(Danae):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1908.2.1.jpg

ダナエはギリシャ神話に出てくるキャラクターである。その美しさをゼウスに見そめられたが、彼女が生んだ子は父親を殺すであろうとの予言を信じた父が彼女を塔の中に幽閉して、男を近づけさせないようにした。そこで彼女が恋しいゼウスは、黄金の雨となって塔の窓から侵入した。その結果生まれたのが英雄ペルセウスである。

接吻(Der Kuß):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1908.1.1.jpg

金色を多用したクリムトの「黄金様式」を代表する作品である。男女が抱き合う構図はベートーベン・フリーズの中にも見られたが、そこでは男の大きな背中に隠れて女の表情は見えなかった。この絵の場合には女性の恍惚とした表情があらわにされ、彼女の顔に口付けする男の顔は半分見えるだけである。クリムトは、男女の接吻を描きながら、女のほうに比重をおいているわけである。

klimt1907.3.1.jpg

1905年から09年にかけて、クリムトはベルギーの大実業家アドルフ・ストクレの屋敷の壁画制作に従事した。これはストクレの屋敷の建築設計から装飾までを一括して請け負ったジョーゼフ・ホフマンらウィーン公房のプロジェクトの一環として行われたものだった。このプロジェクトは装飾性を最大のコンセプトにしていたが、クリムトもそのコンセプトを取り入れて、非常に装飾性の高い図柄を制作した。

水蛇Ⅱ:クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1907.2.1.jpg

「水蛇Ⅰ」とほぼ同じ時期に描かれたこの「水蛇Ⅱ」も女性たちの同性愛的な世界をテーマにしているようだ。Ⅰのほうが立ちながら抱き合っている二人の女を描いているのに対して、このⅡは思い思いに横たわる女たちを描いている。彼女らは互いに身体を密着させてはいないが、寛いだ雰囲気の中でもエロティックな感じをかもしだしている。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ