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「樹木のある風景(Wooded Landscape with a Peasant Resting)」と題されるこの絵は、トーマス・ゲインズバラの初期の風景画。彼が20歳の時の作品だ。ゲインズバラは、肖像画家としてまず名声を博したのだが、好みとしては風景画に傾いていた。だから、肖像画を描く時にも、かならず自然の風景を背景に描いた。かれは、風景の中の人間を意識的に描いた最初の画家と言える。

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トーマス・ゲインズバラは、英国の絵画史上初の本格的画家である。その前にホガースが出現して、イギリスの最初の国産画家と言われたものだが、ホガースは版画のほうが有名で、彩色画は平凡だった。ゲインズバラは、油彩画を得意とし、人物画や風景画に優れた作品を残した。

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1824年6月に、ゴヤはボルドーに移住し、死ぬまでその地にとどまった。一応休暇名目で国王の許可を得ていたが、実際にはフェルディナンド七世による自由主義者の弾圧を逃れるための亡命のようなものだった。その年ゴヤはすでに七十八歳。死ぬのはその四年後である。

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「闘牛(Suerte de Varas)」と題するこの絵は、「狂人の家」や「異端審問」などとともに同じシリーズを構成するとみられもするが、ほかの作品よりかなり後の1824年に制作されており、また、ゴヤ自身闘牛に深い関心があり、1816年には闘牛をモチーフにした版画集も制作しているので、独立した作品ととらえることもできよう。

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ゴヤは、1819年にマドリード郊外のマンサレナス川の岸辺に「つんぼの家」と称された別荘に移り住んだが、その年に腸チフスにかかって死に損なうという目にあった。その際に、友人の医師アリエータが献身的な看護をしてくれたおかげで、ゴヤは一命をとりとめた。この絵(Goya curado por el doctor Arrieta)は、自分に献身的な看護をしてくれたアリエータへの感謝の気持ちをこめて翌1820年に制作したものである。

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ゴヤは、1808年5月の反ナポレオン民衆蜂起をテーマにした作品を二点、1814年に制作した。一つは1808年5月2日のマムルーク族の攻撃をテーマにしたもの、もう一つは翌5月3日の反乱兵士たちの銃殺をテーマにしたものだ。これはそのうち、5月2日のマムルーク族の攻撃をテーマにしたものである。タイトルは「1808年5月2日(El 2 de mayo de 1808 en Madrid)」、あるいは「マムルーク族の攻撃(La carga de los mamelucos)」とも呼ばれる。

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「1808年5月3日(El tres de mayo de 1808 en Madrid)」と題するこの絵は、「1808年5月2日」の姉妹作である。前日からのナポレオン軍による鎮圧により逮捕された民兵が、ナポレオン軍の兵士らによって射殺される様子を描く。戦争絵画の歴史のなかで、最も大きな反響を呼んだ記念碑的な作品と言える。
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「狂人の家(Casa de locos)」と題されたこの絵は、「むち打ち苦行者の行列」、「異端審問」、「闘牛」とともにシリーズを構成する。この作品は、ゴヤの郷里であるサラゴサの精神病院をモチーフにしたものである。ゴヤがなぜ精神病院をモチーフに取り上げたか、よくはわからない。一説には、この頃ゴヤは病気のために、耳が聞こえなくなったり、家族関係が悪くなったりと、かなりのハンデを抱えていたというから、心を病んだ人間に、惹かれるものを感じたのかもしれない。

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「異端審問(Escena de Inquisición)」と題されたこの作品は、「闘牛」、「狂人の家」、「むち打ち苦行者の行進」とともにシリーズを構成する。このシリーズでゴヤは、スペインの古い因習を批判したのだが、この作品ではカトリックによる「異端審問」の風習を批判した。この風習は、15世紀の半ばに始まり、ナポレオンの時代には廃止の動きもあったが、フェルナンドの王政復古にともない、復活した。

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「むち打ち苦行者の行進(Procesión de disciplinantes)」と呼ばれるこの絵は、「闘牛」、「狂人の家」、「異端審問」とともにシリーズを構成する。このシリーズは、フェルナンド七世によるペイン王政の復活に伴い、カトリック的な保守頑迷さも復活したことに、ゴヤが批判の意を込めたものと言われている。この作品は、中でももっとも批判精神に満ちている。

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「鰯の埋葬( El entierro de la sardina)」と呼ばれるこの絵は、マドリード地方の民衆の風習をテーマにした作品。謝肉祭の最後の日(灰の水曜日)に、マドリードの市民は仮面をつけ、いわしをくくりつけた藁人形をかつぎながら練り歩き、郊外でその鰯を火あぶりにする習慣があった。この絵は、その行事に興じる民衆の姿を描いている。

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「巨人(El coloso)」と呼ばれるこの絵は、一時ゴヤの真筆であることを疑う説も出されたが、今日では一応ゴヤの真筆という合意が確定されていることになっている。「黒い絵」のシリーズとか、版画「戦争の惨禍」と共通する要素が多く指摘され、ゴヤの真筆と考えてよいのではないか。

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ナポレオンのスペイン侵略にともない、ナポレオンの弟ジョゼフがスペイン国王となった(スペイン語ではホセ)。1808年のことである。マドリード市では、ジョゼフ国王をたたえるための肖像画の制作をゴヤに依頼した。その結果が、1809年の作品「マドリード市の寓意(Alegoría de la Villa de Madrid)」である。

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ゴヤは宮廷画家として貴族たちの肖像画を描いたのだったが、晩年には商人の肖像画も描いた。「イサベル・デ・ポルセール」と題されたこの肖像画は、その代表的なものである。モデルは富裕な商人アントニオ・ポルセールの若い妻である。ゴヤは、ゴドイを介してポルセールと近づきになり、たびたび饗応された。これはそのお返しとして制作されたといわれる。

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「マハとセレスティーナ(Maja y celestina)」と題されるこの作品は、「バルコニーのマハたち」と対をなすもの。ゴヤの財産目録の中に、「バルコニーの若い女性を描いた2枚の絵」とされるものがあることからわかる。どちらも、売ることは考えておらず、自分自身の気晴らしのために描いたものであり、マドリードにあったかれの家の一室を飾っていた。

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マハとは、スペイン語で粋な女とか伊達女というような意味である。この絵にはそのマハが二人描かれている。この絵は、サイズとしては大きいのだが、ゴヤはこれを自分の気晴らしのために描いたと言われている。二人の若い女と、あやしげな二人の人物が描かれている。若い女はゴヤのこだわりを示しているのだろう。背後の二人の人物にどんな意味を持たせようとしたのか、よくはわからない。

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「着衣のマハ(La maja vestida)」と題するこの絵は、「裸のマハ」と一緒にプラド美術館に展示されている。この二つは、もともとゴヤの時代の宰相ゴドイのコレクションであったものだ。「裸体」のほうが先に制作され、「着衣」のほうが後で制作されたようである。ゴドイは、「裸体」のカモフラージュ用に、着衣のマハの制作をゴヤに依頼したと信じられている。

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裸のマハ(La maja desnuda)と呼ばれるこの絵は、ゴヤの最高傑作のひとつである。ゴヤはこの絵を、時の宰相マヌエル・デ・ゴドイの求めに応じて制作した。ゴドイにはポルノ趣味があって、女のヌードを描いた作品のコレクションを、自宅の一部屋で飾っていたそうである。

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ゴヤがカルロス四世によって宮廷画家に任命されるのは1789年のことだが、有名な「カルロス四世とその家族」を制作するのは1800年のことである。版画集「カプリーチョス」を1799年に出版している。この家族の集団肖像画の制作には、王妃マリア・ルイーサの意向が強く働いているとされる。

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アルバ公爵夫人は、美貌で知られていたという。1796年に夫のホセが死んだので、彼女はアンダルシアの別荘で一年間喪に服した。その折にゴヤは夫人に随行し、彼女の肖像画を何点か制作した。夫人の希望によるものである。この作品は、その一部。

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