美を読む

rena16.1.jpg

ミケランジェロは、ルネサンスを代表する美術家であり、また人類史に屹立する巨人だといえる。画家としてはダ・ヴィンチと並び称されることがあるが、彫刻や建築をも含めた総合的な芸術家としては、ダ・ヴィンチをしのぐと言ってよい。彼は史上最大の彫刻家としての名声に相応しいし、また建築の分野でも著しい業績を上げた。

rena15.1.jpg

ジョルジョーネ(Giorgione 1477-1510)は、ヴェネツィア派を代表する画家で、非常に大きな影響力を及ぼしたとされるが、三十代の若さで死んだこともあり、残っている作品は多くはない。その中には、真偽の明らかでない作品も多く、一説には真筆と保証できるものは六点しかないともいう。

rena14.1.jpg

ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio 1449-1494)はミケランジェロが最初に師事した画家として知られている。当時の多くの画家同様、ギルランダイオとはあだ名で、花飾りという意味。父親のトマーゾが花模様の髪飾りを作っていたことから名づけられた。本名はドメニコ・ビゴルディという。

rena13.1.jpg

サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli 1445-1510)は、日本人には人気の高い作家で、ダ・ヴィンチやミケランジェロとならんでルネサンスを代表する芸術家として知られる。ボッティチェッリは、小さな樽と言う意味のあだ名で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピという。フィリッポ・リッピのもとで修業し、25歳の時に画家として自立した。

rena12.1.jpg

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435年頃-1488年)は、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェッリの師匠として有名である。彫刻家が本業であるが、絵の制作でも才能を発揮した。その名ヴェロッキオは、若い頃のパトロンであるフィレンツェの有力貴族ヴェロッキオ家に由来するという。本名はアンドレア・ディ・ミケーレ・ディ・フランチェスコ・チオーニであると。

rena11.1.pieta.jpg

ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini 1430頃 - 1516)は、ヴェネツィア派美術の先駆者である。ヴェネツィア派はフィレンツェ派と並んで、イタリア・ルネサンス美術を牽引した。柔和で華麗な色彩が特徴である。ジョヴァンニ・ベッリーニは、画家の一族に生まれ、父ヤーコボ、兄ジェンティーレも美術史に名を残した。
rena10.1.jpg

アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno 1419-1457)は、フィレンツェ郊外の村カスターニョ・ダンドレアに生まれた。彼の呼び名は、生地の名前から来ているらしい。もっとも生前は、アンギアーリの戦いで絞首刑にされた市民を描いたことで、首くくりのアンドレア(Andrea degli Impiccati)と呼ばれたようだ。

rena09.1.francesca1.jpg

ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca 1412-1492)は、トスカナのボルゴ・サンセブクロの靴職人の子として生まれ、商人になるための教育を受けた。画家としての活動を始めるのは、三十歳以降である。画法の勉強は、フィレンツェの画家ドメニコ・ヴェネツィアーニに師事したが、フィレンツェ風の画法とはかなり違った画風を見せた。

rena08.1.lippi1.jpg

フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi 1406-1469)は、修道士の出身だったが、俗名で呼ばれているのはわけがある。かれは50歳の頃、フィレンツェ郊外プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任命されたのであるが、そこの修道女であったルクレツィアに懸想し、彼女を修道院から連れ出して、結婚してしまった。このことで破門になりそうになったが、メディチ家のとりなしで、波紋を逃れ還俗することができた。そんなことから、自由奔放なイメージがある。

rena07.uccello1.jpg

パオロ・ウッチェッロ(Paolo Uccello 1397-1475)は、ルネサンス時代の芸術家のなかでは変わり種である。生前は高い評価を受けていたが、ルネサンス後一旦評価が下がり、20世紀になって再び高い評価が復活した。そのわけは、同時代の他の画家のように、リアリズムを徹底したわけではなく、幻想的ともいえる、非リアルな画風のためだった。

rena06.1.FraAngelico_main.jpg

フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1390?-1455)はあだ名であり、本名はグイド・ディ・ピエトロといった。フラは修道士という意味であり、アンジェリコは天使のようなという意味である。この綽名は、ヴァザーリが「美術家列伝」のなかで使って以来普及したもので、生存当時はフラ・ジョヴァンニと呼ばれていた。

rena05.0.jpg

マサッチオ(Masaccio 1401-1428)は、ロレンツォ・モナコらのゴシックの雰囲気を残した装飾的な画風が流行っていた15世紀初期のフィレンツェにあって、ブルネレスキから受け継いだリアルな表現に拘った画家だ。画家生命は非常に短かったが、後世に大きな影響を及ぼした。

rena04.2.jpg

ロレンツォ・モナコ(1370?-1425)のモナコとは修道士という意味で、かれの本名はピエロ・ディ・ジョヴァンニといった。修道士と綽名で呼ばれたのは、1391年にフィレンツェのカマルドリ修道会に入ったため。後年は脱会して画業に専念したが、相変わらずモナコと呼ばれた。

rena03.1.saint-mark.jpg

ドナテッロ(1386?-1466)は、若年の頃ブルネレスキとともに彫刻制作に携わったことがあり、ブツネレスキから大きな影響を受けた。その影響とは、人物をリアルに表現することにあった。ドナテッロはルネサンス時代の彫刻家のなかで初めてリアルな人物像を制作した作家として、以後のルネサンス美術に大きな影響を及ぼしたのである。

rena02.1.brune.jpg

フィリッポ・ブルネレスキ(1377-1446)は、ジョットより一世紀のちに活躍した芸術家であり、ジョットをルネサンスの先駆者とすれば、ルネサンス芸術の本格化を告げる人というべきである。初期ルネサンスの最初のランナーと位置付けられる。彼の業績は、主として建築の分野で成果を上げたのであるが、その活動の初期には、絵画や彫刻の分野でもめざましい業績をあげた。彼の影響は、絵画においてはマザッチョを通じて、彫刻の分野ではドナテルロを通じて、後世に伝えられた。

rena01.1.Giotto1.jpg

日本では単にジョットとして知られるジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)は、十三世紀末から十四世紀初期のイタリアで活躍した画家で、ルネサンス美術の先駆者といわれている。ジョットの時代のルネサンス美術を、プロト・ルネサンスというが、その最大の特徴は、人間を人間らしく描くということにあった。人間を人間らしく描くという点では、すでにギリシャ・ローマ美術にその特徴を見ることができるわけであるが、中世になると、人間の描き方はすこぶる象徴的なものになっていた。つまりリアリズムを無視したシンボリックな美術表現が支配していたのである。それを百八十度ひっくり返して、リアルな美術表現を追求したという点では、ギリシャ・ローマ時代への回帰ということもできるわけで、そのことからルネサンス美術は文芸復興の美術ともいわれた。

ルネサンスは14世紀のイタリアに始まった文化現象を現わす言葉で、フランスの歴史家ミシュレが一時代を象徴する言葉として用いたのが始まりだ。その後、有名な歴史家ブルグハルトが、「イタリア・ルネサンスの文化」を著し、ルネサンスの概念を普及させた。日本では文芸復興と訳されることが多いが、文芸の分野にとどまらず、文化のあらゆる領域にまたがるものである。美術の分野も例外ではない。むしろ美術の分野こそルネサンス文化の華といってよい。

g23.jpg

「花を摘む乙女」と呼ばれるこの絵は、ポンペイ遺跡の一つで、スタビアから出土した壁画の一部である。花を摘みながら歩む乙女の後姿を描いている。フレスコ画である。二千年以上前のものだとは思えないほど、鮮やかな色彩を残している。

g22.1.jpg

ラオコーン像は、1506年にローマ皇帝ネロの宮殿跡近くから出土した。その際には、ラオコーンの右腕と、息子たちのそれぞれの右手は欠けた状態だった。その後、ラオコーンの右腕と思われるものが出土したので、それをもとに復元したものが、現在の形である。

g21.1.jpg

ミロのヴィーナスは、1820年にエーゲ海のメロス(ミロ)島で、一農夫によって発見された。その後、オスマントルコ政府による没収を経て、フランス人の手にわたり、ルーブル美術館に収められた。東京に一度来たことがあるが、日本以外の外国に渡ったことは、ほかに一度もないという。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ