英詩と英文学

シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー八世」は、アン・ブリンの産んだ子エリザベスの洗礼式典の場面で終わる。その式典を主催するのは、カンタベリー大司教クランマーである。クランマーは、ウルジーにかわってヘンリー八世の腹心におさまり、一時は謀反のかどで訴追されそうになったが、王の信任があついためにその危機をのがれ、ブリンの子の代父となってエリザベスとなづけ、その洗礼式典を主催したのであった。

クランマーは非常に要領のいい男で、常にヘンリー八世の意向に沿って行動することで、王の絶大な信任を得た。王とアン・ブリンの結婚を有効に成立させたのち、王がほかの女に気を移すと、すかさずブリんを排除し、王と他の女との結婚をたびたび成立させた。要するに王の下半身を制御していたわけである。下半身でものを考える傾向が強い王としては、そんなクランマーに絶大な信頼を寄せるのは自然なことだったのである。

そのクランマーが、エリザベスの代父として、その洗礼式典を主宰し、主催者としての挨拶をする。その挨拶の文面が、後のエリザバス一世の統治をよく予見したものとなっている。それもそのはずで、シェイクスピアがこの劇を書いたのはエリザベス一世の死後十年たっており、処女王とよばれた彼女の統治の実績の評価は或る程度固まっていたのである。なにしろエリザベス一世の時代は、イギリスの国運が最大の上昇機運にあった時期であり、彼女はイギリスの栄光を象徴するような存在とみなされていたのである。

そんなわけだから、クランマーの挨拶は、エリザベスの来るべき栄光を予見する内容となっている。その調子は賛美に近く、イギリスの栄光を一身に体現する偉大な女王になるだろうとの預言に満ちている。

ここでは、そんなクランマーの言葉から、一部分を引用したい。まず、エリザベスが将来理想的な女王となるだろうとの預言である。エリザベスが生まれた時点では、ヘンリー八世には男子がいなかったから、女子の中では、キャサリンが生んだメアリーのほうが王位継承順位が高かった。にもかかわらずエリザベスが当然女王になるだろうとの預言は、歴史を後から解釈しなおしたものだ。

  この姫は~天よこの子をよみしたまえ~
  まだ揺りかごになかにいましますが
  すでにこの国にあまたの祝福をさずけておられます
  やがて機が熟せば~いま生きている人は
  目撃できないかもしれませんが~
  同時代のすべての王侯たち及び未来の王侯たちの
  模範となられ、シバの女王でさえも
  智慧と美徳の点で、この純粋な魂を持つ
  姫君には及ばないことでしょう
  このような力強い存在を形作る美質が
  更にはあらゆる美徳が、姫君に倍の力をもたらしましょう
  真実が姫君の乳母となり、聖なる思いが相談役になるでしょう
  This royal infant--heaven still move about her!--
  Though in her cradle, yet now promises
  Upon this land a thousand thousand blessings,
  Which time shall bring to ripeness: she shall be--
  But few now living can behold that goodness--
  A pattern to all princes living with her,
  And all that shall succeed: Saba was never
  More covetous of wisdom and fair virtue
  Than this pure soul shall be: all princely graces,
  That mould up such a mighty piece as this is,
  With all the virtues that attend the good,
  Shall still be doubled on her: truth shall nurse her,
Holy and heavenly thoughts still counsel her:

次に、エリザベスの築いた平和の世は、彼女一代で終わることなく、次の世代へと引き継がれるであろうと預言する。これは、上演当時のイギリス王ジェームズ一世が、エリザベスの正統の後継者であると明言しているところだ。

  この平和は彼女一代で終わることなく
  奇蹟の鳥であり、処女の不死鳥である
  彼女の灰の中から次の世代が生まれ
  彼女と同じような賛美を浴びることでしょう
  そのようにして姫は次の世代に祝福をさずけられ
  天が暗黒の雲の中から彼女を召されても
  姫は誉ある聖灰の中から星のように蘇り
  かつてのような偉大な名誉を示されるでしょう
  Nor shall this peace sleep with her: but as when
  The bird of wonder dies, the maiden phoenix,
  Her ashes new create another heir,
  As great in admiration as herself;
  So shall she leave her blessedness to one,
  When heaven shall call her from this cloud of darkness,
  Who from the sacred ashes of her honour
  Shall star-like rise, as great in fame as she was,

クランマーは演説の最後に、エリザベスが処女のままこの世を去るだろうと予言する。これは歴史的な事実なので、如何ともいえない。彼女は自分自身の子供は残さなかったからだ。

  姫君は、イギリスにとって幸運なことに
  長命であられ、多くの日々を過ごされるでしょう
  一日たりとも無益な日はないでしょう
  これ以上は言わない方がよいのですが
  彼女もまた死なねばなりません、それも処女のままで
  汚れ泣きユリのように死んでいくでしょう
  その死を全世界が悼むでしょう
  She shall be, to the happiness of England,
  An aged princess; many days shall see her,
  And yet no day without a deed to crown it.
  Would I had known no more! but she must die,
  She must, the saints must have her; yet a virgin,
  A most unspotted lily shall she pass
To the ground, and all the world shall mourn her.

なお、エリザベスは子は産まなかったが処女のままではなかった。彼女の男好きは歴史的な事実で、多くの愛人をもっていたのである。


権勢をほしいままにしたウルジーにも挫折の時がやってくる。直接の原因は、王に提出した書類の中に誤って自分の財産目録を含めてしまったことだ。それを読んだ王は、ウルジーが卑しい身分からなりあがって高官に上り詰めた挙句、莫大な財産をため込んでいたことにあきれかえり、その忠誠心を疑う。ウルジーは王への忠誠より、私腹を肥やすことに熱心だと判断したのだ。

王はウルジーに向かってその書類を示し、顔をしかめながら、それを読んだうえで、もしまだ食欲が残っていたら朝食をとれと勧める。その態度に接したウルジーは動転するのである。

  これはどういうことだ
  なんで突然怒り出したのだ、わしにその原因があるというのか
  王は顔をしかめながら去っていった
  まるでその目から破滅が飛び出してきたようだ
  ライオンは追い詰めた猟師をそのような眼でにらむ
  すると猟師の命はなくなるのだ
  この書類を読まねばならぬ これが王の怒りの原因だ
  やはりそうか
  この書類がわしを破滅させたのだ
  What should this mean?
  What sudden anger's this? how have I reap'd it?
  He parted frowning from me, as if ruin
  Leap'd from his eyes: so looks the chafed lion
  Upon the daring huntsman that has gall'd him;
  Then makes him nothing. I must read this paper;
  I fear, the story of his anger. 'Tis so;
This paper has undone me

自分の軽率な振る舞いが王を怒らしたことを悟ったウルジーは、自分に降りかかってくるだろう運命を自覚する。苦労して上り詰めた絶頂から一気に破滅へと突き落とされることを覚悟せねばならない。

  わしは権勢の絶頂にまで上り詰めてしまった
  あとはその栄光の頂点から
  ひたすら転落するのみだ
夕空の流れ星のように落下し
消え去っていくのだ
  I have touch'd the highest point of all my greatness;
  And, from that full meridian of my glory,
  I haste now to my setting: I shall fall
  Like a bright exhalation in the evening,
And no man see me more.

要するにウルジーは王の信頼を失ったために失脚するのだが、その原因は以上のことばかりにはとどまらない。それには伏線がある。一つは、王とアン・ブリンとの結婚に消極的だったことだ。当時の王の最大の関心事は、キャサリン王妃と離婚して、アン・ブリンと結婚することであり、その王の意思を、ウルジーも最大限尊重し、その実現のために努力せねばならなかった。ところがウルジーは、内心、王とアン・ブリンとの結婚に反対だった。理由は、アン・ブリンが熱烈なルター主義者で、カトリックのかれとしては、到底受け入れられないというものだった。ウルジーとしては、自分と同じカトリックで、フランス王の妹であるアランソン公爵夫人こそ、王の結婚相手たるべきだったのである。そんなかれの意図を、ヘンリー八世がどこまで気づいていたかは明らかではないが、アン・ブリンの結婚問題に消極的な姿勢は見透かされていたであろう。

もう一つ、新たなライバルが登場したことだ。それはクランマーだ。クランマーは、ウルジーにかわって王の腹心となり、王の望みの実現に尽力したことで、王の深い信頼を得る。その功績によって、カンタベリー大司教の座に就き、やがては、ブリんの腹から生まれたエリザベス(後のエリザベス一世)の洗礼式を主催するようになるのである。

そんなわけで、さしも権勢を誇ったウルジーにも没落の時が来る。その没落に直面したウルジーは、自分の身のはかなさについて嘆息するのである。


  なんと惨めなことだ
  王侯の恩寵にすがるだけの哀れな男よ!
  われらが希求する王の笑顔や
  その甘い表情と彼らがもたらす破滅との間には
  戦争や女がもたらす以上の苦痛と恐怖がある
  破滅するときにはルシフェルのように落下し
  二度と浮かび上がる望みはない
      O, how wretched
  Is that poor man that hangs on princes' favours!
  There is, betwixt that smile we would aspire to,
  That sweet aspect of princes, and their ruin,
  More pangs and fears than wars or women have:
  And when he falls, he falls like Lucifer,
  Never to hope again.


シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー八世」の中でもっとも光彩を放っている人物は、王妃キャサリンと枢機卿ウルジーである。この二人の存在感の影から、主人公のヘンリー八世が浮かび出てくるようになっている。王妃キャサリンは夫から疎んじられた不幸な妻という資格で、夫たるヘンリー八世の不義を浮かび上がらせるわけだし、ウルジーは王と悪事を共にするという資格で、王であるヘンリー八世の悪徳ぶりを浮かび上がらせる。王の悪徳ぶりは、そのほかにも随所で見られるが、ウルジーはそれを最も劇的な形で裏書きするのである。

キャサリン王妃が夫ヘンリー八世から疎まれる理由は二つある。一つは率直な人柄から、王に対してもずけずけと歯に衣きせぬ忠言を呈すること、もう一つは、ヘンリー八世に若い愛人(アン・ブリン)ができ、彼女の存在が邪魔になったことだ。ヘンリー八世は、キャサリンと離婚してアン・ブリン(後のエリザベス一世の母親)との結婚を望んだが、離婚を認めないローマ・カトリックによってその意図が阻まれる。ヘンリー八世が、イギリスの国教会をローマから独立させ、独自の宗教としてイギリス国教を確立する努力をしたことは、ヘンリー八世の宗教改革として歴史上知られている。だが、シェイクスピアの筆は、宗教改革の意義には触れず、もっぱらヘンリー八世の女好きの振舞いとして描いている。

キャサリン王妃は、ヘンリー八世の統治が庶民の怒りをかっていることを知っている。その統治は、庶民への苛斂誅求ともいうべき厳しい税の取り立てなのだが、それを実際に動かしているのは枢機卿のウルジーだと思っている。そこで王に対しては、直接王をとがめるのではなく、ウルジーの悪政を批判するというやり方をとる。王はいろいろな面でウルジーを評価・信頼しているので、キャサリンのウルジー批判をまともに受けとめない。そこをウルジーも知っていて、キャサリン王妃の言葉を軽く受け流すのである。

ウルジーによって王が庶民の怒りをかっていることについて、キャサリンは率直な言葉で諫める。

  少なからざる忠実な人々より
  わたくしは陳情されております
  王の臣下たちが大いなる苦境にありますと
  庶民に下命された布告は
  かれらの忠誠心を損なっています
  それも、枢機卿、あなたの
  なせるところだと
  非難の声がおこっていますが
  その非難の声は私たちの王でさえ
  免れることはできません
  I am solicited, not by a few,
  And those of true condition, that your subjects
  Are in great grievance: there have been commissions
  Sent down among 'em, which hath flaw'd the heart
  Of all their loyalties: wherein, although,
  My good lord cardinal, they vent reproaches
  Most bitterly on you, as putter on
  Of these exactions, yet the king our master--
  Whose honour heaven shield from soil!--even he
escapes not

キャサリンは、王を諫めるだけではなく、王に対して不実を働くウルジーをも厳しく批判する。ウルジーが仲間のキャンピーアスとともに、キャサリンの批判は根拠のないものであり、誤解だと逆批判すると、キャサリンは敢然として反撃する。

  一層恥じるがよい、私はあなたがたを
  徳の高い枢機卿と心から思っていました
  ですが、罪深くうつろな心の持ち主のようですね
  恥を知るなら悔い改めなさい、これがあなた方の慰めなのですか
  不幸な女にやる薬なのですか
  途方にくれ、笑いものにされ、あざけられている女への?
  わたくしは自分と同じみじめさをあなた方には望みません
  わたしにはもっと慈悲心がありますから
  ですが気をつけなさい、くれぐれも
  わたくしの悲しみの重みがあなたたちの上にも落ちてこないように
  The more shame for ye: holy men I thought ye,
  Upon my soul, two reverend cardinal virtues;
  But cardinal sins and hollow hearts I fear ye:
  Mend 'em, for shame, my lords. Is this your comfort?
  The cordial that ye bring a wretched lady,
  A woman lost among ye, laugh'd at, scorn'd?
  I will not wish ye half my miseries;
  I have more charity: but say, I warn'd ye;
  Take heed, for heaven's sake, take heed, lest at once
The burthen of my sorrows fall upon ye.

こうしたキャサリンの怒りを、ウルジーはさりげなく受け止める。

  あなたさまが
  私どもの善意をおわかりいただけたら
  ご安心なされるでしょう、一体なぜ
  どんな理由で、あなたさまに悪事が働けましょう
  私どもの地位がそれを許しません
  私どもの役目は悲しみを和らげることで、その種をまくことではないのです
  If your grace
  Could but be brought to know our ends are honest,
  You'ld feel more comfort: why should we, good lady,
  Upon what cause, wrong you? alas, our places,
  The way of our profession is against it:
  We are to cure such sorrows, not to sow 'em.

結局、キャサリンは王の不興をかい、というよりその愛を失い、王妃の地位も失う。とはいえ、完全に否定され、迫害を受けるわけではない。そんなキャサリンが病気になったと聞いて、王がわざわざ見舞いの者をよこすくらいである。その見舞いの言葉に接したキャサリンは、次のように言う。

  おお、その慰めのお言葉は来るのが遅すぎました
  死刑執行の後の恩赦のようなものです
  そのやさしい気遣いも時宜を得れば癒しになったでしょうが
  いまの私にはお祈りのほか慰安はございません
  O my good lord, that comfort comes too late;
  'Tis like a pardon after execution:
  That gentle physic, given in time, had cured me;
But now I am past an comforts here, but prayers.

王の使者に対してキャサリンは王への手紙を託す。そのなかで彼女は、愛娘メアリーを王がいつくしんでくれるよう懇願する。

その手紙の中でわたくしは、わたくしたちの愛の形である
  王の幼い娘をよろしくと王にお願いしておきました
  天よ娘に恵みの露を注がれんことを!
  立派な人間に養育してくださるようにとお願いしました
  娘は幼いながら、気高い性格ですので
  それに価すると思います
  また、王を愛した彼女の母親のためにも
  彼女を愛してくださるようお願いしました
  In which I have commended to his goodness
  The model of our chaste loves, his young daughter;
  The dews of heaven fall thick in blessings on her!
  Beseeching him to give her virtuous breeding--
  She is young, and of a noble modest nature,
  I hope she will deserve well,--and a little
  To love her for her mother's sake, that loved him,
Heaven knows how dearly. 

この娘メアリーは、王位継承順位が二番目であったので、ヘンリー王の死後、エドワード六世の後をつぐかたちで王位についた。そして彼女が死んだあとは、エリザバス一世が王位につくことになる。歴史上の評価としては、メアリーは「血なまぐさいメアリー」と呼ばれて嫌われ、エリザベスは名君としてたたえられることになる。


シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー八世」を小生が数十年ぶりに再読しようと思ったのは、先日フレッド・ジンネマンの映画「わが命つきるとも」を見たことがきっかけだった。この映画は、「ユートピア」の作者トーマス・モアを主人公にして、ヘンリー八世の時代を描いたものだった。ヘンリー八世は、非常に人気のない君主で、イギリス史上最低の王だったといわれるのだが、それは彼の好色で羽目を外した生き方が民衆の怒りを買ったためだと思われる。かれはイギリスの宗教家改革運動の立役者でもあったわけで、イギリスの歴史上大きな役割を果たしたにもかかわらず、私生活の乱れが原因で悪王の烙印を押されたのである。映画はそのヘンリー八世を、やはり悪者として描いていた。ではシェイクスピアはかれをどう描いたか。それが気になって、数十年ぶりに読んだ次第だった。

シェイクスピアの一連の歴史劇の中で、この作品はかなりユニークである。歴史劇のほとんどが、シェイクスピアの作家としての活動の初期に集中的に書かれたのに対して、これは晩年の1613年に書かれている。1613年といえば、作家としての活動が終わるころで、最勉年といってよい。こも年以降かれは作品を書いていない。要するにかれの作家活動の最後の作品といってよい。そんなこともあってか、この作品はシェイクスピアのものではないとの憶測が現れたほどだ。今日では一応、シェイクスピア自身の作品ということに落着しているが、他の作品に比較して、出来の悪さが指摘されることが多い。シェイクスピアの得意とした洒落たセリフ回しとか、深刻な人生観の吐露のようなものはうかがわれない。

この作品が書かれた経緯についてはよくわかっていない。有力な説として、当時の国王ジェームズ一世の娘エリザベスの婚礼祝いの行事の一環として書かれたとする節があるが、あるいはそうかもしれない。この劇が描いたヘンリー八世の時代は、テューダー朝の時代であり、その君主であるヘンリー八世を批判的に描くことには、たいした政治的リスクはなかったようである。シェイクスピアは、エリザベス一世の時代に、プランタジネット系王朝を批判的に描いたことがあり(たとえば「リチャード三世」)、時の王朝は、自分より前の王朝が批判されることには寛大な態度をとったようである。

劇の主人公がヘンリー八世その人であることは言うまでもないが、かれの人物像はかなり凡庸であり、したがって迫力を感じさせない。ヘンリー八世の最大の持ち味は、女好きと宗教上の独立を求めるところといえるが、この二つの要素について、シェイクスピアの筆はあまり踏み込んだ描写をしていないのだ。かれにかわって劇を盛り立てているのは、王妃キャサリンと枢機卿ウルジーである。キャサリンは王の愛を失った悲哀を吐露し、ウルジーは悪人らしく振舞う。一人は善人で、もう一人は悪人だが、どちらもそれぞれ自分のキャラクターにふさわしい言動をして、劇を盛り立てるのである。ヘンリー八世その人は、周囲の人間たちに盛り上げられる役割に甘んじている。その周囲の人物たちのなかで、トーマス・モアはほとんど存在感を与えられていない。ウルジーの後任の大法官に任命されたと噂される程度である。

劇は、バッキンガム公の失脚に始まり、ヘンリー八世がアン・ブリンに生ませた子エリザベスの洗礼式の場面で終わる。歴史年表の上では、約13年間の出来事だ。その期間に様々なことが起こり、その中にはイギリスの歴史にとって特筆すべき出来事もあったのであるが、シェイクスピアの筆はそうした方面には及ばない。ウルジーやクロムウェルといった悪人たちの行状とか、その悪人たちに丸め込まれるヘンリー八世の節操のない行動が淡々と描かれるだけである。だいいち冒頭のバッキンガム公爵の失脚自体が、ある意味ヘンリー八世の気まぐれによるものなのだ。劇中唯一気の利いたセリフを吐くのは、そのバッキンガム公爵なのである。かれは信頼していた腹心の部下に陥れられた無念をつぎのように言うのだ。

  何事も天の思し召し、だが聞いてくれ
  死にゆく男の発することばを真にうけてくれ
  どんなに愛し信頼しているものでも
  けして油断をするな、というのも
  親友と思い、心を許したものでも
  いったんこちらに落ち目を感じれば
  水のように流れ去って戻ってはこない
  くるとしたらそれは溺れさすためだ
  Heaven has an end in all: yet, you that hear me,
  This from a dying man receive as certain:
  Where you are liberal of your loves and counsels
  Be sure you be not loose; for those you make friends
  And give your hearts to, when they once perceive
  The least rub in your fortunes, fall away
  Like water from ye, never found again
  But where they mean to sink ye.

そんなわけで、劇本体はそうインパクトを感じさせるものとはいえない。そのことをシェイクスピアは感じていたようで、劇のプロローグとエピローグをわざわざ設けて、その中で言い訳のようなことを言っている。まず、プロローグの言葉だ。

  それゆえどうぞ、町一番の
  芝居好きで知られた皆様方には
  悲しむべき時には悲しんでください
  あなた方が見ている舞台上の人々は
  実物の人間であると考えてください
  そしてかれらが大勢の
  友人に囲まれているのだとお考え下さい
  けれどそれが一瞬のうちにひっくりかえるのです
  そんなさまを笑ってみていられるなら
  あなた自身の婚礼で涙を流すことになりましょう
  Therefore, for goodness' sake, and as you are known
  The first and happiest hearers of the town,
  Be sad, as we would make ye: think ye see
  The very persons of our noble story
  As they were living; think you see them great,
  And follow'd with the general throng and sweat
  Of thousand friends; then in a moment, see
  How soon this mightiness meets misery:
  And, if you can be merry then, I'll say
  A man may weep upon his wedding-day.

エピローグでは、芝居の成功がひとえにご婦人の満足にかかっていると述べられる。そうすることで、女性たちの支持を訴えているのである。

  この芝居の評判にとって
  わたしどもが期待しますのは
  ご婦人たちのご厚意なのです
  ご婦人方が芝居を見て微笑み
  これはいいわとおっしゃれば
  殿方たちも賛同なさるでしょう
  ご婦人に逆らうことはなさるまいでしょうから
  All the expected good we're like to hear
  For this play at this time, is only in
  The merciful construction of good women;
  For such a one we show'd 'em: if they smile,
  And say 'twill do, I know, within a while
  All the best men are ours; for 'tis ill hap,
  If they hold when their ladies bid 'em clap.

ヘンリー八世,シェイクスピア


サルトルは、フォークナーを世界でもっとも早く評価した。「サートリス」を取り上げたのは1938年のことだし、「響きと怒り」を取り上げたのはその翌年のことだ。いずれも刊行から10年くらいしかたっておらず(両作品とも1929年刊行)、フォークナーはまだ無名だった。サルトルがフォークナーを紹介したことで、フォークナーはまずヨーロッパで名が知られるようになり、その後アメリカに逆輸入されたような形だ。ここではサルトルのフォークナー論のうち、「響きと怒り」を論じた「フォークナーにおける時間性」を取り上げてみたい。

「響きと怒り」は、小説の様式を大きく変化させた20世紀最大規模の実験的な試みとして、構成や語り口に大きな関心が払われてきたが、小説の本体ともいえるストーリー展開にはそれほど関心が向かなかった。フォークナー自身も、ストーリーよりスタイルのほうに拘っているといった様子で、この小説を通じて何を訴えたかったのか、かならずしも明確なイメージを持っていなかったように見えるところもある。それに比べると、「サンクチュアリ」のほうは、物語としても面白く、またそのメッセージ性も強烈だ。それは一言で言えば、アメリカ社会批判ということになる。

フォークナーの小説「響きと怒り」は、20世紀を代表する傑作という評価が高い。作品自体の迫力がすごいし、その後の世界の文学者たちに及ぼした影響は、計り知れないものがある(と言われる)。日本でも大江健三郎ほか多くの文学者がインスピレーションを受け、とりわけ中上健次はフォークナーの語り口を参考にして独自の文体を確立した。単に模倣されるのではなく、これをきっかけにして新たな文学実験を呼び起こしたと言えるわけで、それはフォークナーの作品の豊穣さを物語るものと言ってよい。

T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷が言ったこと」6(壺齋散人訳)

           俺は岸辺に座って
  釣をしていた 干からびた平原を背にして
  せめて自分の土地くらいは手入れしようか?

  ロンドン橋が落ちまする 落ちまする 落ちまする

  ソシテ彼ハ浄火ノ中へ身ヲカクシタ
  イツ私ハ燕ノヨウニナレルダロウカ~おお燕 燕よ
  崩レタ塔ニイルアキテーヌ公ヨ
  これらの断片で俺はこの廃墟を支えてきたのだ
  お前のいうとおりにしよう ヒエロニモがまた狂った
  ダッタ ダヴァドヴァム ダミャータ

     シャンティ シャンティ シャンティ

T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷が言ったこと」5(壺齋散人訳)

  ガンジス川が干上がり
  ひなびた葉っぱが雨を待っていると
  黒い雲が遠くヒマラヤを超えてやってきて
  ジャングルが沈黙のうちにかがみこみ背を丸めるや
  雷がこう叫んだ
  ダー
  ダッタ、捧げよ だが我々は何を捧げたか
  友よ 心臓を揺さぶる血潮だろうか
  あの大胆不敵な一瞬の情欲
  どんな分別も制御できぬ情欲だろうか
  情欲によってのみ我々は生きている
  死亡通知書に乗せられることもなく
  蜘蛛のつむいだ記憶の網にもひっかからず
  痩せた公証人が空っぽの部屋で開く遺言状にも
  記されることのない情欲
  ダー
  ダヤドヴァム、相憐れめ 私はたった一度だけ
  ドアの鍵が回転するのを聞いた
  我々は皆監獄の中で鍵のことを考えるものだ
  鍵のことを考えながら監獄にいることを確認するものだ
  ただ日暮れ時だけに 風聞のささやきが
  倒されたコリオレーナスを一瞬蘇らせる
  ダー
  ダミャータ、己を制せよ 船は
  熟練した船乗りには喜んで従うものだ
  海が穏やかな時には 心も喜んで従うものだ
  招かれるままに 弾み立って
  自分を導く者の手に従うものだ

T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷がいったこと」4(壺齋散人訳)

  一人の女が黒髪を引っ張ってぴたっと延ばし
  それを絃の代わりにメロディを紡ぎだした
  ベビーフェースの蝙蝠どもがすみれ色の光の中で
  キャーキャー泣きながらバタバタ羽ばたき
  頭を下に向け黒ずんだ壁を下りて行った  
  空中では塔が逆さまに浮かび
  時を告げる追憶の鐘を鳴らす
  すると空水槽や枯井戸から歌声が聞こえて来た

  山の中のこの崩れた穴で
  かすかな月明かりを浴びて草が歌っている
  朽ち果てた墓の向う側 教会のあるあたり
  その教会は空っぽで 風が吹いているだけで
  窓はなく ドアはきしんでいて
  一羽の雄鶏が棟木の上に停まっている
  こけこっこ こけこっこ
  稲妻が光り 湿った風が
  雨を運んできた
T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷がいったこと」3(壺齋散人訳)

  いつも君のそばを歩いているあいつは誰だい?  
  数えてみると僕と君しかいないんだけど
  あの白い道のほうを見上げると
  君のそばにはいつももうひとりいる
  ブラウンのマントに身を包んでフードをつけてる
  男か女かわからないけれど
  君の向う側にいるあいつは誰なんだい?

  空高く聞こえてくるあの音はなんだい?
  母親たちの悲しみのつぶやきかい
  あのフードをつけた一群の人々は誰だい?
  果てしなき荒野を台地の裂け目によろめきつつ進む
  背景をなしているのは地平線だけだ
  あの山の彼方の町はどんな町だい?
  すみれ色の空を背景にして
  裂け目やゆがみや爆発や倒れる塔
  エルサレム アテネ アレクサンドリア
  ウィーンにロンドン
  非現実
T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷がいったこと」2(壺齋散人訳)

  ここには水がなく岩ばかりだ
  岩ばかりで水はなく砂の道がある
  山々のあいだをくねくねと続いている道
  その山は水のない岩山なのだ
  水があれば立ちどまって飲むところだが
  岩の間では立ちどまることも考えることも出来ぬ
  汗は乾き 足は砂の中だ
  岩の間に水さえあれば
  奇妙な歯をした口のような死んだ山では唾も吐けぬ
  ここでは立つことも横たわることも座ることも出来ぬ
  山の中には沈黙さえもない
  雨を伴わぬ乾いた不毛な雷がなるだけだ
  山の中には孤独さえもない
  赤い不機嫌な顔が 裂けた泥の家のドアから
  歯をむいてあざ笑うだけだ
        水があって
    岩がなければ
    岩があっても
    水があれば
    そう 水が
    泉があれば
    岩の間にプールがあれば
    せめて水の音さえすれば
    蝉の声でもなく
    乾いた草の音でもなく
    岩を超える水の音があれば
    ツグミが松の枝にとまって鳴くことだろう
    ポトン ポトリ ポトン ポトリ ポトリ ポトリ ポトリ
    でも水がないんだ
T.S.エリオットの詩「荒地」から「雷がいったこと」1(壺齋散人訳)

  汗だらけの顔を赤く照らす松明の後で
  庭園を満たす冷たい沈黙の後で
  岩地での苦悩の後で
  叫び声と泣き声が聞こえ
  牢獄と宮殿 そして春雷の残響が
  遥か山々を超えてこだまする
  生きていた者は今は死に
  生きていた俺たちは今や死につつある
  わずかな忍耐を伴いながら

T.S.エリオットの詩「荒地」から「水死」(壺齋散人訳)

  フェニキア人のフレバスは 死んでから二週間もたつので
  カモメの鳴き声も 深海のうねりも
  損得勘定も忘れてしまった
     海底の流れが
  ささやきながら彼の骨を拾った
  彼は立ち上がったり倒れたりしながら
  青春のステージを駆け抜け 渦に突っ込んでいったんだ
     キリスト教徒であれ ユダヤ人であれ
  舵をとり風向きをはかる君よ
  かつては君と同じようにハンサムで背の高かったフレバスを思い起こせ

T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」5(壺齋散人訳)

  川がオイルとタールの
  汗をかく
  艀は潮に乗って
  ただよう
  赤い帆を
  いっぱいに広げて
  はためきながら 川下に向かう
  艀は漂う 丸太を
  洗いながら
  グリニッジのほうへと下っていく
  アイル・オヴ・ドッグスを通り過ぎて 
     ウェアララ レイア
     ワララ レアララ

T.S.エリオットの詩「荒地」から、「火の説教」4(壺齋散人訳)

  「音楽が水の流れに乗って俺の傍らを過ぎていく」
  ストランド通りを進み クィーン・ヴィクトリア通りを行くと
  そこはシティだ そこで俺は時折
  ロアー・テムズ通りのパブの傍らに立って
  マンドリンの楽しげな調べを聞いたり
  食器の音や人間のしゃべる声を聞くのだが
  それは猟師たちがたむろするパブの中から聞えて来るんだ
  またそこではマグナス・マーター寺院の壁の
  白や金色のイオニア風の柱が得も言われぬ荘厳さに輝いているんだ

T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」3(壺齋散人訳)

  すみれ色の時刻 
  目と背中がデスクから起き上がり
  人間という発動機が客待ちのタクシーのような音を立てる
  わしティレシアスは 目が見えぬのじゃが
  しわだらけの女の乳房をつけたおとこおんなで
  すみれ色の時刻には
  海からあがってくる船乗りたちや
  ティータイムに帰宅するタイピストが見えるのじゃ
  その女は朝食の後始末をし ストーブに火を入れ
  缶詰の中身を出してテーブルに広げる
  窓の外には半がわきの下着が危うそうにかかっていて
  太陽の残り陽に照らされている
  ベッド兼用の長椅子の上に積み重なっているのは
  ストッキングやスリッパやキャミソールやコルセット
  わしティレシアスは しわくちゃのおっぱいをしておるが
  この女を見ると その後の展開がわかるんじゃ
  わしも こいつを訪ねてくる男を待っておったんじゃ
  そいつは ニキビ面の若いヤツじゃが
  小さな不動産屋に勤めておって
  下層階級の生まれじゃが 不敵な面がまえで
  自信たっぷりな様子は
  ブラッドフォードの金持ちの頭に乗っかったシルクハットのようじゃ
  良い頃合だとそいつは思ったんじゃろう
  食事はすんだし 女は退屈そうだし
  そこで女といちゃつきにかかると
  乗り気でもないが いやでもなさそう
  顔を赤らめながら 両手を伸ばすと
  女は何の反応もみせない
  別に反応して貰わなくたっていいし
  無視されたって構わないのじゃ
  (わしティレシアスにはわかってたんじゃ
  この長椅子で行われるすべてのことが
  テーベの城壁のもとに坐し
  身分卑しき死者たちの間を歩いたわしじゃ)
  男は最後にキザなキスをくれると
  暗い階段を手探りで降りて行った

  女は振り返って鏡の中をちょっとのぞく
  恋人がいなくなったことなどもう忘れておる
  女の脳みそなどほんの少しのことしか覚えてられないのじゃ
  "ああやっと終わったわ 終わってうれしいわ"
  かわいい女というもんは 遊び終わったあとでは
  部屋の中を一人で歩き回るもんじゃ
  この女も手でスムーズに髪をもみしだきながら
  蓄音機にレコードをかけるってわけじゃ

T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」2:壺齋散人訳

  一匹の鼠が草むらのなかをはいずった
  ぬるぬるした腹を土手にこすりながら
  俺はといえば どろんとした運河で釣りをしてた
  冬の夕方に ガスタンクの後ろで
  遭難した兄王のことや
  その前に死んだ父王のことを思いだしながら
  低湿地には裸の死体が白くなって転がり
  低くて乾いた天井裏では 毎年のように
  骨が鼠に蹴られてカタカタと鳴る
  背後で時たま聞こえてくるのは
  角笛の音や 警笛の音
  つられてスウィーニーがポーター夫人を訪ねにいくのは春のことさ
  ポーター夫人の頭上では月が輝き
  夫人の娘の頭上まで照らしていた
  二人はソーダ水で足を洗う
  ソシテ丸天井ノ聖堂デ歌ウ少年タチノ声

  トウィット トウィット トウィット
  ジャグ ジャグ ジャグ ジャグ ジャグ
  こんなにひどくせかされて
  テーレウー

  非現実の都市
  茶色いスモッグが垂れ込める冬の昼下がり
  スミルナの商人たるユーゲニデス氏が
  無精ひげを生やし ポケットには乾ブドウをいっぱい詰め込んで
  「ロンドン渡し運賃保険料込み一括払い手形」を持っていたが
  そいつが下卑たフランス語で誘ってきた
  キャノンストリート・ホテルで昼飯を食って
  その後週末にはメトロポールへ行きましょうや、と

T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」1(壺齋散人訳)

  川辺のテントはこわれ 最後の葉っぱの切れ端が
  からみあいながら ぬかるんだ土手に沈んでいった
  風が音もなく茶色い地面を吹き渡り ニンフたちもいなくなった
  いとしいテムズよ 静かに流れよ 俺が歌い終わるまでは
  川面には空き瓶も サンドイッチの包み紙も
  絹のハンカチも 段ボールも たばこの吸い殻も浮かんではいない
  夏の世を忍ばせるものはなにひとつ ニンフたちもいなくなった
  ニンフの友達 市のお偉方のドラ息子たちも
  挨拶もせず いなくなってしまった
  レマン湖の水辺で 俺は座って泣いていたっけ
  いとしいテムズよ 静かに流れよ 俺が歌い終わるまでは
  いとしいテムズよ 静かに流れよ そんなにうるさくは歌わないから
  だが背後の方で 冷たい風にまじって
  骨のこすれる音が聞こえ 張り裂けた口から忍び笑いが漏れてきた

T.S.エリオットの詩「荒地」から「チェス遊び」3(壺齋散人訳)

  リルの亭主が除隊になったとき
  わたし彼女にいってやったのよ 率直に
  急いでください もう時間です
  アルバートが帰ってくるんだから ちゃんとしなさいよ
  あの人知りたがるわよ 自分のやった金であなたが
  ちゃんと入歯を入れたかどうかって だってあの人言ってたでしょ
  リル その歯を全部抜いて 総入歯にしろよって
  たしかにいってたわ もうそんな顔見たくないって
  わたしだって見たくないわ アルバートの身になってみなさい
  四年間も兵隊暮らしで いい思いをしたいはずよ
  もしあなたがさせてあげないなら 他の人にとられるわよ
  へえ そうなのと彼女はいった そんなものよと私は答えた
  どんな女か見てみたいと彼女は言って 私の顔をまっすぐに見つめた
  急いでください もう時間です
  いやならそのままでもいいよ とわたしは言ってやった
  そうしたら他の人が彼の面倒を見るようになるわよ
  アルバートに捨てられても それはわたしのせいじゃないわよ
  そんなに老けた顔じゃ仕方がないじゃないの
  (彼女はまだ31なのに)
  どうしようもないわと彼女は言った 浮かぬ顔つきで
  堕ろそうとして飲んだ薬のせいよ
  (彼女はもう五人も子供を産んでいて 六人目を生むのはこたえた)
  薬剤師は大丈夫だと言ったけれど おかげでこんなになっちゃった
  あんたは馬鹿よ と私は言ってやった
  アルバートがあんたとしたがるのは当たり前じゃないの
  結婚したら子供が生まれるのは当たり前よ
  急いでください もう時間です
  そこで アルバートが帰ってきた時 あの夫婦はホットギャモンを食べた
  わたしにも熱い奴を食べに来いよと誘ってくれた
  急いでください もう時間です
  急いでください もう時間です
  お休みビル お休みルー お休みメイ お休み
  さあ さあ お休み お休み
  お休みみなさん みなさんお休みなさい お休みなさい お休みなさい
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