折口信夫の国文学発生論

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折口信夫の著作「国文学の発生」第一稿と第二稿は、我が国文学の発生の基盤を神事に求めている。我ら日本人の祖先たちは、神に仕えるための様々な行事とその担い手をもっていたが、その中から我が国文学の端緒が生まれてきたというのである。文学の発生を神話とか伝説及び叙事詩に求めることは世界どの国でもなされることで、それ自体は珍しいことではない。ただ日本の場合、神事の内実は他国に例を見ないユニークなものである。そこから日本の伝統的な文学のユニークさも生まれて来た。折口の説のユニークさは、そうした日本の伝統文学のユニークさと大いに関係がある。

文学の形式を韻文と散文に分け、韻文のほうに古い起源を求めるのは世界共通のことである。折口もまた同様のことを主張している。折口の場合には韻文を律分と称し、律文がまづ文学の様式として用いられたことには、相当の理由があると言っている。その最も大なるものは、律文が記憶に適したことにあると折口は考えているが、そもそも神事に用いられるべき文章はリズミカルなものでなければならず、したがって律文の様式を取るのが必然だったわけだ。

日本の太古の時代には、人々の生活の中に占める神事の割合が非常に高かった。日常生活が神事と未分離だったと言ってよい。その神事の担い手となったのは、共同体の首長であったり、あるいは巫女であったりした。かれらが神を「まれびと」として迎え、神と自分たちとの一体感を確認した。それが神事の内容だったわけだ。

この神事には、さまざまな儀式が伴ったが、それらは呪言とか寿言とか神託とかの形式をとった。それらには、神が一人称で人間に語り掛ける形式のものもあり、また巫女とか神人などの代弁者が、神に代わって神の意志を述べたり、あるいは神の栄光をたたえたりした。我が国の文学はこうした神事に際して行われた口承の文芸から発生した。そう折口は考えるのである。

それゆえ、そもそもの始まりにおいては、神事と文学・文芸とは未分離のものであった。しかしことのなりゆきに応じて、神事の一部が独立して独特の発展を遂げるようになる。そこから文学の自律的な発展が始まり、多様な文学形式とその担い手とが生まれて来る。

こうした新たな文芸の担い手として折口は「ほかひびと」を始めとする巡遊伶人をあげている。かれらはもともと共同体に属していて、共同体の行う神事に従事していたのだが、その共同体の庇護を失うようになると、諸国を放浪して、食を乞いながら古来伝授した神事の律文を披露するようになった。それ故かれらを「ほかひびと」と呼ぶようになったのである。「ほかひびと」とは乞食の意味と考えられているが、もともとの意味は「ことほぎ」をする人のことであり、すなわち神事に従事する人を意味したのである。

この「ほかひびと」を始めとした巡遊伶人が、我が国の文学・文芸の担い手となったと折口は考えるわけである。その担い手は、田楽舞とか説教語り、果ては歌舞伎まで綿々とつながっていると折口は推論の幅を広げてゆく。折口によれば、日本の文学・文芸は乞食と蔑まれた巡遊伶人が担ってきたが、かれらはそもそも共同体の神事を担っていたものにその祖先を有しているのである。

ここで折口は、「うたひ物」と「語り物」の区別に言及している。これは日本歌謡の大雑把な分類だが、叙事風で旋律の単調な場合が「かたる」であり、抒情式に変化に富んだ旋律をもったものが「うたふ」である。折口は抒情詩より叙事詩のほうが古いと考えているので、まづ「かたる」ことが日本の文芸の古い形式であり、「うたふ」ほうは時代が下ってから生まれたと考える。たしかに日本の伝統文芸の流れを見ると、「かたる」系譜が非常に大きなウェイトを占めており、「うたふ」芸能が成立して以降もすたれることはなかった。

ところで、説教の古い形式が、大きな傘の下でササラを鳴らしながら語ったことはよく知られているが、この傘の下で文芸を披露することは、なにも説教語りだけのことではなかったと折口は指摘する。更科日記には浮かれ女が大傘の下に座を構えたさまが言及されているし、田楽も傘の下で演じられた。傘の下は神事にあずかる場所だったのである。そんなわけで折口は、「近世芸術は、殆ど柄傘の下から発達したと言うてもよい」と指摘している。

折口はまた、中世以前の芸能に、人形が用いられていることの意義についても目をむける。この場合の人形には、汚れ移しの形代という意味の外に、神の形代という意味もあったのではないかと折口は推測する。また、能などでかぶる仮面も、この人形の変形なのではないか、とも折口は推測する。この神の形代というアイデアに折口は非常にこだわっていて、随所でそのアイデアを披露している。たとえば、祇園の祭を始め多くの祭に出て来る山車や神輿もまた神の形代だというわけである。

そんなわけで、折口は日本の文学・芸能を古来の神事と深く結びつけながら考えるのである。






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