有能でなければ国民は騙せない:麻生副総理のユニークな政局判断

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所謂森友問題をめぐって、財務省の公文書改ざんが明らかになって、当時の理財局長某が国会に対して嘘をついていたことがわかった。このことを大方の識者たちは、国民への裏切り行為だとか民主主義の破壊だとか言って批判している。また野党の諸君は某理財局長はもとより、その上司である麻生財務大臣兼副総理の責任とか、安倍総理の責任について云々している。ところが麻生副総理には、そういう批判はまったくこたえないようだ。

麻生副総理が言うには、今回の事態は理財局が某理財局長の国会発言とつじつまをあわせるために行ったことで、自分は関知していない。すべて理財局内部の問題であって、自分には知りようも責任のとりようもない、というわけだ。それでも上司として監督責任はあるだろうとの問いかけには、自分はそんな責任を感じていないし、したがって責任をとってやめるつもりもないと言う。

しかしつい昨日まで、某氏を国税庁長官に抜擢したのは適材適所だったといっていたではないか、と言われると、その判断は間違っていなかった。彼は役人として有能なので、その有能さを評価して抜擢したのだ。その判断はいまでも変わっていないと言う。

そう言われると政治音痴の小生などは、有能さとはなにを意味するのかと改めて考えさせられてしまう。いくら有能であっても、国民を愚弄するような行為は役人としては許されないだろう。その許されない行為をした役人を麻生副総理が任命したのだから、やはりその任命に関して麻生副総理は国民に対して責任があるのではないか。

そう考えるのが常識的な考え方だと思うのだが、麻生副総理はそうは考えないらしい。某氏は有能な余り、自分のその有能さをかいかぶって国民を騙すようなことをしたのであって、国民はその有能さに騙されたと言ってよい。その点では自分も同じことなので、自分もまた彼の有能さに騙されたのだ。つまり自分も国民と同じく被害者なのだ。彼のような有能な人間にとっては、自分を含めた無能な国民を騙すことは朝飯前なのだ。

どうも麻生副総理はそのように言っているように小生などには聞こえてしまう。悪いのは自分を含めた国民を騙した某役人であって、騙された国民は自分を含めて悪くはない。自分を含めた国民は騙したやつを糾弾する権利がある。その権利を自分も持っている。その自分に対して責任を問うと言うが、いったいどんな責任が自分にあると言うのだ。そういう趣旨の事を麻生副総理は、例の口ぶりをいつも以上に大げさに発揮して訴えているように伝わってくる。

麻生副総理の言い分を違った言葉で言いかえれば、有能でなければ国民は騙せない、また有能な役人には国民は騙されやすいものであり、そのことを云々しても始まらない、ということになりそうである。

こういう屁理屈が通るようでは、日本という国は漫画の世界顔負けのディストピアということになろう。





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