
高木午之助は、名古屋山三、不破伴作とともに茂林家三勇士と言われて、講談や読本の題材とされていた。師の国芳は「本朝三勇士」と題して取り上げており、芳年自身も和漢百物語の中で不破伴作を単独で取り上げていた。
この三勇士の話としては、三人が古寺に赴いて肝試しをするというのが有名で、ふくれあがった死体を刀で切って胆力と腕力を競うというのが定番の話だったようだ。
この絵は、右手で膳に頬杖をつき、左手に刀を持った午之助のもとに、妖怪が巨大な顔を出してあざ笑うというもの。午之助はすこしも驚かず、妖怪をにらみ返している。右上の詞書きには次のように記されている。
「高木午之助名古屋山三不破伴作三人を森の三勇士と称す ある秋銘々の心をためし見んと 古寺へゆきて 妖怪を見しとぞ」
(慶応二年<1866> 中判)
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