
幡随院長兵衛は、徳川時代初期の江戸で町奴として名を高めた人物だ。後の時代の侠客の原型となったといわれる。旗本奴水野十郎左衛門との対立は、講談や芝居に取り入れられて、長い間人気を博してきた。
長兵衛は十郎左衛門との確執の末に、罠と知りつつ十郎左衛門の屋敷に単身乗り込み、わざと着ているものを汚されて、風呂で体を洗おうとしたところを、十郎左衛門に襲われて殺された。
殺されるとわかっていながら単身相手のもとに飛び込む長兵衛の男意気と、旗本の汚いやり方を対比させることで、江戸の町民たちの美意識に訴えるところが大いにあった見え、徳川時代を通じて、人気を博した。
これは湯船で相手に切りつけられ、血みどろになった長兵衛を描いたもの。長兵衛は満身創痍になりながら、ひとつも慌てることなく、桶から水を飲んでいる。そこに江戸の町民たちは、長兵衛の男意気を感じたものだ。
(慶応三年<1867> 大判)
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