日本の祭:柳田国男

| コメント(0)
柳田国男が日本の祭に着目した理由は、それが日本人固有の信仰の古い姿を保持していると考えたからであった。その考えを柳田は次のように表現している。「日本では『祭』というたった一つの行事を通じてでないと、国の固有の信仰の古い姿と、それが変遷して今ある状態にまで改まって来ている実情とは、窺い知ることができない。その理由は、諸君ならば定めて容易に認められるであろう。現在宗教といわるる幾つかの信仰組織、たとえば仏教やキリスト教と比べてみてもすぐに心づくが、我々の信仰には経典というものがない。ただ正しい公けの歴史の一部をもって、経典に準ずべきものだと見る人があるだけである。しかも国の大多数のもっとも誠実なる信者は、これを読む折がなく、少なくとも平日すなわち祭でない日の伝道ということはなかった。そうしてこれから私の説いてみようとするごとく、以前は専門の神職というものは存せず、ましてや彼らの教団組織などはなかった。個々の神社を取囲んで、それぞれに多数の指導者がいたことは事実であるけれども、その教えはもっぱら行為と感覚とをもって伝道せらるべきもので、常の日・常の席ではこれを口にすることを憚られていた。すなわち年に何度かの祭に参加した者だけが、次々にその体験を新たにすべきものであった」

こう指摘したうえで柳田は、「祭は国民信仰の、いわばただ一筋の飛石であった。この筋を歩んで行くよりほかは、惟神之道、すなわち神ながらの道というものを、究めることは出来なかったのである」と言っている。

柳田はこう言うことで、祭というものは基本的には日本人の信仰のあり方そのものを教えてくれると言っているわけである。というより、日本人の信仰はもともと祭を通じて発現し、祭を通じて深められた。祭こそは日本人の信仰そのものの発露であり、祭と信仰とは別のものではないと言っているわけだ。

しかしこの祭が時間の経過を通じて本来の姿から外れてきている。そのことによって日本人の信仰心が揺らいでいるのではないか、そうも柳田は考えているようである。そうなったことの大きな要因は、祭と祭礼とが分離して、祭礼が人々の目に付くようになる一方、祭のほうは地味であるうえに、それを担うべき主体である日本人に大きな変動が生じたためだ。そのため、祭と言えばとかく祇園の祭礼のような派手な祭礼が前面に立ち、本来の祭が次第に注目を引かなくなった。しかし、祭と祭礼とはもともと根を同じくするものであって、その両者には共通する部分が非常に多い。したがった肝心なのは、祭礼や祭、また祭のなかでも多くの祭に共通する部分を明らかにすることによって、日本の祭の本来の姿を見極めねばならない。そう柳田は考えるわけである。

祭と祭礼とが分裂し、祭礼の華やかさが注目される一方、村々の祭の本来の姿がなかなか見えなくなるという現象は、すでに江戸時代にも生じていたと柳田は言う。それについて多くの学者たちがさまざまな解説をしてきたが、それらは次第に煩雑になって、祭本来の姿をますます見失うようになっていった。その最大の理由は、祭や祭礼の表面に目を取られ、深い部分で両者に共通する要素を見失っていたからだ。これは事実を集めて比較をしてみようとする者がいなかったからで、事実を集めてそれらを比較し、そのうちに差異とともに共通するものを見出せば、そこから自ずから祭本来の姿が浮かび上がって見えてくるはずだ。そう柳田は信念をもって推論するのである。そこに彼の実証的な精神が働いていると言ってよいであろう。

こうした問題意識を持って柳田は日本の祭の本来の姿とそれが日本人にとって持つ意義を明らかにしようとするわけであるが、そのことで柳田は何をめざそうというのだろうか。

「日本の祭」の中では、柳田は日本の祭を研究する目的とか方法についてしばしば言及している。目的について言えば、一つには祭に体現された日本人の信仰の特徴を明らかにすること、また、その信仰が日本人にとって大きな意味を歴史上持ちながら今ではすたれかねない状態であることを踏まえて、日本の祭の復活を通じて日本人本来の信仰のありかたを取り戻したい、どうもそのように考えているように伝わってくる。

日本の祭の特徴としてあげられるものに、ミテグラを立てることと、食物を必ず備えるということがあるが、これは日本人の信仰が神との一体化を目指していることを意味している、と柳田は言う。神との一体化をめざすということは、キリスト教や仏教でも見られないことはないが、キリスト教の場合には、神は人間とは隔絶した超越的な存在として思惟されているわけであるし、仏教の場合も仏はやはり超越的な存在だ。我々凡賊も成仏することは不可能ではないが、その場合には凡俗は凡俗という地位を脱してそれ自身が超越的な存在になるのだと考えられている。それに対して日本の神は、凡俗にとって超越的な存在ではない。それはたえず現世に現われて凡俗と親しく交際するようなものとして受け止められている。ここが日本の神の他の宗教の神とは決定的に違うところだ。

そんな日本の神の特殊性を明らかにすることで柳田は何をめざそうとするのであろうか。柳田は、「我々日本人の固有信仰は、昔から今に一貫して、他には似たる例を見出さぬほど、単純で潔白でまた私のないものであった」と言っているが、そうした単純で私のない信仰を復活すべきだと思っているのであろうか。同じく日本人の信仰を深く追求した折口信夫が、神道を日本人の固有の宗教として復活させたいと強く願っていたことはよく知られているが、柳田の場合にはそこまで強い希望はもたなかったようである。しかし、日本人に古来伝わって来た固有の信仰が、このまま消えてなくなってしまうことには強い危機感を抱いていたことは指摘できると思う。

柳田は祭とまつりごととが日本ではもともと一体化していたと言っている。まつりごとと言うのは、ある共同体の政治的意思の表現であるから、それと祭とを関連させて考えるというのは、祭をただに宗教的な問題としてばかりではなく、政治の問題としても捉えることを意味する。柳田が、日本の祭の本来の姿を見極めるべきだと言う時、そこには日本の祭のよいところを復活し、それを今の日本人の精神生活と大いに関わらせたいとする意図も含まれているようである。そしてその意図は、単に宗教的な面にとどまらず、政治の面にも及んでいるようにも見える。

こう言うと柳田が、折口と同じく、ある種の祭政一致を夢見ていたというふうに受け取られるが、それはちょっと行き過ぎかもしれない。柳田自身は、そういう問題について発言するのは、「日本民俗学の領分の外である」と言って、かかわりを避けている。柳田は言う、「我々は単に昔は今日の通りでなかったことを知ればよいのである。そしてもしできるならば、いかにしてかく変遷することになったかを、もう少し的確かつ簡明に、同胞の誰にでも説き得るように、心掛けておればそれでよいと思っている」

それを的確に行うためにも、比較が重要だと柳田は重ねて強調する。「すなわち第一には都鄙大小の祭に共通している点を見出すこと、第二にはその相互の差を見つけて、その差のよって来る所を考えること、第三には外形異なる各地の行事の中から、何か隠れたる聯絡と共通点とを探り出すこと」が重要だと指摘するのである。この指摘が意味する学問の態度は、祭に限らずあらゆる事柄に通じることである。






コメントする

アーカイブ