芸術的抵抗と挫折:吉本隆明の戦争責任論

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「芸術的抵抗と挫折」は、吉本隆明が戦争責任を論じたものだ。この問題についての吉本の追究姿勢は厳しい。戦時中にいわゆる転向をした文学者に対しては無論、転向せずに頑張った人たちに対しても厳しい目を向けている。特に後者の人たちは戦時中に節操を守り通したとして尊敬を集めていただけに、彼らに対する吉本の糺弾的な姿勢は、異様ともいえるものであった。

転向文学者の代表として吉本があげるのは坪井繁治だ。坪井は戦時中の自分の姿勢を恥じる余り、それとは対照的な姿勢を示した非転向者をたたえた。そういう態度を吉本は思想的無節操と断罪し、「『前衛』としての優越感をそのままひっくり返したような、劣等感にまみれた独白や、前衛『党』に対する忠誠対話に、すべてを還元してしまっている」と批判している。

一方「前衛」党についても、戦時中牢獄に閉じ込められていたことで、日本社会についての現実的な認識から遊離し、その結果「日本社会に根を下ろしている労働者の生活意識の構造に、深くさぐりを入れようとする意識は、まったく存在しない」と断罪している。つまり戦後もちあげられた「前衛党」の人々は、日本社会の現実にまったく無知だったというわけである。

その結果、戦後、戦争責任論が活発になり、転向者の無節操ぶりと非転向者の独尊ぶりとが問題にされると、どちらも狼狽せざるを得なかった。そう吉本は自分なりに総括して次のように述べている。「例えてみれば、それはひたかくしにかくしていた背信行為を暴き出された宗徒の狼狽に似ていたし、また、聖体をひきずりおろされた宗徒のやみくもな自己防衛に似ていた。そこに封建的な宗派心は感じられても、問題を権力にたいする芸術的抵抗の課題として、大衆の前に論議をつくすという解放された意識を見いだすことは困難であった」

ここまで言っておいて吉本は、転向者のことはしばらくおいて、非転向者とか前衛と呼ばれる人々へと、批判の矛先を向ける。その場合の吉本の着目点は、「戦争期における『超』絶対主義的体制にたいする過小評価と、大衆の動向にたいする無評価」ということである。前衛党の指導者を含めた非転向者たちは、これらの間違った評価から免れなかったために、現状認識を誤ったのであり、その結果空疎な議論にうつつをぬかすことになった、というのが吉本の見方である。

吉本の言う非転向者たちの空疎な議論とは、「機械的な主題の取り上げ方、内部的な無葛藤、絶対主義体制への無理解、芸術としての思想としての未成熟」となってあらわれるようなものである。これらすべてが、日本社会の現状について正確に認識できていない結果だと吉本は見る。その日本社会の現状とは、重ねて言えば、超絶対主義体制のもとで庶民が積極的に戦争へと協力させられていくような、ゆがんだあり方である。そうしたゆがみがあるために、絶対主義体制と庶民生活との矛盾が本当に見えてこない。そのため、前衛たちは、絶対主義体制の本質を理解できないわけだし、庶民のエネルギーを正当な回路に誘導する事が出来ないでいる、と見るわけである。

前衛が庶民生活に無知であったために、前衛の「日常感情は、庶民的生活者の生活意識と出会うべき通路がなく、また、庶民の反戦的なヒューマニズムは、たとえばコミンターンの反戦任務に動かされた『前衛』の意識と出会う通路がなかった」

吉本はこういうことで、庶民が絶対主義的体制に組み込まれていくことはある意味避けられないことだと諦念しながら、それをこまねいて見ているだけの前衛には厳しい目を向ける。庶民が全体主義体制に組み込まれるのは、絶対主義権力の狡知によるものであって、その狡知は絶対主義権力の絶対的な要件として、権力が身につけようと努力するものである。その努力に見合うだけの努力を前衛もしなければならないのに、前衛はそれを怠った。それゆえ戦時中には庶民が積極的に戦争に協力したわけだし、戦後も絶対主義権力を有効に制約できない状況が生じている。そうなったことの責任の大半は前衛が担うべきだ、というのが吉本の基本的な考え方だったように伝わって来る。

当時前衛という言葉で吉本がさしていたのは、共産党とその周辺の勢力だったわけで、吉本の前衛批判は共産党批判と言い換えてもよい。吉本がその批判を展開するようになった時には、共産党は敗戦直後に誇っていた権威を次第に失いつつあった。それどころか、人々のあいだには共産党嫌いの現象も広まりつつあった。だから吉本の前衛=共産党批判は、そうした共産党嫌いの風潮に便乗したという見方もある。

ともあれ吉本自身は、戦時中には積極的な体制批判は行っていない。まだ年が若かったと言うこともあるが、その割には自分から兵役を逃れる動きをしたりして、政治的と見られる行動を取ったりもした。そういう吉本が戦後になって、戦争責任の問題について声高に発言するようになったことは、興味をそそれらるところである。





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