露西亜四方山紀行その十:サンクト・ペチェルブルグへ

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(ドム・ヴャゼムスコイの前にて)

九月十六日(月)陰。六時半起床、七時に一階ロビーに諸子と待ち合はせ、ともに食堂に行きて朝餉をなす。モスクワのホテルとほぼ同じメニューなり。

九時にホテルを辞し、歩みて駅隣のアフトヴォクザールに赴き、サンクト・ペチェルブルグ行き都市間高速バスに乗る。車窓からの眺めは田園風景を呈す。街道沿ひに貧しげなる佇まひの家々点在せり。

途中、トイレ休憩あり。また某駅に停車す。サンクト・ペチェルブルグへは十二時半ごろ到着す。アフトヴォクザール(バス発着駅)より地下鉄駅に向かって歩く。駅近隣のトルコ風カフェに入り、生ビールとケバブのサンドイッチを注文す。味はまあまあなり。

店を辞する頃、雨やや激しく降り来る。カナール駅より地下鉄に乗りサドーヴァヤ駅に至る。外に出ればセンナヤ広場なり。すなはちドストエフスキーの小説「罪と罰」の舞台なり。雨に煙れる広場の佇まひは、はるかにラスコーリニコフの苦悩を感じせしめたり。

雨中モスコフスキー通りを歩み、目標のホテル・ヴァゼムスキーを探すに、なかなか見つからず。何人かの人々に声をかけてやっとたどり着くことを得たり。このホテル一切所在の表示をなさず。雑居ビルの一階をホテルに宛てをるのみにて、外見上全くホテルらしからず。素人には見つけること至難といふべし。

フロントに中年の女事務員あり。チェックインをなす。朝食は一緒に食ふことを得ざる由なり。そのわけを問ふに、各自の部屋にて供するなりといふ。余、ロンドンのホテルを思ひ出しぬ。かのホテルにても、朝食は部屋に運び来れるなり。

各自部屋に案内され、一時間ばかり休息す。余はその合間に日記を整理す。その後ホテルを出でて、付近の市場を散策す。石川はさる老嬢より帽子を買ふ。鳥打帽なり。さっそくその帽子を被るに、風貌レーニンに似たりと冷やかさる。ついで食料品の屋台を見歩く。おおむね廉価なり。牛肉の如きはキロ当たり二百ルーブリ前後で売りをりたり。又様々な種類の魚あり。ほとんど姿のままに売られゐたり。日本にては見慣れぬ種類のもの多し。

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(芸術広場のプーシキン像)

一旦ホテルに戻りて後、夕刻地下鉄に乗りてネフスキー・プロスペクト駅に至る。駅付近に芸術広場なるものあり。その中央にプーシキンの銅像立ちたり。サンクト・ペチェルブグルはドストエフスキーの街なる以上に、プーシキンの街として知らるるなり。「青銅の騎士」をはじめサンクト・ペチェルブルグゆかりの作品を多く書きたる故なるべし。

広場に隣接してミハイロフスキー劇場あり。そこにてオペラ、セビリアの理髪師を見る。モダンな解釈を施してあり。原作にはなき道化を登場せしめたるが、さすがに歌を歌はすことはあらざりき。

観劇後、雨中歩みてマーシャ・イ・メドヴェーヂなるロシア料理店に赴き、晩餐をなす。この店、熊を売りものにせる由にて、店内目立つ場所に熊の巨大な人形を飾り置きてあり。

やがて中国人団体客大挙して来る。かれらみな熊の人形に戯れかかり、人形とともに記念撮影をなして楽しめり。食事のほうはほどほどにすまし、あはただしく去れり。

食後ウェイターに依頼してタクシーを呼ぶ。店の前の通りは車両通行止めとて、数十メートル離れたところまで案内せらる。チップの効用なり。雨依然として激しく降れり。

深夜ホテルに戻る。かのフロント嬢いまだ寝ねずしてあり。






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