学海先生の明治維新その七十二

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四月も終わり近く、小生はあかりさんを誘って伊豆に小さな旅をした。東京駅中央コンコースの新幹線改札口前で待ち合わせ、九時過ぎのこだま号に乗った。彼女は淡いグリーンのコットンジャケットにベージュ色のチノパンツをはいていた。座席に腰かけるといたずらそうな顔をして、
「今日は教員仲間の女友達と旅行すると言って出て来たのよ」と言った。
「女友達がいつの間にかむくつけき親爺に変わっていたというわけだね」
 そう小生が返すと、
「軽口をたたかないで。これでも娘には気を使っているんだから」とあかりさんは不平そうな顔を見せて言った。
「娘さんの具合はどうだい、学校へは行っているの?」
「ええ、なんとかね。でも思春期でむつかしい時期だから、この先どうなるか、とても心配」
「なるべく話しかけるようにしたほうがいいよ。女の子だから母親とはよく話すだろう?」
「それがそうでもないのよ。自分からは滅多に話しかけてこない」
「だったら、母親の君の方から積極的に話しかけるんだね」
「でもこうしてむくつけき親爺と一緒にいたんでは、娘に話しかけることもできないわね」
「まあ、今日明日くらい羽を伸ばしても罰はあたらないと思うよ。遊ぶ時は遊ぶことに専念して、家に帰ったら娘の相手に専念すればいいよ」
「あなたは気楽でいいわね。お宅は男の子だから、そんなに苦労することはないでしょ?」
「まあね、息子のことで気になるのは、精々成績が悪いことくらいだけど、成績が悪いのは親の責任でもあると思って、半ば諦めているよ。ところで新学期だね。新学期っていうのはやはり気持ちが切り替わるものなの?」
「生徒たちのメンバーが変わるものね、それは教師の気持も切りかわるわ。まして担任のクラスが変ったりすると」
「君にもクラス替えがあったのかい?」
「ええ、この四月から新しい一年生のクラスを持つことになったのよ」
「ほお!」
「一年生ってまだ半分子どもだから、可愛いものよ」
「それが三年生ともなれば、憎たらしくなるわけか?」
「生徒によるけどね。憎たらしくなるのもいれば、可愛いままの子もいる」
「僕の高校生頃は、決して可愛くはなかっただろうな」
「あなたは教師の手を焼かせたほうでしょ?」
「ああ、よく殴られたよ。一度などは、体格のいい教師に横面を殴られて、一メートル以上も吹っ飛んだことがある」
「何をしてお仕置きされたの?」
「それが心当たりがないんだ。突然呼び出されて、いきなり殴られたから、どうなってるんだと思ったけど。当時はやたら生徒を殴りたがる教員が珍しくなかったからね。災難みたいなものさ」
「おそらく、あなたが自覚してないだけで、何か教師を怒らせるようなことをしたんだと思うわ」
「服装がよくなかったのかな。僕は当時裸の上に直接学生服を着てたりしてたもんだから」
「よくそんなことをしてたものね。それじゃ学生服が不潔になるじゃないの」
「まあね」
 我々は三島駅で新幹線を下りて、伊豆箱根鉄道に乗り換え、長岡駅で下りた。伊豆の名所巡りをするつもりだったのだ。
 長岡駅でレンタサイクルを借りた。マウンテンバイクだ。それに乗ってまず反射炉の遺構を訪れた。幕末に江川太郎左衛門が対夷狄防衛用に作ったという有名な反射炉だ。この反射炉で鉄を溶かし、その溶かした鉄で大砲を作ったのだそうだ。ガイドの説明によれば、鉄を溶かすには千七百度の高温が必用で、そのため炉の内壁には高温に耐えられるレンガを用いる。そのレンガを作るのがまた一苦労だったのだと言う。
「鉄を溶かすのには千七百度の高温が必要だけれど、人を煙にするには七百度からせいぜい九百度で足りる」
 そう小生が解説したら、あかりさんは
「あなた、へんなことに詳しいのね」と言った。
「ああ、いつかも話したように、僕は火葬場の仕事を二年間もやったからね。人を焼くことについてなら、たいがいの事は知ってるよ」
 ついで蛭が小島というところに向かった。頼朝が流されたというところだ。頼朝の頃は狩野川の中洲が島のように見えたところから蛭が小島と命名されたそうだが、いまは陸続きになっていて島の面影はない。
 ここでもガイドが色々説明してくれた。この島で北条正子と頼朝が結ばれたこと。正子が頼朝の女遊びに異常な嫉妬を焼いたことなどである。しかし正子の嫉妬には理由があるのです、とガイドは言った。
「頼朝さんは都育ちで、一夫多妻が当たり前という考えに染まっていました。ところが正子さんは関東の田舎育ちです。関東では一夫一妻制が当たり前でしたので、頼朝のように他の女に手を出すことは、正子さんにとっては許しがたい裏切り行為に見えたのです。だから彼らの絶えざる夫婦喧嘩は文化の相違がもたらした悲劇と言えましょう」
 ガイドがそう言うので小生は、
「へえ、夫婦喧嘩にも文化の相違が働いているのか?」と感心した次第であった。
 昼時になったので、近くのそば屋でそばを食べた。のんびりとした雰囲気を楽しみながらのそばの味は格別にうまかった。
 食後江川太郎左衛門の屋敷を見物し、更に願成就院という寺を訪ねた。この寺にはあの運慶の傑作と言われる仏像がいくつか保存されている。寺守が言うには、この寺は頼朝の奥州藤原氏征伐を祈念して北条時政が建てたもので、その際に都から腕の利く仏師を呼んできて阿弥陀三尊以下多くの仏像を作らせたそうだ。それが運慶だったわけだ。運慶の作風には荒々しいところがあるが、その荒々しさは関東武士の荒々しさを反映したものだというのが、専門家の見立てなのだそうだ。
 再び伊豆箱根鉄道に乗って、夕近く修善寺に着いた。駅前にそばの手打ちをやらせてくれる店があるというので、我々はそこに入ってそばの手打ちを楽しんだ。そば打ちは水加減が命で、これがうまくいかないと、まともなそばにはならない。素人にはこの水加減が非常にむつかしいので、あらかじめ店の人が用意したそば粉と水をこね回してそばを打った。自分で打ったそばは、そのまま店の者が鍋に突っ込んで茹でてくれる。これがまたうまい。自分で打ったそばには特別の味があるようだ。
 我々が泊まった宿は古びた木造の建物が池を囲んで並び立っている様子がなかなかの風情を感じさせた。我々は一階のすぐ池に望んだ部屋に案内された。廊下から手を伸ばすと池の水に届きそうである。
 我々は二人手をつないで家族風呂へ浸かりに行った。裸になったあかりさんを両腕で抱え上げようとしたら、その重さに腰がくだけそうになった。あかりさんは女性としては体格がよく、痩せぎみで非力な小生にはちょっとした重荷だったようだ。それでも渾身の力を振り絞って、あかりさんを抱いたまま湯船につかり、湯の中であかりさんを自分の両膝の上に乗せた。昔小さかった息子をこのようにしてよく抱いたことを思い出した。
 あかりさんの臀が小生の男根に触れるので、小生の男根は怒張したままだった。その小生の男根をあかりさんは面白そうにおもちゃにして弄んだ。男根はまずます怒張した。しかし浴槽の中で爆発させるわけにもゆくまいと思い、自重した。
 だから部屋に戻るとすぐさまあかりさんに挑んだのだった。あかりさんもそれに応えた。我々は互いに上になったり下になったりして、長い抱擁と肉の交合に酔いしれたのであった。
 夕食は部屋で出された。我々はお膳に向かいあって座り、暗くなった空の下に広がる池を時折眺めながら食事をした。池の周囲には、水をぐるりと取り囲むようにして建物が並んでいる。その建物から出る灯りが池の水に反映してなかなか情緒豊かな眺めだった。建物の間からは夜空がのぞき見え、星がいっぱい光っているのが見えた。 
「こうして二人きりで旅をするのは久しぶりだね」
 そう小生があかりさんに声をかけると、
「久しぶりだからこそ愛しさも増すというわけね」とあかりさんは言った。
「愛しさが余ってつい君をきつく抱きしめてしまった」
「わたしもあなたをきつく抱きしめたわ」
「ところで君の下の毛に何本か白いのが混じっているのが見えたよ」
 こう小生があかりさんをからかうように言うと、
「あら、あなただって袋のまわりは真っ白よ」とあかりさんから切り返された。
「教員なんて心労が絶えないですもの。下の毛だって白くなって不思議じゃないわ」
「お互いもう若くはないってことか?」
「今夜はいやに意味深長なことを言うのね」
「久しぶりに君を抱いたものだから、気分が浮ついているんだ」
「気分が浮ついているんだったら、もっとふんわりしたことを話せばいいでしょ。それなのに下の毛が白くなったことを話すなんて。ちょっとえげつないわよ」
「それはごめん。気分を害したのならあやまるよ」
「気分を害してなんかいないけど、あなたのその下品なところが気になるのよ」
 こんな具合に話のタネは尽きなかった。なにしろ数か月ぶりに抱き合ったわけだから、少なくとも小生は、天にも上ったように浮ついた気分になっていたのだ。
 その晩床に入ってから、もう一度セックスに励んだのは言うまでもない。





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