後狩詞記:柳田国男

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「後狩詞記」は、「遠野物語」とともに柳田国男の民俗学研究の出発点というか、原点となったものだ。柳田はこの本を通じて、自分自身の実証主義的な学問の方法論を実践する一方で、その後の彼の中核的な関心事となった山人についての研究を開始した。もっとも柳田は、この本のなかでは山人という言葉を使ってはいない。その点は遠野物語とは異なる。しかも、彼が対象とした焼畑農業民兼イノシシ猟師たちを、他の普通の日本人とは決定的に異なるユニークな存在とも規定していない。ただ、日本の辺境のしかも山の中には、このような変った人々がいるといっているだけである。しかしその変りかたがあまりにも常軌を逸していることには気が付いていたようで、そこから後日彼らに代表される山の人あるいは山の民についての研究を本格化させるようになったとは推測される。


この本は、日向の阿蘇側の山の中にある椎葉村について、そこの住民たちが従事している焼畑農業とイノシシ狩りについて取り上げたものである。題名の「後狩詞記」は、群書類聚に収められた「狩詞記」を意識したものだ。「狩詞記」は主に鹿狩りについての記録であるが、鹿狩りは鉄砲が導入される以前の狩りで、非常に人の興味をそそるものであり、男子が夢中になるのも無理はなかった。ところが鉄砲が導入されるようになると、鹿狩りはすたれた。鉄砲で乱獲した結果鹿の数が激減したからだ。その代りにイノシシ狩りが盛んになった。柳田が取り上げた椎葉村はとくに猪猟が盛んなところであった。そこの狩の様子について、柳田は土地の古老の話をもとに、狩場の土地の名目とか、狩りに用いられる狩ことばを収集・紹介した。そんなところからこの本は、「後狩詞記」と名付けられたわけである。

詞の紹介そのものは、事実の紹介であるから淡々としたものだが、それらの中には狩人たちの狩りについての考え方や、信仰などが反映されているものもある。それを丁寧に読み解くと、狩人たちの精神的なバックボーンのようなものも見えて来る。そうしたバックボーンというか思想のようなものは、狩りの作法を紹介した部分や色々な口伝にも伺われる。そうした思想のなかで特に興味深いのは、狩人相互の人間関係で、これが正義と平等を基本としていることだ。正義というのはこの場合分配の公平を意味するから、要するにこれら狩人たちの人間関係を律しているものは成員の平等ということになろう。

柳田は、表立っては言及していないが、そうした人間関係の平等が椎葉村の山の中の狩人たちの根本原則であるらしいことは十分に伝わって来る。それは言ってみれば、原始共産制ともいうべきもので、それを椎葉村の漁師、それを山に生きる人と言う意味で、山の人、あるいは山人と言いかえてもよいと思うのだが、その山人がとりあえず現象としては、原始共産制的な平等社会を形成していたというふうに、この本から読み取ることができる。

実際、柄谷行人などは、山人のそうした原始共産制的な平等を一つの理念型としてとりだし、それをもとに彼の柳田論を展開している。この本についての柄谷の読み方は、多少読み込み過ぎのところもあるが、柳田自身にそうした部分があることは否めない。

ところで柳田は、この本の序文のなかで、「実のところ私はまだ山の神とはいかなる神であるかを知らないのである」と書いている。山の神とは山の人が信ずる神だとすれば、山の神の何たるかを知るためには山の人の何たるかを知ることが前提になる。そんなわけで柳田は、山の人とその信仰対象であるところの山の神について、研究を深めることになったのだと思う。





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