折口信夫のまつり発生論

| コメント(0)
まつりについての折口信夫の言説は、まつりが行われる時期についての形式的な議論と、まつりの目的などについての実質的な議論とからなっている。まつりの時期については、春夏秋冬四季にわたって行われているものを、どれが最も古くて、したがってまつり本来の姿をあらわしているかについて、考察することを中心に議論している。

折口によれば日本のまつりはまず春のまつりから始まり、ついで冬のまつりが行われるようになり、その冬のまつりから秋のまつりが分化してきた。今日もっとも盛んになっている夏のまつりは最後に現われたもので、平安時代以前にはさかのぼらないということになる。

まつりが春のまつりとして始まったのは、まつりにおいてまつられるものである「まれびと」が、本来年に一度人間の世界を訪問するという信仰に結びついていた。「まれびと」たる神は、一年の始まりである春に、我々現世の人間たちを訪れ、この先一年間の幸せを予祝した。その「まれびと」をもてなす、それを「あるじ」するともいうが、そのもてなしの行事としてまつりがおこなわれた。それゆえ「まつり」は年のはじめとしての春に行われたのである。太古には、春が年のはじめとして意識されていたからである。

ところが人間の営みが複雑化し、さまざまな欲求が高まって来ると、それに応じて神のおでましを願う気持ちもたかまり、「まれびと」たる神の出番も多くなってきた。それが春以外のまつりの起源なのである。まづ、冬のまつりが行われるようになった。これは春のまつりに連続するもので、春にやってくる神を迎える準備としての色合いもあるが、本来は鎮魂を目的としたものだったと折口は言う。折口によれば、ふゆという言葉自体に、鎮魂と言う意味がある。ふゆという言葉は、「みたまのふゆ」という言葉から分化したものだが、この「みたまのふゆ」とは、魂を分け与えると言う意味で、そこに鎮魂の願いがひそんでいた。ここからもわかるとおり、ふゆのまつりは鎮魂を本来の目的としていたと言うのが折口の主張である。

秋のまつりは、冬のまつりから分化してできたが、このまつりには季節柄稲の収穫を祝うという意味が持たされた。天皇家の新嘗祭を始めとした収穫の行事はそのもっとも典型的なものである。この「新嘗」という言葉は、折口によれば、「にひあへ」を原義とし、人が神とともにその年の収穫である米をともに食すという意味が含まれていた。

夏のまつりは平安時代以降に行われるようになったのだが、この時代になると、唐をはじめ外国の影響が強くなってきた。なかでも道教は、陰陽道などというかたちで日本人に強い影響を及ぼしたが、この道教の考え方が日本古来の信仰と結びついて、怨霊信仰とか疫病払いとしての夏まつりの形に発展した。今日盛んに行われている夏まつりには、疫病退治の色彩が強くみられるが、それは道教的な考え方に感化された庶民の信仰に根差している。

以上のまつりについての主張を、折口はつぎのように手際よく要約している。「春まつりから冬まつりが岐れ、冬まつりの前提が秋まつりを分岐した。更に、陰陽道が神道を習合しきって後は、冬祓へより夏祓へが盛んになり、其から夏まつりが発生した。さうして、近代最盛んな夏祭りは、実は、すべての祭の前提として行はれた祓への、変形に過ぎなかったのである」(ほうとする話)

まつりの本来の目的が「まれびと」たる神をもてなすことにあることは上述したとおりだが、そのまつりについての実質的な議論を、折口は語源の解釈から始める。「まつり」の語源は「まつる」にあり、その「まつる」とは「たてまつる」こと、すなわち神を敬いもてなすことだとするのが当時の支配的な説であったが、折口はそれは表面的な見方であって、もうすこし厳密に定義する必要があるとした。

折口によれば、「まつり」とは「まつ」を語源とした言葉で、そこから「まつる」とか「またす」という言葉が生じた。この「まつ」という言葉の本来の意味は、神の言葉を代宣することであった。これを人間の立場から言うと「まつる」になり、神の立場からいうと「またす」になる。要するに神の意志を神に代わって人間が具体化することだったわけである。ここから「まつり」の儀式が生じたわけで、したがって「まつり」とは本来、神の意志を実現するためのものだったのである。

その神の意思が人間にとって都合のよいものであるのは、無論である。人間にとってもっとも関心のある事柄は自分たち自身の未来がどうなるかということであるから、「まつり」に期待されたことは、神が人間の幸せを予祝してくれることであった。これが日本のまつりのそもそもの目的・内実だったのである。今日夏祭りに見られるような要素は、後代になって新しい考え方・信仰が普及するにしたがって、まつりの形が変化した結果に過ぎない。

その夏祭りにしても、疫病や虫の害から人間の生活を神が守ってくれることを期待したわけで、その点では苦しいことの神頼みという日本人古来の伝統が貫徹していると言えよう。






コメントする

アーカイブ