ゴーン事件の行方:批判される日本の「人質司法」

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ゴーン事件をめぐっては、ゴーンの罪状が次々と明らかにされるにつれて、ゴーン本人の強欲さもさることながら、そうした強欲さが現代の資本主義に内在している動きに根差したものだとの感を強く抱かされる。人間の欲望にはキリがないものだが、その欲望を極端なまでに先鋭化させる勢いが現代の資本主義にはあるということだろう。

一方、この事件は、日本の司法システムの特異性を世界に顕在化させた。この司法システムは、人質司法などともいわれ、いままでも国内的に問題となったことはあるが、ことが国内の土俵で演じられる限り、あまり進展は見られなかった。司法システムというのは、国柄があって、国によってそれぞれ異なっている。日本には、日本の国柄にふさわしい司法システムがあってしかるべきであり、なにも無理して改める必要はないという意見が、主に検察側を中心に出され、それが強い影響力を発揮して、改革が進んでこなかったという事情がある。

しかし、今回は国際的に有名な外国人経営者が対象とあって、諸外国の注目を集めた。そしてその注目は、日本の司法制度の特異性への批判となって広がって行った。いまや、世界中のメディアがこの問題を取り上げて、日本の司法制度を批判している始末だ。

その非難には色々なニュアンスがあるが、共通しているのは、被疑者の人権が過度に踏みにじられているという指摘だ。日本の検察は、容疑を分割して拘留請求するために、被疑者は必要以上に長く拘留されることになる。取り調べについては、先進各国では弁護士の付き添いが認められているのに、日本では弁護士の付き添いは認められておらず、被疑者は検察の厳しい尋問に一人で耐えねばならない。検察側は、長い拘留と厳しい尋問を通じて被疑者に自白をうながす。自白しないといつまでも拘留から解放してもらえないので、無実なのに有罪の自白をするケースもあり、それが冤罪の温床となっている。といったような指摘で、こうした日本の司法システムを、英語圏のメディアではHostage justice system(人質司法システム)と呼ぶのが恒例化している。

こうした海外からの批判に対して日本の司法当局はどう反応したか。裁判所は検察から出された二度目の拘留延長申請を却下したが、これはこの手の案件においては極めて異例だと言われている。これについては、人権の砦を標榜する裁判所が、海外の批判を意識したという解釈もある。一方、検察側は、海外からの批判に対して、いまのところ聞く耳を持たないといった態度を取っている。そうした態度をとりあげて、かつて日本の人権大使が、国連の会議の場で、日本の司法システムを批判されたときに、「だまれ!」と叫んだ事例を持ち出して、日本の司法当局の独善性を皮肉る記事もあった。また、不平等条約改正の歴史を持ち出して、欧米諸国は日本の司法制度の近代化を条件に不平等条約改正に応じてやったのに、これでは騙されたようなものだという意見もあった(いづれもJapan Times から)。

筆者は、日本の司法システムが改善され、被疑者の人権が尊重される方向に進むことはいいことだと考えている。できれば、海外からの指摘など待たずに、日本独自に改革を図るのが望ましい。しかし、それができないのであれば、外圧に期待するのもひとつの方便だとは思う。それはあくまでも、日本人を含めた、というよりは殆どが日本人を対象にした、司法システムの公正な運用を目指すという立場からの提案だ。公正な運用という意味は、被疑者を人質にとるようなことをせず、人権に配慮した司法手続きを運用するということだ。





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