日本政府は日産を守るべきか

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いま進行中の日産問題については、色々な見方があるだろう。小生などは、日産の内紛に検察が民事介入したと考えている。その理由には、国際的な背景もあるだろう。また訴追の理由としては、刑事事件の外見をまとってはいるが、基本的には個別企業の内紛に、検察が介入したという構図だと思う。自分たちの企業が、外国資本によって全面支配されることを恐れた日本人経営者たちが、検察を抱き込んだ形で、巻き返しを図ったというのが、正直なところではないのか。

それとは違った見方も当然ありうる。その一つの例を、朝日の今日(7月11日)の朝刊で読んだ。作家の真山仁が「日産劇場」という言葉を使って、今回の事態をドラマチックに分析している。彼によれば、今はまだ緒戦にすぎず、これから日産とルノーとの主導権争いが激しくなり、更には日仏経済戦争が勃発するだろうと予想している。その場合、問題は、フランス政府がルノーに肩入れして、日産をルノーの子会社化しようと露骨に動くであろう一方、日本政府が、これを民間企業の問題として静観することだという。

彼は、日本政府がこの問題を真剣に受け止めて、日産を守るために動かなければ、日産はフランスに奪われてしまうだろうと危惧している。そうした危惧を抱きながら、日本政府は日産を守るよう決意しなければならぬと提言している。彼によれば、いまは国家資本主義が跋扈する時代で、私企業と雖も、国家が積極的に守ってやらねば、外国資本に乗っ取られてしまう。そういう情況なのだから、私企業のことには口を挟まないなどとすましていないで、政府は積極的に企業擁護の行動に乗り出すべきだということになる。

こういう見方も当然ありうる。いまは各国でナショナリズムの新たなうねりが起きている。そうした流れを目にすれば、企業も国家ももっと国益を大事に思うべきだという意見が強まるのは自然なことだ。だが、日産はほんとうにナショナルな企業なのか。日産の日本国内での自動車販売のシェアは、いまや第五位になってしまっているといわれ、その利益の大部分は海外での活動から得ている。要するに、日産は、いわゆるグローバル企業なのだ。そうしたグローバル企業に、政府がナショナルな関心から保護を与えることについては、もっと議論を尽くしてもよいのではないか。

朝日といえば、最近安倍政権に対して、厳しいものの言い方が目立つ。かなり左翼的になっていると言ってよい。しかし全国紙であるから、あまり左に傾くと、読者を減らす恐れがある。そこでこういうナショナルな、つまり右寄りの言説を、解毒剤のような意味合いで載せるのだろうか。どうもそんなふうに勘ぐってしまう。





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