反哲学的エッセー

今日のヨーロッパ人の文化は、ギリシャ文化とキリスト教文化を二大源流にしていると言ってよい。この二つの文化はかなり異なったものだ。ギリシャ文化を担ったギリシャ人は、人種的にはガリア人に近いと言われているから、ガリア人が属しているヨーロッパ人種に共通した文化を体現していたと思われる。それに対してキリスト教文化のほうは、ユダヤ人の中から生まれてきたもので、ユダヤ文化と共通する部分が多い。ということは、今日のヨーロッパ人の文化は、ヨーロッパ固有の文化にユダヤ起源のキリスト教文化が重なることによって形成されたと言える。この二つの文化のうち、キリスト教文化のほうが圧倒的な影響力を持ったので、いわばヨーロッパ人がキリスト教文化に染まることで、今日のヨーロッパ文化を形成したと言える。

根拠の問題は因果的な思考につきものだ。根拠についての問いは、ある事柄がなぜそうであるのかについて問うことだが、その何故とは、結果についてその原因を問うことと同義だからだ。それゆえ因果的思考を追求した西洋哲学にあっては、根拠の問題は中核的な問題だったのだ。因果関係についての問いは、論理的な問いとして論理学の問題となる。したがって根拠律は論理学の重大な要素となる。論理学上の問題としての根拠をめぐる議論は、一つの法則として結実し、根拠律という概念を生み出すのである。

超越は、無や無限と並んで、西洋哲学における重要な概念であるが、日本人にはいまひとつピンとこないものがある。その理由は、この概念がキリスト教の神と深いかかわりがあるからだろう。キリスト教の神は、我々の生きている世界を、無から創造したということになっている。ということは、キリスト教の神は、世界の外部にあって、その世界を無から作ったということである。この世界の創造者として神は、いまでもこの世界から超越した存在である。超越というのは、この世界の外部にあって、この世界に属するものとは異なった次元にあるという意味なのである。だから我々は、直接神に接することができない。神に接することができるためには、我々自身がこの世界を超越しなければならない。パスカルはじめ超越を語る人々は、みな神を思いながらこの言葉を語っていたのである。

無限は、無と並んで、哲学上の由緒ある概念として長らく思索の対象となって来た。無限をどうとらえるかは、有限な存在としての人間にとっては、ある意味生き方の根拠にかかわることである。有限な存在として、有限な命を生き、有限な生涯を終えるというだけならば、人間が生きていることにいかほどの意義があるだろうか。それゆえ人間は、どこかで無限につながっていたいと思うように出来ているようである。無限とかかわりがあると思えれば、自分の命にもなにがしかの永続する意味がある、そう思えるようである。

無について

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哲学は存在についての問いから始まったが、その時から無は哲学の最大級のテーマでありつづけて来た。何故なら無は、存在の否定として、存在と不可分だからだ。否定は、人間の知的な能力のうちでも、もっとも基本的な能力をあらわすものである。人間があるものを認識する時は、それを肯定する作用とならんで、否定する作用が、根本的な働きとして動くからだ。それゆえライプニッツは、何故無ではなく存在があるのか、その根拠がある、という言い方で、無と存在とが一対の双子の概念であることをあらためて確認したのだった。

イロニーは非常に幅広い内容をもった概念であり、さまざまな意味合いに使われてきた。それを大雑把に分類すると、哲学的な意味合いと文学的な意味合いとに区分できる。この二つの意味合いでのイロニーという言葉は、ギリシャ時代から使われて来た。哲学的なイロニー概念はソクラテスにおいて、文学的なイロニー概念はソポクレスを頂点としたギリシャ悲劇において、それぞれ典型的な形で展開された。

前稿で因果的思考と対比させて隠喩的思考について述べた際に、隠喩的思考は文学的あるいは詩的な思考だと言った。文学的とか詩的とかいう言葉を使ったのは、隠喩的な思考は因果的思考と違って、論理性ではなく言葉のもつ創造力に訴える点があることに注目したからだった。論理が人間の思考を正確に表現するのに欠かせない道具だとすれば、創造力はそれとは別の能力である。その能力を高めることを意図した学問に修辞学=レトリックというものがある。

人間の思考の基本的かつ最小の単位は判断である。思考は判断の積み重ねからなっていると言ってよい。その判断の様相とか形式を対象にした学問が論理学である。論理学はアリストテレス以来の伝統をもち、さまざまな角度から研究されてきたが、今日主流の論理学は記号論理学といわれるものである。これは論理を形成する判断をいくつかのパターンに形式化し、それを記号に置き換えたうえで、その記号の組み合わせを通じて人間の思考の特徴を考察しようとするものである。

フッサールは意識の直接的所与としての直感から出発する点でカントの正統な後継者である。だが、カントとは異なった面もある。それには二つあって、一つは直感として与えられる現象を、それを引き起こした物自体と区別しないで、現象だけを人間の認識のすべてをカバーするものだとしたこと。もう一つは、直観には感性的なものばかりでなく、知的なものもあるとしたことだ。フッサールはその知的な直観を、本質直観とか形相的直観とか呼んでいる。カントにとって直観とは、知的認識にとっての材料を提供する感性的な内容をさすのであって、それ自体のなかには知的な要素は含まない。感性的な所与と知的な認識とはあくまでも区別されねばならない。本質とか形相とかいうものは、知的な働きの結果生じてくるのであって、直観として与えられることはない。ところがフッサールは、本質も又直観の内容となりうるといって、知的な直観を認めたのである。

デカルトが意識から存在を導き出して以来、西洋哲学は意識を舞台に展開してきた。中にはマルクスのように存在が意識を規定すると言ったり、ニーチェのように西洋哲学の枠組みそのものをひっくり返そうとしたものもいたが、それらは例外と言ってよく、西洋哲学の主流を歩く者は、意識という道を踏み外すことはなかったのである。その意識の問題をもっとも先鋭的な形で突き詰めたのは現象学であった。

精神と身体

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デカルトが精神と身体をそれぞれ別個の実体として分裂させて以来、人間はもっぱら精神的な存在として捉えられて来た。「我思う故にわれあり」という言葉には、人間は精神としての存在だという意味が込められている。人間にはたしかに身体が付随しているが、それは本質的に重要なことではない。身体と精神とは、それぞれ全く別の次元に属するのであって、したがって身体と精神との関係は、必然的なものではなく、偶然のものでしかない。身体は精神とは分離して存在することができるし、精神は身体なしでも活動できる。精神の働きは意識という形をとるが、意識はとりあえず身体とは別のものである。

思考の構造

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前稿「意識と無意識」で、フロイトが無意識を発明した時、哲学界はこれを無視したと書いた。そしてその無視には理由があったとも書いたが、その理由についてもう少し詳しく見ておきたい。人間の思考を理性の働きと結びつけ、外界の表象である感覚的な与件が理性の働きと結びつくことで人間の認識、つまり思考が行われると考えたのはカントだったわけだが、それ以来人間の思考は、基本的には理性と強く結びついて、人間の自主的な、つまり意識的な営みであるというふうに考えられるようになった。だからそこには無意識が介在する余地は全くなかったと言ってよい。それが、哲学界がフロイトの無意識を無視した理由である。

フロイトが無意識の人間に及ぼす深刻な影響を指摘した時、西洋哲学はこれを無視した。その無死の仕方は本能的といってもよかった。何故なら西洋哲学の伝統は人間の意識を舞台に展開されて来たからであって、意識以外のものが人間を動かすなどとは、意識についての学問である哲学を否定するに等しかったからだ。デカルトが「我思う故に我あり」と宣言して以来、意識こそが存在の根拠だったわけだし、存在についての学問である哲学にとっては、意識を除外しては何事も語れなかったのである。そこにフロイトは無意識という概念を発明した。しかもその無意識が人間の行動を左右すると主張した。西洋哲学にとって、これほどスキャンダラスなことはありえなかったのである。

自己と他者

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前稿で広松渉に言及した際、他者の問題に触れた。広松の場合、他者の問題は間主観性という形で取り上げられていた。間主観性というのは、複数の人間の間のコミュニケーションから生まれて来る関係をいう。その関係から、人間の認識の枠組みとなるものが生まれて来ると考える点で、広松の間主観性の議論は、人間の認識の社会的起源を強調したものだった。人間は、その本質的なあり方において社会的な存在だとするわけである。

存在と意味

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西洋哲学の伝統においては、存在するものと存在することとは分けて考えられる。存在するあるものを存在者といい、その存在者が存在することを存在というわけである。存在するあるものは既に存在しているわけであるから、何故ならすでに存在していなければ存在者とは言われないからだが、その存在者とその存在者の存在とを分けて考えるのは意味がないようにも思われる。存在者において、存在する当のものとそのものの存在とは一致しているのではないか。そうだとすれば、存在者と存在とを分けて考えることに、どれほどの意味があるのか。

存在と意識

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前稿で存在は精神によって基礎づけられると言った。精神は意識として現象する。だから存在がどのようにして基礎づけられ、構成されるかを詳しく知ろうとすれば、意識の働きに注目しなければならない、というのが西洋哲学の伝統的な考えだ。この伝統はそんなに古い歴史を持つわけではない。デカルトに遡るくらいだ。だがデカルトの「我思う故に我あり」のインパクトはあまりにも大きかった。以来西洋の哲学は意識をめぐって展開してきた。意識は、存在を中核としながらも、すべての哲学的な思考がそこで展開する舞台となってきたのである。

存在と無

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この小論の目的は存在と無について語ることだが、サルトルの注釈ではない。一日本人として西洋哲学の伝統に一瞥を加えようというのだ。西洋哲学が存在の探求から始まったことはよく知られている。ギリシャの最初の哲学者たちは、この世界が存在しているのはどういう理由からかについて、思弁を巡らしたのであったし、プラトンは存在者が存在するとはどういう意味か、存在とは何かについて探求したのであった。キリスト教時代の思想家たちは、神と存在との関係について思弁を続け、近代以降の哲学者たちも存在の意味について探求し続けた。彼らのそうした探求を動機づけたのは、何故無ではなく、存在があるのか、という素朴な疑問だった。こういう疑問は、日本人が長らく知らなかったものだ。日本人にとっては、この世が存在しているのは疑問の余地がないことだったし、したがって存在というものについて疑問を差し挟むということもなかった。存在は自明な事実なのであって、かえって無の方が異様に受け取られたのである。

小生はかつて「日本人とエピステーメー」と題した小論の中で、フーコーのエピステーメー論を日本人に適用したらどうなるかについて、簡単な考察をしたことがあった。そこで小生がとりあえず達した結論は、日本人にはヨーロッパ人のように内発的な知の発展というものは見られず、外国から輸入した知が幅を利かせてきたということだったが、それでも日本人の思考の枠組というようなものは存在しており、それをエピステーメーといってよいかもしれない、と思うに至った。そのエピステーメーのうちで、我々現代に生きる日本人にとって、最も大きな意義を持つのは、儒教に根差した権威主義的世界観であって、我々はその呪縛から未だに完全に脱し切れていない。この儒教的なエピステーメーは、徳川封建体制下の17世紀半ばごろに成立し、明治維新を経て、先の敗戦頃まで強い規範となってきた。要するに三百年にわたって日本人の思考を制約してきたわけである。敗戦後は、それに代わって欧米伝来の自由主義的な考え方が新たなエピステーメーを築きつつあるが、我々はまだ権威主義的な思考様式から抜け出せていないようである。

イデオロギーはマルクス主義の用語だったが、広い範囲で使われるようになり、いまでも社会科学や人文科学における基本タームとして流通している。それに対してエピステーメーのほうはミシェル・フーコーが使いだしたものだが、こちらはあまり普及することはなかった。パラダイムと似ているところがあり、しかもパラダイムのほうに強いインパクトがあるので、エピステーメーはごく限定された範囲にしか取り上げられなかったし、フーコーが死に、また構造主義が下火になると、次第に見捨てられていった。

一時期世界観という言葉が流行った。世界観と漢字で書くと、文字通り世界についての見方と言う意味になる。ドイツ語でも Weltanschauung と書いて、やはり世界についての見方というような意味合いを持たされている。しかし英語圏では、こうした言葉はあまり使わないようだ。フランス語圏でも積極的には使われない。そうしてみると、この世界観という言葉は、ドイツ語圏とその影響を強く受けた日本の哲学業界においてもっぱら使われているとも言えそうだが、しかしだからといって、他の国の思想界で世界観に相当するような考えがなかったかといえば、そうでもない。どんな民族であっても、世界についての基本的な捉え方というものはあるものだ。それがないと、自分が生きていることの意味がわからなくなるだろう。何故なら人間は一人で、しかも裸の状態で生きているわけではなく、世界のうちで他の人間とかかわりあいながら生きているからだ。

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