雪村は最晩年の七十歳代に、福島県の三春に隠棲した。ここで七十一歳の時に、「竹林七賢図屏風」を制作している。竹林七賢とは、中国の三国時代に実在したとされる人物像で、竹林に集い酒を飲みつつ清談したことから、竹林の賢人と呼ばれるようになった。その賢人たちに、老年の雪村が自分のイメージを重ねたということか。
左右両隻にわたって、七人の賢人が、それぞれ個性豊かに描かれている。左隻には三人の賢人が二人の童子と戯れ、右隻は四人の賢人が一人の童子と戯れている。
上の図は、右隻の一部。右端の横を向いた老人は、雪村の自画像ではないかと指摘されている。ほぼ同時期に描かれた自画像と比較すると、こちらのほうがふくよかな感じがする。ただし視線のするどさは、共通している。
(六曲一双 紙本墨画 各179.0×332.0㎝ 畠山記念館 重文)
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