人間からロバへの転生:莫言「転生夢現」

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西門鬧が最初に転生したのはロバだった。かれは豊かで働き者の地主であったが、おそらく国共内戦の混乱の中で、殺されてしまったのである。死後閻魔大王の前に突き出されたかれは、熱した油で揚げられるなどの拷問を受けて、罪を白状しろと迫られる。それに対して彼は、自分は無実だから人間に戻してほしいと主張する。そんな西門鬧に閻魔大王は、もう一度この世で生きるチャンスをくれたのだった。だが、期待に反して、ロバとして転生させられたのである。

日本にも、閻魔大王によって生き返るという話はある。たとえば小栗判官だ。小栗はだまし討ちで殺されたのだったが、それを閻魔大王が憐れんで、もう一度人間として生き返らせてもらった。自分の死体に魂がもどって蘇生したわけだ。ところが死体の腐敗が進んでいて、生き返った小栗はゾンビのようなありさまだった。その小栗が東海道を上って行き、妻の照手姫の介護を受けながら大峰までたどりつき、そこの湯につかることで普通の人間の姿に戻る、というような話である。

小栗判官の物語は、人間として生き返る話だが、莫言のこの小説の中の主人公は、動物として生き返る。莫言はおそらく六道を意識していて、そのうちの畜生道に転生したという具合に物語を組み立てたのだと思う。人間が畜生道に落ちるというのは、六道絵のテーマにもなっているから、日本でもありえない話ではないが、動物としてこの世に生き返るというのは、ないのではないか。そこは莫言一流のフィクションなのだと思う。

西門鬧がロバとして生まれてきたのは、1950年の1月1日ということになっている。前年の10月1日に中華人民共和国が成立しているから、その直後のことである。つまり西門鬧は、革命以前に地主として生き、殺された後は、中華人民共和国で動物として生きるのである。この小説は、2001年の1月1日までをカバーしているから、中華人民共和国の半世紀を、西門鬧は五度動物として転生し、最後に人間の姿にもどるのである。

さて、西門鬧はロバとして語り始める。かれは牝ロバの尻から小さなロバとして出て来たのだったが、その牝ロバは、かつての自分の作男藍瞼の持ち物だった。だからロバとしての西門鬧は、かつての自分の使用人に役畜として仕える立場になったのである。かれは以後さまざまな動物に転生するが、どの場合にも藍瞼との関係は変わらない。その藍瞼は、かつての自分の妾迎春を妻にしていた。その迎春がすでにみごもっていて、ロバが生まれたのと同じ日のうちに出産する。それが藍解放で、以後ロバとその後身たちと解放は強い絆で結ばれるのである。

1950年代の中国は、試行錯誤の連続だった。小作人たちへの土地の分配に始まり、合作社などの集団化の試みが続き、また強硬な社会主義路線がさまざまなひずみを生んだ挙句、1960年ごろにはそのひずみが巨大な矛盾となって、大飢饉が起きたりした。ロバとしての西門鬧は、そうした1950年代の中国に生きたわけである。この時代を通じて、ロバの主人である藍瞼は個人農としての立場を貫きどおし、それがもとで迫害を受けたりする。その迫害は、1960年代に本格化するのだが、それ以前にも萌していた。それをロバは目撃するのである。

ロバとしての西門鬧は、まだ人間時代の記憶をなまなましく残していたが、次第にロバらしくなり、オオカミを相手に戦ったり、かわいい牝ロバに恋をしたりする。その牝ロバに西門ロバはささやきかけるのだ。「愛しのわが宝物、大事な大事な、愛しい牝ロバよ。ああ、お前を抱きしめ、四本の脚でお前を挟みつけ、お前の耳や睫に口づけし、お前の薄紅色の鼻や唇に口づけしてやりたい。この上ないわしの宝物よ」。女を愛することに、人間もロバも区別はないのである。

牡ロバはある程度成長すると去勢されるならわしだ。だが西門ロバはそれをいやがり、主人の藍瞼も去勢しないでいた。ところが家畜の去勢を仕事にしている男が西門ロバの睾丸をつけねらう。その挙句に西門ロバの睾丸を一つ切り取ってしまうのだ。睾丸を取られた西門ロバは嘆く。「人間の世界には、睾丸を取るのを仕事にするこんな怪物がいたのじゃ。それもその取り方の鮮やかなこと。その容赦なさや正確さや素早さは、経験した者でなければ信じられまい! アオーン~~アオーン~~。わしの玉よ」

もっとも西門ロバには三つの睾丸がついていて、一つ取られてもまだ二つ残っていた。しかし一つ失っただけでも、西門ロバの猛々しさはかなり失われたのであった。

1958年にいわゆる大躍進運動が始まる。この運動は人びとを狂気に陥れた。その狂気が西門ロバの近くにも漂ってきた。まず主人の藍瞼への迫害がひどくなったし、西門ロバも供出を迫られ、県長専属の移動手段にさせられた。西門ロバはその仕事に励んでいたが、ふとしたことから脚を折ってしまう。けがをした脚には義足をはめてもらったりしたが、西門ロバはまずます弱々しくなる。そして1960年がやってきた。この年、大躍進運動の矛盾が激化し、その結果深刻な飢饉が起きる。すると飢えにかられた人々は、異端分子である藍瞼の迫害をいっそう強め、西門ロバに襲い掛かって殺してしまうのだ。

西門ロバは、自分が殺される様子をつぎのように報告する。「女主人や子供らの悲鳴を耳にし、争奪する飢民どもが衝突する音が耳に入った。突然眉間に一撃をくらって、魂が躰を飛び出して宙を漂い、人々が包丁や斧でロバの死体を細切れに解体するのが目に入った」






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