紀の国坂赤坂溜池遠景、四ツ谷内藤新宿:広重の名所江戸百景

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(85景 紀の国坂赤坂溜池遠景)

紀伊国坂は、いまでいえば、赤坂御所と弁慶池に挟まれた坂。赤坂とも言った。そこから赤坂という地名が生まれたのである。徳川時代には、赤坂御所のある土地には紀州藩の中屋敷があったので、その脇の坂を紀伊国坂と呼んだわけである。

この絵は、坂の手前から見上げるようにして眺めた構図。左手が弁慶池、右側が紀州藩邸だが、火の見櫓の一部がかろうじて見えるばかりである。左手の池の向こう側には、仕舞屋がびっしりと並んで描かれているが、実際には、弁慶掘と接続するかたちで溜池があったわけで、このような眺めは見られない筈だ。

右手には坂道を行く大名行列。先頭の者が、飾鞘をかぶせた槍を持ち、そのあとに大勢の武士が続く。行列の中ほどには大名を乗せた駕籠があるはずだが、この絵には見えない。

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(86景 四ツ谷内藤新宿)

内藤新宿は、甲州街道の最初の宿場。もともと信州高遠内藤藩の下屋敷のあった土地に作った宿場だったことから、内藤新宿と呼ばれた。この宿場を参勤交替で通る大名はわずか三藩に過ぎなかったが、奥多摩の綿や石灰を江戸に運ぶ産業道路として結構栄えた。また、遊女町として名をはせた。

当時の流行歌に、「四谷新宿馬糞の中でアヤメ咲くとはしおらしい」というのがあった。広重はそれを意識して、巨大な馬の尻と足元の馬糞を描き入れたのだと思う。新宿通りの馬糞は、小生の子供時代にもよく見かけたものだ。

画面左手には宿屋らしきものが並び、宿場町の賑やかさを示している。






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