川の底からこんにちは:石井裕也

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石井裕也の2010年の映画「川の底からこんにちは」は、生きづらい今の日本社会を懸命に生きる女性を描いたものだ。その生きづらさは、21世紀に入ってから顕著になったもので、小泉政権が旗を振った新自由主義的な政治の結果でもあった。その結果日本には深刻な格差社会が生じ、勝ち組と負け組とが明確に分かれた。勝ち組になれたものは大もうけが出来た一方、大部分の日本人は負け組に押しやられて、生きづらい世の中を生きるように余儀なくされた。そういう時代の風潮がよくわかるような映画である。

主人公のさわこ(満島ひかり)は、田舎から東京に出てきて五年がたつが、その間に派遣社員として職場を五つもかわり、また恋人も五人かわった。要するに冴えない女なのである。自分が冴えない理由は自分にあるとさわこは諦念している。だからそんな不遇な目にあっても、他人を責めたりしない。自分が悪いのだから、諦めるしかない。そう思って暮らしている。

そんな彼女に、実家から戻って来いと連絡が入る。父親が危篤だというのだ。母親はとっくにいなくなっており、父親が死ぬと、経営しているシジミの工場が立ち行かなくなる。だから戻ってきて経営を見ろと叔父から言われるのである。

そこでさわこは、新しく恋人になった子連れの男を伴なって実家に帰ってくる。ところが彼女を待っていたのは厳しい現実だった、というような筋書きである。父親はともかく一命を取り留めたが、経営するシジミの工場はいまにも倒産寸前、工場の従業員は年取った女ばかりで、みなさわこを軽視して言うことを聞かない。

だがさわこはがんばる。がんばるしかないのだ。そのがんばりぶりをみた従業員たちが、次第にさわこに心を開く。とりわけさわこのアイデアで、シジミの歌を作ったのが世間に受けた。そのシジミの身になって皆は歌うのだ。「川の底からこんにちは」と。それが世間にも受けて売り上げがのびる。

だが父親はとうとう死んでしまう。その父親の遺骨を、さわこは川に流す。父親がそう遺言していたのだ。俺の骨でシジミもでかく育つだろうと。そんなさわこを見た女たちは、父親が死んだらわしらが母親になってやると言い出す。さわこはそこまで愛されるようになったのだ。

さわこが連れてきた男は、他の女と駆け落ちするが、さわこは許す。そしてその男との結婚を決意する。その理由がいい。自分は「中の下」なのだから、その境遇を受け入れて高望みしない。そして言うのだ、「しょうがないから、あしたもがんばるね」と。

彼女が自分の境遇を「中の下」と言ったのは、まだまだ中流幻想にとらわれていたためだと思う。今ならずばり「下級国民」と言うだろう。その下級国民が「がんばるね」と言うのだから、自己責任を説教したがる昨今の日本の為政者が聞いたら、さぞかし励まされようというものだ。

さわこを演じた満島ひかりがいい。顔中目玉ばかりといったその風貌は、日本人離れして、漫画の世界から飛び出してきたようだ。






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