人生の花:上村松園の美人画

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上村松園は早熟な画家で、15歳にして画名をあげた。その年に行われた第三回内国勧業博覧会に出展した「四季美人図」が、折から来日中の英国の王子の目にとまり、買い上げられたのであった。そのことを地元の「日の出新聞(京都新聞の前身)」が報じたので、上村は一躍有名になったのであった。

この「四季美人図」は、自分自身を鏡に映してモデルにしたのだと、松園自身が後に語っている。モデルを雇うという発想は当時の松園には、まだなかったのである。

松園の作品が本格的に評価されるきっかけは、明治31年の新古美術展に出展した「人生の花」であった。これは、母親に伴われた娘の嫁入り姿を描いたもの。松園は近所のちきり屋(美容院のようなもの)に、手伝いのため出入りしたが、その折に、嫁入り支度の様子をつぶさに観察する機会があった。この絵は、そうした日頃の観察を生かして描いたものだと、松園自身後に回想している。

黒が基調であるが、ところどころ原色を利かせ、インパクトのある色彩配置になっている。母親と娘のそれぞれの髷の形が、なかなか色気を感じさせる。

なお、松園はこの絵の中の二人の人物をそれぞれ独立させ、双幅に仕立て直したものを、翌年の第九回日本絵画協会主催の展覧会に「花ざかり」と題して出展し、銀賞を獲得した。その作品を松園は、「花ざかりは私の二十六歳のときの作品で、私の画業のひとつの時期を画した作品と言っていいかも知れません」と回想している。

実際、この作品の成功によって、松園の名は日本画界に広く知られるようになった。

(1899年 絹本着色 軸装 176.0×101.0cm 京都市美術館)






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