新富座妖怪引幕:川鍋暁斎の戯画

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川鍋暁斎は、絵そのものもユニークなものが多かったが、創作態度も破天荒だった。その一つに席画というものがあった。これは大勢の見物人を前にして、即興的に絵を仕上げるというものだ。その際には、酒を飲んで酔っていることもあったようだ。

暁斎の席画を代表するものとして、「新富座妖怪引幕」があげられる。これは明治十三年に、いろは新聞の社長仮名垣魯文が、新富座の開場一周年を記念して、暁斎に注文したもので、新富座ゆかりの役者たちをフィーバーしたものだった。暁斎はこれを描くに当たって、銀座の二見写真館に赴き、そこで大勢の見物人を前に描いた。写真館で描いたのは、そこに役者たちの写真があって、似顔絵を描くのに都合がよかったからだろう。

幅四米、長さ十七米ものこの巨大な引幕を、暁斎はわずか四時間で描いたという。それも酒を飲みながらである。なにしろ面積が大きいので、普通の筆では間に合わず、シュロの箒で絵の具を塗ったという。その際に、裸足で画面の上を歩き回った。その足跡音が絵の一部として残されている。

引幕の画面上部には葛箱の横面を描き、下部にはその蓋を描いている。上下に挟まれた部分に役者の表情が描かれているが、それらは葛箱から飛び出してきたということになっている。彼らが誰であるかは、葛箱に描かれた文様から推し量ることができる。

上は、引幕の右半分。右端に注文主の仮名垣魯文の名が書かれている。右側の座頭は中村仲蔵、その左の難倫坊は市川小団次、鬼は中村宗十郎、狐小町は岩井半四郎である。

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これは左半分。大目玉のろくろ首は市川団十郎、化猫は尾上菊五郎、鼻美人は岩井小紫、天狗面の行者は市川左団次、猿面冠者は坂東家橘、笈を背負っているのは中村鶴蔵といった具合である。

(1880年 布墨画着色 401.1×1704.0㎝ 早稲田大学演劇博物館)






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