灼熱:クロアチアの民族対立を描く

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2015年のクロアチア映画「灼熱」は、ユーゴスラヴィア解体に伴うクロアチア内の民族対立を描いたものだ。ユーゴの解体によって、かつて連邦を構成していた各民族が独立の動きを見せ、それにともない連邦維持を追求するセルビア人との間に各地で内乱のような紛争が起きた。クロアチアにおける紛争はその早期のもので、規模も大きかった。今日クロアチア紛争と称されるこの内乱で、クロアチアの人口は数十万単位で減少した。

クロアチア紛争で対立しあったのは、クロアチア人とセルビア人だ。この両民族は、人種的にも言語的にも兄弟のような関係にあるが、クロアチア人がカトリックでローマ文字を使うのに対して、セルビア人はギリシャ正教でキリル文字を使うという相違があった。歴史的には、第二次大戦中クロアチアがナチスドイツと協力してセルビア人と対立した経緯がある。それがチトーの時代には互いに融和し、クロアチア地域内には数十万のセルビア人も暮らしていた。だが、チトーの死後民族対立が表面化し、クロアチア紛争を通じてクロアチア内のセルビア人の多くが流出した結果、クロアチアの民族浄化が進んだとされる。

この映画は、クロアチア紛争が勃発した1991年から、十年刻みでクロアチアの民族対立の状況を描いている。三部構成をとり、それぞれの部において、クロアチア人とセルビア人との対立と憎しみあいが描かれる。この三部だてのそれぞれのパーツは互いに何のつながりもないのだが、それぞれに出て来るキャラクターを同じ俳優が一人三役、一人二役で演じているので、観客はあたかも同じ人物の物語と思わされてもしまうのだが、なぜそうまでして、同じ俳優に拘ったのが、よくわからないところがある。

第一部は1991年のクロアチアの状況。ここではクロアチア人女性のイェレナとセルビア人男性イヴァンとの間の恋が描かれる。テーマは民族対立が二人の恋を壊してしまうということだ。クロアチアでは少数民族のセルビア人男性が、クロアチア人によって殺されてしまうのである。

第二部は2001年のクロアチアの状況。紛争後一応正常化した空間の中で、クロアチア人の青年とセルビア人の女性とのゆがんだ関係が描かれる。青年はこの母子の住んでいた家で、いまは廃墟同然になっているものを、まともに住めるよう依頼される。依頼したのは母親だが、娘はそれが気に入らない。彼女にとってクロアチア人は自分の兄を殺した憎むべき存在なのだ。母親はいまさら過去に拘ってもしょうがないし、ましてこの青年には個人的な怨みもないというのだが、娘はやはり納得できない。

そんななかで、娘は青年を性的に誘惑する。青年は面食らうが、娘とセックスする。しかしどういうわけか娘は、下半身は結合するが、唇をあわせることをこばむ。なぜそうなのか、画面からは伝わってこない。ただ青年が、母親から受け取った手間賃を返すシーンがある。それを見ると、青年は娘との間の快楽の対価を家の修繕の手間賃と引き換えたというふうに伝わって来る。つまり、ただでやるわけにもいかないから、それなりの対価は支払わせてもらう、というような感じが伝わってくるのだ。

第三部は2011年のクロアチアの状況。ここではおそらくクロアチア人の男と、セルビア人の女との相克がテーマなのだろう。二人の間には子どもがいることになっていて、男のほうはその子どもを含めて三人でやり直そうと女にもちかける。しかし女はなかなか心を開かない。そこにクロアチア紛争の傷跡のようなものを感じさせられるのだが、それにしては、彼らの子どもはまだ嬰児である。とうことは、彼らは紛争が終わってかなり経ってから愛し合ったということであり、いまさら紛争の傷にこだわるのはおかしいという気持ちもするのだが、映画はそんなことにはお構いなく、心に傷を受けた男女が互いに傷をひっかきあうような真似をするところを描く。

こんなわけでこの映画は、クロアチア紛争の生臭いところにはあまり触れてはおらず、紛争が人々の心にもたらした痛みをもっぱら描いている。





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