桃太郎の誕生:柳田国男の昔話論

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柳田国男が昔話に拘ったのは、それらが日本人の古い考え方を比較的もとの形で保存していると考えたからだ。昔話の中には、時代の変遷や地方の相違によって、もとの形とは違ってしまったものも認められるが、少なからぬものの中に、日本人古来の思想の痕跡が残っている。それらを丁寧に読み解くことで我々は、日本人の本来抱いていた思想がどのようなものであったか、知ることができると柳田は考えて、昔話の収集と比較・分析に熱意を注いだのだろう。

柳田は、昔話のもともとの出自を神話だと考えているようだ。神話とは、柳田によれば、記紀に書かれたような権力公認のものばかりではない。その周辺に口承を以て伝えられた膨大な神話群があって、記紀はたまたまその一部を保存しているに過ぎない。それ以外の、いわば民間の神話は、権力とは別に、庶民の間で伝えられてきたものであるが、こちらの方にこそ却って、日本人の古い時代の信仰とか思想とかが、より純粋な形で保存せられているのではないか、そう柳田は考えていたようである。

昔話といえば、今では子供相手のおとぎ話のように考えられているが、昔話がおとぎ話化したのはずっと時代が下ってからのことで、それ以前は子どもだけを対象にした話などはなかった。大人が子どもに話を聞かせる時には、大人のための昔話から、子どもの比較的馴染みやすい話を選んで聞かせたのであり、その場合に、子供の理解に都合がよいように、むつかしいところや冗長な所は省いたり修正したりして話して聞かせた。そんなことも作用して、昔話の中には時間の経過とともに、原型からかなり逸脱してしまったものもある。

そんなわけで柳田は、昔話の原型は古代の神話にあると考えている。それを原型として、今日までの時間の経過や聴衆との関係において、すこしづつ形を変えて来た。そのプロセスを柳田は、次の三つに整理している(以下「桃太郎の誕生」からの引用)。

一、説話が上代において早く芸術化し、そのやや成熟した形において広く流伝していたもの、たとえば死人感謝譚や紅皿欠皿話
二、説話の信仰上の基礎がまったく崩壊せず、従ってこれを支持した伝説はもとより、その正式の語りごとがなお幽かながら残っていたもの、たとえば蛇婿入のごとき一部の異類結婚譚
三、最後に説話が近世に入って急速に成長し、元の樹の所在は不明になったが、まだその果実の新鮮味を失わぬもの、たとえば桃太郎瓜子姫説話の類

ここで柳田が説話と呼んでいるものは、神話と読み替えてほぼ間違いない。要するに古代人の信仰が反映されている説話という意味である。

このように日本の昔話は古代人の信仰を盛り込んだ説話=神話に起源があるが、そのほかに外国からの影響も考えられる、と柳田は言う。こう言うことで柳田は、昔話を、日本固有の時間軸にそった縦の流れと、対外的な関係という空間軸にそった横の広がりとを交差させながら、日本の昔話の特徴と変遷とを分析しようと試みる。

柳田が昔話の分析の対象としてとりあえず選んだのは、五大御伽噺といわれるものであった。これらはそれぞれ日本の昔話に定型的な要素を含んでいるのだが、そのうち柳田がもっとも強く注目するのは桃太郎である。

桃太郎には昔話の典型的な要素がいくつか含まれている、と柳田は指摘する。まず、桃の実が割れてそのなかから大きな男の子が生まれて来たという点、次にその男の子が急速に成長したあと、動物をお供に連れて鬼退治を行い、財宝を持って帰ると言う点である。このうち、男の子が桃の実から生まれていたということについては、瓜から生まれた瓜子姫の例や、竹から生まれたかぐや姫の例があり、日本の昔話には珍しくないものであるが、外国(西洋)にはこういう話は見られないから、日本特有のものなのだろうと柳田は言っている。一方、英雄が動物をお供に連れて冒険の旅に出るというのは、各国に多数の例がある、という。

桃太郎にしろ瓜子姫にしろ、小さな子どもが植物から生まれてきたということになっているが、これをよくよく比較分析してみると、「小さ子」物語と名づくべき物語群が日本列島のあちこちに残っており、そこから日本古来のひとつの信仰を反映したものだろうとの推測につながる。日本には、記紀神話におけるスクナヒコナを始め、小さ子が活躍する話が非常に多いということらしい。

桃太郎説話は、この小さ子説話が鬼ヶ島征伐の話と結びついて出来上がった。そこで鬼ヶ島征伐の要素であるが、これは今ある形では、単に鬼を征伐して、鬼から奪った宝物を持ち帰ったということになっているが、もともとの形はもうすこし複雑なものだったろうと柳田は推測している。若者が冒険の旅に出てさまざまなものを得るという説話は、世界中に分布しているが、それらと共通するものが、桃太郎説話のもともとの形のなかにあったに違いない。それが御伽話化する中で、子供にわかりづらいところを端折って話すようになった結果、今のような形になったのだろう。もともとの形には、妻取りとか権力者への出世とか、別の要素があったに違いない。そうであれば桃太郎には、海外にも似たような話があるということになる。

海外に似たような話がある例として柳田は、糠福米福の話を上げる。これは英仏のシンデレラとかグリム童話の灰かつぎ姫とよく似ている継子いじめの話である。瓜子姫も継子いじめの要素を強く持っているが、こちらは継子と実の子をともに出現させている点で、継子いじめの様子がより陰惨に語られる。日本は落窪物語や住吉物語など継子いじめの話が盛んにおこなわれた歴史があるが、それが何を物語っているのか、そこまでは柳田の推測は及ばない。

さて、瓜子姫を含めて、小さ子物語については、それなりの信仰上の背景があると柳田は推測する。小さ子物語のバリエーションに蛇の婿入りというものがある。これは神が小さな蛇に変じて人間の女に婿入りし、女の家を栄えさせるという内容だが、この小さな蛇というのは、稲妻をイメージしている。稲妻が天上から落ちて来る姿が蛇に似ているからである。稲妻はまた水の象徴でもあり、農耕民族たる我々日本人にとっては尊いものである。そこから水神信仰も生まれたわけだ。小さ子物語はそうした水神への信仰を盛り込んでいるのではないか。だからこそ日本中に広く伝播しているのではないか、そう柳田は考えるわけである。

以上、柳田の昔話論は、日本人の古い信仰とかものの考え方を明らかにしたいとする計画の一環として展開されるのである。





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