白熱する四方山話

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四方山話の会今年二回目の例会は、いつものとおり新橋の古今亭で催された。やや早めについて見ると、浦子がひとりポツネンと座席に腰かけ、新聞に眼を通している。用意されている席は五人分だ。今晩は少ないなといいながら席に着くと、やがて六谷子がやってきた。彼、先日大磯の吉田茂邸を見物してきたそうだ。なにか面白いことはあったかねときくと、近くに島崎藤村の墓があったという。島崎藤村は晩年を大磯で過ごしたのだそうだ。細君の墓と仲良く並んでいて、細長い石柱がたっているが、とくに戒名などは書いていないのだそうだ。

そのうち、石、岩の二子が加わった。これで予定の五人だ。石子がカバンから書類を取り出し、みなに配る。見ると清子が書いた小文が三部ある。清子は五月の連休明けに東京へ出てくる予定なので、その機会に四方山話の連中と旧交を温め、できれば演説をさせてもらいたいと言ってきているのだそうだ。この書類はその演説の為に用意した原稿らしい。みな清子と会うのは久しぶりなので、是非この会に招待して、好きなことをしゃべらせてやろうということになった。

石子が清子から聞いたところによると、日本人は自国の近代史に無自覚すぎる。その無自覚が近隣諸国との間で軋轢を生む原因になっている。だから自分は、日本人に向ってもっと自国の近代史を学べと言いたい。その気持ちを演説の中でも訴えたいのだという。清子のことだから、さぞ深遠な話が聞けるのではないか。みなそう言いあった次第である。

ここで小子が加わった。これで予定を超えて六人になった。六人になったところで、今宵は特に用意したプログラムもないので、銘々好き勝手なことをしゃべろうということになった。すると岩・石の両子が、小生のブログをやり玉に挙げて、いろいろと非難めいたことを言った。その言い分を聞いていると、どうも他の参加者を戯画化しているのが気に入らないということらしい。もっと格好良く書けということなのか、と聞き返すと、そんなことではない、お前の書き方は人の感情を害する書き方だ、という。岩子などは、そもそも書いて欲しくない者もいるのだから、勝手なことを書くということが間違っていると、これはめずらしく手厳しい言い方をする。そこで小生は、娘っ子ではあるまいし、いい年の爺さんが、はずかしいから書かないでほしいなどとは笑止なことだと言い返したが、岩・石の両子は納得できないといった様子だった。一方、六谷と小の両子は、我々には書かれて不都合なことはないと言ってくれた。

こんな具合で、今宵の四方山話の会はいきなり白熱したやりとりから始まった。その白熱ぶりは最後まで冷めやらず、みなそれぞれ口角泡を飛ばしながらの舌戦となった次第だ。その舌戦のいくつかを、手短に紹介しよう。

近代史の話題が出たついでに、北方領土問題が取り上げられたが、その際に、小生のこの問題に関する発言が極めて右翼的だという指摘がなされた。それに対して小生は、俺の主張はごく当たり前のことを言っているだけで、右翼でも何でもないと反論したのだが、この反論には石子は納得せず、そのかわりに岩子が同調したようだった。それはともかく、最近の安倍政権はすっかり二島返還に後退してしまったじゃないか、それに対して国民から反発が出ない、もっと不思議なのは右翼の連中迄だんまりを決め込んでいる。そういう情けない状況に対して、おれは義憤を述べているのだと、小生は日頃の鬱憤を吐いたのであった。

そこで日本の右翼のことが多少話題になったが、日本の右翼というのは特異な歴史を背負っている。玄洋社にしろ黒龍会にしろ、その拠点は九州を中心にした西日本だが、かれらの出自をよく見ると、維新を遂行した勢力と深いつながりがある。維新を遂行した勢力は、日本の権力を牛耳っていい思いをしたわけだが、その恩恵から漏れた連中が、日本の右翼の主流になっていく。そういうわけで、右翼というのは維新の裏面のようなものなのだ。そういったところが、小子は感心した表情を見せ、そういう見方もあるのかねと言った。

右翼が北方領土問題でおとなしくしているのは安倍政権に遠慮しているせいだろう。なにしろ安倍政権は右翼の希望の星みたいなものだから。その安倍政権は、いまでは何もこわいものなし、したい放題のことをしている。しかも、政権基盤は盤石で、この調子だと四期目はおろか、終生総理大臣をやりかねない。どうしてこんなことになったんだろうね、とこれは一同みなの共通した感想だった。

ところで岩子の顔色がいつにも増していいが、ゴルフをやったせいかね、と浦子が話題を変える。ああ、今日ここへ来る前に練習場でひと汗かいてきたところだ。そう岩子が答えると、六谷子のほうは、僕は一回につき120円払って弓を射てきたよという。弓は一人でもできるから、なかなか都合のいい趣味だ。俺の方は最近めまいがしたりして運動どころではない、と小生が言ったところ、それは血圧のせいだろう、と石子が言う。お前はいつか湯河原の温泉で血圧のせいで倒れたことがあったが、あの時には、キンタマをさらけだしてのびてしまったからなあ、と冷やかす。

キンタマの話が出たついでに、キンタマについての様々な呼称が話題になった。キンタマをふぐりというのは主に西日本においてで、東日本ではマラという所が多い。小生も先日書いた小説の中で、西郷隆盛の一物に言及してそれをマラと書いたが、それはその言葉を吐いたものが会津の人間であったことにもとづく、というような具合だ。ところで最近の若者は、男根全体をさしてキンタマというらしい。中には棹の部分をキンタマという者もあるようで、時代の流れを感じさせられるところだ。

また、どういうはずみでかは覚えていないが、我々も古希を過ぎて、いつ死んでもおかしくないという話になって、病気特に癌が話題になった。いまや人口の半分が癌にかかるというじゃないか。そう小生が言ったところ、死因の半分は癌だというから、それだと癌になったものは皆死ぬということだな、と石子がいうので、それは、分母を取り違えているからだよ、そう反論したところが、長い目で見れば、分母は一致するのじゃないかね、と再反論する。どうも釈然としない。

ところで我々の世代は、死んだ後火葬してもらうのに苦労すると思うよ。いまでも火葬場の能力は破綻寸前だ、特に東京は深刻だ、このままだといずれパンクする、そう言ったところが皆ため息をつきながら、じゃあ俺などは実家の方で焼いてもらうということになるのかな、という者もある。人間が焼きあがるのにどれくらい時間がかかるのかという質問が小子から出されたので、小生は火葬場勤務の経験から、大体70分というのが相場だと答えてやった。すると小子は、おれは40分で焼けたところを目撃したというので、体格によってはその時間で済むものもあるが、あんたほどの体格なら、たっぷり70分はかかるよと教えてやった次第だ。

こんな具合で銘々勝手なことを言っているうちに時が移った。散会後小生はまっすぐ帰ろうと思ったが、石子に強く責められて二次会迄付き合った。浦・岩も同行し、いつか入った線路向こうのバーでジンライムを飲みつつ歓談。その結果、今年はこの四人で台湾へ旅行しようということになった。






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