イデオロギーとエピステーメー

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イデオロギーはマルクス主義の用語だったが、広い範囲で使われるようになり、いまでも社会科学や人文科学における基本タームとして流通している。それに対してエピステーメーのほうはミシェル・フーコーが使いだしたものだが、こちらはあまり普及することはなかった。パラダイムと似ているところがあり、しかもパラダイムのほうに強いインパクトがあるので、エピステーメーはごく限定された範囲にしか取り上げられなかったし、フーコーが死に、また構造主義が下火になると、次第に見捨てられていった。

イデオロギーという言葉をマルクスは、社会の上部構造という意味で用いた。社会を動かしている根本的な原動力は生産関係である。その生産関係を中心とした経済構造をマルクスは下部構造と呼び、それに対して法的な関係とか文化的な現象を上部構造と言った。イデオロギーは上部構造を規定する中核的な概念である。マルクスによれば、生産関係は階級対立を内在せしめている。その階級対立において、支配的な階級が被支配的な階級を抑圧している。そうした階級対立は上部構造にも反映する。法的関係や文化的な現象は、支配階級の利益を反映したものになる傾向が強い。その傾向がイデオロギーという形をとって、社会の動きを思想的に推進していく。だからイデオロギーは、きわめて政治的な意義を帯びる。それは基本的には、支配階級による支配を思想的に基礎づける役割を持たされている。そうマルクスは考えた。

唯物論者であるマルクスは、意識は存在に規定されると考えた。どのように存在しているか、その存在のありよう・存在の様式が意識のあり方を規定する。マルクスが生きていた時代は、経済的にいえば資本主義の時代だったから、資本主義的な生産関係が、社会の根本的な存在様式といってよかった。そのような社会では、資本主義的な生産関係が人間の意識を根本的に規定する。しかもその場合、生産関係において資本家が支配的階級になるのとパラレルに、上部構造においては、支配階級たる資本家の利害が貫徹される。上部構造の中核たるイデオロギーも、資本主義的な生産関係の維持・発展に都合のいいように形成される。そのようにマルクスは考えたわけである。

イデオロギーという言葉は、イデアにロゴスが結びついてできた。イデアという言葉は、ギリシャ語で「見られたもの」というのが原義であるが、それがプラトンによって理念という意味に用いられた。その理念という意味のイデアに、ロゴスを結びつけてイデオロギーという言葉をマルクスが作ったわけである。ロゴスもやはりギリシャ語で、もともと「言葉」を意味していたが、後に「言葉による論証」というような使われ方をされた。したがってイデオロギーとは、「理念についての論証」というような意味になるが、その論証には正当化というニュアンスがある。マルクスが用いているイデオロギー概念には、理念を正当化するというニュアンスが強く込められている。つまりマルクスはこの言葉に、資本主義社会の理念を正当化する、政治的な意図を含意させたわけである。イデオロギーはマルクスにあっては、当面は資本主義社会の合理化という意義を持たされたのである。

イデオロギーは、下部構造を反映したものであるから、下部構造の変化・発展と歩調を合わせて変化していく。資本主義社会には資本主義的生産関係を正当化するようなイデオロギーが支配的になり、それ以前の封建的な生産関係にあっては、封建的なイデオロギーが支配的だったわけである。社会の土台が封建的な生産関係から資本主義的な生産関係に変化・発展したことで、イデオロギーも封建的イデオロギーから資本主義的イデオロギーへと変化・発展した。したがって、資本主義的な生産関係が歴史的な役割を終え、新しい生産関係、それをマルクスは共産主義的生産関係と呼ぶが、そうした新しい生産関係としての共産主義が確立されれば、それに対応して共産主義イデオロギーが支配的になるはずだ、そうマルクスは考えた。イデオロギーは、マルクスにあっては、永遠普遍のものではなく、社会の進化・発展に従って変化・発展してゆくものなのだ。なぜならイデオロギーは、人間の意識を制約するものとして、社会の存在様式に規定されているからだ。

フーコーがエピステーメーの概念を提出したのは、ある意味マルクスと同じような問題意識に駆られてのことだった。エピステーメーも、イデオロギーと同じように、ある一定の社会に生きている人々の意識を根本的に規定するところがある。これまで歴史上存在した各時代には、それぞれの時代ごとに特有のエピステーメーが支配していた。人間の意識というのは、なにものにも制約されない自由な働きなのではなく、ある一定の制約の上に立っている。その制約がエピステーメーである。エピステーメーは、その時代に生きている人々の意識のあり方に枠をはめる働きをするわけである。こうした考え方は、マルクスのイデオロギー論よりも、レヴィ=ストロースの構造主義に近い。構造主義は、人間の意識を深層で規定している枠組みのようなものを構造と呼んで、その構造に支配されている人間の意識は、実存主義者たちが考えるような自由な働きではありえないと言った。その考えをフーコーは、エピステーメーの概念に盛り込んだのである。

ここで、イデオロギーとエピステーメー、それぞれの概念を比較してみよう。イデオロギーには、その社会の上部構造として、下部構造たる生産関係を正確に反映しているという特徴がある。一方エピステーメーには、下部構造と上部構造の照応といった考えは含まれていない。それは必ずしも生産関係とは結びつかない。あくまでも自律的な原動力なのである。フーコーは、マルクスが資本主義の形成期としてイメージした時代を古典主義の時代と言ったが、その古典主義の時代のエピステーメーは、資本主義的生産関係を反映したものとは見ていない。エピステーメーはイデオロギーと違って、社会の土台をなす経済構造に制約されない自立的な働きと見なされる。

次に、イデオロギーは、社会の下部構造の反映として、下部構造の進化・発展にしたがって進化・発展していくと考えられた。マルクスには独自の進化思想があって、人間の歴史は野蛮の状態から理想的な状態へと進化・発展していくと考え、その発展の行き着く先として共産主義社会を位置付けたわけだが、フーコーにはそうした進化思想はない。社会というものは、時代によって異なった様相を呈するが、それは別に進化したというわけではない。ただ、一つの様相から別の様相へと変化しただけで、その変化を以て進化とはいえない。エピステーメーについても同じことで、ある一つのエピステーメーから別のエピステーメーへの変化は、進化ではなくただの変化である。人間の歴史は、そのような変化の繰り返しからなる、とフーコーは考えた。

フーコーがそのように考えたのは、おそらくニーチェの影響もあるのだろうと思う。ニーチェは、同一物の永劫回帰という言葉を用いて、人間の歴史というものは、直線的に発展していくのではなく、同じ事態が循環的に繰り返されると考えた。歴史に進歩の概念を持ち込むことを徹底的に拒否したのである。フーコーはそうした非歴史主義をニーチェから受け継いだのではないか。

フーコーの非歴史主義は、エピステーメーが相互に断絶したイメージでとらえられていることにも表れている。歴史主義というのは、ある時代と次の時代との間に、ある程度の連続性を認める。その連続性が、歴史を発展に向けて進化させるのである。ところが、フーコーはエピステーメー相互に連続を認めない。あるエピステーメーは、その前の時代のエピステーメーとは全く無関係に、いわば無から生じる。そうした関係においては、歴史が進化したとはいえない。

このようにフーコーのエピステーメー論は、社会についてのきわめて静的なイメージからなっている。フーコーは、ヨーロッパ社会におけるエピステーメーと、いわゆる未開社会におけるエピステーメーとの間に、優劣の区分を持ち込まない。あらゆるエピステーメーは、どれもみな同じ価値を主張できると考えるのである。その点では、社会の進化・発展を重視するイデオロギー論とはかなり異なった議論となっている。





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