黒い雨訴訟控訴理由の意味不明な説明

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黒い雨訴訟に関して、原告の訴えを全面的に認めた広島地裁の判決を聞いた時、小生はそれを当然のことだと思った。また、国は控訴することなく、この判決を確定すべきだとの原告の思いも理解できた。だが、国は控訴に踏み切った。その理由を聞いて、違和感を抱いたのは小生のみではあるまい。

厚労省は、一方では判決理由をとうてい受け入れられないと言っておきながら、他方では、「黒い雨地域の拡大も視野に入れ、可能な限りの検証を行う」と言って、将来的な救済の可能性も示唆した。どのように受け取ったらよいか、俄にはピンとこないが、要するに、現行法を前提とする限りは受け入れられないが、法を改めたうえで、新たな規準に基いて救済することにはやぶさかではないと言いたいようだ。

何のことはない。国は面子にこだわっているだけではないのか。裁判所に言われてやるのは気に入らないが、自分から自主的にやるのなら問題はないと言っているようなものだ。

この問題は最近始まったわけではない。原告は被爆後すでに75年が過ぎ、残された時間は少ない。そういう中で解決を引き延ばすのは、原告にとって耐えがたいはずだ。厚労省はそうした原告の置かれた立場を無視して、自分たちの面子だけにこだわっているわけだ。もし、現行法律を変えたいと言うのなら、もっと早く変えておけばよかったはずだ。それを今後に先送りするのは、自分たちの責任を原告に押し付けるようなものではないのか。

厚労省のこうした独善ぶりは、ほかの問題でも目に付く。昨夜NHKはガダルカナル戦の特集をしていたが、この戦闘自体の問題性は脇へ置いて、ガダルカナルで戦死した兵士の遺体がいまだに数多く収容されないで放置されているというではないか。他の国、たとえばアメリカでは、戦死者の遺体は何をさておいても国をあげて収容し、遺族に届けるといのが国際的な常識だ。それを日本の厚労省は、いまだにサボタージュしている。そういう様を見ると、日本政府には国民に対する責任意識が根本的に欠けていると思わざるを得ない。

厚労省と日本政府は、国民に対して恥を知るべきである。意味不明な説明でお茶を濁している場合ではない。





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