絶対の真理<天台>

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角川書店版「仏教の思想」シリーズ第五巻「絶対の真理<天台>」は、天台宗についての特集。仏教学者の田村芳朗と哲学者梅原猛が担当している。天台宗は、華厳宗とならんで中国化された仏教であることは、別稿で述べたとおり。その上、日本の仏教にも大きな影響を及ぼした。その影響は、単に宗教面にかぎらず、広く日本文化全般に及んでいるとかれらは言う。

日本への影響は別に取り上げるとして、本稿では、中国化された宗教としての天台宗について言及する。

中国の天台宗は、隋の時代に、智顗によって大成された。隋の権力と深く結び付いていたこともあって、隋の滅亡後は、宗派としての勢いは弱まり、中国ではほとんど存在意義を失ったのであったが、日本では比叡山を拠点として大いに栄え、仏教の主流として、鎌倉仏教を生み出す母胎となったわけである。

天台宗は、法華経を根本経典とする。法華経は紀元一世紀から二世紀にかけて、インドで成立した古い大乗経典であるが、天台宗はそれを中国流に換骨堕胎して、独特の教義を形成した。

智顗が確立した天台宗の教義は、理論面と実践面からなる。本編執筆者によれば、理論面の特徴は、おおまかにいって、一念三千思想と円融相即の思想からなり、実践面の特徴は止観の重視ということになる。天台宗は、智顗の弟子たちによって密教化するのであるが、ここでは密教の要素を度外視して論じる。

一念三千思想というのは、天台独特の世界観である。仏教には、本来的な思想として六道思想というものがある。輪廻界は、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六つからなっているというもので、これは大乗、小乗を問わず仏教の根本的な世界観である。大乗仏教では、これに四つの世界が追加されて十になる。その四つとはいずれもさとりの世界であり、声聞乗、縁覚乗、菩薩乘及び仏乗からなる。以上をあわせた十界が世界を構成するのであるが、それらは互いに相即の関係にある。それを十界互具という。十界が相互に、それぞれまた十界を宿しているという考えである。人間についていえば、人間のうちに地獄から仏にいたる他の世界が存在しているということである。つまり一つの世界のうちに他の世界が存在するということだが、これは華厳経の一即多、多即一の思想を踏まえていると指摘できる。

十界互具の思想から、十の十倍、つまり百の世界が出来上がる。この百の世界をベースとして、それに十の範疇及び三世間の思想を組み合わせると三千世界のイメージが成立する。十の範疇とは、天台独特のカテゴリー論で、世界の存在様式およびそれについての認識のあり方を十のカテゴリーに分類したものだ。カテゴリー論といえば、カントのそれを想起させるが、天台のカテゴリー論はかなり独特なものである。智顗はこれを、鳩摩羅什訳の法華経から、十如是というものを取り出して構成したのであるが、この十如是というものは、サンスクリット原典にはなく、鳩摩羅什が勝手に付け加えたものらしい。それを智顗は、自分の思想にとって便利なものとして、取り入れたと梅原は言っている。

三世間とは、龍樹の大智度論から取り入れた考えで、世界を構成する要素を、五陰世間、衆生世間、国土世間に分かつものである。五陰世間とは物質界、衆生世間とは人間界、国土世間とは人間が住んでいる環境をさす。

以上十界互具、十の範疇、三世間を組合すことで三千世界が出来上がる。一念三千の思想は、一瞬の心の動きのうちにこの三千世界が含まれているとする考えのことである。これは梅原によれば、微細の世界のうちに全世界が含まれているとする華厳経の思想の智顗的な展開ということになるという。その現実的なインパクトは、仏と人間とを、別なものではなく、連続したものと捉えることにある。そこから天台の楽天主義が生まれてくることになるわけである。天台は、この世がそのままで仏土だとするのであるが、その根拠として、一念三千の思想があるわけである。

天台の理論面の二つ目の特徴である円融相即の思想は、三諦円融とも言われる。三諦とは、三つの真理の自覚という意味で、その三つの真理とは、空・仮・中をいう。空は般若経が教える思想である。すべてのものには自性はなく、空であるというのが空の思想である。それゆえそれはニヒリズムに陥りがちだ。それを仮の思想が緩和させる。仮の思想とは、空によって否定されたものを、再び肯定することだ。だがそれによって、物質界がそのまま肯定されることになりかねない。それを再度緩和させるものが中の思想である。中の思想とは、空でもなく、仮でもなく、その中間という意味であり、否定と肯定の中に中諦があるとする考えである。以上三つのもの、すなわち空諦、仮諦、中諦の三つが渾然として一体となったものを、三諦円融という言葉であらわすわけである。この言葉が持つインパクトは、どちらかというと、現実否定よりも現実肯定のほうに働いたというのが、梅原らの見方のようである。つまり天台は、三千世界といい円融相即といい、現実肯定に向って傾く度合いが強かったということらしい。

中国天台の実践面の特徴である止観とは、仏教で古くから使われた言葉で、止は心の平静を、観は対象の観察を意味したが、智顗はこの言葉を主として、座禅の実践について用いた。座禅を通じて真理を会得し、さとりの境地を目指すというわけである。この止観の実践の中から、禅宗が育っていったのである。

・仏教と日本人 





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