悲情城市:侯孝賢

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台湾の映画監督侯孝賢には、台湾近現代史に題材をとった一連の作品がある。1989年の映画「悲情城市」は、1945年の日本の敗戦に始まり、蒋介石の国民党政権が台湾に樹立されるまでの期間を描いている。流通している見方では、日本による植民地支配から解放されて、国の自立に向って動き出した時期ということになるようだが、この映画の視点は、それとは微妙に異なっている。日本への批判意識はほとんど現前化せず、そのかわりに国民党への批判意識が前面に出ているのだ。あたかも、日本による統治時代のほうがましだったと言いたいかのようである。

舞台は終戦直後の台湾地方都市。九份ということだ。そこに住んでいる台湾人の二つの家族を中心にストーリーは展開していく。林一家と呉兄妹だ。どちらも日本人と深い付き合いがあったようで、名前も日本風だ。主人公格の林文清は日本風にブンセイとよばれ、呉兄妹のほうもそれぞれヒロエ、ヒロミと呼ばれている。そんなかれらにとって、日本人は憎いはずもなく、かえって別れを惜しむくらいだ。一方、大陸からやってきた連中は、支配者然として現地人を見下ろすばかりか、次第に本性をあらわして、現地人を弾圧・殺害するようになる。政府ばかりではない、民間人もやくざ者ばかりで、現地人を食い物にしよとする。揃いも揃ってろくでもない連中が台湾の新しい支配者となり、現地の台湾人は苦しい思いばかりをさせられる。そういった雰囲気が充満しているのである。

前半は、日本人が去ったあとに、大陸の人間たちがやってきて、現地の台湾人を食い物にしようとするさまが描かれる。そうしたやくざ者を相手に、林兄弟は戦うのだ。兄弟は四人いて、映画に出て来るのは長男、三男、四男の三人だ。この長男の妾が出産するシーンから映画は始まるのである。

林兄弟のうち四男の文清は聾唖者だ。かれは映画の最後の方で、看護婦のヒロミと結ばれる。そのヒロミの兄ヒロエは、国民党に弾圧され、殺されてしまうのだ。国民党による現地人の虐殺騒ぎは、1947年の2.28事件をきっかけに始まったとされる。これは本土から来たいわゆる外省人と現地の台湾人とが衝突した事件だが、これをきっかけに国民党は、過激な現地人の弾圧に乗り出したのである。この事件は、台湾ではずっとタブーになってきたが、侯孝賢はそれをあえて取り上げた。しかも1989年といえば、台湾の戒厳令が解除されてわずか二年後のことである。しかも侯孝賢自身外省人であった。

そんなわけでこの映画は、台湾の歴史について考えさせるように作られている。なお舞台となった九份には、小生も行ったことがある。斜面にそって古い街並みの展開しているところで、なかなか風情を感じさせる。斜面を登ったところには、かつての日本人学校の跡もあるから、日本とは馴染の深い街だったようだ。だから国民党に目の敵にされたのかもしれない。映画はその九份の街並みを度々映し出すのだが、画面が暗すぎるせいで、よく見分けられないのが残念だ。この映画は全体に暗い画面でできている。

これは余談だが、小生はこの台湾映画を、北京語の字幕付きで見た。






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