馬鹿でも都知事はつとまるか

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日頃小池都知事に厳しい意見を述べている元都知事の舛添要一が、コロナ騒ぎをめぐる小池都知事の対応ぶりを批判して、権限があるのに行使せずに、都民や政府に責任を丸投げするのでは、馬鹿でも都知事がつとまる、と強く批判した。これを読んだ小生は、その馬鹿には、そう言っている本人も含まれているのではないかと思った次第だ。

舛添要一と言えば、たいした仕事もしないうちに、公私混同が都知事に相応しくないとして世間の厳しい批判を浴び、いやいやながらやめた経緯がある。公私混同がいけないということは、馬鹿でもわかることだ。それをしたのだから、他人様から馬鹿だと言われても返す言葉がないだろう。その男が現役の都知事を馬鹿呼ばわりする資格があるのか。

たしかに都知事は馬鹿でもつとまるかもしれない。というもの、過去数代にわたって、都知事がまともな仕事をしたという話を聞かないからだ。美濃部都政時代には国を上回る手厚い福祉政策が都民ならず国民全体の注目を浴びたし、鈴木都政時代には、行政改革が都民の喝采を浴びた。政策の是非をめぐる議論は別として、都政はそれなりの存在感を持っていたものだ。

それが青島幸男知事の時代になると、余分なことをしないのが都政のあり方だというような雰囲気が広がった。実際青島は派手なイベントを中止した以外には、ほとんど何もしなかった。青島の後を継いだ石原慎太郎も、これといった政策はなにも打ち出さなかった。カラス退治に夢中になったくらいだ。こうした姿勢は、石原以降にも引き継がれ、舛添要一もその轍を踏んだのではないか。

小池知事が、自分自身が目立つことに熱心で、都民のことをほとんど考えていないらしいことは小生も感じるところだ。しかしその小池知事を舛添元都知事が罵る資格があるとは思えない。





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