ほえる犬は噛まない:ポン・ジュノ

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韓国映画が国際的に評価されるようになるのは21世紀に入ってからだ。ポン・ジュノはその代表選手といったところ。2019年には「パラサイト 半地下の家族」がカンヌでパルム・ドールをとった。かれの作風は、韓国社会の矛盾をコメディタッチで描くというもので、社会派の監督と言ってよい。長編映画デビュー作である2000年の「ほえる犬は噛まない」には、かれのそういった傾向が早くも強く現われている。

この作品は、格差社会が進んでいる韓国での出世競争を描いたものだ。なかなか教授になれない男が、有力教授に賄賂を贈って教授にしてもらうプロセスを描く。それなら日本でもありそうな話だが、韓国ならではのところもある。日本では、ずばり金で地位を買収するというような無粋なことは嫌われ、同じ買収劇でも、そのまわりに二重三重の工夫がこらされ、あたかも実力で職を勝ち取ったというような外見が装われるが、韓国では金がストレートに効果を発揮し、その結果について誰も文句を言わないらしいのである。

もうひとつ韓国らしい特徴は、ストレスの発散の仕方だ。この映画の主人公のしがない大学人は、なかなか教授になれない焦りを、犬を虐待することで晴らしているのだ。日本でも犬を虐待する人間は珍しくないが、たいていの場合、憂さ晴らしに犬を蹴飛ばすくらいのもので、命まで奪ったりはしない。ところがこの映画の中の韓国人は、ビルの屋上から犬を放り投げ、犬がぺしゃんこになる姿を見て、鬱憤を晴らしているのだ。犬にとってはとんだ受難である。受難にはもう一つえげつないことが加わる。死んだ後は、肉を喰われてしまうのだ。それでは犬にとっては踏んだり蹴ったりというものだろう。この映画に出てくる犬たちは、どれも吠え声を出さないように声帯を手術されているのだが、吠えないことをいいことに、散々な目に合わされるのである。

その犬を虐待する男と並んで、犬の虐待防止に努力する若い女が出て来る。この女はマンションの管理組合に努めているのだが、そのマンションでは犬を飼うことを禁止されているのである。ところがその取り決めを公然と無視して、犬を飼う住民が絶えない。そうした住民は、自分の犬がいなくなっても、騒ぐことができないので、泣き寝入りしがちだ。犬殺しの男は、そうした人間たちの弱みに付け込んでいる部分もある。

ともあれ、男は回心して犬殺しを反省し、そのうえ教授になることができる。妊娠した妻がリストラされ、その退職金で有力教授を買収できたのだ。また、管理組合の女性は、普段の勤務ぶりが問題視されて、クビになってしまう。もっともそれを憤る様子はない。彼女は楽天的な性格らしいのだ。

こんな具合で、競争社会である韓国を、コメディタッチで描きながら、韓国人の犬肉食を皮肉ってみたり、韓国流の人間関係をさらりと描いてみたりと、なかなか見どころの多い映画である。とくに印象に残ったのは、不幸な母子家庭を装った女が電車の中で同情を求めるビラを撒いて歩く場面だ。そのビラを読んで、寄付してくれる乗客もいるというわけだ。これに似た光景は、一時期の日本でも見られたが(たとえば傷痍軍人など)、さすがに最近は見られなくなった。






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