女の都:フェデリコ・フェリーニ

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フェデリコ・フェリーニの1980年の映画「女の都(La città delle donne)」は、後半生のフェリーニ映画を特徴づける祝祭的な猥雑さに満ちた作品である。女だけ、あるいはほとんどが女で構成されている世界で、一人の男が肉の冒険をするという設定で、その女たちの肉に囲まれて、なお辟易としない男を、マルチェロ・マストリヤンニが演じている。マストロヤンニがフェリーニ映画に出演したのは1960年の「甘い生活」だが、それから20年たって、ますます円熟味を増した彼の演技は、まさにフェリーニ的祝祭感にぴったりの雰囲気をたたえている。

マストロヤンニ演じる中年男が、電車の席に居合せた女に欲情を感じ、途中下車した女を追いかけてゆく。女は列車のなかでも、列車を下りた草原の中でもマストロヤンニを挑発するのであるが、いざというときにするりと逃げてしまう。マストロヤンニはそんな彼女のあとをどこまでもついていくのだが、そのうち女だけの都というところに紛れ込んでしまう。そこはホテル・ミラ・ミーラといって、世界中のフィミニストの拠点らしいのだ。ここでマストロヤンニは、列車の中の女を追い求め、ほかの女たちには目もくれない。そこがよかったようで、かれは自分から女を相手にしないことで、女から相手にされることもなかったのだ。

マストロヤンニは、肥った女の手引きでホテルを脱出し、駅をめざす。冒険を中断して、本来の仕事に戻ろうというのだ。ところが肥った女は、マストロヤンニを途中でほっぽりだす。ほっぽりだされたマストロヤンニは、奇妙な少女たちの一群と近づきになる。彼女らはまだ子供なので、性的な魅力もないし、またフェミニズムとも無縁だ。ただ遊び心からマストロヤンニを困らせるのである。

この子どもたちから解放されたマストロヤンニは、さる大きな館に招かれる。そこの主人は非常に変わっていて、女を性的に征服するのが生きがいだ。すでに9999人を征服し、今宵は一万人目の女を相手にパーティを催すと言う。その男をよく見ると、マストロヤンニには見覚えがあった。高校生時代の同級生だったのだ。その男の邸には、マストロヤンニの妻エリナも招かれていた。エリナは、マストロヤンニが自分を性的に満足させてくれないと言ってせめる。今夜こそは満足させてほしいといって、マストロヤンニをセックスに誘うのであるが、なぜかマストロヤンニは立たないのである。

パーティは盛り上がる一方で、はめをはずしたりする。すると警察がやって来て取り締まる。その警官の中には、かれをホテルから連れ出した肥満女もいた。マストロヤンニはわけがわからなくなる。そんなマストロヤンニを半裸の女たちが慰めてくれようとするが、マストロヤンニは慰められることがない。そのうち、パーティ会場を抜け出して星空の下に出るが、そこで熱気球に乘ったりしているうちに、次第に意識が遠のいていくのを感じる。そして再び意識を取り戻したときには、かれは列車のなかで揺られていたのである。目の前には、かれが欲情した女がいる。また、いまさっき出会ったばかりの女たちが隣の席に乗り込んで来る。ここではじめてマストロヤンニは、自分が夢を見ていたことを悟るのである。

こんな具合で、夢の中の世界よろしく、この世の秩序を無視したどんちゃん騒ぎが祝祭的に繰り広げられるという趣向の映画だ。筋書きには、夢らしく、現実的なつながりはない。祝祭的な出来事がわずかの連想でつながってるだけだ。いかにもフェリーニ的な祝祭感が、夢を口実にして、荒唐無稽な領域にまで広がっている映画といえるのではないか。






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