資本主義後の政治体制

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資本主義が終わった後の時代の政治体制はどのようになるか。マルクスはこれを二段階に分けて考えていた。究極的なあり方としての共産主義社会の政治体制と、資本主義社会から共産主義社会への移行期における政治体制である。共産主義社会における政治体制は、階級が消滅した社会を前提としているので、階級支配の道具としての国家は消滅するというのがマルクスの基本的な考えである。国家が消滅するわけは、共産主義社会においては、経済的・社会的資源が無限大になるので、人々が相互に争う理由がなくなり、したがって利害調整の必要もなくなるから、利害調整のための機関である国家も不要になるからである。ではどのような政治体制が形成されるのか。これについてマルクスは確定的なことは言っていない。おそらく、人々に争う理由がなくなれば、政治そのものが存在意義を持たなくなるから、国家を含めあらゆるタイプの政治的な装置は意義を持たなくなると考えていたのであろう。

一方、資本主義から共産主義への移行期についていえば、マルクスはこの時期の政治を、「プロレタリア独裁」という言葉で表現している。過渡期であるこの時期には、階級対立はまだ消滅しておらず、したがって旧社会の勢力、具体的にはブルジョワによる権力奪取の可能性が残されている。それを許さないためには、プロレタリアはブルジョワの権力基盤を徹底的に破壊しなければならない。プロレタリア革命とそれによる共産主義社会の実現は、瞬間的に成就されるわけではなく、ある程度の時間の幅を要請するのである。その過渡期をプロレタリアの権力が支配しなければならない。その要請が「プロレタリア独裁」をもたらすというのがマルクスの考えだといえる。

マルクスはこうした考えを、1871年のパリ・コミューンの失敗から抱いたのだと思う。パリ・コミューンは労働者による革命という性格をもったのだが、それが失敗したわけは、既存の国家機構をそのままにしたために、ブルジョワがそれを利用して革命の転覆をはかる余地を与えたことだ。もし国家機関を解体して、ブルジョワに反撃の機会を与えなかったならば、革命は成功していたかもしれない。そうした悔恨の思いが、マルクスに「プロレタリア独裁」の観念を抱かせたのであろう。

レーニンの革命理論は、マルクスの「プロレタリア独裁」のアイデアに基づいているものいえる。とにかく、プロレタリアは階級敵であるブルジョワを徹底的に殲滅しなければならぬ、というのがレーニンの革命理論の核心である。そのために、レーニンの作った社会主義体制は、専制的な傾向を強く帯びることとなった。その専制性は、過渡期の一時的な現象であるという説明で合理化されたわけだが、実際の歴史的な体験としては、共産党による独裁とそれによる自由の抑圧とが、何時果てるともなく続いた。それが民衆の反感を呼び、システムの崩壊をもたらしたといえる。

ソ連型社会主義は、いまだ半封建的な段階を出ていなかったロシアで成立したために、マルクスが想定した事態とは異なった道を歩むことになった。マルクスが想定したのは、ブルジョワとプロレタリアの一対一の階級対立だったが、レーニンのロシアでは、この二大階級は階級として成熟しておらず、そのかわりにツァーを頂点とする封建的な階級が巨大な権力を握っていた。レーニンらが直面したのは、この化け物のような権力の打倒という課題だったのである。打倒すべき相手が野蛮な体質をもっていたために、打倒の方法も野蛮にならざるを得なかった。成熟したブルジョワ社会なら、議会の活用をはじめ、穏健なやり方がいくらでも可能だったろうが、野蛮なロシアでは野蛮な方法が求められた。そこが、ソ連の共産党政治が反文明的な野蛮さを感じさせる所以である。もっともソ連の場合には、レーニンの後継者を自認したスターリンの個人的な資質が大きな役割を果たしたという側面はある。スターリン自身、強権的で野蛮な性向をもっており、その性向がソ連の政治を野蛮にしたともいえる。中国の場合にも、毛沢東というユニークな人間が、共産党による独裁と権力闘争の激化をもたらした側面を指摘できる。

では、先進資本主義社会でプロレタリア革命が起きた場合、そこでの当面の政治体制はどのような形をとるべきなのか、ということが改めて問題となる。マルクスが言うような「プロレタリア独裁」を採用すべきなのか、それとももっと違ったやり方があるのか。こういう問題意識が生じるのは、マルクスの「プロレタリア独裁」論が、パリ・コミューンという歴史的な一事件の教訓として編み出されたものであって、あくまでも個別の歴史的経験に裏打ちされたものにとどまり、普遍的な有効性を持つとは限らないという懸念が打ち消せないからである。というのも、資本主義システムが確立した政治体制には、民主主義とか立憲主義といったものも含まれ、そうした体制には一定の普遍性が認められるからである。マルクス自身は、ブルジョワの政治体制の特徴を三権分立に求め、それを階級間の妥協の産物として、歴史的な制約を認めたわけだが、しかし民主主義とか立憲主義まで否定したわけではない。プロレタリア革命の合理性自体が、民主主義的な概念に基礎付けられているからである。プロレアリアは、自分たちの起こす革命の根拠として、民主主義的な権利の行使という理屈にたよらざるを得ないのである。

立憲主義の原理は、自由主義の概念に基づいている。自由の概念の中には、王権に対する貴族の権益主張という歴史的な要素も含まれるが、大部分は、国家の圧力から個人の自由を守るという発想に立っている。国家からの個人の独立を保障するというのが自由権の概念の中核的な内容である。それは資本主義以後の社会でも有効性を持ち続けるのではないか。マルクス自身は、究極の共産主義社会にあっては、国家は消滅し、また個人が互いに争う理由もなくなるから、わざわざ権利などにこだわらずとも、社会は予定調和的に動いていくと考えていたようだが、だからといって、自由権主義的な権利が全く意味を持たなくなるとは即断できまい。

民主主義と自由主義とは、ブルジョワが支配する今日の先進資本主義諸国に共通する理念である。どちらが欠けてもブルジョワ政治体制はうまく機能しない。どんな専制政治家でも、この二つの理念を否定するわけにはいかない。その理念には、ひとりブルジョワ社会のみならず、将来の新しい社会にも適用すべきものがあるのではないか。人間社会の歴史というのは、古いものに新しいものが重なって、連続的に発展してきたという性格をもっている。新しい社会はかならず古い社会の名残をとどめている。それらの間に完全な断絶はない、あるいはこれまではなかった。資本主義社会と来るべき新しい社会~究極的には共産主義社会~の間には、それら二つを結びつけるものが介在してよいはずだ、とは考えられないか。それが民主主義と自由主義の概念ではないか。

マルクスが資本主義後の社会のあり方として共産主義社会を想定したのは、人間社会の歴史は原始共産制社会から始まったという認識に発したものであるが、その原始共産制はある意味、人間社会のあり方の理想像をあらわしていた。その理想像は、人間同士が友愛によって結ばれ、互いに争う理由を持たず、また諸個人が自由でかつ平等だったということに裏付けられていた。自由と平等というこの二つの理念は、ブルジョワ政治体制でも宣言されているものだ。だからその部分は、人類が獲得した普遍的な理念として、来るべき新しい社会にも受け継いでいくべきではないか。






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