「月下鳴機図」は、崋山最晩年、天保十二年の作である。おそらく求められて描いたのであろう。タイトルの「月下鳴機図」には、英明な君主の存在が暗示されているところから、田原藩主への捧げものかもしれない。
この絵には手本がある。清の康熙帝が焦秉貞に命じて作らせた「佩文耕織図」である。これは耕織の様子を描いた四十余の図柄を版画に仕立てたもので、日本にも出回っていた。崋山は三十台のころ、その版画シリーズを入手して、模写をしている。
この作品は、「佩文耕織図」のシリーズから、いくつかの図柄を選び出して、再構成したもの。そのため、構成上やや不自然なところがある。全体が一つの視点で統一されておらず、別々の視点から描かれたいくつかの図柄を単に同居させているような印象を与える。
焦秉貞は西洋画の技法に通じていたといわれ、このシリーズの個々の作品には、一点消去法にもとづく西洋風の遠近感が指摘されるのであるが、それがこのように再構成されたことで、統一的な視点からの遠近感は見られなくなった。
(天保十二年 絹本着色 127.9×56.9㎝ 静嘉堂文庫 重美)
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