アカルイミライ:黒沢清

| コメント(0)
kurosawa12.mirai1.JPG

黒沢清の2003年の映画「アカルイミライ」は、前作の「回路」に続いて幽霊趣味を感じさせる作品である。この映画には、浅野忠信演じる男の幽霊が出てくる。映画のテーマはその男とオダギリジョー演じる男との、男同士の奇妙な友情を描く。その友情に、浅野の父親(藤竜也)がオダギリジョーに寄せる、友情とも父性愛ともわからぬ奇妙な感情がからまる。しかもそうした人間同士の感情の結びつきを、毒クラゲが媒介する。なんとも奇妙な映画である。

「アカルイミライ」とは、オダギリジョーがよく見る夢の内容である。かれは夢の中で自分のアカルイミライを見るのだが、現実の自分は暗い日々を送っている。そんなかれは、お絞り工場に働いていて、そこで知り合った同僚の浅野と仲良くしている。浅野は趣味で毒クラゲを飼っている。その毒クラゲが、映画の中では重要な役割を果たすのだ。

工場の社長は二人を気に入って、なにかと面倒を見てくれるのはいいが、好意を押し付けるようなところがあって、二人はそれをわずらわしく感じている。そのうち社長夫妻が殺害される事件がおきて、浅野が容疑者として逮捕される。浅野はその少し前に、大事にしていた毒クラゲをオダギリジョーに託していた。おそらく自分の運命を達観していたのだろう。警察に捕まっても、いっさいじたばたせずに、そのうち独房の中で首を吊って死んでしまうのである。

浅野が死んだ後、その父親とオダリギジョーが結びつきあう。父親は最初オダギリを工員代わりに使っていたが、そのうちかれに強い愛着を感じるようになる。上の息子に死なれ、下の息子からは愛想を付かされ、孤立しているのを辛く感じているのだ。

映画の後半部は、父親とオダギリの触れ合いに焦点をあてる。その二人の関係を見極めようとするかのように、浅野の幽霊がかれらの前に出てくる。しかしその姿は二人には見えない。

オダギリは、浅野からあずかった毒クラゲが負担になって、床下に投げ捨ててしまうが、毒クラゲは簡単には死なず、それどころかしぶとく繁殖する。繁殖した毒クラゲは大群をなして川を下り、やがて隅田川から東京湾に向う勢いを見せる。その様を見たオダギリと父親は、浅野の願いがかなったといって喜ぶのである。

舞台設定は東京のある場所。それがよくわからない。笹塚あたりの標識が出てくるから、その界隈だと思うと、必ずしもそうではない。神田川らしいところが出て来たり、多摩川らしいところが出て来たり、旧中川と新中川の合流点らしいところが出て来たりと、かなり入り組んでいる。おそらく色々な場所をロケ地にしたのだろう。






コメントする

アーカイブ