表象と反復:柄谷行人のボナパルティズム論

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マルクスの「ブリュメール18日」への注釈「象徴と反復」の中で、柄谷行人はボナパルティズムについて考察している。かれはファシズムもボナパルティズムの一形態であると考えている。そのファシズムには日本の(全体主義の)例も含まれるとする。かえって日本の例も含んだファシズムを整合的に説明できる原理がボナパルティズムだと言うのである。

ボナパルティズムを生んだのは普通選挙だと柄谷は言う。ドイツのナチスもイタリアのファッショも、また日本の全体主義も、普通選挙が生んだ。つまり国民大衆の支持に権力の基盤を置いているわけだ。そういう意味では民主主義から生まれたものである。たとえ奇形児とはいえ、民主義の生んだ子に違いはないと言うわけである。自由主義からはファシズムは生まれないが、民主主義からは生まれる、というか民主主義とファシズムとは親縁関係にあるというのが、柄谷の見立てである。

民主主義から、つまり普通選挙からファシズムが生まれて来る秘密を、マルクスは「ブリュメール18日」のなかで、ボナパルティズムの生まれてきたプロセスを分析することで明らかにした、と柄谷は捉える。

ボナパルティズムはなぜ生まれたのか。ボナパルティズムは独裁の一形態である。その独裁の権力はすべての国民を超越しているとともに、国民のあらゆる階級の利益を代表するという建前をとっている。そんなことが成り立つのは、階級という観点から見て、代表するものと代表される者とがかならずしも一致しないからだと柄谷は言い、そのことをマルクスは「ブリュメール18日」の中で明らかにしていると言う。

ボナパルティズムは第二共和制の否定として生まれた。第二共和制を動かしていたのは議会主義だ。その議会主義は、政党が担っていた。政党は国民の中の様々な階級を代表すると考えられていた。モンターニュ派はプロレタリアを、民主派は小市民階級を、秩序党はブルジョワジーをである。これらのそれぞれには、代表する者と代表される者とが、一対一で対応していると一応は考えられていた。そういう中で、ルイ・ボナパルトには直接代表するような階級はなかった。にもかかわらず、かれは権力を奪取できた。それはすべての階級が彼を支持したからであるが、そういうことが起きたのは、代表する者と代表される者とに必然的なつながりがないからなのであった。そうマルクスは考えたのであり、かれによればボナパルティズムは、普通選挙を通じて、合法的に、独裁権力として成立したということになる。

このプロセスは、ナチスにもファッショにも、日本の軍国主義にも当てはまると柄谷は考える。日本の軍国主義も、普通選挙の結果生まれたものだが、ボナパルティズム同様、議会主義を否定する全体主義権力として成立したというのである。

ボナパルティズムを成立させるうえでもっとも大きな役割を果たしたのは分割地農民だったとマルクスは見ている。その分割地農民は、自分らをストレートに代表する政党を持っていなかった。そこでかれらの大部分の票はボナパルトに流れた。プロレタリアの票も同様にボナパルトに流れた。彼らを本来代表すると見られていたモンターニュ派は壊滅していたからだ。ブルジョワジーの多くの部分も、ボナパルトに票を入れた。ボナパルト以外には秩序と安定を保障してくれる者がいないと判断したからだ。そんな具合に、国民大衆の様々な部分から支持を集めることでボナパルトは勝利できたのである。

繰り返すが、そういう事態が可能になったのは、代表する者と代表される者との関係が、必ずしも固定的ではなく、恣意的でありうるからである、というのがマルクスを踏まえた柄谷の見立てである。

このことから言えるのは、ボナパルティズム及びそれの現代的変形であるファシズムは、どれもみな議会制から、つまり代表制民主主義から生まれたということである。この代表制民主主義にルソーが懐疑的だったことはよく知られている。代表制においては、国民が主権者らしく見えるのは選挙の時だけだとルソーは言った。そのルソーが期待を寄せたのは直接民主主義である。ルソーはその理想形をギリシャの直接民主主義に求めた。

ルソーの理想は簡単に実現できるものではないが、かれの代表制への懐疑には、耳を傾ける価値があるというのが柄谷の考えであるようだ。

なおこの小論の中で柄谷は、代表、表象、反復という三つの日本語を、同じ一つの英語representationであらわしている。ここでいう表象とは、国民の目に見える形での権力のあり方をさし、それは具体的には代表民主主義という形をとり、そこから生まれたボナパルティズムが様々な形のファシズムとして反復されるということになる、柄谷によれば、アメリカのルーズヴェルトもボナパルティズムの体現者だということになる。






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