ドミトリイ:小川洋子を読む

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ドミトリイというから小生はロシア語の男性名かと思ってしまったのだが、そうではなくて、学生寮のことだった。それならドーミトリイと一文字足してくれればすぐにわかったものを。それはともかくこの小説は、その学生寮を舞台にしたものだ。学生寮というより、その寮の経営者と小説の語り手たるある女性の触れ合いがテーマである。その触れ合いを、女性らしい繊細な文章で語っているのである。

語り手はその学生寮に4年間暮らしたことがあって、6年前にそこを出ていた。いまは結婚しているが、夫はスウェーデンに単身赴任している。彼女は夫からスウェーデンの家に迎えてくれるまでの間、一人で暮らしているのである。その彼女のところへ、一人の甥が十四年ぶりに連絡してくる。大学に入学することになったが、下宿先のあてがないので、探してくれないかというのだ。そこで彼女は、自分がかつて住んでいた学生寮を紹介してやる。そこで学生寮の経営者とあらためて触れ合うことになるのである。

こういう設定で小説は進んでいく。語り手を学生寮に連れ戻したのは甥ではあるが、甥はその先物語からは消えてしまって、語り手と学生寮の経営者とが、ふたりきりで向き合うところがもっぱら語られる。その経営者は、二本の腕と右足が欠損していて、左脚と顎と鎖骨とを器用につかって身支度をしている。それはかれの身体に過大な負担となって、そのためかれの肋骨は変形し、肺や心臓を圧迫しているのだと、語り手は聞かされる。もう長くは生きられないということを、本人は無論語り手も観念せざるを得ないのだ。

語り手はその経営者を先生と呼んでいる。その先生にとってもうひとつ辛いことは、もともと多くはなかった寮生が極度に減ってしまったことだ。ある不可解な事件が起こり、それがもとで変な噂が広がり、寮生たちが次々と去ってしまって、戻らないのだ。その事件というのは、数学が得意だったある学生が、ある日忽然と姿を消してしまったというものだ。姿を消す理由がないので、先生は警察に疑われたりしていやな思いをした。それより、心を許していた学生が、理由もわからぬまま消えてしまったのが、かれには悲しいのだ。

小説は、そんな先生の境遇に語り手が感情移入していくさまを描いていく。彼女がなぜ先生に感情移入してしまうのか、明白な理由はないが、小説の文章からは、それが自然ななりゆきであるかのように響いてくるのを感じることができる。文章の勢いとはそういうものなのだろう。小川の文章は非常に素直で、しかもやさしさを感じさせる。そのやさしさが読者を知らず知らず夢見心地にさせるのである。

短編小説らしく鍵となる言葉がある。音である。小説の冒頭にその「音」が出てくる。そして小説のあとの部分でその音の実体が明かされるというふうになっている。だからこの小説は、音をめぐる謎解きのような体裁をとっているのである。

小説の冒頭は次のような文章だ。「わたしがその音の存在に気付いたのは、たいした昔ではない」。そして、その音が「いつ、どこからやってきたのか、分からない」と続くのだが、過去を回想しているうちに、次第にその音のそもそもの出所が明らかに意識に上ってくるのである。その音は、学生寮に住み着いているミツバチの羽音だったのである。ミツバチは雨で滲んだ風景の中を自由に飛びまわっていた、と回想される。その回想の場面が美しい文章で語られる。

「蜜蜂はなんどかためらい、そろそろとチューリップに近寄ってゆく。そして決心すると、腹の縞模様をびくんと振動させながら、花びらの先端の一番薄いところに止まる。すると羽がしずくと溶け合って、光っているように見えるのだ」。そして「いつまでもこの静けさの中に浸っていると、蜜蜂の羽音が聞こえてきそうな気がした」と続く。この羽音こそが、冒頭の音の実体だったわけである。その羽音は単にその時の語り手の気分を象徴しているだけでなく、語り手と先生との間にできた深い心のつながりをも象徴していたのだ。

小説のラストシーンは、先生の部屋の天井にできたしみのことがモチーフになる。そのしみが何なのか語り手は気になっていろいろ探し回るが、天井裏を覗いてみたところ、大きな蜂の巣があって、そこから蜜が零れ落ちていた。その蜜が天井にしみを作っていたのである。そういう具合にして、蜜蜂の羽音にもうひとつ小道具が加わり、物語にいっそうの厚みが出来た。その厚みを背景に小説は次のような文章で終わるのだ。

「わたしは羽音を聞きながら、その風景を眺めた。湾曲した肋骨を抱え眠りに落ちている先生や、美しい左指とともに消えてしまった彼や、完璧な肩甲骨でシュートを打ち込むいとこのことを思った。学生寮のどこか深い一点に吸い込まれてゆく彼らを、引き止めたいとたまらなく思い、わたしは蜂の巣に手を伸ばした。ハチミツはわたしの手の先のずっと遠いところで、いつまでも流れ続けていた」

こんな具合にこの小説は、語り手と先生との間の心の触れ合いを描きながら、消えてしまった寮生や、その寮生と先生とが一緒に植えたチューリップとか、そのチューリップにひきつけられる蜜蜂とか、その蜜蜂の巣からもれ出たハチミツが天井にしみを作ったとか、さまざまなエピソードをたくみに盛り込んで、小説に厚みをもたらしている。文章の美しさと並んで、さりげない技巧が、この小説の持ち味と言ってよい。






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