能「山姥」を見る

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「山姥」は世阿弥の作品。すでに行われていた曲舞を取り入れて再構成した曲である。「申楽談義」に「山姥、百万、名誉の曲舞なり」とあるから、かなりの人気曲だったことがうかがわれる。

山姥の素性について、いい加減な噂があるが、是非真の姿を知って欲しいとの、山姥自身の強い思いを、曲舞に託して謡うというのが、一曲の趣向である。世阿弥の他の多くの作品と同様、一応幽玄能の形をとっているが、前後が連続していて、現在能に近い。現在能の特徴は台詞の雄弁さにあるが、この曲の場合も、かなり雄弁な台詞が展開される。

先日NHKが放映した舞台を紹介したい。宝生能楽堂でのこの舞台は、コロナ禍をはばかって、無観客の上に、地謡を六人にし、しかもマスクをさせていた。無観客の番組は珍しくはないが、地謡六人に絞ってマスクを着けさせるというのは、前代未聞ではないか。

金剛流の「白頭」の小書きによる。白頭は格式が高いので、この能の中の山姥も上品な雰囲気をたたえている。シテは金剛永謹、ワキは森常好である。

舞台には、ツレの遊女百万山姥とワキ及びワキツレ二名が登場、次第を述べる。かれらはこれから信濃の善光寺に向うという。(テクストは半魚文庫を活用)

ワキ、ツレ二人次第「善き光ぞと影たのむ。善き光ぞと影たのむ。仏の御寺尋ねん。
ワキ詞「これは都方に住居仕る者にて候。又これに渡り候ふ御事は。百魔山姥とて隠なき遊女にて御座候。かやうに御名を申すいはれは。山姥の山廻りするといふ事を。曲舞につくつて御謡あるにより。京童の申しならはして候。また此頃は善光寺へ御参ありたき由承り候ふ程に。某御供申し。唯今信濃国の善光寺へと急ぎ候。
サシ「都を出でて小波や。志賀の浦船こがれ行く。末は有乳の山越えて。袖に露散る玉江の橋。かけて末ある越路の旅。思ひやるこそ遥なれ。
歌「梢波立つ汐越の。梢波立つ汐越の。安宅の松の夕煙。消えぬ憂き身の。罪を斬る弥陀の剣の砥並山。雲路うながす三越路の。国の末なる里問へば。いとゞ都は遠ざかる。境川にも着きにけり。境川にも着きにけり。
ワキ詞「御急ぎ候ふほどに。これははや越後越中の境川に御着にて候。暫くこれに御座候ひて。なほ/\道の様体をもおん尋あらうずるにて候。

間狂言が、ワキの質問に答えて、善光寺に行く道を説明する。三本あるが、そのうち上路越というのが、剣難ではあるが、ありがたい道だからとすすめ、自分が道案内役を買って出る。 

ツレ詞「げにや常に承る。西方の浄土は十万億土とかや。これはまた弥陀来迎の直路なれば。あげろの山とやらんに参り候ふべし。とても修行の旅なれば。乗物をばこれにとどめ置き。徒はだしにて参り候ふべし。道しるべして給び候へ。
ワキ詞「あら不思議や。暮るまじき日にて候ふが俄に暮れて候ふよ。さて何と仕り候ふべき。

道半ばにして暗くなって困っている一同の前に、里の女が現われ、宿を貸そうと申し出る。

シテ呼掛「なう/\旅人御宿まゐらせうなう。
詞「これはあげろの山とて人里とほき所なり。日の暮れて候へば。わらはが庵にて一夜を明させ給ひ候へ。
ワキ「あらうれしや候。俄に日の暮れ前後を忘じて候。やがて参らうずるにて候。シテ「今宵の御宿参らする事。とりわき思ふ子細あり。
詞「山姥の歌の一節うたひて聞かさせたまへ。年月の望なり鄙の思出と思ふべし。其ためにこそ日を暮らし。御宿をも参らせて候へ。いかさまにも謡はせ給ひ候へ。

里の女は、宿を貸すかわりに、山姥の歌を歌ってほしいと言う。そこで、その理由についてのやりとりがある。

ワキ詞「これは思ひもよらぬことを承り候ふものかな。さて誰と見申されて。山姥の歌の一節とは御所望候ふぞ。
シテ「いや何をか包み給ふらん。あれにまします御事は。百魔山姥とてかくれなき遊女にてはましまさずや。まづ此歌の次第とやらんに。よし足引の山姥が。山めぐりすると作られたり。あら面白や候。
詞「これは曲舞に依りての異名。さて真の山姥をば。如何なる者とかしろしめされて候ふぞ。
ワキ「山姥とは山に住む鬼女とこそ曲舞にも見えて候へ。
シテ「鬼女とは女の鬼とや。よし鬼なりとも人なりとも。山に住む女ならば。妾が身の上にてはさぶらはずや。年頃色にはいださせ給ふ。言の葉草の露ほども。御心には掛け給はぬ。
詞「恨申しに来りたり。道を極め名を立てゝ。世情万徳の妙花を開く事。此一曲の故ならずや。然らば妾が身をも弔ひ。舞歌音楽の妙音の。声仏事をもなし給はゞ。などか妾も輪廻をのがれ。帰性の善所に至らざらんと。恨をゆふ山の。鳥獣も鳴きそへて。声をあげろの山姥が。霊鬼これまで来りたり。
ツレ「不思議の事を聞くものかな。さては真の山姥の。これまで来り給へるか。

やりとりの過程で、この里の女こそ山姥だということがわかる。実は、山姥は、自分の名にまつわる妄執のために、苦しんでいるのでその妄執をはらすために山姥の歌を歌ってほしいと言うのである。そして、もし歌ってくれたら、それに合わせて舞を舞おうと言って消え去る。

シテ詞「我国々の山めぐり。今日しもこゝに来る事は。我が名の徳を聞かん為なり。謡ひ給ひてさりとては。我が妄執を晴らし給へ。
ツレ「此上はとかく辞しなば恐ろしや。もし身の為や悪しかりなんと。憚りながら時の調子を。取るや拍子をすゝむれば。
シテ詞「しばさせ給へとてもさらば。暮るゝを待ちて月の夜声に。謡ひ給はゞ我もまた。真の姿を現すべし。すはやかげろふ夕月の。
歌「さなきだに。暮るゝを急ぐ深山辺の。
地「暮るゝを急ぐ深山辺の。雲に心をかけ添へて。この山姥が一節を夜すがら謡ひ給はゞ。其時わが姿をも。あらはし衣の袖つぎて。移舞を舞ふべしと。いふかと見れば。そのまゝ掻き消すやうに。失せにけりかき消すやうに失せにけり。

中入。山姥が消えると、間狂言がしゃしゃり出て来て、山姥の妄執の由来を語って聞かせる。それを聞いたツレたちは、山姥の歌を歌う気になる。すると山姥が現われて、歌うように催促する。ツレたちは、山姥の歌を声を合わせて歌う。

ツレ「あまりの事のふしぎさに。さらに真と思ほえぬ。鬼女が詞をたがへじと。
ワキ、ワキツレ二人待謡「松風ともに吹く笛の。松風ともに吹く笛の。声すみわたる谷川に。手まづさへぎる曲水の。月に声すむ。深山かな月に声すむ深山かな。
後シテ一声「あらもの凄の深谷やな。あらもの凄の深谷やな。寒林に骨を打つ。霊鬼泣く/\前生の業を恨む。深野に花を供ずる天人。かへすがへすも幾生の善をよろこぶ。いや。善悪不二。何をか恨み。何をか喜ばんや。
詞「万箇目前の境界。懸河渺々として。巌峨々たり。山又山。いづれの工か。青巌の形を。削りなせる。水また水。誰が家にか碧潭の色を。染め出せる。
ツレ「恐ろしや月も木深き山陰より。其さま怪したる顔ばせは。其山姥にてましますか。
シテ詞「とてもはや穂に出でそめし言の葉の。気色にも知し召さるべし。我にな恐れ給ひそとよ。
ツレ「此上は恐ろりながらうば玉の。闇まぎれよりあらはれ出づる。姿詞は人なれども。
シテ詞「髪にはおどろの雪を戴き。
ツレ「眼の光は星の如し。
シテ「さて面の色は。
ツレ「さにぬりの。
シテ「軒の瓦の鬼の形を。
ツレ「今宵始めて見る事を。
シテ「何にたとへん。
ツレ「古の。
地歌「鬼一口の雨の夜に。鬼一口の雨の夜に。雷なりさわぎ恐ろしき。其夜を。思ひ白玉か何ぞと問ひし人までも。我が身の上になりぬべき。浮世がたりも。恥かしや浮世語も恥かしや。
シテ詞「春の夜の一時を千金に換へじとは。花に清香月に影。これは願のたまさかに。行き違ふ人の一曲の。其ほどもあたら夜に。はや/\謡ひ給ふべし。
ツレ「げに此上はともかくも。いふに及ばぬ山中に。
シテ詞「一声の山鳥羽をたゝく。
ツレ「鼓は滝波。
シテ「袖は白妙。
ツレ「雪をめぐらす木の花の。
シテ「何はのことか。
ツレ「法ならぬ。
地次第「よし足引の山姥が。よし足引の山姥が。山めぐりするぞ苦しき。
シテクリ「それ山と謂つば。塵泥より起つて。天雲かゝる千丈の峯。
地「海は苔の露よりしたゞりて。波涛を畳む。万水たり。
シテサシ「一洞空しき谷の声。梢に響く山彦の。
地「無声音を聞くたよりとなり。声にひゞかぬ谷もがなと。望みしもげにかくやらん。
シテ「殊に我が住む山家の景色。山高うして海近く。谷深うして水遠し。
地「前には海水瀼々として。月真如の光をかゝげ。後には嶺松巍々として風常楽の夢をやぶる。
シテ「刑鞭蒲朽ちて蛍むなしく去る。
地「諫鼓苔深うして。鳥驚かずとも。いひつべし。

ここでクセが入る。クセは、椅子に腰かけてのイグセである。

クセ「遠近の。だづきも知らぬ山中に。おぼつかなくも呼子鳥の。声すごき折々に。伐木丁々として。山さらに幽なり。法性峯そびえては。上求菩提をあらはし無明谷深きよそほひは。下化衆生を表して金輪際に及べり。そも/\山姥は。生所も知らず宿もなし。たゞ雲水を便にて至らぬ山の奥もなし。
シテ「しかれば人間にあらずとて。
地「隔つる雲の身をかへ。仮に自性を変化して。一念化生の鬼女となつて。目前に来れども。邪正一如と見る時は。色即是空そのまゝに。仏法あれば。世法あり煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり衆生あれば山姥もあり。柳は緑。花は紅の色々。さて人間に遊ぶ事。ある時は山賎の。樵路にかよふ花の蔭。休む重荷の肩を貸し月もろともに山を出で。里まで送るをりもあり。又ある時は織姫の。五百機立つる窓に入つて。枝の。鴬糸くり紡績の宿に身を置き。人を助くるわざをのみ。賎の目に見えぬ鬼とや人のいふらん。
シテ「世を空蝉の唐衣。
地「払はぬ袖に置く霜は夜寒の月に埋もれ。打ちすさぶ人の絶間にも。千声万声の。砧に声の。しで打つはたゞ山姥がわざなれや。都に帰りて世語にせさせ給へと。思ふはなほも妄執か。唯うち捨てよ何事もよしあし引の山姥が山めぐりするぞ苦しき。
シテ「あしびきの。
地「山めぐり。立廻リ

山姥の動きの派手なカケリがある。

シテ「一樹の蔭一河の流。皆これ他生の縁ぞかし。ましてや我が名を夕月の。浮世をめぐる一節も。狂言綺語の道すぐに。賛仏乗の因ぞかし。あら。御名残惜しや。いとま申して帰る山の。
地「春は梢に咲くかと待ちし。
シテ「花を尋ねて。山めぐり
地「秋はさやけき影を尋ねて。
シテ「月見る方にと山めぐり。
地「冬はさえ行く時雨の雲の。
シテ「雪をさそひて。山めぐり。
地「めぐり/\て。輪廻を離れぬ。妄執の雲の。塵つもつて。山姥となれる。鬼女が有様。みるや/\と。峯にかけり。谷に響きて今迄こゝに。あるよと見えしが山又山に。山めぐり。山又山に。山めぐりして。行方も知らず。なりにけり。

以上、間狂言も含めて、実に台詞の多い曲である。






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